4-27 ロケに行った日(その3)~社会課の見学~
俺はサトウキビ畑を生まれて初めて見た。山内さんにそう教えられるまで、人の背丈を超える大きな雑草だと思っていた。そう言えば、空港の駐車場の向こう側にあった背の高い草原もサトウキビ畑だったのだと判った。濃い草いきれの匂いはひょっとしたらサトウキビが強烈な太陽光で光合成して空気中に放った高濃度の酸素イオンだったのかも知れない。
舗装道路に沿って点々と家が建っている。多くはRCかコンクリートブロック造りに見えた。中には、たぶん白い漆喰で縁取りするように固めた赤茶色の甍の木造の家もあった。共通して、どの家の周囲も白い珊瑚の塊かコンクリートブロックで築いた石垣の様な塀で縁取りした砦の様になっている。石垣は台風の風除けだそうだ。たいていの家の入口にはシーサーが居て住む人をたぶん魔界の邪気から守っているのだと思う。きっと、楽園に住む人々は魔界の理を良く知っていて、折り合いを付けるためのシーサーの様な業を施しているのだと思う。東京に住む俺達は何世代も昔にそれを忘れてしまったから、常に魔界の邪気に曝されているに違いない。なんて、今更だが中二病を発症しそうになった。
区画整理されたサトウキビ畑と名も知らぬ木々の間に巨大な白と青の聖火のトーチの様な物が2本見えて来た。青い空と白い雲とそれに溶け込むような色彩に塗られた巨大な建造物だ。UFOか何かの基地の管制塔かダンジョンのランドマークタワーの様に見える。何だろう?
「あそこへ行きます。」と吉村さん。
「何があるんですか?」
「発電所です。」
「へえー。・・・原発?」
「まさか! 南の島の楽園に原発は似合わないんじゃない?」と姉ちゃん。
「だよね。」
「本来は社会課担当の仕事なんですが、ロケですのでついでで申し訳ない。」と吉村さん。
「俺達が何かするんですか?」
「見学。その様子を撮る。」と山内さん。
「え、そうなんですか?」
「今朝方まで見学できるかどうか分からんかったから、詳しい事が言えなかった。」
「あ、いえ別に。仕事ですから。」
「後ろに衣裳が準備してあるから、到着したら着替えてね。」と木下さん。
「2人共少しメイクしなくちゃね。」と野崎さん。
「今ですか?」
「到着してからよ。」
『はい。』
ロケバスは県道を左折してその発電所に入った。入って直ぐ右の低い建物の玄関前に止まった。 姉ちゃんと俺はそのロケバスの後方で、如何にもな夏の制服の衣裳に着替えた。姉ちゃんは白い解禁シャツにタータンチェックの短めのスカートで紺色のロングソックス。俺はやはり白い解禁シャツにグレーのズボンだ。革靴かと思ったらスニーカーだった。小道具は姉ちゃんがピンクで俺がブルーのシステム手帳だ。
「姉ちゃん、JKに逆戻りだね。」
「だって、JKだもの仕方ないわ! 翔ちゃんもDKだわ!」
「うん。まあね。」
姉ちゃんと俺は野崎さんに軽くメイクしてもらってバスを降りた。低い建物の玄関で発電所の人と思われる作業着を着た人が出迎えてくれた。そして導かれるまま、会議室に入った。明るい照明で、寒い位エアコンが利いていた。流石は発電所だ。メインの電気で俺達を歓迎してくれたのだと思う。吉村さんと作業着の人が名刺交換をして挨拶を交わした。
姉ちゃんと俺とが説明をしてもらっているというシチュで発電所の係の人に発電所の事を色々説明してもらった。発電所の人はプロジェクターを使って本気で丁寧に説明してくれた。姉ちゃんと俺は覚悟を決めて小道具のシステム手帳にメモを取った。けど、全部は到底憶え切れなかった。山内さんと吉岡さんは説明なんか聞かないで撮影に専念している。吉村さんは例によって手帳を拡げてなんか確認している。後で分った事だが、貰ったパンフレットを開くと、説明してもらった事のおそらくほとんどが書いてあった。
要するに、宮古島には発電所が2か所あって、どちらも内燃機関発電だそうだ。つまり、巨大なエンジンで巨大な発電機を回して電気を作るらしい。これから見学するのは第2発電所で、最大で4万kVAの電気を作る設備があって、通常は2万kVAの電気を作っているのだそうだ。
*********
ちょっとウザい説明になるから、嫌なら読み飛ばしてくれ。
まず、【kVA】と言うのは大きな電力の単位らしい。VAは交流電力の事で、電圧【V】と電流【A】の掛け算(積)だ。kはその千倍だ。1gの千倍を1kgって言うのと同じだ。人の体重なんかはkgで言った方が直感的に判り易いのと同じで、大きな電力はkVAで言うのだと思う。
次に、【VA】と実電力【W】との関係だ。物理学の本によると、純抵抗負荷ならVAとWとが同じになると言う事だ。自慢じゃないが、俺は数学が得意だ。だから、この事について俺なりの解釈を述べてみる。外れているかも知れないから、フィクションレベルで信用してくれ。
交流電圧ボルト【V】も交流電流アンペア【A】もベクトル量だから、その積【VA】もベクトル量のはずだ。このベクトルの実部「リアルパート」が実電力【W】ワットのはずだから、電圧ベクトルと電流ベクトルとの間の位相角をθ(シータ)とすると、
W = VA・COS(θ)
という関係式になる。つまり電圧ベクトルと電流ベクトルのスカラ積が実電力【W】になるという訳だ。ここで、負荷が純抵抗なら電圧ベクトルと電流ベクトルの位相角θはゼロだから、
COS(0)= 1
になって、VAがWと同じになるって訳だ。
ところで、2万kVAってどんなエネルギーなのかピンと来ないと思う。俺もだ。だけど、例えば、焼肉をするホットプレートは純抵抗のはずだ。そして、たいてい1台が1kWだから、2万kVAの電力はホットプレート2万台を1度に目一杯熱くする事が出来る事になる。途方もない熱量だ。
**********
今日は俺達の見学取材のために、わざわざ発電所の全部の設備を動かして見せてくださるそうだ。会議室の出口で白いヘルメットを渡された。そして、例のトーチの様な巨大な煙突がある建物に案内された。建物の事を『建屋』と言うらしい。中に入ると、1万kVAの発電設備が轟音を立ててぶん回っていた。・・・のだろうけど、俺には『弩ドドドドー』という劇画調の吹き出しの音を立てて振動しているだけに見えた。生温かくて、湿っていて、機械油臭い風が流れていた。この巨大なエンジンは海水で冷却するらしい。たぶん巨大なラジエターがどこかに有るのだろう。とにかく、圧倒的にデカいと言うのは、時々俺の妄想にも登場する『あれ』も含めて、何でも感動的だ。
「同じ発電設備が2つあります。」
「ああ、だから煙突も2本あるんですね。」と姉ちゃん。
「そうです。」
「今も両方動いていますか?」と俺。
「はい。ただし点検の時には片方だけになります。」
「そうですか。」
「こちらへどうぞ。」
轟音が充満した建屋を通り抜けて海に面した側の屋外に出た。突然轟音から解放されると、しばらく何も聞こえない。水平線が丸く見えるコバルトブルーの海が出迎えてくれた。海が『早く来い』って言ってるように感じた。しばらくして波の音が聴こえるようになった。その波の音はコンクリート舗装された通路の端の下の方から聴こえた。通路の海側の柵から下を覗くと、
『号ゴーゴー、弩ドドド・ドー』と音を立てて白い泡が渦巻いていた。そこを作業着を着た若い係の人が指さして、
「あそこはエンジンの冷却水の排水口です。」
「海水で冷やすんですね。」
「そうです。」
「錆びませんか?」
「海水は2次冷却です。実際には冷却材で冷やします。1次冷却と言います。その冷却材を、熱交換器に通して海水で冷やします。それを2次冷却と言います。」
「えっと、熱交換器と言うのは自動車のエンジンのラジエターの様な物ですか?」
「そうですね。形と大きさはかなり違いますが、機能は同じです。」
山内さんが湾曲した通路の反対側の端に陣取って、普段使ったことが無いような大きなズームレンズでこちらを狙っている。何か叫んでいるが水の音に掻き消されて聞き取れない。手を頭の後ろに当てて『アッハン』みたいにしているから、『ポーズを取れ』という事なのだと思った。俺は係の人の名札を読んだ。
「すみません。宮城さん。」
「何でしょう?」
宮城さんは質問だと思った様だ。
「あのー、あそこにいるカメラマンの人が写真を撮りたいと言っている様です。」
「じゃあ私は外した方が良いですね。」
「いえ、ポーズのご協力をお願いできますか?」
「どうしましょうか?」
「では、カメラに近い方に行って、排水口を指さしてください。」
「わかりました。」
「姉ちゃんは俺の前かな?」
「そうね。」
姉ちゃんと俺はヘルメットを左手で押さえる格好で宮城さんが指さす方向を見詰めた。
「すみません、この状態で少し止まってください。」
「はい。」
暫くして山内さんの方を見ると、山内さんの後ろに居る吉岡さんが頭の上で両手を重ねてOKの丸を出した。
「OKみたいです。」
「緊張しますね。」
「ご協力ありがとうございました。」
「どういたしまして。ごキョウダイなんですか?」
「あ、はい。そうなんです。」
「キョウダイでモデルさんなんですね。」
「はい。」
「羨ましいです。」
「ありがとうございます。」
「それじゃ、次の建屋にご案内します。」
発電所のもう1つの小さい方の建屋に案内された。2重の防音ドアを通って建屋に入ると、耳障りな『キーン』という音がしていた。この音には聞き覚えがある。羽田空港だ。そこから鉄の階段を上って監視室に入った。
「ここにはガスタービンエンジンが3基あります。」
姉ちゃんと俺は防音ガラスの向こう側で実際に回転しているガスタービンエンジンというのを生まれて初めて真近で見た。
「すごい音ですね。」
「はい。そうですね。」
「さっきの発電機とどう違うんですか?」
「さっきのエンジンはレシプロエンジンと言って、ピストンのディーゼルエンジンですが、これはターボジェットエンジンです。」
「どうしてジェットエンジンを使うんですか?」
「小型で、高出力で、高効率だからです。このジェットエンジンはジャンボジェット機のエンジンと同等で、1基で5000kVA発電します。」
「じゃあ、3基で1万5千kVAですね。」
「そうです。」
「向こうの部屋には行けないのですか?」
「動いている時はエンジン近くは強い気流がありますから危険なんです。」
「そんなに凄い風なんですか?」と姉ちゃん。
「はい。吸い込まれるかも知れません。」
姉ちゃんは目を丸くして驚いている。山内さんがその様子を見逃すはずが無い。俺は山内さんへのサービスで、手帳を拡げてしきりにメモを取るようなポーズをとってみたりした。
見学が終わるとまた元の会議室に戻った。何か質問は無いかと聞かれたが、頭が発電機の大きさと轟音に圧倒されていて、設備については何も思いつかなかった。
「燃料はどうしているのですか?」
「燃料の重油は港からタンクローリーで運んで来ています。」
「それで頻繁にタンクローリーが来てるんですね。」
「そうです。地下に燃料タンクがあります。地上に作ると台風の被害が心配ですから。」
「そんなに凄い台風が来るんですか?」
「ここは台風銀座です。毎年来ます。特に最近はスーパー台風というのが来ます。」
「そうなんですか。」
吉村さんが時計を見て巻きの合図を出した。俺に閉めろと言っている様に。俺は仕方なく、
「今日はどうも有り難うございました。生まれて初めて発電所を見ました。実物の大きさと言うのが判りました。驚く事ばかりでした。とても勉強になりました。」
すると、宮城さんが、
「どういたしまして、レジャーだけでなくてこんな地味なところも見学していただいて有り難く思います。ただ、ここの発電設備は宮古島に必要十分な容量ですから、それほど大きくはありません。本州にはもっと大きな火力発電所や水力発電所もあると思います。機会があればそちらも見学してみると良いと思います。」
「ありがとうございます。そうしたいと思います。」
「原子力もあるかも知れませんが今は稼働して無かったり見学できないかも知れませんね。」
「わたし、沖縄には原発作らないで欲しいと思います。」
「そうですね。安心してください当面必要無いと思います。」
「どうも有難うございました。」
と吉村さんが慌てた様に割って入った。話が微妙な方向に向かうのが嫌だった様だ。お辞儀と握手を交わして会議室を出てロケバスに乗った。メークを落として元のジーンズとTシャツに着替えた。
ロケバスが発電所を出たのは11時半少し前だった。再びサトウキビ畑の中の県道を走り、有名なリゾートホテルに到着した。ホテルの玄関に続く道の両側はフェニックスや椰子と思われる南国特有の樹木が植えられていて、それらの木々の根元は刈り込まれた芝生で緑色に塗りつぶされている。そして、所々にピンクや黄色のブーゲンビリアや赤いハイビスカスがそよ風に揺れて南国のちょっとドギツイ彩りを添えている。とても丁寧に計画されて手入れされた前庭だ。なんかすごく癒される感じがした。
吉岡さんを除く6人は正面玄関でバスを降りて、カリユシを着た係のお姉さんに案内されて、予約してあったレストランに入った。当然だが、吉岡さんはバスを駐車場に置きに行った。
「翔ちゃーん、ハルちゃーん、こっちー!」
エッコ先輩のハイテンションな呼び声が聴こえた。声がする方を見ると、エッコ先輩と長谷さんがこちらを見て手を振っている。姉ちゃんも俺も小さく手を振って、2人が座っている席に近付いた。
「おはようございます。長谷さん、エッコ先輩。」
「ひと仕事して来たんだって?」
「はい。発電所の見学をして来ました。」
「ふぅーん。 どうだった?」
「凄かったす。」
「何が?」
「音とか・・・一言では言えません。」
「そっか。あんた達に聞くより記事を読んだ方が良さそうね。」
「まあそうですね。」
長谷さんは微笑んで、
「春香ちゃん、翔太君お疲れ様。」
「いえ、初めて見たので感動的でした。」
「ごめんね。突然で。」
「見学が無かったら何か別の事してたんですよね。」
「そうね。空港周辺でスナップ撮りしてたはずよ。」
「そうですか。」
そこへ水が運ばれてきた。それに合わせて吉村さんが、
「ランチメニューは予算の都合でヒラメのムニエルかハンバーグのどちらかです。」
すると、エッコ先輩が、
「ムニエルの人ー」
と言って手を上げた。長谷さん、木下さん、野崎さんと姉ちゃんが手を上げた。つまり女子連がムニエルと言う事になった。もちろん俺はハンバーグだ。沖縄料理は夕食までお預けなのだと思った。そこへ吉岡さんがやって来た。
「お待たせしました。」
それを待ってましたと山内さんが言った。
「おう、タク、すまないけど午前中のデータとPCを持って来てくれ。」
「あ、持って来ました。」
吉岡さんはザックからPCとカードリーダーを出して山内さんに差し出した。
「タク、グッジョブ!」
「ゴッツァンす。」
なんかこの師弟関係が微笑ましく思えた。山内さんと長谷さんは並んだ席に座り直して発電所の写真をチェックし始めた。
「ああ、良いわね。頼まれたイメージ通りだわ!」
「おお、安心した。」
「このポーズ、ヤマさんの演出?」
「いや、翔太君じゃないかな。」
「説明員の表情も2人の表情も良いわ!」
「だろだろ! 視線が同じ方向を見てるのが良い。」
「トウシロウさんを上手に巻き込むなんて、中西姉弟もすっかりプロね。」
エッコ先輩が微笑んで姉ちゃんと俺を見た。
「2人共、なんか上手く行ってんじゃん。長谷のアネゴに褒められてんぞ!」
「うれしいわ! ね、翔ちゃん。」
「うん。滅多に無い事だけどね。」
長谷さんはPCから目を離さないで、
「中西君、聴こえてるからね。」
「す、すみません。」
「褒めた時くらいは素直に喜んでよ。」
「了解しましたです。なので、もっと褒めてください。」
エッコ先輩がすかさず、
「翔ちゃん、出過ぎ。」
「はいはい。」
長谷さんが顔を上げて苦笑した。
ランチメニューが運ばれて来て、皆それぞれに堪能した。思ったより量が多かったので、姉ちゃんと俺はムニエルとハンバーグを少し分け合った。エッコ先輩は横から俺のハンバーグを削り取るように持って行った。代わりにスイートコーンをどっさりくれた。結局、例によってエッコ先輩の食べ残しを俺が頂くことになった。食後の牛乳とアイスコーヒーがお代わり自由だったので、言うまでも無くかなり飲んで、お腹一杯になった。




