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姉ちゃんは同級生 ~井の頭の青い空~  作者: 山崎空語
第4章 高校生の俺達 ~赤いミラーレス~
55/125

4-14 カメラを買った日(その4)~ミニ撮影会~

 俺は左前の方向を指差して、大通りの横断歩道を渡って直ぐ左に曲がるのを促した。駅ビルの大規模雑貨店『イザワヤ』の前を通って線路沿いのバスが通る割には狭い道に沿って暫く歩き、駅南口近くのビルの2階の喫茶店に入った。

「翔ちゃん、ここ!」

「うん。小さい頃姉ちゃんとお別れした時の喫茶店。」

「テーブルもイスも変わっちゃったね。」

「そう言えばそうだね。でも、基本的にはあの時のままだ。」

「懐かしいわ。」

「俺も。えーっと、もう10年位前になるね。」

「そうなるわね。」

俺達はあの時とほぼ同じ位置の席に座った。するとそれを見ていたと思われるウエイターさんが直ぐに水を持ってきた。2人共アイスコーヒーを頼んだ。

「パスタも頼めばよかったかな?」

「夕食、食べられなくなるわ!」

「そうだ、俺あの時お腹破裂しそうだった。」

「多かったんだ!」

「うん。」

「だったらそう言えばよかったのに!」

「いや、プライドが許さなかった。」

「プライド?」

「うん。男の。」

「へー、でも、今だったらきっと足りないね。」

「そうだね。しかも今だったらプライドの内に入らない。」

「そうかも。あの頃はたぶん重大だった事が今ではどうでもいい事なんだわ!」

「だね。・・・じゃあ、それ、始めよっか。」

「うん。」


 姉ちゃんは紙袋からカメラの箱を取り出して、それを開けて42ミリのズームレンズが付いた赤いミラーレスを取り出した。そして、カメラの箱を紙袋に戻そうとした。

「姉ちゃん、ストラップを付けた方が良くね?」

「そうよね。何か足りないと思ったのよ。」

姉ちゃんはもう1度箱を開けてストラップを取り出した。

「これ、どうやって取り付けるの?」

「両側にストラップホルダーがあると思う。」

「これ?」

「そうそれ。やろうか?」

「うん、お願い。」

俺はカメラとストラップを受け取って取り付けながら、

「姉ちゃん、電池とSDカードも要るよ!」

「これかなあ?」

「うん、それ。」

俺は電池とサービスで入れてもらったSDカードを受け取って、ひとまずテーブルに置いた。ストラップを付け終わったのでそれを首にかけて、本体の電池ボックスのふたを開けた。

「たぶん半分くらいは充電してあるよね。きっと。」

そう言って電池を差し込んだ。

「翔ちゃんは何も見ないでも判るんだね。」

「なんかね。・・・絵が描いてあるし。」

「やっぱ、男の子だね。」

俺は作業の手を動かしたまま、

「確認してみる?」

「え?・・・バカ」

そこへウエイターさんがやって来た。テーブルの上がとっ散らかっている。

「お待たせしました。どちらに置きましょうか?」

「あ、すみません。」

姉ちゃんはカメラの箱や子袋をを椅子に置いた紙袋に入れた。ウエイターさんは空いた場所にアイスコーヒを2つ置いて、

「ではごゆっくり。」

そう言って去った。俺はSDカードをスロットに差し込んで、電池ボックスの蓋を閉めた。

「はい。とりあえずの準備は出来た。」


 俺はスイッチを入れてメニューを表示し、メッセージに従って日付、時刻、記録形式それから解像度などの初期設定をした。そして、ストラップを首から外して姉ちゃんにカメラを渡した。ついでにコーヒーを手前に持ってきた。姉ちゃんは早速構えて、俺をアップで写すつもりだ。

「姉ちゃん、念のためにストラップを首に掛けといた方が良いよ!」

姉ちゃんはディスプレイから目を離してチラッと俺を見て、

「そうね。」

と言って意外と素直に俺の提案に従ってストラップを首に掛けた。ちょっとウザいと思ったんだろう。でも、買ってすぐ落して壊れるってのも悲しいと思う。備え有ればだ。そして、ストローをくわえたてニヤけたカメラ目線を飛ばしている俺を写した。

『ピッ』

姉ちゃんは、今写した俺を再生した。

「翔ちゃん、ピントが合ってないのに写ったわ!」

「本当? AFオンになってる? 故障?」

俺は半分立ち上がって姉ちゃんの手元のディスプレイを覗き込んだ。

「姉ちゃん、これはピンボケじゃなくて、手振れだよ。」

「わたし、ピンボケと手振れの違いがまだよく判らないわ!」

「ピンボケは全体的にボワーっとしてて、手振れはなんか流れたみたいなスジになってるんだ。」

「そうなの? 翔ちゃんのその説が正しいとしたら、これは手振れね。」

「間違いなく、正しいから。」

「どうしてこうなるの?」

VR(手振れ補正)がオンになっていてこの結果って事は姉ちゃんの手がかなり震えているか、シャッターを押す瞬間にカメラが動いているに違いない。ストレートに姉ちゃんが下手だとは言い難い。

「ここ暗いから、ストロボ点けないとシャッターが遅くなるんだ。」

「なんか、先輩達も前に部室でそんな事言ってたけど、むずいね。」

「うーん。姉ちゃんは写真家には向かないかも。」

「まあ、ひどい。このツマミをフラッシュオートにすると光るの知ってんだから。」

「おお、さすが写真部。でも、店内フラッシュ禁止だから。マナーとして。」

「そうね。そう言えば部員の心得にも書いてあったわ!」

姉ちゃんはまたディスプレイを見ながら俺を狙っている。俺はたぶん穏やかな表情をしていたと思う。

「姉ちゃん、氷融けちゃうよ!」

「そっか。なんか夢中になちゃうね。」

姉ちゃんはひとまずカメラを置いてコーヒーを飲み始めた。

「ねえ翔ちゃん、聞いていい?」

「なに?」

「このくらいの明るさの部屋だと、手振れ防止で三脚が要るの?」

「どうかな? 後で試しに、俺をアップにしないで、小さくして写してみてよ。」

「今試すわ!」

『ピッ』

「あら、今度はブレてない。ちゃんと写ったわ!・・・でも小さい。」

「ズームアップしないと、記録面に届く光量が増えるから、シャッタースピードが速くなるんだ。」

「何の事だか判らないわ。」

「もう1つのレンズだと、f値が大きいから、絶対上手く写らないかもね。」

俺は『姉ちゃんの腕だと』というフレーズを割愛した。

「f値って?」

「レンズの焦点距離を口径で割った値で、レンズの明るさを表すらしい。だから、ズームアップして焦点距離が大きくなるとf値も大きくなる。つまり暗くなる。するとシャッタースピードが遅くなる。なので、手振れしやすくなるって事らしい。」

「ふーん。何がなんだか。ムズいね。」

「そう。カメラって奥が深いってか、因果関係が複雑過ぎ。」

「翔ちゃん、そろそろ行かない?」

「そうだね。」

残ったコーヒーを一気飲みした。


 俺達は喫茶店を出て井の頭公園に向かった。ラーメンのお返しって事で、喫茶店の会計は俺が持った。姉ちゃんはカメラをショルダーに入れ、やっと俺に紙袋を持たせてくれた。この紙袋にはまだ150ミリの交換レンズやファインダーが入っている。7分後、俺は姉ちゃんの赤いミラーレスの最初の正式な被写体としての栄誉を欲しいままにしていた。

「翔ちゃん、そこの柵に腰かけて!。」

「こう?」

「うーん。ポーズも忘れないで!」

「へいへい。」

俺が何かしらポーズをとると、姉ちゃんは山内さんが乗り移った様に動き回ってシャッターを押した。姉ちゃんがカメラを構える度に、公園を散歩している人たちは遠慮して立ち止まったり遠回りしてくれた。

「姉ちゃん、周りの人に迷惑だから、もっとゆっくりにしないか?」

「そうね。つい夢中になちゃった。」

そうこうしている内にさすがの姉ちゃんも気が付いた事がある。

「翔ちゃん、レンズ変えてみたい。」

「あいよ。」

俺は紙袋の中の箱を探って150ミリを取り出した。

「ねえ、どうするの?」

「えっと、左側に取り外しボタンがあるから、それを押して右手でレンズを回すと外れる。」

「これね。あ、外れた。」

「落とさないで!」

「うん。」

「じゃあ、それ俺が持つ。」

「ありがとう。」

俺は150ミリの裏蓋を外して姉ちゃんに渡した。そして、代わりに受け取った42ミリにその裏蓋をはめた。

「マウントの赤いマークにレンズのマークを合わせて入れてさっきと逆に回すと入るよ。」

『カチッ』

「できたわ!」

「完璧!」

「姉ちゃん、レンズキャップは?」

「わかってるって、着けたままだとディスプレイに何も映らないわ。」

「違うよ、こっちのレンズの。」

「あ、それのね。・・・これ?」

姉ちゃんはショルダーから42ミリのレンズキャップを取り出して渡してくれた。俺はそれを42ミリにはめて、サービスでもらったソフトケースに入れて紙袋に仕舞った。姉ちゃんは俺のその様子をもう狙ってシャッターを押している。

「すごい、すごいねこのレンズ。嬉しい。」

「やっぱ150ミリはポートレートに丁度良いみたいだね。」

「うん。」

「レンズはこれだけで良かったんじゃない?」

「まあね。だけどボケ具合が良いから、花や景色を撮るには小さい方も必要だと思うよ!」

「そうかも。練習しないと駄目ね。」

「だね。」

姉ちゃんはまた興奮気味に俺を写し、やがて一段落ついた。そこでやっと俺の出番が来たと思った。

「なあ、姉ちゃんも写してあげるよ。」

「いいの。わたしが練習してるんだから。」

「へいへい。」

「でも、1枚くらいあっても良いかしらね。」

「だろ!」

俺は満を持して姉ちゃんを撮った。

「柵に寄りかかってみて」

「こう?」

「いいね、いいね。できれば、足はちょいクロスで」

「うん」

「うんうん。いいね。けど、カメラ目線やめて!」

「そっか。」

「なんか、いい感じ。ちなみに、今度はカメラ目線で!」

「ジロッ!」

「おお、すごい。」

こんな具合に俺も興奮気味に姉ちゃんを撮った。だけど、やっぱり俺にはこの赤いミラーレスは少し小さい。なんか、手が余る。そして、気を抜くとポロっと落としそうだ。


 しばらく写し合って、お互い気が済んだ。それで、池に面したベンチに並んで腰かけた。桜の枝が葉を一杯に茂らせて、重そうに池の上に覆い被さる様に延びている。葉擦れの音が心地良い。

「翔ちゃん、私、今日、なんかとっても楽しいわ。」

「俺、姉ちゃんがこんなに嬉しそうにしてるの初めて見たかも。」

「そうね。こんなに嬉しいの久しぶりだわ。」

「姉ちゃんが嬉しそうなんで、俺もなんか嬉しいのが伝染したみたいだ。」

「私ばっかりでごめんね。」

「俺はまあ、それが嬉しいから。」

「ありがとう、翔ちゃん。」

遠くで鳴くツクツクボウシの声や池の水面の無数の光の反射やその水面に張り出している桜の枝の間から見える細切れになった空や時々後ろを通る人たちの穏やかな話声を漠然と感じながら、俺達は少しの間、ぼんやりした時間を楽しんだ。池を渡って来る少し涼しくて湿った風と小さな波の音が気持ちいい。赤いミラーレスを膝の上で無意識に撫でながら、姉ちゃんが優しく呟くように言った。

「大きくなったね、翔ちゃん。・・・すっかり追い越されちゃったわ!」

俺は確かにいつの間にか姉ちゃんより大きくなった。でもそれは体格だけで、しかもこの数年の事だ。姉ちゃんはそれまでの10年位、俺より大きくて、優しくて、ずっと俺の保護者だった。

「・・・姉ちゃんはあの頃からずっと大きかった。」

「あの頃って?」

「さっきの喫茶店でお別れした頃。」

「翔ちゃんは可愛かったよ。」

「今はそうじゃないって言いたいんだろ?」

「まだ可愛い方が良いの?」

「まあ、いつまでもそれじゃ困るサ。」

「・・・そうだ、『大好き』だったんでしょ!『ハルちゃん』が。」

「あれまだ覚えてるの?」

「宝物だからね。」

「今でも好きだぜ、あの頃の『ハルちゃん』。」

「・・・今の・・・」

「なに?」

「・・・今の『ハルちゃん』は?」

「ああ、もちろん・・・好きさ。この前も言ったけど。」

「ありがとう。わたし、時々確認したいわ。」

「そうなんだ。」

「そうよ。」

「・・・あの頃のハルちゃんも『翔ちゃん』が好きだった?」

「うん。その前からずっと好きだよ!」

「その前って?」

「保育園の頃。」

「それなら、俺と同じだ。有難うございます。」

「どういたしまして!」


 ふと気付くと、蝉の声が遠のいて、空が紺色になって、辺りが薄暗くなってきて、公園内の街路灯がいくつか点いている。もう6時を過ぎていた。

「そろそろ帰ろうか。」

俺はそう言って何気なくザックからスマホを取り出した。メール着信サインが点滅いている。

「あ、メールが来てる。」

「誰から?」

「順平かな?」

俺はパターンをなぞってスマホを起動した。そしてメールを確認した。

「あぁ、親父からだ。遅くなるから食事して帰るって。俺達もどこかで食べろだって。」

「何処で食べる?」

「駅地下で何か食べよう。」

「そうね。駅地下って言ったって事は、何か食べたい物があるんでしょ。」

「『とんかつ』食べたい。」

「だと思った。良いわよ。奢ったげる。」

「本当? じゃ行こう。・・・その前に!」

「なあに?」

「親父に返事!」

「そうね。」

俺は『わかった。』とレスした。


・・・・・・・・・・


 姉ちゃんと俺は8時前に家に帰った。彩香達は俺達より少し早く帰っていた。当然だが、まず彩香の観劇の感動を聴かなければならなかった。彩香の話を総合すると、仲が悪い親同士を子供達が仲介して仲良くさせるというストーリーだったようだ。つまり、ロミオとジュリエットを子供向けにアレンジした物だったらしい。ただし、悲劇にはならなかった様だ。その後は姉ちゃんの赤いミラーレスの出番だった。井の頭公園で写した俺と姉ちゃんの写真をリビングのテレビで再生した。まあ、スナップ写真と云うのは結局、家族限定で楽しめる写真だ。ただ、皆一様に1眼レフの色具合とボケ方の自然さ、つまり、表現力の豊かさを認識した。ただし、構図についてはカメラやレンズの性能ではどうにもならない。

 その夜10時過ぎ俺は姉ちゃんの部屋に行った。俺はいつもの様に部屋の真ん中に胡坐をかいて座った。姉ちゃんは机に座って、赤いミラーレスをマイクロクロスで磨きながら、マニュアルを読んでいる。今の姉ちゃんは俺には興味が無いみたいだ。

「すっかり気に入ったみたいだね。」

「うん。」

「姉ちゃんって、けっこう判り易い性格だったんだね。」

「あら、人の事は言えないと思うよ。」

「まあね。」

すると、やっと俺の方に椅子を回して振り向いて、

「翔ちゃん、今日はありがとう。本当に嬉しいわ。」

「どういたしまして。」

俺は近寄り難いくらい冷静で常識派の姉ちゃんもまあ尊敬に値すると思っているのだが、今日の判り易くて屈託なく嬉しがる姉ちゃんがなんかとても可愛いと思った。

「ねえ翔ちゃん、ちょっと教えてほしい事があるからこっちに来て!」

「何?」

俺は立ち上がって姉ちゃんの右横に近付いた。

「ここのファインダーを付ける所なんだけど」

そう言って姉ちゃんはカメラを自分の顔の近くに持ち上げた。俺はその場所がよく判らなくて、すこし屈んで、姉ちゃんの顔に俺の顔を近づけた。

『チュッ』

突然姉ちゃんが俺の左頬にキスをした。

「えっ! どうしたの?」

「そんな、引かないでよ。今日のお礼なんだから。」

「あ、ありがとう。ご褒美、嬉しいよ。」

「わたし、翔ちゃんが好きな気持ちが1つレベルアップしたの。」

「それはたいへん光栄に思います。では、明日もデートしますか?」

「駄目よ。明日は勉強。来週はテストなんだから。」

「だね。・・・じゃあ俺帰るよ。」

「うん。おやすみ翔ちゃん。」

「おやすみ。」

入口の引き戸を開けて廊下へ出ようとする俺の背後から姉ちゃんの声がした。

「ゲーム禁止だからね。」

「へいへい。」

俺はその日は気持ち良くぐっすり眠った。ベッドに入ってから、たぶん、カメラ店で、公園で、姉ちゃんがハイテンションで嬉しそうにしている姿や親切な店員さんの事を思い出しながらだ。きっと寝顔を誰かに見られたら、ニヤニヤして、キモいと思われた事だろう。

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