4-12 カメラを買った日(その2)~変顔~
結局、姉ちゃんと俺は12時頃家を出た。もう夏は過ぎたのにこの時間帯の屋外はまだかなり暑い。『残暑ザンショ』というダジャレが俺の脳裏を通過して余計暑苦しくなる。俺は汗をかかないようにゆっくり歩いたつもりだったが、三鷹台駅の階段を上がる頃にはハンカチを左手に握っていた。駅のホームに降りる階段では生暖かい風が下から音もなく湧き上がる様に流れていた。それでも汗ばんだ首筋にはそれが涼しく気持ち良く感じられた。
姉ちゃんも俺も今日の恰好はジーンズで、姉ちゃんは白い島人、俺は黒い海人のTシャツだ。どちらも親父の出張のお土産だ。手軽な機内販売に違いない。出がけに姉ちゃんが俺に合わせた。つまりほぼおそろ。『ハズいからやめよう』と言ったが、『姉弟だから良いじゃん』だそうだ。実は夏休みの中頃、姉ちゃんの提案で下北のカリスマ的古着屋でダメージのジーンズを買った。姉ちゃんも俺もどうせなら思いっきりなのがいいと思って買った。しかし、それをスタジオ撮りに着て行ったら、スタイリストの木下さんに『うわー、なにそのボロ着!』って言われた。それで2人共凹んで、あれはもう着れなくなった。だから、今日は普通のを着て来た。姉ちゃんは母さんに借りたケプラングのショルダーバックが似合っている。とてもJKしかも1年には見えない。と思う。
吉祥寺駅の北口を出て駅前を東に行き、交番の前を通り過ぎてガード下の横断歩道で大通りを渡る。渡ったところで左に曲がって大通りに沿って暫く歩くと昔デパートだった所に大規模カメラ店YAMABASHIカメラがある。小学生の頃、爺ちゃんにブロスを買って貰った所だ。俺は何も考えずにそこに向かった。
「翔ちゃん、先にカメラ見るの?」
「あ、そうか。お昼食べてからだったね。」
「朝遅かったから、まだお腹空いてないんでしょ。」
「まあ、食べれば、食べられると思う。姉ちゃんはどうなの?」
「そうね、食べようかな。」
「何にする?」
「久しぶりにラーメンなんかどう?」
「うん。じゃあ直ぐそこの。」
俺達はとんこつスープで人気のラーメン店の行列に並んだ。地上の舗道の列は小さいが、地下の入り口までの階段にズラリと行列が繋がっている。カレカノらしいペアが結構多い。20分程で行列が進んで、もう直ぐ入り口になる頃に店員さんが注文を採りに来る。姉ちゃんが『白』を注文したので、俺は『赤』にした。もちろん俺は堅めの麺大盛だ。それから20分後、俺は汗ばんだ額を拭いながら地上に出た。姉ちゃんの『おごり』に甘えた。
「姉ちゃん、本当に良かったのか?」
「うん。今日は私のワガママに付き合ってもらうからね。」
「はいはい。とりあえず、ご馳!」
「もう逃げられないからね!」
「やっぱり。そう来るんじゃないかと思った。」
「ふふん、そうよ!」
姉ちゃんはそう言って得意そうに微笑んで左上を向いて俺を見あげた。なんか可愛い。カレカノみたいに腕を組む程じゃなかったけど、人通りが結構多いせいもあって、ちょっと汗ばんだ腕がくっつくくらい寄り添って歩いた。
姉ちゃんと俺はYAMABASHIカメラの吉祥寺駅に一番近い入り口から入ってエスカレータで2階に上がった。涼しい。そこにはカメラが山のように展示されていた。鎖付きで。この店の店員さんはこちらから声を掛けない限り話し掛けて来ないらしい。
「なあ姉ちゃん、ミラーレスがいいんだよね。」
「うーん。先輩たちはみんなミラー付きなのよ。でも、大きくて重いと思うの。」
「まあ、両方見てみようか。」
「うん。」
俺は1眼レフと言えばこのメーカーという位有名なNEKONのデジタル1眼を手に取った。案外軽いと思った。それで姉ちゃんを撮った。
「それ、どう?」
「悪くないよ。持ってみて。」
俺はそれを姉ちゃんに渡した。なんか持ち方がぎこちない。
「こう持つの?」
俺は姉ちゃんの後ろに回った。
「左手でレンズの下を支えて、右手でグリップをつかんで、人差し指はシャッターボタン。」
昨夜ネットで見た『初心者の構え』を思い出しながら、姉ちゃんの手と指をセットした。
「翔ちゃん良く知ってるね。」
「これくらい普通じゃね!」
「やっぱ男の子だね。」
俺はちょっと見栄を張った。商品棚のガラスに映った自慢げな顔をしている自分が自分でおかしかった。
「そうしたら、ファインダーを覗いて、構図を決めるんだ。」
「こう?」
「うん。もう少し左の脇を締めて。」
俺は姉ちゃんの左肘を押して脇と言うより胸に着ける。事故が起きないように細心の注意を払った。姉ちゃんはいつに無く素直に従う。
「なるほど。安定するね。でもピンボケだわ!」
「オートフォーカスだから、シャッターボタンを半押しするとピントが合うよ!」
「押してるよ!」
「へっ? あ、スイッチが入ってない。」
「どこ?」
「シャッターの前のレバーみたいなの。」
姉ちゃんは右手の人差し指をシャッターボタンから外した。
「これね!」
「そう。」
姉ちゃんは人差し指で勢いよくスイッチレバーを回してONにした。それからまたシャッターボタンに人差し指を置いてファインダーを覗いた。
『ピッ、パシャ』
「あ、写っちゃった。」
「押し込み過ぎたね。」
「ズームはレンズの大きいリングを左手の指で回すんだ。軽く動くはずだよ!」
「ズームは自動じゃないのね。」
「いやいや、それが自動になったらすることが無くなるから。」
姉ちゃんはズームリングを動かして、
「なんだ! ズームって、デジカメのTとWの事?」
「まあそうだね。」
「だけど、これで一杯だわ!・・・あまり大きくならないんだね。」
「ああ、55ミリまでのレンズだからね。」
「翔ちゃん写してもいい?」
「いいよ。半押しで『ピッ』って鳴ったら押し込めばいい。」
姉ちゃんは振り返って構えた。
『ピッ』・『ピッ』・『ピッ』・・・『パシャ』
「なんか、1眼レフの半押しってムズいね。」
「慣れだと思うよ!」
「翔ちゃんは何でそんなに詳しいの?」
「えへへ、スタジオで山内さんに貸してもらった事があるんだ。」
「なるほど、プロに教わったのね。」
「教わったって程の事じゃないよ。まてよ、教わったのか? つまり俺は弟子なのか?」
姉ちゃんは俺の自問自答をスルーして、
「ねえ、写した写真はどうやって見るの?」
「後ろのディスプレイで見れる。緑色の矢印マークを押すと見えるはず。」
「本当だ。あら、いい感じだわ。デジカメとはやっぱり違うね。」
「うん。ピントの合い方ってか、周囲のボケ方が自然な感じがする。」
「このボタンで前に撮ったのが見えるみたい。・・・ああぁ、私を写したの?」
「うん。」
「どうやって消すの?」
「ゴミ箱マークを押せば消せるはず。」
「本当だ。確認メッセージが出たわ。」
「もう1度押すと消える。」
「消えたわ!」
「おお、もったいない事をした。」
「ダメよ! 誰が見るか判らないから。翔ちゃんも消すね。」
「はいはい。」
隣に居た人が少し高級そうなレンズが付いたのを置いたので、俺はそれを手に取った。ファインダーを覗いて、ピントを合わせてから、ズームしてみた。いい感じだ。
「こっちのは140ミリのズームレンズが付いてる。ポートレートにはこれ位のが丁度良いんじゃないか?」
俺は姉ちゃんにそれを渡した。
「わ! 重いわ!」
「そうだね。どうも、1眼レフって本体よりレンズの方が重いみたいだね。」
「だけど、大きくなるね。翔ちゃんのアップ撮れるわ。」
「おいおい、変顔写さないでよ。」
「ねえ、さっき言ってた140ミリって何の事?」
「焦点距離の事さ。長いほど望遠になるんだ。」
「へー・・・じゃあ500とか1000だったら凄いね。」
「重くて手で持てなくなると思うよ!・・・それに、高くて買えないから。」
姉ちゃんはファインダーを覗いたまま、
「ふうーん。・・・ねえ、ポーズとって見て!」
俺は不自然に振り返って、左手の親指を立てたポーズをとってみた。
「ジローリ!」
「翔ちゃん、変!」
『ピッ、パシャ』姉ちゃんはすぐに後ろのディスプレイで、
「見て! 変顔だわ!」
「おお、顔だけすごいアップ! てか、ポーズとった意味ないじゃん!」
「なんか胸の中まで見詰められてるみたい。ちょっとドキドキする。」
「どうよ。俺の目力!」
「後ろの景色がぼやけてなんかカッコ良く写るね。」
「やっぱ1眼レフだけの事はある。」
「消すね。」
「おい!」
「でも、ファインダー覗かないと撮れないの嫌だわ!」
「それなら、ディスプレイにこうやって・・・」
俺は表示モードをディスプレイにして、切替レバーでミラーアップにした。
「あら、ディスプレイ見ながらでも写せるのね。」
「うん。」
「これならいいね。」
姉ちゃんはカメラを顔の前に持ち上げてディスプレイを見ながら店内を写した。
『ピッ』、『ピッ』、『ピッ』
「あら、これだと音も小さいのね。」
「姉ちゃん、盗撮は犯罪だから。」
「そんな事しないよ。翔ちゃんじゃないんだから!」
「あれれ? それはつまり、お許しの言葉?」
「何言ってんの!」
「へいへい」
「ねえ、ミラーレス見にに行こ!」
「そうだね。」
俺達は最終目的地のミラーレス1眼のコーナーへ移動した。ディジタルと名が付く物は何と言っても新しい方が良いに決まってる。だが、どれが最新だかわからない。俺はミラーレスの名門メーカー『オランパス』のを手に取った。
「うわ、これ、軽い。しかも小さい。1眼なのにデジカメみたいに持てるじゃん。」
姉ちゃんは俺の感想はどうでもいいって感じで、1つ置いて隣のカメラを取った。
「あ、わたしこれが良いわ!」
「おお、それ9月発売って書いてある。て事は、出たばかりのミラーレス第3世代。しかも赤いボディ。」
「気に入ったわ! だって他のは黒と白と灰色しか無いもの。お葬式みたいじゃん。」
「ボディーカラーと性能とは関係ないと思うけど。」
「駄目よ、色もカワイイのがいいわ!」
女子が『カワイイ』を言い出したら、とにかく一歩引くしかない。これは男子の鉄則だ。
「ですよねー!」
「わかれば良し!。」
「これ、手に余ると言うより、手が余らないか?」
「私には丁度いいと思うよ!」
「はい。姫様の仰せのままに!」
姉ちゃんは早速顔の前にカメラを持ち上げて店内を写しだした。
「やっぱり、ファインダーよりディスプレイね。」
「ボディーが小さいのにディスプレイがでかいね。・・・写した後の感じはどう?」
「この左側の矢印で良いのよね!」
「うん。」
「ほら、いい感じよ。でもボケ方がさっきのと違うわ!」
「まあ、それはレンズの癖ってのもあるから。」
「良くわからないけど、さっきのレンズ付けたら同じになるの?」
「付けられればそうなるかもね。」
「付かないの?」
「たぶん。フランジバックが違うし、だいいち、メーカーが違うとマウントが違うからね。」
「マウントって?」
「レンズを付ける座金みたいな物だよ」
「何の事だかわからないわ。」
「レンズを交換するときにドッキングする部分だよ!」
「ふーん、そうなんだ。」
「同じ事を言い換えただけなんだけど・・・まあ、そのうち解るって。」
「そうよね。・・・ねえ、ポーズ!」
「へい。ニッコリあんどキラリッ!」
おれは例のアニメのポーズをしてみた。
『ピッ』、『ピッ』
「ねえ、見て、いい感じだわ!」
「あぁあ、姉ちゃんはもうそれにゾッコンみたいだね。」
「うん。・・・キモいから消そ!」
「あのねぇ!」
姉ちゃんは陳列台の下にあるパンフレットを1枚手にして、大発見したみたいに言った。
「ねえねえ、これ見て! メーカーが違っても互いに使えますって書いてあるよ。」
「ああ、ミラーレスの一部のメーカーはマウントが同じにしてあって、相互に使えるらしい。」
「じゃあ、評判がいい方のレンズを買いたいわ。」
「いや、どうせ買うんなら本体もレンズに合わせるべきでは?」
「本体はこの赤いのが良いの!」
「まあ、そうなると、割高になるかも。」
「高くなるの?」
「どうも、1眼レフって、本体が基本らしくって、それにレンズを組み合わせて売ってるらしい。」
「どう言う事か解らないわ!」
「つまり、本体は同じで、標準レンズセットとかダブルズームレンズセットとか云うので、割安な値段設定になってるみたいなんだ。」
「へー。でも、どうしても、欲しいレンズがあったら?」
「そん時はまあ仕方ない。お金で解決さ。本体とレンズを別々に買う事になるから、割高になる。」
「なるほど。」
こんな風に姉ちゃんと俺は少し興奮気味に1眼レフの売り場を巡った。1時頃売り場に来たと思うが、気が付くと3時近くになっていた。これが衣服やアクセの買い物だったら、俺はとっくに飽きていたと思う。それにしても姉ちゃんは嬉しそうでハイテンションだ。カメラを構えながら時折見せる満面の笑顔がなんかすごく可愛い。このシチュを実感すれば、やっぱモデルをやって良かったと思う。ひょっとしたら、お金を稼ぐって、こういう楽しみのためなんじゃないかと思えた。俺のギャラも全部姉ちゃんのために使っても良いような気がした。




