4-4 スカウトされた日(その2)~あぁハズい~
翌日10時前、姉ちゃんと俺は吉祥寺の御殿山に向かった。吉祥寺駅ビルのアトレを三鷹方向に抜けて少し歩いたところにある撮影スタジオに10時半集合だ。姉ちゃんと俺は、井の頭線の改札を出て、JRの改札口の左にある通路からアトレに入った。通路はいつでも通れるが、開店時刻の10時には店に入れる格子のシャッターが開く。アトレの2階は女子と一緒だと何かと通過しにくいのだが、通路の位置関係から、その2階を抜けるのが近道だ。
「翔ちゃんちょっと待って。この店でアクセ見て行きたい。」
「姉ちゃん、10時半集合だよ。あと20分も無いよ!」
「まだ人少ないから大丈夫だよ。」
アトレは人が多くて通路が狭いからスイスイとは歩けない。とにかく通るだけならそうでも無いが、お店に寄り道したりすると、抜けるのに10分位では足りない。この時も俺の予想通りの展開になった。
「ねえ、このブローチ、サヤちゃんに良いと思わない?」
「5歳の幼女にブローチはもったいないような?」
と、俺はさりげなく分担を断る。
だいいち、アクセの美しさや可愛さについては、俺はごく普通の男子の感覚しか持って無い。たとえば、ヘアバンドとカチューシャとティアラの言葉の意味の違いは何となく分かるが、実物の違いとなると正確には自信が無い。
「そうかなあ? 今度お父さんに聞いてみよ!」
「おやじならOKさ。何も考えずに賛成すると思うよ。」
「そうね。誰かさんと違って、ケチじゃないもんね。」
図星だ。
「えーと、何を仰っているのでしょうか?」
「もうすぐ誕生日でしょ!」
「お小遣いでいいと思うのですが?」
現金なら百円くらいで済みそうな気がする。
「あら、もうこんな時間。急がないと。」
誰のせいですか?と言いたいのだが、まあこの迷宮ルートを選んだ俺が悪いのかも知れない。
俺達はかなり急いでスタジオに向かった。大通りから1筋奥まった所にある3階建ての鉄筋の建物の前に来た。約束の時刻より7分程遅刻だ。特に看板などは何も出ていない。住所プレートはもらった吉村さんの名刺のメモと合っている。
「ここだよね。」
「ここだと思う。」
「1人じゃあこういうの怖いよね。」
「そうね。」
「じゃあ、行くよ!」
意を決してエントランスに入ると、薄暗い殺風景なスペースの右側に小さい無人のカウンターがあった。そのカウンターにインターホンが置いてあって、『御用の方は受話器をお取りください。』と書いた立札が置いてある。俺は恐る恐るその受話器を取った。
「もしもし。こんにちは。」
「はい。どのようなご用件でしょうか?」
女の人の声だった。男の声だったら逃げ出していたと思うくらい不安な雰囲気だ。
「中西と言いますが。・・・」
「はい。伺っております。エレベータに乗って、2階の2番へお入りください。」
ほぼ同時に左奥のエレベータのドアが開いた。ビックリした。なんかホラー映画の様だ。このエレベータはリモートで動くのかも知れない。
「2階に来いって。」
「そう。」
姉ちゃんと俺は警戒しつつエレベータに乗り、2階のボタンを押して2階に上がった。
エレベータを下りると狭くて薄暗いエレベータホールがあり、目の前に1番と書いてある重そうな扉が見えた。その右横に『2番はこちら』と右向きの矢印が書いてある。その矢印の向きに廊下が伸びている。俺はその方向に歩いた。
「翔ちゃん、何処へ行くの?」
「2番に来いって言われた。」
「そう。・・・なんか気味悪いね。」
「うん。」
姉ちゃんは俺の左腕にしがみ付く様に右腕をからめた。そして、2番と書いてある丸いのぞき窓がある防音扉の前まで来て、取っ手をコックを開けるようにして押し開けて・・・スタジオに入った。
「へえー、スタジオってこんなになってんだ。」
そこは、学校の廊下の様だった。その廊下の奥から聞き覚えのある声がした。
「おはよう、中西君。遅いから心配したよ!」
「あっ、吉村さん。こんにちは。」
こんな熊みたいで胡散臭そうな小父さんなのに、ホッとした感覚になる。
「遅れてすみません。今日はよろしくお願いします。」と姉ちゃん。
「よろしくお願いします。」と俺。
「2人共早くこっちに来てください。」
廊下の奥にアコーディオンカーテンで仕切られた場所がある。吉村さんに促されてそこへ入ると、テレビでよく見かける鏡の両側に電気が点く化粧台が2つあるメイク室になっていた。
「おはようございます。メイク担当の野崎です。」
「・・・こ、こんにちは。中西です。よろしくお願いします。」
「ねえ翔ちゃん、『おはようございます』って言うんじゃないの?」
「そうね。この業界では、現場に来た時はいつでも『おはよう』なの。簡単でしょ!」
「はいそうします。」
『おはようございます。』俺達ハモった。
「ここ判りにくいから道に迷ったんじゃない?」
「前までは迷わずに来たのですが、人の気配が無くて・・・」
「そっか。幽霊屋敷かと思ったのね。」
「・・・まあ。」
「初めて来た人はたいていそうよ。」
その時、吉村さんの声がした。
「中西君、こっちこっち!」
メイクコーナーのさらに奥にパーテで仕切られている場所がある。吉村さんが手招きしている。姉ちゃんと俺は野崎さんにお辞儀をしてからそこへ行くと、色々な制服がハンガーラックに掛かっていた。その横に女の人がいて、チラッと俺を見て、
「中西君は、そうね、このブレザーがいいかな。」
それから姉ちゃんを見て、
「お姉さんは、このスカートのブレザーがいいね。」
俺と姉ちゃんは誰が見てもどこかの学校の制服っぽいブレザーを渡された。
「あっごめんね。改めまして『おはようございます。』スタイリストの木下です。」
「あっ、おはようございます。中西翔太です。」
「おはようございます。春香です。よろしくお願いします。」
「それじゃあ、メイクの前にそれに着替えてください。」
「お姉さんからがいいですね。翔太君はちょっと外してくれる?」
「いえ、べつに一緒でもいいです。姉弟ですから。」
「いいけど、それって翔ちゃんが言う台詞じゃ無いと思うよ。」
「へい。」
「あはは。聞いてた通り、仲良し姉弟だね。」
「あ、はい。」
「じゃあ、着替えたらメイクね。」
姉ちゃんと俺は、少し恥ずかったが、背中合わせで渡された制服にササッと着替えた。俺はまあどうでも良いみたいだが、姉ちゃんは木下さんがブラウスの具合やネクタイを整えている。俺がメイク室に出ようとした時、
「翔太君、ちょっと待って、ネクタイこっちにしよう。」
と言って、青のネクタイをエンジにした。
「これで学年が違うイメージ出るかな?」
ああ、そういう事か。・・・って、つまり俺、やっぱ後輩だよな。
「それじゃこれから姉ちゃんを『先輩』と呼びます。」
「うーん。間違い。こんな可愛いのに先輩はないわ!」
「じゃあ、姉ちゃんが後輩ですか?」
「翔太先輩!」
「うわっ!ハズい。」
「私も。」
俺達はメイク室に出た。
「着替えたね。じゃあ、まず翔太君だね。」
「はい。」
俺と姉ちゃんは野崎さんにメイクしてもらった。俺の方が先だったので、俺はメークしてもらっている姉ちゃんの後ろに立って、
「俺、なんか顔が白くなった?」
「うん。翔ちゃんじゃないみたい。」
「俺も。若干キモい。」
「私は?」
「後輩だ。・・・後輩。」
「なにそれ。・・・そうじゃなくて、・・・どんな感じ?」
「か、カワイイ・・・あぁハズい。」
「・・・ばか。」
野崎さんは微笑んで、
「本当に仲が良いのね。付き合ってるみたいよ!」
「はい。ある意味そうかもです。」
「翔ちゃん。」
「ほとんど1日中一緒に居ますから、仲良くしてないと辛い事になりますから。」
「そうなんだ。」
「はい。」
「はい、おしまい。春香ちゃんは本当に可愛いわ! 髪もサラサラだし。」
「あ、ありがとうございます。」
「じゃあ、いよいよ撮影ね。頑張ってね!」
『はい。』
「あ、靴はこれよ!」
姉ちゃんと俺は、靴を上履きに履き替えて、アコーディオンカーテンから廊下に出た。俺の後に姉ちゃんが続く。いきなり周囲が真昼のように明るくなってシャッター音が響いた。ライトが眩しい。熱も感じる。俺は右手をライトに翳して目をしかめた。
「ああ、いいですねえその反応!、朝日が眩しいって感じ。」
「もう写すんですか?」
「このチャンスを今か今かと待ってました。」
「お姉さん、翔太君の後ろから左横に顔を出してみてください。」
「こうですか?」
「それ、いいネ。いい。」
「じゃあ、上体をお辞儀するみたいに曲げて、手は後ろで組むのがいいかな?」
「こうですか?」
「うん、うん。いいねえ。」
俺はちょっと振り返って姉ちゃんを見た。
「あ、それ、ずっと前、ナツが順平にやったやつだ。」
「あ、そうだね。ナッちゃん可愛かったね。」
「ナツ知ってたんだ。このポーズ。」
「かもね。」
「すげー」
「翔太君、こっち向いて。」
「はい。すみません。」
パシャ、パシャ、パシャとシャッター音が絶え間なく続く。
「ねえ。翔ちゃん。」
「なに?」
俺はまた振り向いて姉ちゃんの顔を見た。
「連れてって!」
びっくりだ。『姉ちゃんがものすごくカワイイ』と思った。シャッター音がパシャパシャと一際激しくなった。
「イイ。いいぞー!、なんで最初からこんなにイキが合うんだ君たち!」
姉ちゃんが転びそうになって手を出した。俺は思わずその手を取った。
「すごい。すごいよ君たち。天才じゃないか?」
こんな具合にべた褒めされながら、しばらく廊下の撮影が続いた。俺達は言われるままに色々なポーズをした。結構きつくて、筋肉痛になりそうなポーズもあった。俺が正座して姉ちゃんに怒られているところとか、姉ちゃんがバケツを持って、俺がモップを持って掃除しているところとかもあった。コミックでよくある『壁ドン』みたいなのは・・・無かった。そして、いつの間にか12時前になっていた。
「それでは少し休憩しましょう。」
山内さんは携帯で誰かと話し始めた。すると間もなく長谷さんが入ってきた。
「おはようございます。翔太君、春香ちゃん。」
「おはようございます。」
「長谷さんもいらしてたんですか?」
「あら、まだ誰も説明してなかったのね。ここは、自社の専用スタジオなの。だから1階の奥に私たちのリモートデスクもあるのよ。」
「へえー・・・?」
「ここでもある程度は仕事ができるの。」
「そうなんですか。」
「じゃあ、いつもはここには居ないんですか?」
と姉ちゃんが聞くと、
「うん。正式なオフィスは御茶ノ水。」
「そうなんですか」
「出版関係はあっちの方が便利なの。」
そう言いながら、山内さんと長谷さんはモニターでこれまで撮った写真を見始めた。吉村さんも後ろから覗いている。
「いいわね。予想以上だわ。」
「そうだろ。僕の腕が一段とレベルアップしたみたいだろ!」
「モデルの表情でこんなにクオリティーが上がるのね。」
「そうなんだ。透明感と言うか、この2人の存在する世界が本当に有るような錯覚が来る。不思議だろ!」
この人たちいったい何を言っているのだろう?と思った。
「この画、互いに手を取ろうとしているところ。2人の瞳の輝き方が良いわ!、優しくて癒される感じ。何処かに使いたいわね。」
「ダメです。本契約前ですから。」
「ムラさん(吉村さん)はいつも硬い事言うのブレないわね。」
「どうしますか?テストですのでこれで開きますか?」
「カメラとしては欲が出る。」
「ヤマさん(山内さん)はただのカメコになってない?」
「あ、いや・・・ともかく、午後もう少し撮れないか?ムラさん。クラスがいいんだが!」
「3時まではOKです。3時からは例のシュシュのが入ってます。」
「じゃあ調整頼む。トライだから2時50分まではオフリミットで。」
「アフターのイメージが良いわ!、私もできるだけ一緒する。」
「おお、頼むわ!」
何がなんだかよく解らないが、相談事が決まったようだった。
「ねえ、翔太君、春香ちゃん、午後もできる? 2時半位までなんだけど。」
「姉ちゃん大丈夫? 俺は特に何もない。」
「今日は1日空けてあるよ!」
『できます。』俺達ハモッた。
「そう。それじゃあお昼にしましょう。お弁当とるから、しばらく待ってて!」
『はい。』
長谷さんと山内さんは依然としてディスプレイを見つつ手でしきりにジェスチャーをしながら話し込んでいる。まあ、あれだけ写真を撮ったのだから、全部見るには相当な時間がかかるだろう。吉村さんはどこかへ電話をかけては真面目な顔で話し込んでいる。この3人の動作や表情が対照的で面白い。姉ちゃんと俺はすることが無くなった。吉村さんが携帯を耳から話したので、
「吉村さん、すみません。トイレに行っていいですか?」
「ええ、もちろん。学校じゃありませんから、いつ行ってもいいですよ。」
その時長谷さんがこちらを見て、
「スタジオの外のトイレ使ってね。」
「・・・?」
「スタジオの中のはセットだから。」
「あ、はい。わかりました。」
姉ちゃんと俺はスタジオを出て左にトイレを見つけた。トイレから帰って来ると、山内さんと長谷さんはまだモニターを見ていた。仲が良いのはヤマさんとハセさんの方ではないかと思った。そんな妄想を巡らせながら山内さんを見ていたら、姉ちゃんがこんなことを言い出した。
「翔ちゃん、山内さんがカメコって面白いね。」
「モデルってある意味レイヤーみたいだね。」
「そうなのよ。写真部でも撮り合うのがけっこう楽しいのよ。」
「へえー そうなんだ。」
「だけど、カメラが無いと楽しくないのよね。」
「どういう事?」
「だからね、カメラの前だとポーズをとるのがなんか楽しいの。だけど、カメラが無いとダメなの。」
「えーっと、つまり、カメラなしでポーズをとってる姉ちゃんを想像すると、」
「しないで良いよ!」
「マヌケ?」
「だから、しないで!」
レジ袋を両手に下げた知らないお兄さんが入ってきた。
「ムラさん弁当とお茶持ってきました。焼肉デラ、数はラッキーセブンすよね。」
「おお、サンキュ。・・・中西君、この弁当食べて。」
見るからに、高そうな弁当だ。
「あのー、幾らですか?」
「何が?」
「弁当代です。」
「いやいや、要らないよ。これは支給だ。」
「そうなんですか。よくテレビで言っているやつですね。」
「似たようなもんだね。けど、ロケ弁とは違うけどね。」
「ロケ弁って、何か違うんですか?」
「うん違う。担当が居るんだ。色々とこだわりの。」
「へえー、そうなんですか。」
すると、吉村さんは突然、スタジオの奥のアコーディオンカーテンに向かって、
「野崎さーん、木下さーん、ランチ来ました。」
すると奥から木下さんの声がした。
「あ、今ちょっとなのでお先にどうぞー」
それを聞いて、吉村さんは、
「じゃあ、先に食べましょう。」
「はい。」
「いただきます。」
俺達はその『焼肉デラ』という弁当の蓋を会議テーブルの上で開けた。初めて見る豪華な焼肉弁当だ。子供の頃はコンビニの焼肉弁当も好きだったが、これはレベルが違う。美味かった。
「翔ちゃん、美味しいね。こんなのタダでいいのかなあ?」
「良いみたいだよ。今日はノーギャラだから、遠慮しなくていいんじゃね!」
そう言って吉村さんを見ると、
「謝礼出ます。」
「本当ですか?」
「はい。」
「ヤッター!」
俺は小さくガッツポーズした。そしてまたテンションが上がった。それを見ていた吉村さんは苦笑していた。たぶん、吉村さんには俺はとても扱いやすい子供に見えているだろう。・・・まあ否定はしない。




