5-5 久我高祭でライブした日(その3)~魅感の初ライブ~
10月13日(土曜日)の朝7時半、加代と姉ちゃんと俺は校門の久我高祭のゲートの下で緑ちゃんのミラーレスに向かってポーズを取っていた。3人共スクールバックの他に、加代は去年と同じピンクのスーツケースを、俺はギターのソフトケースを背負って、コバルトブルーのスーツケース、姉ちゃんはワインレッドのスーツケースを持っている。俺達のスーツケースにはスタイルKのステッカーが貼ってある。緑ちゃんがディスプレイを見ながら興味津々で聞いた。
「ねえ、3人共それ何?」
「見ての通り、これはスーツケース。」と俺。
「あのねえ、中身の事よ!」
「衣装よ!」と姉ちゃん。
「ミスコンの?」
「違うわ、フェアウエルの方よ!」
「そうなんだ。」
「あ、翔太君、田中さんの方にちょっと寄ってみて!」
「こうか?」
「うん。良いわね!」
「何が良いんだ? おい、あんまくっ着くなよ!」と加代。
「ハルカの表情良いわ!」
俺は姉ちゃんを見た。ちょっと怒り目になっている。
「緑ちゃんもすっかりカメラマンだね。」
「そうでしょ。これが1年の成長なのね。」
姉ちゃんが俺の左側に来て、腕を組んだ。そして、俺を見詰めて微笑んで、それから半カメラ目線を緑ちゃんに繰り出した。俺もそれに従った。
「これがご要望なんでしょ?」
「解ってるぅ!」
「なんの事?」と加代。
「カメラマンのポーズ要求のテクの事だよ。」
「解らない。」
「こういう場合、俺が加代ちゃんに擦り寄ると、姉ちゃんの表情がキリッとなる。」
「そうなのか?」
「ほんで、俺が姉ちゃんに擦り寄ると、加代の表情が良くなるって寸法サ。」
「心理的反作用なの。カメラマンはそれを利用するのよ。」
「ふうーん。」
「じゃあ、翔太の表情を良くするには?」
「そりゃ、2人共俺に擦り寄れば、俺に緊張が走るだろ! 心理的に。」
「へえー、やってみよう。」
そう言うと加代は俺の右腕に左腕を絡めた。
「そっち、ハルちゃんも!」
「あ、そうね。」
姉ちゃんは緩めていた右腕を俺の左腕に絡め直した。俺の両腕に良い感触が伝わった。
「お、おぉ、いい感じだ。」
「翔ちゃん、鼻の下伸びたよ!」と緑。
「あのなあ。」
緑ちゃんは数回シャッターを押して、姉ちゃんの赤いミラーレスに持ち替えてまた数回シャッターを押した。俺たちの周囲にギャラリーが増えてきた。
「そろそろ行かないと。」
「そうね。」
放送室に入ると、既に部員全員がスタジオに集合していた。もちろん横山先輩もだ。久しぶりにヨッコ先輩のご尊顔を拝した。姉ちゃんと加代も俺に続いてスタジオに入った。
「お、中西、久しぶり。」
「ヨッコ先輩、お元気そうですね。」
「うん。志望を絞ったら気楽になったよ。」
「なんか別の・・・『脂肪』に聴こえますね。」
「相変わらずだな。」
「順平、早いな。」
「体育館だからな。」
「ナッちゃん来るんだろ?」
「うん。午後な。」
「去年と一緒だ。」
「まあね。」
「先輩、今年もお世話になります。」と加代。
「ああ、良いよ。」
「私もお世話になります。」と姉ちゃん。
「遠慮は要らない。」
「ありがとうございます。」
姉ちゃんと加代はスーツケースとスクールバックをスタジオの隅に置いてから、必要な物と小物が入ったポーチを取り出して、
「それじゃあ、私達は行くよ。」と加代。
「春香先輩は写真部だけど、田中先輩はどこに行くんですか?」とケイ。
「クラスの模擬店よ!」
「あ、そうですか。」
「ハブられてると思った?」
「いいえ、そんなつもりじゃありません。」
「心配してくれてありがとう。ケイちゃんは優しいのね。」
「いえ・・・」
ケイちゃんは恥ずかしそうに下を向いた。
「こう見えて、最近はクラスでも結構人気者なのよ私。」
加代はそう言って微笑んだ。
「あのー、先輩、聞いても良いですか?」と雫。
「なんだい?」
「それ何ですか?」
「スーツケースだけど?」
「えっと、えぇー・・・!」
「翔ちゃん! ごめんね雫ちゃん。これ、ライブの衣装が入ってるのよ。」と姉ちゃん。
「そうなんですか。フェアウエル・コンサート楽しみです。」
「聴きに来てね。」
「はい。」
「あれ? 約束していいのか? 本部だろ!」とユウ。
「ああー、そうでした。」
「まあ、『なんチャラ』の前だからたぶん大丈夫サ。」と順平。
「はい。そうだと良いですね。」
「そうだ、中西、お前たち3人は遅くなるだろうから校内泊の届け出しとけ!」
「はい。了解です。」
『じゃあ後で。』
2人が出て行った。それを見送った後、横山部長の訓示だ。先輩は皆を見渡して、
「いよいよ1年で最大のイベントだ。一昨日からもう準備は出来てるから言う事はない。Qシートは今年もよく書けていると思う。ちょっとキツイかも知れないが、頑張ろう。」
『はい。』
「それから、女子の帰宅保護者に関して確認する。」
『はい。』
「高野君は清田さんが来るのか?」
「は、はい。」
「じゃあ、ご自宅までエスコートする事。」
「ま、まあ。」
「ユウ君はケイちゃんと雫ちゃんを家まで送る。」
「仕方ありません。」
「嫌なら良いよ!」とケイ。
「ダメ。好き嫌いとか良し悪しの問題じゃ無い。教職員と生徒会の決定事項だ。帰宅保護者が確保できない女子は日没前に帰宅しなければならない。」
「はーい。ユウ君お願い。」とケイ。
「ああ、任せろ!」
「ヨッコ先輩は木村先輩が来てくれますよね。」と順平。
「当然。」
「ご馳走様です。」
「なんの!・・・それで、中西はお姉さんと田中さんのボディーガード。」
「へい。了解です。」
「それじゃあ、位置に着け!」
ヨッコ先輩の号令で俺達は持ち場に向かった。俺は講堂。順平とユウが体育館。ケイと雫が実行委員会本部だ。ヨッコ先輩はご隠居様なので特に決まって無いが、サポート役だ。講堂は例年通りの出し物で、弁論大会はゴングまで去年のままだった。演劇部は恋愛シミュレーションゲームの『BAD ROUTE』をアレンジした物で、少しエッチで、少し泣けて、超満員だった。体育館もほぼ去年と同じだ。今年の吹部は都大会入賞の実力で、素晴らしかったそうだ。ナッちゃんが来て、順平が不在になって、ユウが放置されたみたいだが、ユウももう1人前に調整室を仕切っていたそうだ。午後の美人コンテストは予想通り大混乱のコスプレショーだったそうだ。最近のコミックや深夜アニメは本数もクオリティーも凄いので、レイヤーは何を演じるか悩んだ事だろう。そして、サプコンは女性アイドルが来た。俺達は機材の準備や調整があって、見られなかったが、超満員だったそうだ。そして・・・
予定より少し遅れた5時半過ぎ、フェアウエル・コンサートが始まった。この日は朝から天候が下り坂で、風が強く、ファイヤーストームは最初から中止が決まっていた。去年と同じように、実行委員会の説明から始まった。美田園君の声だった。
「皆さん、実行委員会の美田園です。久我高祭もこれが最後のプログラムになりました。ここまで事故もなく進行できました事は、皆様のおかげです。心よりお礼申し上げます。ただ、実行委員の皆様には、このプログラムの最後まで気を抜かないでくださいとお願いいたします。」
「えー、皆様もご存知だと思いますが、今週初めに、ごく近所で女子高生が被害に遭う痛ましい殺人事件がありました。久我高祭実行委員会は彼女のご冥福を祈り、ここで1分間の黙祷をささげたいと思います。会場の皆さん、ご起立をお願いいたします。」
実行委員を含め、体育館の全員が立った。もちろん吹部も軽音も裏方の音担もだ。皆自然に冥福を祈る気持ちだった。
「黙祷!」
体育館に1分間の静寂が流れた。
「直れ!」
「えー、犯人は既に逮捕されましたが、安全のため、日没後の女子の単独帰宅が禁止されました。既に日没時刻を過ぎていますから、ご家族のお迎えや男子生徒のエスコートなどの帰宅保護者が確保出来てない女子や何かの事情で1人になってしまった女子は、単独帰宅をせず、遠慮なく実行委員会本部に来てください。方面別集団帰宅に加わって頂きます。男子のエスコートボランティアも大歓迎します。・・・もう1度言います。久我高祭実行委員会は男子のボランティアを大歓迎します。」
『ウヲー! よーっし!』
「ご賛同有難うございます。・・・さあ、フェアウエル・コンサートを始めましょう。泣いても笑っても、今年の久我高祭はこのプログラムが最後です。実行委員の皆様も手が空き次第参加してください。それでは会場進行さんにバトンタッチします。会場進行さんよろしくお願いします。」
「会場進行の松田洋子でーす。じゃあ、最初は『オクラホマミキサー』でーす。女子諸君!帰宅保護者を確保できるチャンスかも知れませんよ!」(笑)
吹部軽音有志の演奏が始まると同時に大きな歓声と拍手が巻き起こった。それからしばらく、たぶん1時間程演奏が続いた。体育館は建物全体が揺れるような一体感と熱気に満たされた。加代と姉ちゃんと俺の3人は着替えのため一度体育館を離れたが、戻って来て、その有志の演奏を舞台の袖のパイプ椅子に座ってリズムを執りながらも緊張して聴いた。やがて、演奏が途切れ、舞台の照明が暗くなった。
吹部と軽音の奏者達がぞろぞろと掃けて出てきた。皆満足そうな笑顔だった。俺達3人は立ち上がって彼等を拍手して迎えた。2年の顔見知りとは片手ハイタッチもした。
「次は2年のアコースティックユニット『魅感』の演奏でーす。」
『ウヲー!』
大きな拍手と歓声に迎えられて、姉ちゃん、加代、俺の順でステージに出た。スポットが俺達を捕らえた。姉ちゃんはクリームイエローのミニのドレス。加代はパステルピンクのミニのドレス。俺はライトブルーのキラキラのスーツだ。演奏のポジションに就くと、大歓声が襲ってきて、心臓が破裂しそうだった。加代がMCだ。マイクカヨ2を口元に近づけた。
「皆さん今晩は。『みかん』です。魅惑の『魅』と、感覚の『感』と書きます。」
『待ってましたー』
「私は田中加代といいます。MCアンドボーカル担当です。」
『知ってるー。カヨちゃーん!』
「あ、ありがとうございます。それで、左右に居るのが、中西姉弟です。」
姉ちゃんはお辞儀をし、俺は手を振った。
『シスコーン』
「んふ。・・・右側の一見イケメンが翔太君です。アコギ担当です。」
『キャー、ショウくーん!』
俺はAコードをポロンと鳴らした。・・・あれ?音が出ない。・・・俺は慌ててギターのマイクをアンプに繋いでボリュームを上げた。そしてコードを鳴らした。
「翔ちゃん、しっかりしてね!」
俺は頭を掻いて手を振った。
「それから左がお姉さんの春香ちゃんです。キーボード担当です。」
『ウォー、ハルちゃーん!』
姉ちゃんはキーボードで和音を鳴らした。PAからしっかり音が出た。
「今日は久我高祭、如何でしたか?」
『良かったよー』
「そうですか、それは良かった。ついでに私たちの演奏も楽しんでください。」
『ウヲー!』
「最初の曲は『歩いてゆこう』です。」
こうして、俺達『魅感』の初ライブが始まった。気が付くと、心臓の早打ちはなくなり、いつもの感覚が戻ってきていた。それにしても加代は凄い。惚れてしまいそうだ。いや、既に惚れてしまっていると思う。曲が終わると大歓声が俺たちを包んだ。高揚感が気持ち良かった。
歌い終わって少し余韻を置いて、加代がマイクカヨ2を口に近づけると、場内のざわめきが静まった。
「私達『魅感』は中西姉弟のデュエットに私がいつの間にか引き込まれて出来ました。最近までユニット名も無かったのですが、久我高祭のエントリーに必要なので仮につけた名前なんです。魅力的な女子が2人と感じが良い男子が1人と言う意味です。感じが良いかどうかは疑問符が付きますけど。」
加代は姉ちゃんと俺を交互に振り返った。小さな拍手と苦笑が沸いた。
「それで、いつ解散してもおかしくないユニットですので、思い出になるオリジナル曲を作りました。聴いてください。『君に届け、僕の声』」
例の歌詞に姉ちゃんが曲をつけて、曲に合わせて詞を推敲して、まあ、程よい片想いの歌になったと思う。加代はそれをしっとりと歌った。
「皆さん、久我高祭のパンフに私たちが出ているのご存知ですか?」
『知ってるー』
「もう菊も少し咲いてますよね。パンフのモデルになって、とても反響が大きくて、驚きました。」
『可愛いよー。』
「あ、ありがとうございます。・・・でも、久我高祭が終わると、私達は受験に備えて、しばらくは色々忘れなくてはいけなくなる事がありますよね。」
『・・・・・』
「あ、ごめんなさい。現実を突きつけるつもりじゃ無かったんです。次の曲は大人になる手前の私達に心情がぴったりだと思います。最後の曲です。聴いてください。『神様のいたずら』です。」
俺は何度も練習したアルペジオで伴奏した。姉ちゃんのチェンバロモードの伴奏も素晴らしかった。会場が静かに加代の歌に聴き惚れた。
曲が終わって、お辞儀をして、大きく手を振って、大拍手の中、舞台袖に出ると、ステージの進行担当が両手を広げて俺たちを阻んだ。アンコールしろと言う事だ。俺たちは再びステージに戻った。
「みなさーん、アンコール有難うございます。嬉しいでーす・・・なんですが、アンコール曲はあまり練習してないので、翔ちゃんが引っかかるかも知れません。」
『がんばれー』
俺は手を振った。
「翔ちゃんが引っかかっても、ハルちゃんがフォローしてくれます。」
『ハルちゃーん。』
姉ちゃんはお辞儀をした。
「それでは、この曲です。」
加代はボーダーの手前に置いたPCのディスプレイのカウントダウンを見て『Flavor Of Life』を歌い始めた。大歓声が会場に響き渡った。・・・そして、アンコール曲を歌い終わると再び大歓声と拍手が巻き起こった。・・・その余韻を破る様に、アンコールの途中で準備を始めていた『なんチャラ』の演奏が大迫力で始まった。
こうして魅感の初めてのライブは大成功で終わった。と思う。この直後から、学校からも商店街からも久我高祭のポスターが消滅したそうだ。ある意味、狙い通りだ。実は、加代も俺達も出来上がりをワンセット貰っている。それにしても、ライブはいつもと違う緊張と高揚感と達成感に包まれて、なんか病みつきになりそうなくらい楽しかった。加代も姉ちゃんも俺もこれまでで1番の笑顔で演奏したと思う。
フェアウエル・コンサートの後、俺達魅感はお礼も兼ねて軽音と吹部の打ち上げに顔を出した。それが終わって10時半頃放送室に戻ると、もう誰も居なかった。『魅感、最高だった。』と順平の書置きがあった。加代と姉ちゃんと俺は去年と同じように3人で校内泊した。
「あーあ、終わったね。」と加代。
「ちょっと疲れたね。」と姉ちゃん。
「だね。」俺。
加代が1番奥、姉ちゃん、そして俺の順にスタジオのカーペットに座った。
「夕食と飲み物残してくれたんだ。」
「そうみたいね。」
加代と姉ちゃんが紙皿を配って、俺が紙コップにお茶を注いで、残してあったお握りで遅い夕食を食べた。それから俺がシャワーに行って、ジャージで帰って来たら、スタジオは片付いていて、加代と姉ちゃんもシャワーに行ったみたいだった。俺は調整室で日誌に目を通して、今日の出来事を振り返った。しばらくして加代と姉ちゃんが帰って来たので、スタジオに戻った。去年と全く同じだ。3人共緑色のジャージだ。
「翔ちゃん、ブラッシング手伝ってね。」
「はいはい。」
「私も頼めるか?」
「もちろん。」
俺は2人の髪の手入れを手伝った。加代の髪を梳きながら、
「来週はいよいよオーディションだね。」
「うん・・・プレッシャー掛けんなよ!」
「そんなつもりじゃないよ。頑張れよ!」
「うん。ありがとう。」
「加代ちゃん、応援に行こうか?」
「ううん。いい。これは私の戦いだから。」
「そう? でも、手伝えることがあったら言ってね。」
「ありがとう、ハルカ。・・・それなら、今夜は半分貸して!」
「うん。いいよ。」
「あのなあ!」
俺を見詰める加代も姉ちゃんもなんか可愛かった。俺はため息を1つして覚悟を決めた。それからしばらくガールズトークに付き合って・・・結局去年と全く同じ並びで『抱き枕』になって眠った。2人共同じコンディショナーの香りがした。去年と違っているのは、俺が気持ち的に慣れたというか、落ち着いていて、筋肉痛にならないで済みそうな事だ。お互い、今日のご褒美なんだと思った。時々首を向けて2人を見ると、俺の腕を抱えた、姉ちゃんも加代もなんか可愛くなったと思う。今どちらかを選べと言われると、かなり悩むと思う。悩んで悩んで悩んだ挙句、どちらからも嫌われるという事になるのかも知れない。とにかく、加代の夢が叶うまで、あと少しこの3人でユニットが組めるのが1番楽しい事だと思った。




