4-23 ロケ地が決まった日(その2)~夏は海よね~
確かに正論ではあるが、皆の気持ちの腰を折ってしまった空気を察したのか、長谷さん自身が再び沖縄離島案を提出した。咳払いに続けて。
「コホン・・・宮古島の海の色がとても綺麗だって聞いた事があるけど?」
待ってましたと言う感じで、山内さんが流石カメラマンという賛成意見を打ち込む。
「学生時代に行った事があるけど、確かに海の透明度はすごかった。水なんか無いみたいに海底が見えたよ。それに、岬に確か小さくて白くて綺麗な灯台があった。コバルトブルーの水平線がバックに有ったと思う。」
それを聞いて、皆それぞれに沖縄の海の色『コバルトブルー』を想像した。俺も想像したが・・・俺の脳裏に浮かぶ色は、なんか池袋近くの遊園地のプールの色だった。
「良いわね。」と長谷さん。
「宮古島でしたら確か中小出版組合提携のホテルがあります。」と吉村さん。
「なんか、そこに決まりそうね。」
「ジュンちゃん(長谷順子)得意の誘導だ!」
と山内さんが分析的突込みを入れると、長谷さんも負けてない。
「あら、そんな事してませんから! ・・・それに、賛成なんでしょ?」
「それはもちろん。」
「日程はどれ位?」
「2泊3日でどうかしら。」
「では、ホテルの空き具合を調べて見ます。」と、吉村さん。
皆顔を見合わせた。全員が笑顔だった。ロケって、誰もが心躍るイベントなんだと思った。
「やっぱ、夏は海よね。」と野崎さん。
「私の出番だわ!」とエッコ先輩。
「春香ちゃんと翔太君は・・・ダメよね。」と長谷さん。
「栄子ちゃんだけか。」
山内さんはかなり残念そうに姉ちゃんと俺を見た。俺は腕を交差してバツを作って、
「親父が怒ります。」
いつもの事だが、吉村さんも駄目押しする。
「ヤマさん、駄目です。契約違反です。」
「お堅い契約しちゃったからね。」
と、山内さんが益々残念そうだ。姉ちゃんを何とか水着にしたいみたいだ。
「どうしてもと云う事なら、方法がまったく無い訳でもありません。」と吉村さん。
「ムラさん、それどう言う事?」
「ロケだけ別契約を締結すれば良い訳です。」
「なるほど。」
「コンセプトが決まれば中西さんと交渉できるかと。」
「それ頼むよ。」
「ちょっと待って下さい。私達の意思はどうなるんすか?」と姉ちゃん。
「ははは、そうだったね。それも交渉しようか!」
「なんか言い包められそうな!」と俺。
「交渉事ですから、対等ですよ!」と吉村さん。
姉ちゃんを見るとなんか不安そうな表情で俺を見詰めていた。
「姉ちゃんどうする?」
「どうするって・・・翔ちゃん頑張って!」
「俺に一任?」
「ちょっと危険かしら。」
「もう脱いだも同然ね。」とエッコ先輩。
「ええー 翔ちゃんと2人だから安心してたのに!」
「あのねぇ、この業界は安心できる場所なんか無いわ! なんて言うか知ってるでしょ!」
「え? 何て言うんですか?」
「手練手管って言うのよ!」
「それ何ですか?」
栄子先輩は泣き真似をしながら、
「それで私はスイムのモデルに身を落としたんだから!」
「もう、栄子ちゃん、変なこと言わないで!」と野崎さん。
「だって、この2人、何でも信じるから・・・面白いように!」
「嘘なんですか?」
「嘘だなんて人聞きの悪い! 冗談って言って!」
「ハイハイ、そこまで。」
長谷さんが割って入った。
「じゃあ決まりね。1週間位で企画書にしたいから、皆さん、コンセプト出しに協力してください。」
『ハイ』
皆の返事が重なった。結局、長谷さんのこのいつもの皆を押し出すような掛け声で、宮古島ロケがほぼ決まった。暗黙に決まった分担などは、
ロケ地:沖縄県宮古島市(仮)
日 程:5月の連休
企 画:長谷
調 整:吉村
移 動:吉村
宿 泊:吉村
衣 装:木下
メイク:野崎
撮 影:山内、吉岡
運 転:吉岡
モデル:栄子先輩、中西姉弟
ロケの話が1段落したところで、長谷さんがまた皆を見渡した。
「それじゃ今日の撮影のコンセプトを確認します。」
「おお、忘れる所だった。」と山内さん。
長谷さんは山内さんをチラッと睨んで、
「5月号は渋谷のヤング向けブティック『チェッカー』と携帯通信会社の『エードコバンク』の新作スマホとのタイアップがあります。つまり、タイアップページの衣装はチェッカー。それから小道具に新作スマホの・・・これはモックアップね。」
「アップは別撮りだね。」と山内さん。
「そう。品物が間に合わないらしいの。」
「了解。タク、モックアップ包むクロマ準備。」
「はい。」
「タイアップ以外のコンセプトページはかぶらない様に、メインの柄はドットとストライプで、カラーはライムとホワイト基調です。暖かくて爽やかなイメージでお願いします。」
「了解しました。」と木下さん。
「木下さん、野崎さん、コーデよろしくお願いします。」
「判りました。」と野崎さん。
「それでは皆さんよろしくお願いします。」
10時頃ようやく5月号のスナップ撮りが始まった。まずはタイアップページの撮影だ。姉ちゃんはチェックのスカートに淡いピンクのブラウスをベースにしてグレーや紺や若草色のベストやスプリングセーターをあしらって、俺もやはりチェックのズボンに淡い青の解禁シャツをベースにして、セーターを着たり脱いだり羽織ったりした。青い布の袋に入れたスマホの模型を持ったり、スクールバックのポケットに入れてワザトらしいポーズもとった。今回みたいなタイアップの時は衣装が限られているから、楽と言えば楽だが、小物を見せるポージングの要求が複雑になるのがちょっと困る。筋肉痛の原因だ。
「春香ちゃんはリップだけでノーメークでも良いわね。」
と野崎さんが持ち上げると、姉ちゃんも得意気だ。それを見逃さないのが山内さんだ。一瞬の表情変化を捉えてシャッターを切る。
「翔太君、見とれてないで、恋の予感って感じで頼む。」
「えっと、姉ちゃんに?」
「じゃなくて、ですよね、山内さん。」
「さすが、春香ちゃんはよく判ってる。」
「俺だって判ってますって!」
姉ちゃんと俺はこの瞬間から、『彼女と彼』かその1歩手前の心理状態になってファインダーに納まる。こうして5月は恋が始まる季節だって云うイメージを創るのだが、俺の場合、情けない事に5月に限らず恋が始まった事は無い。
「姉ちゃん、ちょっと前に出て!」
「うん。」
「ああ、いいねえ。その半分重なった感じ。」
姉ちゃんが動くとなんかいい香りがする。
「今日はどこのコロン?」
俺は姉ちゃんの右肩に右手を乗せる。すると姉ちゃんはちょっと振り返って、
「判らないわ」
「ああ、いいねえその振り向いた感じ!」
「そっか。野崎さんの好みだね。」
姉ちゃんと俺は恋人未満の様に優しい視線を遠慮がちに重ねる。もちろん演技だが。
「そうかも。」
「いいね、それ! なんで君たちはそんなに息が合うんだ?」
それにしても今日の姉ちゃんはなんか可愛い。瞳が輝いてるし、唇もなんか・・・
「リップ若干エロい。」
「ばか。セクシーって言いなさい。」
「はいはい。」
姉ちゃんは正面を向く。俺は姉ちゃんの頭に斜めに優しい視線を落として、肩に右手を置いて、それから正面を見て、右手を少し曲げて切っ掛けを出して、そして俺達は微笑む。当然だが半カメラ目線だ。この一連の動作の間にシャッター音が続く。
「おおー、最高だ!」
俺は左肩で担いだスクールバックのポケットから右手で青いスマホを取り出して、それを顔の少し下の位置に持ち上げて右手親指でスマホをチェックするふりをする。かなりわざとらしく。
「おおー、いいねぇ、すごいすごい。良く思い付くねそう言う感じ!」
姉ちゃんは何事かと言う感じで振り返って俺を睨む。
「あら、いつもこんな事してるの?」
「暇があれば。てか、これは重要な演技ですから。」
「そうなんだ。」
「いい、いい、なんてリアルな表情なんだ!」
「普通はしないから・・・。」
「そうかしら。」
なんか最近、時々姉ちゃんと俺は山内さんの褒め殺しの台詞を無視してポーズをとるようになっている気がする。きっとその内、『カメラマンを無視すんなー』とか言って拗ねる事だろう。
午前中の撮影が終わってお昼になった。御殿山スタジオの時はいつも楽しみにしている弁当タイムだ。午前中には出番が無かったが、時々スタジオをうろうろして、俺達に笑顔や変顔を投げ掛けていたエッコ先輩もガウン姿のままで弁当を食べ始めた。姉ちゃんと俺も隣のテーブルで弁当を広げた。
「御殿山に来るとお昼は必ずこの『焼肉デラ』ね。」
「うん。けど、俺これ好きだから文句ないよ。高級肉だから。」
隣のテーブルからエッコ先輩が声を掛けて来た。
「あらら、知らないの? トウシロウ。」
「え?」
「あんた達、その『デラ』って何の事だか知ってる?」
「それは・・・デラックスの略でしょ!」
「ブッブー!」
「え! 違うんですか?」と姉ちゃん。
「ここの焼肉屋のマスターってか親父さんが名古屋出身なの。」
「へぇー」
「で、どう言う事ですか?」
「たぶんドエライが訛って『デラ』なのよ!」
「つまり、デラ盛って事すか?」
「あら、翔ちゃん、判ってんじゃん。」
「いえ、今気が付いたんです。」
「つまり、クオリティーじゃないって事なの?」
「そう、質じゃなくて量なんだって。」
「へぇー、今日は賢くなりました。」
「こんな知識、入試には出ないけどね。」
「それはまあ、そうですね。」
栄子先輩は箸を置いた。
「ご馳走様。」
「あれ? エッコ先輩、半分以上残ってますけど?」
「食べたい? あげるよ!」
「小食なんですね。」
「あのね、私はスイムのモデルなの。お昼から撮影だから、お腹ポッコリになったらアウトじゃん。」
「そっか、大変ですね。」
「翔太君、私が何でこんなに早く来てガウンしてるか知ってるよね。」
「えっと・・すみません。知りません。」
「ええー、ショックー! ・・・じゃあ、」
エッコ先輩はチラッと姉ちゃんを見て、手招きしながら、
「ハルちゃんに内緒で教えてあげる。こっち来て!」
「はい。」
姉ちゃんはエッコ先輩の後ろに移動した。するとエッコ先輩は立ち上がって、俺に背を向けて、姉ちゃんに向かってガウンの前を拡げた。
「あっ!」
姉ちゃんが声を上げた。そして少し赤くなった。正確には判らないが、なんかハズい事だと思った。エッコ先輩はガウンを元に戻して、
「という訳なのよ!」
「それはつまり・・・」
「体に余分な線があるとまずいでしょ。」
「すごい! プロですね。」
「そうよ、私はプロなの。ううん、プロになるの!」
2人の会話を聴いて、俺はなんとなく想像がついた。たぶんガウンの下は・・・俺の妄想は俺の体に少なからぬ影響を与えた。もちろん俺はそれを隠すしかない。
姉ちゃんが戻って来て俺の隣に座った。まだ耳の辺りが赤い感じがした。エッコ先輩も姉ちゃんに続いて近付いて来た。何か企んでいるに違いない。かなり危険な予感がする。俺は極度な緊張に包まれた。ど、どうしよう! エッコ先輩は俺の緊張を見透かしたように俺を見詰めた。そして、
「はいどうぞ!」
エッコ先輩は『焼肉デラ』の残りを俺の前に置いた。
「あ、有難うございます。」
エッコ先輩は俺を見詰めて、俺に顔を近づけて、意味ありげな微笑みを浮かべて、
「天国に連れてってあげよっか?」
「・・・あ、いえ、監視員様がどう仰るか。」
「人のせいにしないで、自分で決められるようになろうね。」
エッコ先輩はチラッと姉ちゃんを見た。姉ちゃんはそれに鋭く反応した。
「翔ちゃん、何の事?」
「べ、別に。」
姉ちゃんは俺とエッコ先輩を交互に見比べて、
「ふうーん。そっか・・・帰ってから詳しく話してね。」
「おおぉ、期待通りの修羅場になりそうだな。」
「勘弁してくださいよ!」
最近の俺はなんか周囲の女子共にやたらと良いようにイジられている様な気がしてならない。女子共から見ると、俺は経験値が低くて、救い様が無い子供で、からかいたくなるのだろうか? 中学の頃だったらかなり抵抗して喧嘩腰になっていたような気がするが、最近の俺は、逆にそれを楽しみにしたりしている自分に気が付いて可笑しくなったりする。大人になるというのはこう云う事なのだろうかとも思う。




