4-11 カメラを買った日(その1)~良いお節介~
姉ちゃんと俺は5時半頃家に帰った。夕飯の前に風呂に入れと云う事なので入った。風呂から出て、まだ時間があったので、俺はSDカードの録音データをUSBメモリにコピーした。夕飯が終わったら、親父や母さんに聴かせるつもりだ。
親父が帰ってきた。今日のニュースの反響の報告会になった。親父はネットで俺達について色々語られている内容について気にしているようだった。情処研の調査によると、俺達が同学年で怪しい関係で、姉ちゃんは喧嘩上等で俺は泣き虫で・・・つまり本当だったり嘘だったり、面白おかしく語った情報が主体的だそうだ。幸いな事に、本名や住所やメアド、それから姉弟であることなどは今のところ明らかになって無いそうだ。親父はそれを聞いてひとまず安心したようだった。8時頃夕食が終わった。
「そうだ。親父、母さん、今日の朝のニュースの録音聴いてみないか?」
「おお、聴いてみるか。」
「聴けるの?」
俺はUSBメモリをリビングのデッキに挿して再生した。
・・・・・
聞き終わった親父の感想はこうだ。
「さすが先生だな。若いのにしっかりしたスピーチだ。」
「え? 感想はそこ?」
「まあ、とにかく有り難い事だ。何かの機会にお礼を言わなきゃな。」
母さんも印象を加えた。
「生徒会の副会長さん? しっかりした人みたいね。」
「そうなの。今の生徒会は会長より副会長の方がしっかりしてるんだって。」
「とにかく、感謝しないとね。」
「実はその『しっかり』を読み違えてちょっと怒られた。」
「翔ちゃん、立川先輩に何をしたの?」
「先輩が放送部が真面目でしっかり仕事してるって褒めてくれたんで、つい。」
「つい?」
「『学園祭の予算よろしくお願いします。』って言ったんだ。」
「そしたら?」
「『それとこれとは違います。』って・・・即答だった。」
「なるほど!」
「あんまり即答過ぎたから、『ですよねー』って返すのが精いっぱいだった。」
「立川先輩は2年の中でも才女の誉れが高いのよ。」
「そっか、やっぱりね。」
「そうよ!」
「それで、『ちょっと褒めると直ぐ調子に乗る』って睨まれた。」
「やっぱり。でも、翔ちゃんらしい展開だわ!」
「どこが?」
「すぐ調子に乗るってとこ。」
「まあね。」
「でも、スタジオでそんな事があったんだ。」
「うん。」
「ねえ、彩香も生徒会副会長になりたい。」
「そうだな、その件は中学になってから考えようか!」と親父。
「小学校なら、『児童会長』ってのがあるぜ!」と俺。
「ふうーん。幼稚園には無いよね。」
「そうだな。じゃあ彩香が作るか?」
「どんなの?」
「園児会長」
「作れるの?」
「翔ちゃん、彩ちゃんが本気にするでしょ!」
「あ、わりい。彩香、冗談だから、な!」
「なぁんだ。もうお兄ちゃんは!」
「そうだよねー、ひどいよねー!」
「まあ、その前に賢くならないとな。」と親父。
「はーい。今でも少しは賢いよ。」
「そうだな。彩香はいい子だ。」
親父はそう言って、いつもの様に彩香の頭を撫でた。彩香もいつものように得意満面だ。
彩香のおかげでいつものように雰囲気が和んだので、ここぞとばかり、俺は今日の本題を切り出した。
「親父、母さん。明日姉ちゃんと買い物に行くんだ。」
「そうか。いいぞ。」
なんか拍子抜けだ。てか、例によって『何も考えて無い』って反応だ。
「それで、少し値が張る物を買うんだ。」
「何買うんだ?」
「姉ちゃんの1眼レフ。」
「ああ、それお前達がモデルをする気になった切っ掛けだったな。」
「うん。」
「もうギャラは振り込まれたのか?」
「うん。」
「幾ら位だった?」
「先月分は8万円位だと思う。」
「そんなにあるのか。なら、まあいいぞ。だけど、あまり高いのは駄目だぞ!」
「うん。わかった。」
俺は姉ちゃんを見た。満面の笑顔だ。
「お父さん、ありがとう。」
母さんはにっこり微笑んでいる。
「それで、」
俺は母さんに右手の手のひらを広げて差し出した。
「何かしら?お金?」
「いや、カードを」
「あ、そうね。ちょっと待って。」
母さんはダイニングの秘密の場所に置いてある金庫からクレジットカードを出しながら、
「8万円で足りるの? 結構高いって聞いたわよ!」
「ピンきりだと思うけど、足りなかったら俺が援助するよ。」
俺はカードを2枚受け取って、名前を確認して、姉ちゃんのカードを姉ちゃんに渡した。姉ちゃんはそれを受け取って、
「いいよ。足りなかったらまた今度にするから。」
「カメラの基本的な部分だけなら充分足りると思う。」
「基本的じゃない所もあるの?」
「1眼レフは小物が色々あるからな。」と親父。
「まあ最低必要な物ってのがあるから、臨機応変で行こう。」
「ありがと。じゃあ、本当に足りなかったら貸してもらおうかな。」
「うん。それに、引き落としはたぶん再来月になるから、同じくらい振り込まれるはず。」
「見込みで買うのは駄目だぞ! いつも仕事があるかどうか決まってないんだから。」
「へいへい」
興味津々で俺達を見詰めて話を聞いていた彩香が割り込んだ。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんにうんと良いのを買ってあげてね。」
「おう、任せとけ! ・・・てか、賢い彩香は、おさがり狙いだろ!」
「ううっ、見切られている!」
「彩ちゃん、ちょっとこっち来て!」
「なあに、お姉ちゃん。」
彩香は警戒して不審げな素振りで姉ちゃんに近付いた。
「もう、彩ちゃんったら、この、ちゃっかり者!」
そう言って姉ちゃんは彩香を抱きしめた。いつもの事だが、彩香の一言に家族みんなが救われる。
「まあ、とにかくだ。後悔しないように良く考えて買いなさい。」
「へい。ガッテンでぇす。」
「ありがとう、おとうさん。」
姉ちゃんの嬉しそうな顔を見て、親父もかなり嬉しそうだ。俺も自分の買い物じゃ無いのになんか嬉しかった。こうして、俺達姉弟は高額支出の家族会議を思ってたより簡単に無事乗り切った。
夜9時過ぎ姉ちゃんが俺の部屋に来た。姉ちゃんはいつもの白地にピンクのドット柄のパジャマで、いつもの様に部屋の真ん中のクッションに座った。
「翔ちゃん、ありがとう。わたし、言い出し損ねてた。」
「うん、なかなか言い出さないから、つい言ってしまった。」
「翔ちゃんが言い出してくれて助かったわ!」
「よかった。お節介じゃなくて。」
「良いお節介だった。」
「彩香のおかげでなんか色々心理的に良い条件になったような気がする。」
「そうよね。彩ちゃんにはいつも助けられるわ!」
「それにしてもこんな高額な買い物するの初めてだね。」
「そうよね。それに、ずっと前から欲しかったから楽しみだわ!」
「ショッパーズ・ハイってのがあるって言うけど、今の俺達がそうなのかなあ?」
「さあ、どうかしら。よく解らないけど、ちょっと違うんじゃない?」
「そうだね。買う物が決まってるからね。」
「どう言う事?」
「目的が買い物って言う『行為』じゃないから。」
「そうよね。」
「とにかく、いろいろ見て気に入ったの買おうよ。」
「うん。」
「じゃあ、明日よろしくお願いします。」
「あいよ!」
「じゃあ部屋に帰るね。」
「うん。おやすみ!」
「おやすみ!」
そう言って、姉ちゃんは立ち上がって入り口に行き、ドアを開けた。最近姉ちゃんは帰り際にドアを閉める時、後ろ手でバタンと閉めないで、振り向いて覗き見しながらゆっくり閉める事が多い。小さく手を振ることもある。なので、去ったと思ってうっかり舌とか出したら、それはかなりまずい事になるのだ。だから、必然的に俺はドアが閉まるまでお見送りする事になった。だけど、この習慣がなんか姉ちゃんと俺の関係を強化しているような気もする。時々可愛いと思うからだ。
俺はその夜遅くまでかかってカメラの知識をネットで調べた。そして・・・挫折した。写真の分野はとてつもなく奥が深い。予想以上だった。ちょっと調べた位で理解できる訳が無い。僅か10分程度でそれが解った。検索に次ぐ追加検索が必要で、限が無いのだ。ただ、俺なりに頭の中で整理できた事が3つある。まず、カメラという「メカ」が精密機械でかなり複雑で難しい事。次に、組レンズの光学分野だ。単焦点とかズームとか望遠とか広角とか魚眼まであって、それに自動焦点合わせ(AF)とか手振れ補正(VR)とかが加わる。そして、例えこの2つの分野の解説が理解できたとしても、最後にダメ押しが待っている。色調とか解像度とか表現力とか構図とかボカシとか、これは要するにもう感性とか天性の世界だ。もう、一夜漬けは絶対無理だと思った。そして・・・いつの間にか眠ってしまった。
「翔ちゃん起きて!」
ドアをノックする音に続いて、姉ちゃんのこの声で目が覚めた。午前9時を過ぎている。
「翔ちゃん、大丈夫?入っていい?」
「うん。開いてるよ。でも、どうして?」
姉ちゃんが心配そうに入って来た。
「だって、なかなか起きて来ないから。」
「ああ、ごめん。ちょっと夜更かしした。」
「ゲーム?」
「まあ、そんなとこ。」
姉ちゃんは俺に接近して顔を覗き込んだ。
「うん。確かにただのお寝坊みたいね。」
「最初からそうだと申し上げておりますが・・・・」
姉ちゃんは心配顔から可愛い笑顔になって、カーテンを開けた。部屋が眩しいくらいに明るくなった。
「朝ごはん出来てるから、下に来て。」
そう言って出て行った。俺は姉ちゃんを見送りながら、
「わかった。すぐ行く。」
と言ってベットから降りた。
顔を洗ってダイニングに行くと、姉ちゃんが給仕してくれた。リビングのソファーには親父が袖に寄りかかってテレビを点けっぱなしで、たぶん眠っている。俺はその様子をチラ見して、
「母さんは?」
「美容室に行ったわ。髪を切って来るって。」
「そっか。」
俺は目玉焼きをご飯に乗せてちょっと壊して食べた。
「あれ? この目玉焼き妙にマッタリして美味いね。」
「あら珍しい。気が付いたのね。・・・それね、私が作ったの。」
「何か入れた?」
「何も入れてないわ! 優しく・・・やさしく扱ったのよ。」
「するとこんなに美味しくなるの?」
「そうよ! 翔ちゃんのために特別に愛情を込めたの。」
「へぇー、愛情はともかく、妙に美味しいよ。」
俺は目玉焼きの残りをぺロリと食べた。
「美味しいって言ってくれてありがとう。実はこの前テレビで見たの。・・・はい、お茶。」
姉ちゃんは俺のお茶と自分のお茶を入れて、いつもなら母さんが座っている椅子に座った。そこへ彩香が2階から降りてきた。
「お兄ちゃん、やっと起きたの?」
「ああ。おはよう彩香。」
「おはようお兄ちゃん。でも、ちゃんと起きてくれないと、片付かないから困るんだよ!」
「へいへい。申し訳ござらぬ。」
「お姉ちゃん、私もお茶欲しい。」
「はいはい、ちょっと待って。」
「あ、いい、自分で入れるから。」
彩香はそう言ってキッチンに入って行った。姉ちゃんは彩香を見送りながら、微笑んで、
「で、いつ出かける?」
「昼前に出かけて、何か食べてからって、どう?」
「そうね。」
そこへ彩香が湯呑を持って出てきた。
「お兄ちゃん達も出かけるの?」
「そうだ、彩香も一緒に行くか?」
「残念でした。わたしはお母さんとお父さんと3人で劇を見に行くんだよ。」
「へぇー、どこへ?」
「高円寺だよ!。」
「そっか。それは楽しみだな!。」
「うん。」
彩香はお茶を持ってリビングのソファーに座った。そして親父の前にあるリモコンをそーっと取ってテレビを消した。その気配で親父が目を覚ました。
「あーあ、今日も失敗!」
親父は彩香をチラ見してからダイニングの俺を見た。
「お、翔太。やっと起きたか。」
「何言ってんの、もう朝食食べたよ。」
「そうか。」
「俺達、昼前に出掛けるけど。」
「そうか。」
「おとうさん、つまんないからテレビ消したよ。」と彩香。
「そうか。」
とつぜん、姉ちゃんが噴出し気味に言った。
「お父さんったら、『そうか』ばっかり。」
「そうか。そうだな。」
「お父さん達はいつごろ出掛けるの?」
「母さん次第だが、2時前には出ないとな。2時半開場3時半開演だ。」
「そうか。」
「こら、翔太、茶化すな。」
「へい。」
「少し遅くなるかも知れん。その時はメールする。」
「わかった。」
親父はローテーブルの上に置いてあった携帯を取り上げて何か操作した。
「翔太、お前のメアドはこれで良いのか?」
俺と彩香は親父の横に移動して携帯を覗き込んだ。ディスプレイにアドレス帳が表示されていた。絵文字のマーク付きで。
「えーと・・・うん、合ってる。」
「そうか。」
姉ちゃんがたまらず噴出した。俺は姉ちゃんとアイコンタクトして笑顔を返した。
「サヤも携帯欲しい!」
「そうだな。そろそろ良いかもな。」
「念のために空メール出してくれる?」
「そうだな。」
親父が送信すると、俺のスマホが振動した。俺はスマホを確認した。
「完璧!」
「そうか。」
姉ちゃんと俺はまたアイコンタクトした。




