4-9 雑誌デビューした日(その3)~収録~
立川先輩がスタジオに入ったので、俺もスタジオに入ってエアコンを点けた。それから、調整室に引き返して調整室のドアを開けた。すると順平が俺を見て、手真似で音量調節の格好をするので、調整室の入り口左手に置いてあるオーディオ発振器を持って再びスタジオに入って、壁にかけてあるインカム(スタッフ連絡用のワイヤレスヘッドセット)を首にかけてドアアームを閉めた。分厚い板のアナウンステーブルにセットしたマイクの前に行き、スタジオの防音窓越しに調整室を見ると、姉ちゃんが横山先輩の右後ろ、つまりスタジオの俺から見て左奥の丸椅子に座っているのが見えた。俺の視線を感じたらしく、微笑んで小さく手を振った。いつもなら当然それに応えるのだが、今はミッション遂行中なので仕方なく視線だけ飛ばして、左右のマイクの中央に発振器を置いて、インカムを被った。
「順平いいか?」
順平もインカムを被りOKサインを出した。俺は発振機の周波数を440Hzに合わせ、
「440」
音量調節のため、順平はたぶんインカムとモニター出力を切ってVUメータを見ている。なので、順平の声は聞こえないが、コンソールの上の手をちょっと動かしてOKサインを出した。
「次、880」
順平はつまみを調整してまたOKサインを出した。
「じゃあ、1760」
今度は何もしないでOKだ。
「最後、440」
今度もOKだ。順平の手が動いて、モニターから順平の声がした。
「テストメッセージを頼む。」
つまり、音量調整が完了したので、実際に録音が問題なく出来るかどうかの試験に進むと云う事だ。俺はまずインカムを首に降ろし、咳払いをして喉の準備をして、マイクの前の椅子に座ってエコーを返した。
「準備完了。」
調整室の照明が暗くなって、順平の秒読みが始まった。
「テストテークワン、5秒前、4、3、・・・」
最後の2カウントはモニターから声が出ないので順平の右手のキューを見る。俺はアナウンサーになったつもりの少し真面目な声でゆっくりお決まりのメッセージを言う。
『録音テストを開始します。』
俺は体を向かって右のベロに向けて、
『左チャンネル』
順平は右の音量を下げOKサインを出す。俺はそれを確認して、
『本日は晴天なり、久我山に太陽が燦々と降り注ぎます。』
『アエイウエオアオ・サセシスセシサソ・パペピプペオパポ』
順平は右の音量を元に戻しOKサインを出す。俺は体を向かって左のベロに向けて、
『右チャンネル』
順平は今度は左の音量を下げてOKサインを出す。
『本日は晴天なり、久我山に太陽が燦々と降り注ぎます。』
『アエイウエオアオ・サセシスセシサソ・パペピプペオパポ』
順平は左の音量を元に戻しOKサインを出す。俺は正面のダミーマイクに体を向けて、
『バランステスト』
『本日は晴天なり、久我山に太陽が燦々と降り注ぎます。』
『アエイウエオアオ・サセシスセシサソ・パペピプペオパポ』
「カット!・・・good!」
モニターから満足げな横山先輩のカットコールだ。これでテスト終了だ。
俺は発振器を持って調整室に戻ろとした。その時立川先輩が、
「放送部って凄いのね。しかもこんなに真面目に活動してるの初めて見たわ!」
「あ、ありがとうございます。学園祭の予算配分よろしくお願いします。」
「あら、ちょっと褒めるとすぐに調子に乗るのね。これと予算とは別問題ですから。」
「ですよねー」
「少し蒸し暑くない?」
「そうですね。エアコンを強くします。ただし録音中は静穏モードにしますので、すみませんが我慢してください。」
「わかったわ。ありがとう。」
俺はエアコンの風量を弱から中に、運転モードを除湿から急速冷房に変更した。それから調整室に戻っていつもの様に先輩に報告した。
「準備完了す。スタジオが少し蒸し暑いのでエアコンを強くしました。録音前に元に戻します。」
「なかなか手際が良くなったな2人共。」
そう言うと先輩は姉ちゃんの方を振り返って、
「中西さん、狭くてごめんなさい。少し我慢してください。」
「あ、いえ、大丈夫です。」
「そうだ中西、念のため、おしぼりと水。」
「了解です。」
俺は棚から水差しとおしぼりが入った箱とを取り出し、
「先生方はたぶん4人ですよね。」
「そうだな。」と横山先輩。
俺はおしぼりを5枚バケットに移して箱を元に戻した。
「じゃあ、洗って来ます。」
「あ、翔ちゃん、それ私行こうか?」
「手伝ってくれるの?」
「うん。」
「じゃあ一緒に。」
「いいよ、私1人で。」
「そう? じゃあお願いします。」
俺はおしぼりと水差しを姉ちゃんに任せて、棚の上から『おしぼりを置き』と書いてある箱を取り出しそれを持ってスタジオに行った。布巾で拭きながら、おしぼり置きを適当に置いて戻ると、職員室とのホットラインのインターホンが鳴った。俺はそのインターホンが鳴るのを初めて聴いた。順平が出た。漏れ聞こえる声が女声なので田村先生の様だ。
「放送室です。」
「・・・・・・」
「高野です。放送部が3人、写真部が1人、生徒会が1人の合計5人です。」
「・・・・・・」
「準備はできてます。」
「・・・・・」
「はい。了解しました。お待ちしてます。」
順平はインターホンの受話器を戻して、
「えーっと、守屋先生、黒田先生、田村先生。そして教頭先生が来るそうです。」
「みんなスタジオに入ってもらおう。」と先輩の指示。
「了解です。」と俺。
「教頭先生ってなんて名前だったっけ?」と順平。
「たしか『河野善作』だったような?。」
「まあ、『教頭先生』って言えばいいよな。」
「それが確実だと思う。」
そこへ、先生方が入って来た。守屋先生が先頭で、黒田先生、教頭先生、田村先生の順だ。田村先生が何やらプリントを持っている。先生方は調整室を覗き込んで、
「ここに居る人はこのプリントを見てください。」
そう言って皆にコピーを配った。それにはこれから守屋先生が録音する内容が書いてあった。俺達がプリントを見ている間に姉ちゃんが帰ってきて、スタジオの中のおしぼり置きにおしぼりを、テーブルに水差しを置いた。俺は顔の前で合掌して姉ちゃんに有難うのサインを送った。姉ちゃんはニッコリ微笑んだ。
「放送部で今日指揮権があるのは誰?」と守屋先生。
「あ、私です。横山です。」
「横山さんか、それなら安心だ。よろしく頼むよ!」
「はい、お任せください。」
「切っ掛けは僕、あ、高野が出します。」
「クレームは俺、ADの中西が担当します。何でも言ってください。」
「わかった。」
そう言うと先生方は全員スタジオに入った。
「立川さんが来てくれたのね。ありがとう。」
「いえ、お気遣いいただきまして、こちらこそお礼申し上げます。」
そう言った立川先輩の隣に田村先生、その隣に教頭先生、黒田先生の順で座った。当然だが守屋先生はダミーマイクの前に座った。俺は最後にスタジオに入ってドアを閉じ、ドアアームをロック位置にし、インカムを被った。そして、エアコンを弱除湿モードにし、スタジオに居る人たちの様子を一通り見渡して、
「順平、こちら準備完了。」
と言って切っ掛けを順平に送った。数秒して調整室の照明が暗くなった。スタジオからは順平しか目視できなくなった。
モニターから順平の声がした。
「先生、少しリハしますか?」
守屋先生はコピーに目を落としたまま、
「必要ない。」
「わかりました。それでは、テークワン、5秒前、4、3、・・・」
「・・・・・・・」
「カット!」横山先輩の声だ。
「先生、最後の2カウントは僕の手と指を見てください。」
「あ、そう言う事か! すまん。」
「いえ、先にご説明すべきでした。」と横山先輩。
「それでは再開します。・・・テークツー、5秒前、4、3、・・・」
「くぎゃ山こ・・・すまん。か、噛んだ!」
「カット! 先生、えーっと、お手元に水とおしぼりがあります。」横山先輩が気遣う。
「そうだな。ありがとう。」
守屋先生はおしぼりで顔を拭いた。先生の額の、たぶん冷や汗が引いた。そこまでの様子を微笑ましそうに見ていた教頭先生が、
「守屋先生、放送部員は気が利きますね。」
「そうですね。お恥ずかしい。」
そう言うと守屋先生は水差しの水を蓋兼用のコップに移して1口飲んだ。
こうして、この2回のNGで守屋先生も落ち着きが出て、録音は順調に進んだ。途中3箇所程間が悪いところがあったが、後で編集することにした。
「録音は成功しましたので、トリミングなど、細かい調整はこれから放送部でやります。」
と、俺が説明した。守屋先生は脱力している。
「そうですか。ではよろしく。なかなか良いスピーチでしたよ。」
教頭先生はそう言ってスタジオから出て行った。
「出来上がったら守屋先生に確認して頂きたいのですが?」
「わかった。呼んでくれ。」
こうしてひとまず解散となった。
20分後、俺達は守屋先生に再び調整室に来てもらい、出来上がった放送用音声データをプレイバックして確認した。録音の最初の部分にはコンテンツメッセージが順平の声で録音されている。
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『放送用データ、金曜ニュース、ナンバーワン』
『1学年、学年主任、守屋先生』
『ファッション雑誌スタイルKへの学校の対応と生徒諸君への協力のお願い。』
『3、2、1、START』
・・・5秒間無音・・・
久我山高校の生徒諸君、おはよう。私は1年の学年主任、守屋です。今日は朝のニュースの時間を借りて、皆さんにお知らせとお願いをします。週末でもありますし、これから私が言う事を良く聴いて頂いて、そして、是非とも協力して頂きたい事があります。
(間2秒)
もう皆さんの中の何人かの手元には『スタイルK』というファッション誌があると思います。その10月号に、正確には9月号から、本校の生徒がモデルとして登場しています。この2名は確かに本校の生徒です。本人と保護者からはもちろんですが、出版社からも校外活動の届、つまり、雑誌モデルとして活動する旨の正式な届け出が出ています。本校はこれら生徒の活動を禁ずることはありません。むしろ、本校生徒が校外でも活躍することを誇りに思いますし、応援したいと思っています。ただし、この2名の生徒が何年何組の誰と誰であるかと言う事について、本校は公にすることを差し控えます。これは、本校生徒のプライバシーと安全を守るためです。
(間2秒)
そこで、本校の生徒諸君にお願いがあります。皆さんも本校のこの方針に準じて、誰かに尋ねられたり、確認を求められても、なるべく答えない様にして頂きたいのです。どうかよろしくお願いします。もし、どうしても答えなければならない状況がある場合は、『スタイルK』の巻末に記載されている『問い合わせ先』に問い合わせるように言ってください。ここが唯一社会的に正式で責任ある回答ができる場所だからです。
(間2秒)
安易に本校生徒の個人名を公にしますと、行き過ぎたファン行動や最悪の場合、ストーカー行為のような危険な状況になった時、公にしてしまった人も大きな自責の念を感じることになりかねません。皆さん自身のためにも、是非、『知ったかぶり』をして、個人情報を公にしない様にして下さい。もう1度繰り返します。もし、どうしても答えなければならない状況がある場合は、『スタイルK』の巻末に記載されている『問い合わせ先』に問い合わせるように言ってください。
私からのお願いは以上です。どうかご協力よろしくお願いします。
・・・5秒間無音・・・
『放送用データ、金曜ニュース、ナンバーワン、終了。』
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プレイバックが終わるとすぐ横山先輩が守屋先生に同意と確認を求めた。
「先生いかがですか? 3箇所ほど間を調整しました。」
「うん、ご苦労さん。これで良いよ。第1どこをいじったのかわからんし。」
「ではこれを明朝流します。」
「頼む。」
そう言って守屋先生は職員室に帰って行った。
守屋先生と入れ替わりに立川先輩が入って来た。
「横山さん、私、メールで会長に確認しました。生徒会も全面支持でOKだそうです。」
「そうですか。で、どうします?」
「まだ録音できますか?」
「大丈夫です。」
「どうせ私が喋るのだから、録音してもらうのがいいかなと。」
「じゃあ、早速録りましょう。」
立川先輩がスタジオのマイクの前に座ったので、俺は入口を締めて、
「順平、準備完了!」
調整室の照明が暗くなって、モニターから順平の声。
「5秒前、4、3、・・」
「みなさん、おはようございます。生徒会副会長の立川です。本校の生徒が雑誌のモデル活動をすることについて、生徒会を代表して役員の決定をお知らせします。生徒会は本校教職員の決定を支持いたします。みなさん、どうか先程守屋先生がおっしゃった通り、本校生徒の個人名などの情報を公にしない様にして下さい。また、周囲からの質問についても無責任な回答は避け、出版社の問い合わせ窓口に尋ねるように言ってください。どうか、ご協力よろしくお願いいたします。なお、生徒会には私物ですが、スタイルKの最新号もバックナンバーもありますので、問い合わせ先の確認が必要でしたら、生徒会室に来て確認していただいて結構です。以上です。よろしくお願いいたします。」
「カット!」
調整室に横山先輩のひときわ大きい声が響いた。1発OKだった。ニュース冒頭のアナウンス録りやスタジオの後片付けをして、その日は7時半頃帰宅した。『先に帰って』と言ったけど、姉ちゃんも最後まで付き合ってくれた。




