3-22 卒業した日(その2)~特別な卒業生~
3月18日金曜日、卒業の日になった。姉ちゃんと俺は8時前に登校して皆と中学最後の日の始まりを楽しんだ。互いに携帯で、スマホで、デジカメで写真を撮り合った。肩を組んだり、ハグしたり、ふざけ合ったり。
8時半前、俺は式次第の確認と言う事で体育館に呼び出された。名前を呼ばれて、演壇に上がって答辞を読むまでの行儀作法の確認だった。8時45分頃教室に戻ると皆は既に1階の廊下に並んだらしく、誰も居なかった。俺は机から答辞の原稿を取り出して上着の内ポケットに入れて、1階に降りて列に並んだ。そして、午前9時、卒業式が始まった。国歌を歌って、来賓の挨拶があって、・・・卒業式は式次第通り厳かに進行した。校歌を歌って、卒業証書が1人ずつ渡された。送辞をもらって、やがて俺の出番がやって来た。
「卒業生代表、中西翔太」
「はい。」
俺はゆっくり歩いて舞台の左袖に行き、先生方や来賓席に会釈して舞台に上がった。国旗に会釈してから演壇に向かい、内ポケットから原稿を取り出した。その原稿を演壇で広げた時なんか違和感があった。場内には静けさが充満している。俺は答辞を始めた。
「PTA会長を始めご来賓の皆様、校長先生を始め教職員の皆様、在校生の皆様、そして、父兄の皆様、本日は私達三鷹台中学3年生の卒業をお祝いくださいましてありがとうございました。・・・思い起こせば3年前、玉川上水の桜が満開で、麗らかな暖かい日に、私たちはこの三鷹台中学に入学しました。あの入学式はもう3年も前の事なのに、まるで昨日の事の様に思い出されます。あの日から私たちは、英語、数学、国語、理科、社会、音楽、美術、技術家庭、体育そしてクラブ活動と沢山の知恵と技を授かりました。手に負えない位の宿題の山、まったく理解できないイデオムや数式、友達や親兄弟との利害や意地の衝突、それらへの取り組み方をひとつ一つ根気よく教えてもらい、克服していくうちに、いつの間にか大抵の事には憶さず立ち向かえる自信を身につけることが出来ました。そして、体育祭、学園祭、臨海学校、修学旅行と多くの行事に参加して、年長者や先輩を敬い、同学年の仲間と力を合わせ、後輩の模範となるような振る舞いを覚えることもできました。自分の事しか考えられなかった幼い私たちをここまで導いてくださいました皆様に心から感謝し、お礼を申し上げます。ありがとうございました。」
ここまで読んで、俺は黙した。次の原稿が見当たらないからだ。心当たりが無い訳でもないが、結局最終確認をしなかった俺のミスだ。会場がざわつき始めるまでに1分もかからなかったと思う。そのざわめきを聴きながら、なんか不思議な事に、丁度良い機会になったのかも知れないと思った。俺は1回深く呼吸をして答辞を続けた。
「ご来賓の皆様、先生、在校生、そして、卒業生と父兄の皆様、私はここから先の原稿を何処かに置き忘れて来てしまいました。申し訳ありません。ですので、ここからはアドリブで続けたいと思います。」
そう言って俺は視線を正面に向けた。
「まだはっきり判って無い事をこの様な晴れがましい所で言うべきではないと言われました。意見や感想には言うべき時と場所があると数日前に教わりました。確かにそう思います。でも僕は、私達は、この事を言わないで、この事に触れないで今日卒業する事は一生母校に後悔を残して行くような気がして、この焦燥感をどうする事もできません。許されない事かもしれませんが、どうか最後のわがままを許してください。」
体育館が静けさと緊張に包まれた。俺はもう1度深い呼吸をした。
「1週間と1日前だったら、これからこの答辞に落ちを入れて、滑って、そしてこの卒業式をみんなと共同で創る愉快な思い出にしたいと思ったと思います。・・・でも、しかし、今はできません。・・・1週間前、大地震がありました。幸い私たちの住んでいる三鷹台には大きな被害は無くて、こうして1人も欠ける事無く今日卒業することが出来ます。でも、あの津波に襲われて、突然未来を失った人が大勢いると聞きます。もう1週間になるのにその人数ははっきりしません。想像をはるかに超える犠牲者だと言われています。それに加えて原子力発電所の爆発と大量の放射能漏れ。テレビであの津波や原発の様子が報じられる度に、僕のこの胸の真ん中に何とも言えない苦しみのような痛みのような気持ちがこみ上がって来ます。出来る事なら今すぐにでもあそこへ行って、助けられる命があれば助けてあげたい。和らげてあげられる痛みがあれば和らげてあげたい。そう思います。でも、一方で、もしそこへ本当に行くことが出来ても、無知で、無力で、何からどうしていいのか、どうする事もできないちっぽけな存在であることも分かっています。虚しくて、悲しくて、自分で自分に腹立たしくなります。」
その時、学年主任の原田先生の声が体育館に響いた。
「中西、お前の気持ちはよく解った。時間が無いから、その話はもうそれ位で切り上げて、早く締めくくれ!」
俺は『先生に嫌がられているのか?』そう思った瞬間、頭の中が白くなって言葉が出なくなった。でも、目は先生を睨んでいた。沈黙と緊張が体育館に充満した。一瞬の静けさが不気味だった。
「中西君の話を最後まで聞きたい。」サチの声がした。
「僕も聞きたい。」マサちゃんの声だ。
「僕も。」順平だ。
「翔ちゃん、続けて!」姉ちゃんだ。
「最後まで!」早苗の声だ。
そして皆が一斉に騒ぎ出した。体育館は騒然となった。
「静かにしろ!」
そう怒鳴った体育の先生の声は誰の耳にも届かず、体育館の高い天井に虚しく消えた。数十秒の後、一瞬訪れた静寂のタイミングに合わせるように、
「中西君、がんばれ!」
父兄席から太い男の人の声がした。サチのお父さんの声だった。その声で俺は我に返った。
「皆さん、聞いてください。」
俺はマイクに口を付けて低めの声で静かに言った。騒々しさが遠のいた。
「僕は今、『何かしたい、どうにかしてあげたい』そういう気持ちで心が一杯なのに、どうする力も無い自分に、虚しさが襲ってきて、胸が張り裂けそうです。でも、だから、僕はこう思います。これから僕等が出来ることは、ひとり1人が進む道で、未来に向かってこの大災害を復興し、いつまでも忘れる事無く伝え、間違っていたことを教訓にして、正しかった事を皆で分かち合って、1歩1歩進む事しか無いと思います。僕らは今すぐは無理かもしれませんが、いずれ社会の一員になります。その時に今日のこの卒業式を思い出して、僕らが背負わなければならなくなった現実から逃げる事無く、悪い運命ならそれを変えて、良い運命ならそれを増大していけるように少しずつでも頑張ることを覚悟して卒業したいと思います。・・・来賓の皆様、教職員の皆様、在校生の皆様、僕達卒業生はたった1週間前に特別な卒業生になってしまいました。でも、それは思っても無かった事ですが、あえて特別になりたいと今は心に決めている人が沢山居ると思います。・・・そうだよなー!みんな!」
『おおー!』
『その通りだー』
『カッケー』
「ありがとう。・・・このみんなの声を以って私達卒業生の答辞に代えさせて頂きたいと思います。本日は本当にありがとうございました。」
俺は正面の父兄席を見詰めて、呼吸を整えて、そして最後の台詞を言った。
「平成23年3月18日、三鷹市立三鷹台中学、卒業生代表、中西翔太。」
一瞬の沈黙の後、体育館が拍手と歓声に包まれた。演壇の下には、原田先生の安堵の顔があった。俺は深くお辞儀をして舞台から降りた。
俺達卒業生は在校生と父兄の拍手とブラバンの演奏とフラッシュに送られて体育館を出て、1度教室に戻った。そして、担任の田中先生と中学最後のお別れをした。先生は1人ずつ名前を呼んで、握手をして、卒業証書を入れる筒を渡した。それを受け取った者は、『ありがとうございました』と言ったり、『お世話になりました』と言って、それから個人的な話をする。我慢できないのか嘘なのか、泣き出す奴も居た。皆一様に別れ難く、なるべく時間をかけた。なぜなら、俺達は同時に寄せ書きの色紙をこっそり回しているのだ。実の所、教壇から見ると見え見えだから先生も判っていたと思う。
「先生。お世話になりました。」
「中西、お前は・・・大きくなったな。この3年間で。」
「はい。175センチになりました。入学の時からは35センチ伸びました。」
「そうか、35センチか。凄いな。身長だけじゃない。立派な答辞だった。感動したよ。」
「あ、有難うございます。」
「原稿はわざと忘れたのか?」
「まあ、そんな感じです。」
「そうか。・・・ことさらにはしないんだな。」
「はい。何かの機会が巡って来るまでは。むしろ感謝してますから。」
「そうか。お前は大物になるかも知れないな。」
「そうなりたいとは思いますが。先生程ではありません。」
「ははは、お前って奴は。じゃあ、『まあな』と言っておこう。」
先生はそう言って手を出した。俺は、
「はい。」
と言って握手した。
全員に筒が行き渡った。クラス委員の女子が色紙を渡し、全員で『有難うございました』を言って、先生が少し涙ぐんで、そして、最後のスピーチだ。
「3年間が終わった。どうだ、色々あったと思うが、済んでしまえばこんな物だ。だけど、お前達は中西が答辞で言ったように特別で立派な卒業生だ。それぞれの目標や夢に向かって『がんはれ!』とエールを送る。それから、ひとつ提案もある。頑張った結果、疲れても、挫けても、へこたれても、それでも良い。息切れしたらその時はそこで休め。人生のゴールはお前達が今感じているよりずっと遠いと思え。だから、ゆっくりになっても良い。ただし、『忙しい』とかという言い訳を使って本心を誤魔化すな。いつでも『人』として何が本当かを思い返す時間と心の余裕を作りながら生きて欲しい。それじゃあ、これでひとまずお別れだ。寄せ書きどうもありがとう。この寄せ書きは私にとっても特別な寄せ書きだ。」
そう言うと、先生は学級委員の田川に目配せした。
「起立!」
俺達はいつもより少しキビキビと立ち上がった。
「礼!」
『有難うございました。』
皆、思いっきりの気持ちでそう言って教室を後にした。
午前11時前、校庭に出ると雲ひとつ無い青空が広がっていた。皆それぞれに校舎を背にして写真を撮っている。今生の別れでもないのに、なんかもう二度と会えない様な気分になってしまうのが不思議だ。しばらくそうして居ると、どのクラスの連中も、先生も校庭に出てきて、俺達は皆半分ふざけて、半分本気で別れを惜しんだ。俺がスマホで庭球部の仲間と別れの写真を撮ってそれを皆に配ったり、逆にもらったりしていると、後ろから、
「翔太!」
とエリに呼び止められた。振り返ると、姉ちゃんも一緒に居る。
「おお。佐野。」
「お別れだね。」
「そうだな。でもまた何処かで出っくわすさ。」
「そうだね。・・・ねえ、春香。」
「なあに?」
「弟くんのボタン貰っていい?」
「う、うん。良いんじゃない!」
「第2はハルちゃんの予約だろうから、私は一番上のを貰うわ!」
「あのなぁ、ボタンは俺の所有物だっての!」
「はやく、前を開けてよ!」
「え?」
「だから、コートの前を開けてよ!」
「へいへい。」
スマホを仕舞って、俺がコートのボタンを外して前を拡げると、エリはいつかの様に俺に異常接近してボタンに手を伸ばした。
「じゃあ、これね。」
俺の第1ボタンは『ブチッ』ともぎ取られた。
「えへへ、貰った。ありがとう。」
「どういたしまして!」
俺がボタンが付いていた痕を撫でていると、内ボタンが落ちた。エリはそれをしゃがんで拾いながら、
「翔太、答辞良かったよ!」
「あ、ありがとう。」
「これも貰っとくわ!、じゃあ、またね。」
「ああ、エリも元気でな。時々また遊ぼうぜ!」
「うん。ハルちゃんまたメールするから。」
エリはそう言って小走りに北門の方に行った。姉ちゃんと俺は並んでエリを見送った。そこへサチの叫び声が背後から近づいて来た。
「あ、居た居た!、翔太くん・・・ありがとーぅ!」
姉ちゃんと俺は振り返った。
「えっ?、何かしたっけ?」
「答辞よかった!」
「あ、ありがとう。」
「あのね・・・」
その時思い出した。父兄席からの声だ。
「あ、サッちゃんのお父さん!」
「わかった!」
「うん。ありがとう。あの激励のおかげで俺、自分に戻れたんだ!」
「そうなの!」
「うん。」
「お父さんがね、私が1番最初に叫んだって喜んでくれたの!」
「そうだったね。」
「お父さんの援護射撃役に立ったんだね!」
「ああ、最高のタイミングだった。」
「そっかー、お父さんがこんなに自慢できるの初めてだわ!」
「うん。俺が『感謝してた』って伝えてくれ。」
「うん。嬉しい。」
「私からもお礼を言うわ!」と姉ちゃん。
「うん、うん。ハルちゃんもありがとう。じゃあまた!」
サチはそう言うと、感動を隠せないみたいで、踊るように北門に走って行った。姉ちゃんと俺はまた並んでサチを見送った。
「姉ちゃんはこれからどうするの?」
「うん。1度帰って、着替えてから行くわ。」
「じゃあ俺も。ボタン無いし。」
俺が歩き出すとすぐ、
「翔ちゃん、校門を出る前に頂戴。」
「何を?」
「だから、それ。」
「あ、ああ。」
姉ちゃんにもボタンを取られた。俺は内ボタンを取って姉ちゃんに渡した。内ボタンが無かったら俺の制服はビリビリに破れていただろう。
「後でネクタイも頂戴ね。」
「へいへい。お好きにどうぞ。」
姉ちゃんは嬉しそうだ。そして、なんか可愛い。3月も中旬だと言うのに、少し寒い。俺はボタンが無い制服にコートを羽織って帰ることになった。卒業証書の筒の蓋を取って『ポン、ポン』と鳴らしながら。
2時間後の1時過ぎ、俺達はカラオケBOX「エコーサウンド」に居た。姉ちゃんも俺も歌があまり上手くない。けど、大騒ぎしても迷惑がられない場所と言えば、ここ位しか思いつかなかった。しかも、卒業祝の『団体ダブル学割』とかで、ずいぶん安くしてもらった。女子共は次々に曲を予約して歌いまくっている。俺達男子は少し引き気味に聴いている。唯1人マサちゃんを除いて。こうして俺達は中学最後の大騒ぎを堪能して帰った。外に出るともう暗かった。




