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姉ちゃんは同級生 ~井の頭の青い空~  作者: 山崎空語
第5章 高校生の俺達 ~大人への階段~
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5-8 フラグが立った日(その2)~私にもう優しくしないで~

 6時過ぎに家に帰った。辿りついたと言った方が良いかも知れない。どこをどんな風に帰って来たのだろう? リビングのソファーに腰を下ろした。彩香が隣に来て座った。

「お兄ちゃん、お姉ちゃんと喧嘩したでしょ!」

「してないよ。」

「嘘だ! お姉ちゃん泣いてた。」

「・・・そっか。」

彩香は大きな瞳でにらみつける様に俺の顔を覗き込んだ。俺は少し引いた。

「やっぱり、何か知ってる!」

彩香は更に俺に顔を近づけた。

「それに、なんか変な匂いする。」

「・・・そっか。」

俺は姉ちゃんに合わせる顔が無い。でも、ちゃんと話をしないと駄目だと思った。だから、姉ちゃんの部屋に行こうと思った。そして2階に上がった。だがその時、姉ちゃんの部屋から母さんが出てきた。

「帰ったのね、翔ちゃん。」

俺は母さんの顔も見れない。俺は下を向いて、

「母さん、俺・・・」

「田中さんと何かあったのね。」

「う、うん。俺はどうすれば良いか・・・」

「今は1人にしてあげて。」

「ちゃんと話をしたい。」

「駄目。今は。 春香にも考える時間をあげて。」

「・・・でも俺。」

母さんは俺の右腕を掴んで、

「翔ちゃん、私を見て!」

俺は顔を少し上げて母さんを見た。母さんは優しい笑顔だった。

「翔ちゃんもちゃんと考える事ね。」

「わかった。でも何からどうすれば良いか・・・」

母さんは俺を見つめて、微笑んで、

「そうね。・・・まずお風呂に入って!」


 7時半頃、遅めの夕食になったが姉ちゃんはダイニングに出て来なかった。静かな夕食になった。もう何年もこんなキツい時間を過ごした事はなかった。親父は母さんから何か聞いたみたいで、何も言わなかった。ただ、俺がほとんど何も食べぬまま、自分の部屋に戻ろうと立ち上がった時、

「翔太、責任は全部お前がとるんだぞ。」

と言った。親父の俺へのエールの様に思えた。だから、

「うん、わかった・・・ありがとう。」

と答えた。だけどその時、俺は親父の顔を見る事ができなかった。

 ベッドに仰向けに寝て、何も考える事が出来ぬまま、眠ることも出来ない状態で、ただ天井を見つめて時間が過ぎた。10時頃意を決して姉ちゃんの部屋の引き戸をノックした。

「姉ちゃん、入れてくれないか?」

返事は無かった。俺は引き戸を開けようとしたがロックが掛かっていて開かなかった。もう1度ノックした。

「姉ちゃん。」

姉ちゃんはたぶん戸のすぐ向こう側に居る。でも開けてくれない。立ったまましばらく沈黙の時間が流れた。諦めて自分の部屋に戻ろうとした時、

「1人にして。今日は翔ちゃんと一緒に居られないの。」

「姉ちゃん、俺、やっぱり姉ちゃんが・・・姉ちゃんが(す・・・)」

「やめて、それ以上言わないで!」

俺の言葉を遮って姉ちゃんが叫ぶように言った。しばらくまた沈黙の気まずい空気が流れた。

「姉ちゃん・・・俺キツい。」

「・・・キツいよ! 私も。」

それを聴いた時、俺は全身の力がスウーッと消えるような感覚になって、引き戸に背中で凭れかかって、そのまま廊下に座り込んだ。

「姉ちゃん・・・ごめん。」

俺はひざを抱えたまましばらく体が動かなかった。


・・・・・・・・・・


 あれから姉ちゃんと俺は『おはよう』と『じゃあ』位の言葉しか交わせぬまま1週間が過ぎた。放課後の放送室には姉ちゃんの代わりに加代が来る様になった。たぶん加代は5時過ぎまで図書館で時間を潰しているのだろう。俺は加代に責任を感じてる。男としてしっかりしなければと思う。『俺は加代の彼になったんだ』と自分で自分に言聞かせている。なのに、人目のある所では加代と手をつなぐ事がなんとなくできない。自分で自分が卑怯だと思う。

「翔太、寄ってくだろ!」

加代はおれを見上げて微笑む。俺はそれを拒めない。

  『3階でございます。』

エレベータを降りるとすぐ、加代は俺に跳びつく様に抱きつく。そして、キスをせがむ。俺はそれに応える。

「なあ、翔太。」

「なに?」

「わたし、やっぱり翔太が好きだ。」

「ああ、わかってる。」

「でも、翔太はまだ私を見てくれない。・・・やっぱ、春香が好きなんだろ?」

「・・・・・」

「ゆっくり・・・ゆっくりで良いから私を好きになって!」

「あ、ああ。」

「何か食べる?」

「いや、いいよ。それよっか、少しのど乾いた。」

「そうだね。じゃ、飲み物持ってくる。」

加代は6階に上がってジュースをトレイに載せて来る。それを飲んで、しばらくまた抱き合って、そして加代の歌を聴いて帰る・・・それが日課になりつつあった。

 こんな日を重ねる度にキスの深さも抱き方も徐々にエスカレートした。ブラウスのボタンを留めながら加代が言った。

「ねえ、明日の土曜日、ランドに行かない?」

「ごめん、明日は仕事なんだ。」

「モデル?」

「うん。」

「何処で?」

「御殿山。」

「私も行って良い?」

「ダメとは言わないけど、面白くないと思う。」

「じゃあ、終わる頃行く。何時頃までやってんの?」

「2時頃には終わると思う。」

「判ったわ!」

少し沈黙があった。

「ねえ、これからライブなんだけど来ない?」

「う、うん。」

加代は俺の手に自分の手を絡めて

「ねえ、来て! ランドの代わり。」

「わかった。」

俺達はタクシーで吉祥寺のライブ喫茶に向かった。ライブ喫茶は地下だから、俺はタクシーの中で母さんにメールした。『遅くなる』と。姉ちゃんにはもうメール出来なくなってしまった自分が悲しかった。


 吉祥寺通りは渋滞していると運転手さんが言うので、井の頭公園近くのバス停を過ぎたところで降りて、東急デパート方向に歩いた。吉祥寺駅西側のガード下に来た時、

「お、中西君。」

野太い声に呼び止められた。

「あ、吉村さん。」

「珍しいじゃないか、こんな時間に。」

「吉村さんこそ!」

「スタジオからの帰りだよ。」

「そうですね。ここ、通勤路でしたね。」

吉村さんは俺と一緒に居る女子が姉ちゃんじゃ無いのがかなり不審だったと思う。

「そちらのお嬢さんは確か田中さんでしたね。」

「はい。この前は有難うございました。」

「歌、上手ですね。その方面にも少し知り合いが居ます。私にできることがあったら、お手伝いしますよ。」

吉村さんの方からこんな事を言うのはかなり珍しくて、不自然な感じがした。吉村さんは本当に加代の才能を認めてくれたのかも知れない。大人の計算力が垣間見えたような気がした。

「あ、ありがとうございます。」

「それじゃあ、これで。」

「あの、これから私、ライブに出るんです。聴いてくださいませんか?」

「申し訳ない。これから本社で明日のスケジュール調整しないといけないのです。」

「そうですか。」

「じゃあ、翔太君。明日よろしくお願いします。」

「はい。」

吉村さんは俺達を見て、珍しく微笑んで、手を振りながらガード下のショッピングモールに入って行った。俺達もネオンで煌びやかな吉祥寺の繁華街に向かった。

 夜の吉祥寺は、本物か偽物かどうかは別にして、JKやDKのような連中が大勢歩いていて、制服でもぜんぜんOKだ。怪しげな店にも入れるところが多い。ただし、都会の一角なので当然だが裏道での身の保証は無い。幸い俺は体格が良いので、見かけ、加代のボディーガードにはなれてると思う。


 加代の歌は本当に凄い。歌ってる加代を見ていると、俺の彼女になってくれて有り難いと思う。加代は歌いながらステージから俺に優しい視線を投げてくる。俺はそれがなんかこそばゆくて嬉しくて、同じ視線をステージに投げ返した。やがて持ち時間が終わると、加代は俺のテーブルに来た。

「どうだった?」

「うん。最高だ。加代が居なかったら、このバンドのステージ無くなるかも。」

「ありがとう。翔太大好き!」

「なんか飲む?」

「うん、同じで。」

俺は手を上げてウエイトレスを呼んでジンジャーエールを注文した。そこへ『野呂さん』がやって来た。

「カヨ、これから飲みに行くんだけど?」

「ごめんなさい。私、中西君と約束してますから。」

野呂さんは俺を睨んで、

「お前達、付き合ってんのか?」

「野呂さん、そんな事どうでも良い事でしょ!」

「はっきり言います。俺と加代ちゃんは付き合い始めました。」

「カヨ、本当か?」

「・・・はい。」

「ション便臭いくせしぁがって!」

「そうですね。でも、真剣に付き合ってますから。」

「あぁあ、これだからガキは・・・わかってネエ! スネかじってやがるくせに!」

そうハキ捨てるように言って楽屋に戻って行った。

「ありがとう翔太!」

加代の頬を涙が1筋伝った。

「本当の事だから。」

「私、嬉しい。」

「あいつ、はっきり言ってやんないと危ない気がする。」

「・・・・・」

「だけど、良かったのかな? 後で加代が虐められないか?」

「もう辞めようと思ってるから、良いのよ。・・・良いタイミングだわ!」

「そっか。それなら良いんだけど。」

「じゃあ、着替えてくるね。」

「うん。」

俺と加代はライブ喫茶と同じビルの2階にある定食屋で遅い夕食を食べて帰った。10時を過ぎていた。


・・・・・・・・・・


 11月10日(土曜日)、姉ちゃんは朝8時頃タクシーのお迎えが来て、それに乗って出て行った。新年号の撮影なので、着付けがあるからだ。俺は10時頃来いと言う事なので、9時50分頃スタジオ入りした。第1スタジオでは既に姉ちゃんと栄子先輩が振袖のスナップ撮りをしていた。

「翔太君、こっち。」と木下さん。

「おはようございます。」

「おはよう。ササッと着替えようね。」

「はい。」

俺は羽織袴になった。10時半頃姉ちゃんと俺の撮影が始まった。だが、数回シャッター音がしただけで、山内さんのテンションが下がった。

「どうした? ハルちゃん、翔太君!」

「・・?・・」

「いつもの優しさや愛らしさが無い。2人共!」

「・・・・・」

「疲れてるのか?」

「すみません。ちょっと待ってもらって良いですか?」

「じゃあ、15分休憩。と言ってもまだ始まって無いんだがね。」

「すみません。」

スタッフは全員休憩ポジションに移動した。座ったり、進行表を見たり。

「姉ちゃん。」

俺の呼び掛けに応える事無く、姉ちゃんはサッサとスタジオの隅に行って、エッコ先輩と並んでパイプ椅子に座った。そして何か話し始めた。俺は仕方なく2人に近付いた。

「姉ちゃん。」

「・・・・・」

「あんた達、なんか変ね。喧嘩してるの?」

「あ、いえ・・・」

姉ちゃんは俺の視線を逸らして予定表を見ている。エッコ先輩は溜息を1つして、

「解り易い人達ね。・・・しょうが無いわ。私、席を外してあげる。だから、ちゃんと仲直りしな!・・・でないと、2人共今日でモデル生命が終わるわよ!」

そう言ってエッコ先輩はスタジオを出て行った。

「姉ちゃん、俺達ギャラ貰ってるよね。」

「やめて! 判ってるから。」

「うん。」

しばらく沈黙が流れた。

「私、できないの。もう、たぶん何もかも。」

「俺、どうすれば良い? どうすれば許してくれる?」

「翔ちゃんのせいじゃない。全部私のせいなの。」

「いや、俺が悪いんだ。俺がはっきり出来なくて。」

「もう止めよ!、私達、何もかもがキツくなるわ!」

「もう、元には戻れないの?」

「そうね。」

「どこで間違ったの? 俺、あの時姉ちゃんを追いかけなかったから。」

「間違ったのは私だわ!」

「責任があるんだ。俺には。とても大きな責任が。」

「こうなったのは私のせいだって言ってるでしょ!」

「姉ちゃんにキツい思いをさせてる。それだけでも俺が悪いと思う。」

姉ちゃんが突然大声になった。

「違う。違うのよ!」

「・・・・・」

「わたし、大丈夫って言った。大丈夫って・・・」

姉ちゃんの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。そしてメイクを押し流した。

「でも・・・でも大丈夫じゃ無かった。」

「だから俺は謝りたい。何とかしたい。」

「そんな事じゃないの。お願い、もう私に優しくしないで! 翔ちゃんが・・・翔ちゃんが諦められなくなるから・・・」

「俺は姉ちゃんが・・・」

「お願い。加代ちゃんの傍に居てあげて! 翔ちゃんの優しさを全部加代ちゃんにあげて!」

「姉ちゃん・・・それで良いのか?」

「そう言ったわ・・・何度も。だからもう私に優しくしないで。」

「姉ちゃん、俺は・・・俺は・・・」

この時、俺は姉ちゃんの覚悟を知って、俺も姉ちゃんを諦めなければいけない事をハッキリと悟った。少なくとも覚悟を決めるのが俺の責任だと思った。だが、エッコ先輩がいつの間にか戻って来ていて、その気持ちに割り込んだ。

「なんだ、簡単じゃん。2人共・・・よりを戻せ!」

「そんな事できないんです。加代ちゃんは大好きな友達ですから。」

「ハルちゃん、その娘が親友でもたとえ肉親でも、あんたは翔太を選ぶべきよ! その方があんた達の為よ。」

「エッコ先輩、俺はもう元には戻れないんです。たぶん。だから元じゃなくて、新しい状態にならないと・・・」

「バカかお前! 何処であろうと、それが地獄でも煉獄からでも、戻れ!」

「・・・・・」

俺はどう答えたら良いのか判らないまま下を向くしかなかった。


 俺達の様子を近くでじっと見ていた人が居る。長谷さんだ。長谷さんは姉ちゃんと俺を交互に見てから1度天井に視線を投げて1つ溜息をしてから、腕組みをして言った。

「どうやら今日は撮影にならないわね。」

「メークも流れちゃったしね。」と野崎さん。

「1週間延期しましょうか。」

「それが良いな。」と山内さん。

「ハイハイ。今日はこれでお開き! こう言う事も有るわ、青少年なんだから。」

「す、すみません。俺達のせいで・・・」

「そうよ、自覚して頂戴。・・・だから、2人共早く乗り越えて頂戴。」

「すみません。」

俺はどうしていいか解らないままに、気持ちだけは謝った。長谷さん越しに、いつもの様に特に発言をすること無く、スタジオの隅で壁に凭れかかって黙って皆の様子を見ている吉村さんが見えた。こうして新年号のスナップ撮影は延期になった。

 まだ昼前だったので、俺は約束の時間まで加代を待つことにした。姉ちゃんは着替え終わると、スタッフの皆に深々とお辞儀をして謝って、それから俺をチラッと見たが、視線を落として、さっさと帰ってしまった。『ごめん』って言っている様にも思えた。確かにこの場で話し合って解決できる事は何も無かったと思う。今夜こそ2人だけでちゃんと話し合おうと心に決めた。元に戻れないまでも。

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