4-3 スカウトされた日(その1)~胡散臭い人~
夏休みになって最初の日曜日の事だ。彩香は5歳を目前にしていた。まだ11月じゃないし、女の子だからぜんぜん七五三なんかじゃないのだが、彩香の提案で家族写真を撮ることになった。大地震があったので、家族皆がそういう気持ちになったのかも知れない。俺達一家は、吉祥寺の写真館を予約して、少しよそ行きの格好で出かけた。吉祥寺駅の南口から少し歩いた井の頭公園の傍にある写真館だ。母さんは彩香の手を引いて親父と話しながら歩いている。そして、その写真館に近付いた。
「写真撮る人って案外多いのね。」
「そうだな。ちょっと恥ずかしいな。」
「彩香はべつにいいよ。恥ずかしくなんかない。」
飾り気のない鉄筋コンクリートのアーチ形の門の中に自動ドアがあり、店に入ると、この店で撮られたと思われる色々な肖像写真や家族写真が飾ってある。数人のお客さんと思われる人が居て、その作品を眺めている。正面に受付があり、係のお姉さんが1人にこやかにほほ笑んでいる。受付の左側に細い通路があるから、おそらく奥に撮影スタジオがあるのだろう。親父がそのお姉さんに名前を告げると、俺達はそのスタジオの手前の待合スペースに案内されて簡単な説明を受けた。
最初は普段着のスナップ写真だそうだが、俺達、既に普段着ではない。親父はちっとも目立たないグレーのポロシャツにベージュのチノパン。母さんはブルードットのワンピにピンクのサマーセーター。彩香はピンクのチェック柄のワンピ。姉ちゃんと俺は制服だ。
「こちらへどうぞ。」
係の人が慣れた感じで皆のポジションを指示する。
「ご主人さまと奥さまは1番下のお子様を間にしてソファーにお掛けください。」
「お兄様はお母様の後ろに、妹様はお父様の後ろがよろしいかと思います。」
姉ちゃんが妹に見えるらしい。姉ちゃんはチラッと俺を見て微笑んだ。するとカメラマンの小父さんが、
「お兄さんとお姉さん、そんなに離れないで、もう少し寄り添ってください。」
「はい。では写します。」
周囲にある照明がひときわ明るくなってシャッター音がした。
「もう1枚撮ります。お兄さん少し顔を上げてください。」
「こうですか?」
「そうです。少し顎を引いてください。」
「1番下のお嬢ちゃん。小父さんの変顔見てー」
彩香が笑った時また照明が明るくなってシャッター音がした。
「今度は、お兄さんとお姉さんは手をソファーの背もたれに置いてみましょう。」
「ああ、そんなに力を入れたら壊れます。」
皆が笑った。
「ああ、良いですね。その笑顔をもう1度お願いします。・・・はい。こちらを見てください。今度が本番です。」
照明が明るくなって、シャッター音がした。
次の撮影は少しメイクをしてもらった。親父はダークグレーのスーツ。母さんはライトグレーに赤いチェックが入ったスーツ。姉ちゃんは若草色のブラウスにパステルピンクのスカート。金色のチェーンアクセを付けている。俺は紺のスーツ。そして、主役の彩香はなんかフリルがいっぱいのロリータっぽいのを着せられて結構喜んでいる。
今度はライムのベンチソファーに彩香を真ん中にして姉ちゃんと俺が座り、親父と母さんがソファーの後ろに立った構図だ。
「ああ、みなさんいいですね。」
「よーくお似合いです。」
「お兄さん。もう少し深く腰掛けてください。」
「お母さんはお兄さんの肩、お父さんはお姉さんの肩に手を置いてください。」
「1番下のお嬢ちゃん。1度足をぶらぶらーとしてみましょう。」
「そうそう」
「はーい。それでは写します。」
「また小父さんの変顔見ましょう。」
照明が明るくなった。・・・こうしてひとしきり撮影が続いた。
撮影が終わって一息しているところに、親父に、同じ年恰好だがかなり髭が濃くて、いわゆるクマさんみたいな知らない小父さんが話しかけてきた。
「まだ、七五三ではないですよね。」
「ええ、家族写真を撮ろうということになりまして。お恥ずかしい。」
「とんでもありません。ああいう事がありましたので、良い事だと思います。」
「写真を撮ってもらうなど、初めてでしたので、まごつきました。」
「みなさん背が高くてスマートなご一家でいいですね。」
「いやあ。これを図体ばかりなんとかって言いますよね。」
「いえいえ、とんでもないです。皆さんかなりのハイレベルのルックスです。」
親父はこのひげが濃くて胡散臭いおじさんが何を言いたいのか計りかねている様子だ。係の女性の声がした。
「中西さん、更衣室空きました。」
「はい分かりました。」
親父はほっとした様子で俺達を手招きして更衣室に向かった。俺達一家は借りていた衣装を着替えた。
メイクが上手く落ちなくて、なんか妙な感じの一家が更衣室から出てきたのはそれから20分くらいしてからだった。ここが写真館でなかったら、周りの人はドン引きだろう。
「恥ずかしいから、タクシーで帰ろう。」
「そうね。」
「翔太、タクシー頼んできてくれ。」
「了解。」
俺が店のフロントに行って、タクシー(大型)を頼んで帰って来ると、さっきの小父さんとプロ仕様のカメラを持った別の小父さんが親父と話をしていた。
「なんとか、1度だけで結構ですのでお願いできませんでしょうか?」
「そう言われましても。」
親父も母さんも困った顔をしている。姉ちゃんは少し離れた所にあるソファーに座って、彩香とじゃんけんみたいな事をして遊んでいる。
「どうかした?」
「ああ、翔太。この人たちは雑誌社の人だそうだ。」
「ファッション誌『スタイルK』の営業の吉村と言います。」
そう言って、名刺を差し出された。俺はそれを思わず受け取った。
「こちらは弊誌カメラマンの山内です。」
「山内です。初めまして。」
「は、初めまして。中西翔太です。」
カメラマンさんは名刺を持って無いようだ。
「この写真館は山内の知り合いが経営していまして、今日はここを拠点にして井の頭公園で読者モデルを探しておりました。」
「・・・はあ。」
「偶然、皆さんがここに入るのを見かけまして。」
「?」
「それで、実はお兄さんとそちらの妹さんに(読者)モデルをお願い出来ないかと。」
「妹というのは?」
「それは、あちらの大きい方の御嬢さんです。」
ああ、この人間違えてる。まあ知らないというか胡散臭い人に明かすこともない。
「中西君、お願いできませんか?」
おれはその時、カメラマンさんが持っているカメラを見て、そう言えば姉ちゃんが1眼レフを欲しがっていることを思い出した。
「あのー。バイト料出ますか?」
「出ますよ。半日計算の日給ですけど。」
「どれくらいですか?」
「はっきりとは言えませんが、半日で1万円くらいです。」
高1にしてはいいバイト料だと思った。なので、俺は姉ちゃんのところへ行って、
「姉ちゃん、モデルやらないか? 俺と一緒に。」
「ええー、お父さん断るって言ってたよ!」
「バイト代良いみたいだよ。ほら、カメラ欲しいって言ってたろ?」
「そっか。なら、やろっかな?」
「彩香も?」
「彩香は違うみたいだ。」
「よかった。」
「なんで?」
「だって、お父さん嫌そうだった。」
「おお、彩香は良く空気読む子だ。」
そこへ店の人が来て、
「中西さん、タクシーが来ました。」
「あ、すぐ行きます。」
親父はそう言って皆に目で『帰るぞー』の合図を出した。俺は親父達に近寄って、
「親父、母さん。俺達OKだよ。」
「よく考えた方がいい。」
「じゃあ、今日のところは連絡先の電話番号だけでも教えてください。それから、お2人並んだ写真を1枚撮らせてください。」
親父は家電の番号を教えたみたいだ。俺と姉ちゃんが並ぶと、カメラマンの山内さんが写真を1枚撮った。そして俺達はタクシーで帰った。彩香も大きくなって、定員オーバーを誤魔化して乗れるのもそろそろ限界かも知れない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それから3日ほどした水曜日の夜10時ごろ家電が鳴った。初めは母さんが出て、親父に代わったようだ。俺は数学の参考書代をもらうためにリビングに入った。ソファーにはすでに姉ちゃんが座っている。
「翔ちゃん、明日雑誌社の人が来るそうよ。」
「それ、この前の写真館の人?」
「そうみたい」
「親父、どうするんだ?」
「半日休むしかないか。」
「わざわざ来なくても、『残念ですが』でいいのに。」
「何言ってんの?『お願いに伺います』って、本気みたいだよ!」
「へえー。俺はべつにやってもいいけど!・・・姉ちゃんは?」
「私、1人でモデルするのは嫌だわ。」
「なぁんだ。俺はアウトなんだ!」
「違うよ。モデルって、いつも翔ちゃんと一緒じゃあないんじゃない?。」
「ああ、そっか。そうだよね。1人だと断わり辛くて、いろいろマズい状況にもなるか。」
「そうでしょ。」
「姉ちゃんが嫌なら断るしかないよ。」
「どうして?翔ちゃんは1人でも大丈夫でしょ!」
「俺も1人ですることは考えてなかった。1人は俺も嫌だ。」
「つまり、2人一緒ならやるって事か?」と親父。
「うん。」
「私も。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌日、約束の10時頃、雑誌社の人が来た。クマのような営業の吉村さんと比較的若い女の人だ。
「編集の長谷と言います。先日撮らせていただいたスナップを見て、どうしてもお願いしたくて来ました。」
「玄関ではあれですから、どうぞお上がり下さい。」
母さんは2人をリビングに通した。今日はリビングがすっかり片付いて、応接になっている。母さんと姉ちゃんは朝早く起きて大忙しだった。俺も早起きして、何をしていたかと言うと、・・・彩香と遊んでいた。姉ちゃんの邪魔をして怒られたりした。
雑誌社の2人はローテーブルを挟んで親父の対面に座った。俺は彩香と横に少し離して置いたベンチ椅子に座った。母さんと姉ちゃんはコーヒーを入れて配った。その後、母さんが親父の隣に、姉ちゃんが俺の隣に座った。
「スタイルKの編集をしております長谷と申します。」
長谷さんは名刺を差し出した。親父はそれを受け取って、
「中西です。」
「私どもは首都圏を中心に、高校生を対象にしましたファッション雑誌『スタイルK』を発行しております。」
「はあ。・・・」
「これは先月号です。ご参考に持参しました。」
「あっ、それ知ってる。カヨゃんが持ってた。」
「俺もチラッと見た。女子の本だよね。」
「男子にも買って欲しいですわ。」
俺は長谷さんがテーブルに置いた先月号を取って開いた。
「へえー、水着の特集もあるんですね。」
「こら、翔ちゃん。」
「やっぱり、男子は最初にそこに目が行くわね。」
「あれ?思う壺ってやつですか。俺、タコですね。」
「サヤも見たい。」
「サヤには少し早いかな?」
と言いながら俺は彩香にチラッと水着のスナップを見せた。
「ふうーん!」
彩香には特に感想は無いようだった。しかし、親父が割り込んだ。
「こういうのは、うちの子にはさせたくありませんので、お断りします。」
俺は先月号を姉ちゃんに渡そうとして見せたが、手を振って要らないらしいのでテーブルに返した。
「いえ、スイムやインナーのモデルは専門のプロダクションからタレントさんを派遣してもらいます。」
「そうすると、どのような写真のモデルですか?」
「基本的には、目次と見開きの部分に掲載するスナップです。」
長谷さんは先月号の目次見開きの部分を開けて、
「ここは、各号の基本コンセプトを表現する部分ですので、とても重要なスナップになります。」
「そのような重要なところに、うちの子のような素人が?」
「本誌の場合、ここにはごく普通にその辺に居る高校生のイメージが絶対必要なんです。」
「それがうちの子のイメージなのですか?」
「お気を悪くなさらないでください。・・・特別にイケメンでなく、特別に美人でもない。・・・しかし、お兄さんと妹さんはとても清潔感があって、笑顔もわざとらしくなくて、本当に理想的だと思います。」
俺はいわゆる『カチン』の状態になった。イラッとした気持ちが表情に出たかも知れない。
「それって褒められてませんよね。なんかものすごく凹みます。」
「悪い意味じゃないんです。お2人は多くの読者に好感を持ってもらえるはずです。」
「要するに、普通未満って事ですよね。優越感ってやつですか。」
「優越感ではなく、強いて言えば親近感です。でも、それが一番難しいのです。普通なんですが、普通じゃ駄目なんです。」
この禅問答に親父が正直な感想を述べた。
「申し訳ありませんが、さっぱりわかりません。」
「ええ、編集を担当している私の直感でもあります。」
俺はちょっと茶化してみた。
「直感って、外れって事もあるわけですよね。」
「私は本誌に責任を持っているプロの端くれのつもりです。」
「外れは無いと?」
「めったには。」
あ・・・あるんだ。・・・ちょっと間が開いた。
「それから、御同意いただける場合ですが、お2人には、本誌専属になっていただきます。」
「専属って?」
「本誌以外のメディアに出ない事が条件です。」
「どうしてですか?」
「本誌だけのアドバンテージを醸成する必要があるからです。」
「うまく理解できませんが、読者モデルって、そうなんですか。」
「おそらく、本誌特有の条件です。」
「まあ、他に出る事は無いと思います。・・・普通未満ですから。」
長谷さんは苦笑するように微笑んで、
「いえ、それがそうでも無いんです。ご本人にその気が無くても出てしまうことがあります。」
「どういう事ですか?」
「たとえば、1度雑誌に出ますと、たいてい許可無くネットに転載されて、何かといじられます。これも広い意味で別メディアです。」
「それは怖いですね。」
「そういう時は、決して本誌を通さずにコメントや反論をしないようにしてください。自分のブログなどでコメントするのも控えてください。そうすれば、こうした別メディアを本誌の延長として扱えます。プライバシーを保護することもできます。」
「なるほど。」
「いかがでしょう。中西さん。お願いできませんでしょうか?」
「この子達2人がいつも同じ所に居ることを条件にしたら合意していたけますか?」
「どういう事ですか?」
「1人ずつ別々の撮影はしないということです。」
「場合によっては、1人ずつのスナップも撮るとは思いますが、撮影場所には必ず2人で来ていただきます。それでよろしいですか?」
「いいか翔太?」
「うん。いいよね姉ちゃん?」
「うん。それならいいよ。」
「えっ?、お姉さんなんですか?」
「そうです。」
「あら、ごめんなさい。吉村から妹さんだと報告されてましたので。」
吉村さんは一瞬『しまった』という感じの表情を浮かべて、
「すみません。確かに確認してませんでした。」
「俺達、姉弟ですが同学年なんです。姉が4月生まれで、俺が3月の早生まれです。」
「そうでしたか。それと、高校生?ですよね。」
「1年です。」
「それは理想的です。これから3年まで長くやってもらえる。」
「途中で止められないのですか?」
「止められますが、なるべく継続していただきたいです。」
「試験とか部活とかで忙しくなることもあるかなあと思います。」
「それは問題ありません。毎日撮影がある訳ではありませんから、日程は調整できます。」
俺は姉ちゃんを見た。姉ちゃんも微笑んで俺を見た。OKサインだと思った。
「それなら・・・いいよね親父、母さん」
「反対してもやりそうな雰囲気だけど?」
「春香はいいのかしら?」
「うん、翔ちゃんと一緒だから安心だわ!」
「じゃあ、やります。よろしくお願いします。」
「いえいえ、私共こそご承諾頂きましてありがとうございます。」
「いつからですか?」
「御免なさい、早速なんですが、明日時間を作っていただけますか?」
「どう言う事ですか?」
「吉祥寺の私共のスタジオでカメラテストをさせて頂きたいと思います。」
「姉ちゃん明日どぉ?」
「大丈夫よ。」
「実は俺も。」
長谷さんは安心したみたいに微笑んで吉村さんを見た。すると、吉村さんが説明を追加した。
「明日のテスト後、編集者会議でお2人との正式契約の承諾を社内でとります。」
「つまり。契約はその後と言う事ですね。」と親父。
「はい、そうなります。」
「本契約の条件等はわたくし吉村が調整いたしますので、後日確認の連絡をさせて頂きます。」
吉村さんと長谷さんは顔を見合わせて交渉が上手く行ったという満足そうな表情をした。吉村さんが続けた。
「明日のカメラテストの場所ですが、・・・そうだ、お迎えに来ましょうか?」
「何処ですか?」
「吉祥寺の御殿山の弊社のスタジオです。」
「それなら、行けると思います。」
吉村さんは自分の名刺の裏に何やらペンで書いて、
「住所と電話番号はこちらになります。」
と言って俺に差し出した。俺はそれを受け取って、
「後でネットで地図を見てみます。」
吉村さんは長谷さんを見て、それから親父に向いて、
「それでは、本日はこれで失礼させていただきます。」
長谷さんも
「私共の勝手なお願いをご承諾頂きまして、有難うございました。」
と付け加えたた。母さんが、
「こちらこそ、この子達をよろしくお願いします。」
と言ったのに合わせて、吉村さんと長谷さんは立ち上がって、
「はい、わかりました。」
「私共こそよろしくお願いいたします。」
と言って、にこやかに帰って行った。
こうして、俺達姉弟は雑誌の読者モデル『候補』になった。要するに、明日吉祥寺のスタジオでテスト撮影をして、本契約はその後って事らしい。最初から姉ちゃんと俺は半分以上その気だったのだが、たぶん、あの2人も俺達が承諾するまで帰らないタイプの人達だと思う。その後親父はなんか明日のテスト撮影の事について少し心配そうな事を母さんに言いつつ、出勤した。




