5-4 久我高祭でライブした日(その2)~春香さんをご指名なの~
8月10日全校生徒の登校日。夏休みの中間日と言う事で、合宿補習の3年生と家族旅行なんかに出かけていて欠席している連中を除いて、ほとんど全員が登校する。皆一様に日焼けしていた。学校行事としては。出席を確認して、担任が生徒の顔色を見て心身が健康である事を確認して解散となる。その後、俺は、特別用事があったわけではないが、帰り際に放送室に寄った。スタジオに雫ちゃんが居た。雫ちゃんは俺の顔を見るなり、
「あのー、さっき生徒会の人が来て、先輩を捜してました。」
「そうか、どんな用件だった?」
「えっえぇー、す、すみません、聞きませんでした。」
「ああ、良いよ。じゃあ、俺行ってくる。」
スタジオを出ようとする俺の背後から雫ちゃんの不安そうな声がした。
「あのー先輩、私、先に帰っても良いですか?」
「もちろん。じゃあ、今度会うのは9月だね。それまで元気で!」
「あ、はい。先輩も。」
「うん。ありがとう。」
俺は雫ちゃんに背中を向けたまま手を振って、放送室を出て4階の生徒会室に向かった。生徒会室には生徒会長になった立川先輩と副会長の美田園浩君(2年)と会計の坂下愛ちゃん(1年)が居た。俺を見て、愛ちゃんの大きな瞳がなぜか輝いた。生徒会にはこの3人の他に監査と書記が数人居るはずだが見当たらなかった。
「失礼します。立川先輩。」
「おお、中西君久しぶり。」
美田園君が立川先輩から何かを受け取って、
「それでは図書館で調べて来ます。」
「ああ、面倒だと思いますが、よろしく頼みます。」
俺は目配せした美田園君に笑顔で答えて、入れ違いに立川先輩の前に行った。
「何か御用ですか?」
「うん。君達にお願い事があるの。」
「俺たち? 放送部ですか?」
「いえ、君と春香さんよ。」
「何でしょう?」
「春香さんは放送室?」
「いえ、写真部だと思います。」
「そう。じゃあ、すみませんが春香さんが今から来られるかどうか確認してくださらない?」
「分かりました。メールしてみます。どんな用件ですか?」
「久我高祭のパンフのモデルをして欲しいという依頼が来てるの。」
「そうですか。ちょっと微妙ですが、分かりました。」
俺は会長席右横のパーテで仕切られたスペースに置かれている、平成5年同窓会寄贈と白字で書かれた応接セットの椅子に浅く座って姉ちゃんにメールした。そこへ愛ちゃんが少し大きめのコップに入れた麦茶を持って来た。幾つか氷が浮かんでいる。
「粗茶です。どうぞ。」
愛ちゃんはカランコロンと氷の音を響かせてローテーブルにコップを置いた。
「どうもありがとう。生徒会室には冷蔵庫があるんだったね。」
「はい。IHもありますよ。」
「どれも同窓会の寄付?」
「はい。」
「じゃあ、あとはベッドの寄付があれは住み着けますね。」
「えぇー!」
立川先輩が俺と愛ちゃんとの楽しい会話を断ち切った。
「中西君! それ、生徒会では意味のない話題よね。」
「はい。すみません。」
愛ちゃんが苦笑した顔が可愛かった。
「あのー、中西先輩、私、お願いがあるんですが良いですか?」
「何?」
「これにサインしていただけませんか?」
そう言うと、愛ちゃんはスタイルKの最新号を差し出した。
「愛ちゃん、無理を言っちゃ駄目よ!」と立川先輩。
「サインくらいなら、いいですよ。」
「本当ですか?」
愛ちゃんの瞳の輝きが増した。
「滅多にしないのですが、生徒会の役員さんは特別です。」
俺はスタイルKと油性ペンを受け取って、俺たちが出ているページにサインして返した。もちろん『坂下愛ちゃんへ』を付け加えて。
「あ、ありがとうございます。」
「ネットには転載しないでくれますか?」
「はい。もちろんです。」
愛ちゃんはスタイルKを抱えて、満面の笑顔で自分の席に戻った。その様子を立川先輩が嬉しそうに見ていた。俺は出された『粗茶』を飲みながら静かに姉ちゃんを待つ事になった。
およそ5分後姉ちゃんが生徒会室にノックして入ってきた。
「すみません、お待たせしました。」
「あ、春香さん、お呼び立てして申し訳ありません。」
「あ、いえ。」
立川先輩はチェックしていた書類を引き出しに仕舞って立ち上がり、応接セットに姉ちゃんを誘導した。姉ちゃんは俺の隣に来た。
「どうぞお掛けください。」
姉ちゃんと立川先輩がソファーに座ると、愛ちゃんが麦茶を持って来た。
「どうぞ、粗茶です。」
「あ、どうもありがとうございます。」
「愛ちゃん、こういう時は『どうぞ』だけで良いのよ。」と立川先輩。
「そうですか?」
「すみません。『粗茶』のお代わり出来ますか?」
「はい、できます。」
「翔ちゃん!」
「ごめんごめん。冷たくて美味しい麦茶のお代わりください。」
「はい。」
愛ちゃんは可愛らしく微笑んだ。
「ところで立川先輩、私が久我高祭のポスターとパンフレットのモデルですか?」
「そうなんです。同窓会から提案がありまして。」
「どういう?」
「久我高祭のポスターとパンフは同窓会が担当しているのは知ってますよね。」
「はい。」
「なんでも、園芸部OBが栽培している『大菊厚物』とか言う作品が昨年の久我山坂上商店会菊花展で最優秀賞になったそうで、それをパンフに載せたいのだそうです。」
「それと姉ちゃんのモデルとどういう関係が?」
「菊だけでは若い人に受けが悪いので、現役生徒とミックスショットにしたいと言う事だそうです。」
「つまり、合成ですか?」
「菊はたぶん久我高祭の頃には咲きますが、今はまだ咲いてないので、合成だと思います。」
「この件、先生方は知ってるんですか?」
「教頭先生の提案という形で職員会議で事前に了解を取ってるみたいなんです。」
「そうですか。それにしても政治的な何かを感じませんか?」
「現役は同窓会の事を詮索しないのが暗黙のマナーです。」
「スポンサーが商店会だから、きっと『久我高祭』を装った菊花展のステマですね。」
「翔ちゃん、それ、勘ぐり過ぎだわ!」
「生徒会としては、例年通りに予算の援助が頂ければ異論ありませんから。」
「そのために姉ちゃんに1枚脱げと言う事ですね。」
立川先輩は呆れたように1度俺を睨んだが、すぐにいつもの表情に戻った。
「何か間違ってますが、そこまでは考えてません。断ることもできます。」
「現役生徒は何も私でなくても良いのではありませんか?」と姉ちゃん。
「それが、春香さんをご指名なんです。」
「なんと、ご指名・・・そうですか。」と俺。
「何か問題でも?」
「俺達はスタイルKの専属契約モデルなので、別メディアに出演するにはスタイルKの許諾が必要になります。」
「なるほど。つまり、同窓会とスタイルKとの交渉と合意が必要と云う事ですね。」
「簡単に言うと、そういう事になります。」
「分かりました。それでは、申し訳ないのですが、同窓会とスタイルKの仲介をして下さいますか?」
「わかりました。同窓会の広報担当のOBはどなたですか?」
「田中さんです。確か、田中加代さんのお父さんだと思います。」
「加代ちゃんのお父さん?」と姉ちゃん。
「そうです。」
「なるほど、それで姉ちゃんをご指名なんですね。」
「お知り合いなんですか?」
「先輩もよく知ってると思いますよ。」
「あら、私、会った事ありませんよ!」
「エコサのマスターですよ。」
「そうなの?」
「はい。そうです。」
「加代さんとずいぶんタイプが違うような気がしますけど。」
「そうですか?」と姉ちゃん。
「ああ見えて結構似た者親子なんですよ。」と俺。
「そんなに親しいのですか?」
「私達、ユニット組んでるんです。」
「ああそれ、『魅感』ですね。」
「はい。」
「姉ちゃん、ポスターに加代も引っ張り出してやろうぜ!」
「翔ちゃん、ほどほどにした方が良いよ!」
「なんで?」
「だって、あの親子!」
「そんな事無いって! 加代は基本目立ちたがりだから。」
「そうかしら。」
「そうさ。それに、ステマにはステマで対抗サ!」
その日の夕方、俺は当然だが両親に状況を説明してから吉村さんとエコサに電話した。結局、吉村さんが翌11日の午後エコサに来て、マスターお父さんと話し合う事になった。その場所は言うまでもなくいつもの307号室だ。
俺がマスターと吉村さんを仲介する格好で話し合いが始まった。吉村さんと姉ちゃんと俺が奥側に、マスターが入り口側に座った。
「マスター、こちらが吉村さんです。それで、吉村さん、こちらが田中さんです。」
「初めまして、吉村です。スタイルKで営業をしております。」
「初めまして、田中です。久我高の同窓会で広報を担当しております。」
2人は挨拶を交わすと向かい合って座った。
「わざわざおいで頂きまして恐縮です。」
「ご商売をしておいでですから、外出は大変でしょう。」
「ご配慮いただきまして、有難うございます。」
そこへ加代がワゴンを押して入って来た。
「いらっしゃいませ!」
「あ、田中さん。」
マスターお父さんは怪訝な顔で加代と吉村さんを交互に見た。
「つまり、ここは田中さんのご自宅なのですね。」
「はい。」
「歌がお上手な理由が解った様な気がします。」
「練習だけは十分できますから。」
加代はそう言いながら、姉ちゃんとアイスコーヒーを皆に配ってマスターの隣に座った。吉村さんはそれを1口飲んで、
「早速用件に入らせて頂きます。」
「はい。」
「中西姉弟は本誌の専属モデルですので、基本的にはご要望にお応えする事は出来ないのですが、弊誌編集とも相談しまして、『協賛』という形であればよろしいかと思います。」
「それは構いませんが、協賛していただくと費用が必要になります。」
「如何程ですか?」
「えーっと、ちょっと待ってください。」
マスターは『広報事務事項引継書』と書いてある黄ばんだノートをめくった。
「1口5万円で、協賛の場合は3口以上す。」
「そうですか。おそらく問題ありませんが、持ち帰りまして検討させて頂きます。」
「よろしくお願いいたします。」
マスターお父さんの顔がほころんだ。吉村さんがまたコーヒーを口に運んで会話に間が空いた。いいタイミングなので俺が口を挟んだ。事前に3人で相談した事を言ってみた。
「あの、提案があるんですが。」
「何でしょう?」と吉村さん。
「ここに居る3人で久我高祭のライブに出るんです。」
「私だけじゃなくて、この3人ではダメですか?」
「どうですか? 田中さん。」
「春香さんが浴衣で菊の後ろに佇むというイメージだったのですが・・・」とマスター。
「私達3人が制服で写った方が学園祭のイメージを壊さない気がします。」と姉ちゃん。
「そうですね。・・・加代は良いのか?」
「3人なら、私は別に、構わないけど。」
加代の応答が意外だったみたいで、マスターお父さんは少し考え込んだ。
「娘の私が出るの嫌なの?」
「いや、加代が出てくれるとは思わなかったから。」
吉村さんがプッシュした。
「学園祭のパンフレットとしては春香さん達の提案の方が良いような気がします。」
「じゃあ決まりね!」と加代。
「わかった。」とマスター
「ところで、撮影はどうしますか?」と吉村さん。
「まだそこまで考えておりません。」
「では、撮影と編集は弊誌にお任せいただけますか?」
「わかりましたが、費用はどれ位でしょうか?」
「おそらく、協賛金と同じ位ではないかと思います。」
「分りました。元々それ位を覚悟しておりました。」
「では、ちょっとスケジュールを確認します。」
そう言うと、吉村さんは廊下に出てたぶん山内さんに電話を掛けた。そして戻って来た。
「田中さん、費用の関係でスタジオは借りられませんから、明日この部屋を提供して頂けますか?」
「はい、それは問題ありません。」
「では、明日10時、弊誌のカメラマンが来ますので、高校生のお3人は制服で来てください。」
加代と姉ちゃんと俺は互いに顔を見合わせた。皆異論は無いという笑顔だった。
「はい。了解です。」と俺。
「あ、久我高祭だから冬の制服が良いかも。」と姉ちゃん。
「ジャージはどう?」と俺。
『嫌よ!』
加代と姉ちゃんがハモった。
「じゃあ冬の制服を持って来てください。」
「吉村さん、印刷は同窓会指定の業者が決まっておりますのですが。」
「わかりました。おそらく、完成データでお渡し出来ます。」
「では印刷業者の連絡先を後程ご連絡いたします。」
「まずはゲラを作りますので、それからで結構です。」
「わかりました。」
「明朝までに合意内容をまとめた合意書を作成してFAXしますので、同窓会様でご確認ください。」
「わかりました。どうかよろしくお願いします。」
「それから、中西さんの了解をもらっておく必要がありますね。」
「あ、俺が昨日説明しました。反対の意思は特にありませんでした。」
「今夜私からもご説明いたします。」とマスター。
「よろしくお願いいたします。それでは、私はこれで失礼いたします。」
こうして、久我高祭のポスターとビラに加代を引っ張り出すことに成功した。そして、『魅感』のイメージを仕込む事にも成功した。ただ、教習所の予約をキャンセルしなければならなかった。
翌12日の朝9時、307号室に山内さん、吉岡さん、野崎さんが来た。椅子とテーブルを廊下に出して、奥の壁にブルースクリーンを掛けてそれでカラオケマシンを覆った。入り口側に、奥に向けて2灯のライトスタンドが2基設置された。マスターが嬉しそうに手伝っていた。306号室が更衣室兼メークルームになった。加代と姉ちゃんと俺はエレベータの前で所在無くその様子を見守った。
「それじゃ、着替えよっか。」と野崎さん。
『はい。』
野崎さんと姉ちゃんと加代と俺は306号室に入った。
「翔ちゃんは暫らく外で待ってないとね。」と姉ちゃん。
「え?」
「田中さんは慣れてないからね。」と野崎さん。
「そっか。」
加代を見ると俺を睨んでいた。俺は廊下で冬の制服に着替えた。野崎さんに軽くメークしてもらって、3人共少しキリリとした感じになった。307号室に行くと、山内さんとマスターが商店会から提供された菊の写真をモニターで確認していた。山内さんは要求条件が理解できた様で、
「だいたいわかりました。それでは撮影を始めます。」
マスターは廊下に出たが、興味津々で開けっ放しのドアから中を覗いている。
『タク、アイポジション頼む。』
『はい。』
『えーっと、ひとまず、1人ずつ写しましょう。・・・まずハルちゃんね。』
「はい。」
『前50センチから80センチ位で高さ120センチ位の所に菊の大輪が並んでいるつもり。』
「わかりました。」
姉ちゃんは楽な姿勢で立って、吉岡さんがモニターを確認しながら指差すポイントに視線を向けた。野崎さんが背筋を直して、上着の襟とスカートのプリーツを整えた。それからメークブラシで額のテカりを調整した。野崎さんが掃けると同時にライトがパッと明るくなり、山内さんが微妙に移動しながら数回シャッターを押した。山内さんの移動を見て吉岡さんがライトの方向を調整した。
『ハルちゃん、視線ちょうだい。』
「こうですか?」
姉ちゃんは姿勢を固定したままで優しい視線をカメラに向ける。
『サイコー』
『じゃあ、次は中腰で。』
姉ちゃんは膝に両手を置いて中腰になって、吉岡さんが指差すポイントに視線を移動する。
『良いよいいよ!』
こんな感じで撮影が進行した。
「加代、最低3ポーズ要求されるから、見とけ!」
「うん。わかった。でも、モデルってすごいね。」
「結構しんどいの解る?」
「うん。」
姉ちゃんの次は俺だった。俺は立ち位置としては姉ちゃんの後ろだった。菊を見る視線と姉ちゃんを見守る視線とカメラ目線を要求された。まあ、予想通りだ。そして加代の番になった。
『前50から80センチ位で高さ120センチ位に菊の大輪が並んでいるつもりです。』
「はい。」
加代は姉ちゃんの真似をするように、吉岡さんの指先を見た。
『ハルちゃん、前で演出頼む。』
『はい。』
姉ちゃんが加代の視線の先の正面に座って微笑んだ。加代は何の事だか解らないが、とりあえず姉ちゃんに微笑み返してみた感じだった。それに合わせてシャッター音が響いた。
『良いですよー、お嬢さん、モデルの経験有るみたいですよ。』
「本当ですか?」
『最高です。良い笑顔です。』
「有難うございます。」
『じゃあ、ハルちゃん、翔ちゃんに交代してみるか。』
『了解。』
俺は姉ちゃんと代わって加代にわざとらしく微笑みかけた。加代は馬鹿にされて怒ったような目付きで俺を睨んだ。シャッター音の間隔が速くなった。
『良いよ、良い!。翔ちゃんとも息ぴったりだ!』
『加代、なんか、恐ェー!』
「うっさい。」
どうやら、加代のツンツン視線が山内さんのカメコ魂を刺激したみたいだ。確かに、見方によっては加代の怒り目は可愛いと思う。おそらく、加代のツンツンは本心ではなく、優しい本心を見抜かれまいとしているプロテクターのような物なので、ファインダー越しに本心が垣間見えるのがたまらなく新鮮で良いのだと思う。ふと振り返ると、撮影の様子を廊下で見ているマスターお父さんが本当に嬉しそうだった。
この後、3人で色々なポーズを撮った。楽器を持った画もかなり撮った。さらに、木下さんが急遽選んだという衣装でも撮った。加代がパステルピンクで姉ちゃんがクリームイエローのミニのドレス、俺がタレントが着るみたいなブルーのキラキラのスーツを着た。間違い無く採用されない写真だと思った。結局、撮影が終わったのは1時を回っていた。
ポスターとパンフは9月初めに出来上がった。1番手前に大輪の黄色と白と紫の菊の花があって、その後ろで加代が両手を少し広げて優しい笑顔で歌っている。その左後ろで姉ちゃんがキーボードを、右後ろで俺がギターを笑顔で演奏している画だ。ポスターの上には『第73回久我高祭』が丸ゴシックでアーチに書かれている。オーソドックスだが、なかなか良い感じだった。まあ、あれだけ撮影して、99%がボツというのが勿体無い気もする。




