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姉ちゃんは同級生 ~井の頭の青い空~  作者: 山崎空語
第3章 中学校の頃の俺達 ~特別な卒業生~
33/125

3-17 大地震が来た日(その2)~わたし怖い~

 12時45分頃だったと思う。

俺達は西洋美術館の前庭から元来た人通りの多い舗道に出た。高い立ち木の梢に都会とは思えないくらい青い空が広がって、まだ冬の眩しい木漏れ日が色々な図形になって地面を照らしていた。


「姉ちゃん、さっきのタウンガイド見せてくれない?」

「うん、いいよ。」

俺はタウンガイドの簡単な地図を見た。

建物に番号が振ってあって、その番号を見るとどんな施設なのかが簡単に説明してあった。

「どこ行こっか?」

「うーん。さっきまで水蓮を見る事ばっかり考えてたから・・・。」

「だよね。急に博物館の『日本文化史』ってのもね。」


俺はタウンガイドを両手で拡げて読みながら歩いた。後ろから来る人の邪魔だったかも知れない。もっとも、最近はスマホ歩きしてる人が居るし、ここは観光地だから迷惑がられることも無いだろう。


*****

 そう言えば、昔『二宮金治郎』と言う人が居て、薪を背負って運びながらも本を読んでいたそうだ。本を読むのが大好きだったのだと思う。その結果、大人になって偉人になったそうだ。因果関係を重んじる教えだ。・・・だとすると、携帯やスマホでネット小説を歩きながら読んでる人達はどんな偉人に・・・?

*****


 さて、何処に行こうかと考えていると、姉ちゃんのいい提案が来た。

「ねえ、しばらくこの森を散歩しよっか。」

「い、いいけど、寒くない?」

「ちょっとね。後で遅めの温まる食事しょ!」

「ああ、それが良いね。」


姉ちゃんと俺は何となく動物園の方に向かって歩いた。

金曜日の午後の上野公園はウイークデーだと云うのに、結構人が多くて、

『のんびり散歩』って感じではなく、

人の流れに押される感じだった。

交番がある広場に入ると人の流れがなんとなく膨らんでばらけた。


「姉ちゃん。不忍池に行ってみようか。」

「そうね。どっちに行くの?」

「これ(タウンガイド)によると、左の方。」


 緩やかな下り坂になっている公園の遊歩道を道なりにゆっくり下ると、だんだん人通りが少なくなって、やがて木立の間から不忍池の水面がキラキラ輝いて見え隠れしてきた。

「真ん中の島に行ってみよっか」

「そうね。」


姉ちゃんと俺は坂道の途中を右に曲がって、石段を降りて池の真ん中にある島に向かった。

途中の自販機で、温かいと云うより持つのも困るくらい熱い缶紅茶を買った。

それをコートのポケットに入れて摩りながら歩いた。

そして池の真ん中の島の弁財天の近くのベンチに座った。


そこまで結局15分以上歩いたような気がする。1時を過ぎていた。

「もう飲めるかなあ。」

「フーフーしてあげようか?」

「あのねえ。俺は彩香ですか!」

「あら、嫌なの?」

「ハズいから。」

「はいはい。」


姉ちゃんと俺はハンカチで缶を包んで、リングプルを立てて缶を開けた。まだ充分に熱かった。その熱い紅茶を少しずつすすりながら池の水面を眺めた。水面と言っても、池には蓮が植えてあるらしく、枯れた茶色い蓮の茎が錆びて折れた針の様に水面に林立している。水の透明度は殆ど無いようだ。だけど、汚いという訳ではなく嫌な臭いも無い。冷たく湿った風が吹いて来て寒い。


「テレビだと、ここには鳥が沢山居るって印象だったんだけど、居ないわね。」

「餌の時間じゃね?」

「どこで餌あげるの?」

「さて?」

「もう、いい加減なこと言うんだから。」

「はい。いい加減でした。」

「でも、本当に居ないのね。」

「反対側の動物園の方じゃないかなぁ?」

「そうなの?」

「うん。これ(タウンガイド)によると、鳥専用の島があるみたいだ。」

「後で見てみよ!」

「うん。」


姉ちゃんと俺は丁度いい温かさになった紅茶を飲みながら、水面が乱反射する眩しい早春の陽を浴びた。


「あと1ヶ月もすると暖かくなるのね。」

「そう言えばそうだね。高校生だ。」

「ねえ、またテニスする?」

「いや、今度は文科系やってみたい。」

「どうして?」

「遅れない様にしないと。」

「勉強?」

「うん。」

「体育系でも翔ちゃんならきっと大丈夫だわ。」

「有名選手になる才能無いよ。」

「え、そんな事考えてるの?」

「漠然とだけど。」

「そっか。」

「姉ちゃんは?」

「部活?」

「うん」

「文科系ね・・・どうしよっか。」

「まあ、入学してからでも。」

「そうよね。」


 少し間があった。高校の話が続かないのは、まだ高校生活の事は実感が無いからだと思う。

知らないことが多いし。


俺はまたタウンガイドを開いた。

「俺達が今見ているのは、『蓮池』って言うんだね。」

「あ、それでこんなに枯れ蓮があるのね。」

「レンコン栽培してるのかも。」

「そうかもね。」

「後ろが『鵜の池』って言って、川鵜が住んでるらしい。」

「川鵜って、アユとかを捕る黒いのよね。」

「たぶん。・・・海鵜ってのも居たっけ?」

「居るんじゃない?」

「どっちでもいいや。もうひとつ『ボート池』ってのがこのお堂の向こう側にあるらしい。」

「ボートに乗る?」

「寒いよきっと。」

「そうね。今日はやめといた方が良いわね。」

「さて、ここでクイズ。では、3つの池を合わせて何と言うでしょうか?」

「えぇー、わかんないよ。」

「へへへ、『しのばずのいけ』と言います。」

「なぁんだ。翔ちゃんの『なんちゃ』クイズだったのね。」

「ハイ『なんちゃって』です。」


 姉ちゃんと俺は2時過ぎまで不忍池の周回歩道を歩いた。そんなに沢山ではなかったが、鳥の姿も見た。自慢できない事だが、何という名の鳥かはわからない。とにかく、一見して『鳥』だった。俺達はなんか体が冷えたらしく2回もトイレに寄った。それから、上野公園に戻って森に囲まれたレストランに入った。その頃にはもう食事の人の列は無くなっていて、窓際の席に座れた。レザー張りの大きめの椅子が気持ち良い。

 スープたっぷりの温かいパスタを食べた。姉ちゃんと俺は、食後のデザートのつもりで、ショートケーキと、姉ちゃんはいつも母さんがする様に紅茶を、俺は親父の真似でホットコーヒーを注文した。


「お腹が膨れると暖かくなるね。」

「そうね。なんかホッとしたわ。」

「ククク・・・おやじギャグだ!」

「えっ? あ、そんなつもりで言ったんじゃないから。」

「解ってますって。」


お腹が膨らんだので周囲の状況を観察するゆとりが出た。姉ちゃんも例外ではないようだ。


「奥の壁の写真は上野の森の四季なのね。」

「うん。そうだね。・・・一番左のお寺みたいなのもそうかなあ?」

「あれ、ここの東照宮よ。牡丹の花で有名っていつかネットで見たわ。」

「まさか、東照宮は日光でしょ?」

「それが上野にもあるのよ。」

出店(でみせ)?」

「まあ、そんなところじゃない!」

「そう言えば、タウンガイドにお墓が出てた。」

「動物園の方でしょ!」

「確か。」

「後で行ってみたいね。」

「入れるの?」

「どうかしら。行ってみればわかるわ!」

「だね。」


そう言った時だ。たぶん2時45分過ぎ。

  『ズン』

というお腹に響くような異様で不気味な音がした。

本当に嫌な音だった。

そして床が揺れ始めた。

揺れると言うより、遊園地のコーヒーカップの様に、滑って動く感じだった。

床が傾いていたら低い方に滑って転んだに違いない。


「あ、地震だ!」

「翔ちゃん、大きいよ!」

「大きいね。」


壁に掛けてある写真のパネルが左右に揺れた。

天井から下がっている丸い照明が一斉に同じ揺れ方をした。

その揺れがブランコを漕ぐようにだんだん大きくなって、何処かへ飛んで行きそうに思えた。

10秒ほど経ったと思う。その間、言葉が出なかった。


「もう終わるよね。」と姉ちゃんが心配そうに言った。


いつもならそうだけど、この日の地震は終わらない。一層大きな揺れがやって来た。

ミシッ、ミシッっと音がして建物が揺れた。

写真が張ってあるパネルが壁に当たって、タン、タン、と音を立てた。


「翔ちゃん・・・わたし怖い・・・」

「うん。これは凄い。」

俺もどうしていいか解らない。足がすくんでテーブルを両手で持って体を支えるだけだ。

「怖いよぅ・・・どうしよう。」


姉ちゃんはしゃがみ込んでテーブルの足にしがみ付いた。揺れはまだ続いている。

建物のあちこちからガタン、ガタンと音がしてくる。テーブルとイスが少し床を滑る。

何かが倒れるような音もする。

俺は辺りを見渡したが、そこに居る人たちは皆呆然としていたりしゃがみ込んでいたりだ。

飲みかけのコーヒーがテーブルにこぼれた。

俺は傍の大きなガラス窓から離れて建物の中心近くの太そうな柱の傍に行くべきだと思った。

そして、俺もしゃがんで姉ちゃんを右腕で抱えた。


「姉ちゃん、立てる?・・・あそこの柱の傍に行こう。」

「うん。崩れたりしないよね。」

「わからない。けど、大丈夫だと思う。」


姉ちゃんの肩を抱えて、俺は建物の内側の柱に這うようにして移動した。

俺にしがみ付いた姉ちゃんが震えているのがわかった。

建物もまだギシギシと軋む音を立てている。


「姉ちゃん、大丈夫だ。まだガラスが割れる音がしない。」

「どう言う事?」

「本当にヤバい時には、いちばん最初に壊れやすい窓ガラスが割れると思うんだ。だから、ガラスが割れる音がし始めたらここから逃げた方がいいけど、それまではたぶん大丈夫だ。」

「それなら、まだ大丈夫ね。」


口から出まかせのいい加減な解説も効果がある事もある。姉ちゃんが落ち着きを取り戻した。

天井の辺りから梁に積もった埃だろうか、白い粉のようなものがちらほら降って来た。

姉ちゃんをかばう様に抱えて、天井を見上げて、屋根が落ちるかも知れないと思っていると、

・・・揺れが小さくなって・・・そして止んだ。

さっきまで同じように揺れていた照明がバラバラに勝手に揺れて、やがてそれも止まった。

ものすごく長く感じたけど、5分もは続かなかったと思う。


「あぁあ、終わったみたいだ。」

「よかったー・・・怖かったー。」


姉ちゃんと俺は太い柱の根元に抱え合ってしゃがんだまま辺りを見回した。

そして見詰め合った。姉ちゃんは涙目になっていた。


「私、怖かったー。ここで死んじゃうのかと思った。」

「俺も。どうしていいか判らなかった。屋根が崩れたらテーブルの下に潜ったって意味無いよね。」


姉ちゃんと俺はゆっくり立ち上がった。

周りの人達も少しずつ立ち上がって周囲を見回している。


俺のすぐ横に居た小父さんが、

「大きかったですね。東京の地震は凄いですね。」

「俺もこんなの初めてです。・・・東京の方では無いのですか?」

「ええ、昼過ぎに仙台から来ました。夕方から仕事ですので、ここで時間をつぶしてます。」

「そうですか。」


その時、カウンターの中から店の、たぶんマスターが大声で呼びかけた。

「お客様、お怪我はございませんか?」

数人の人が、『大丈夫です』と答えた。実際、このレストランでは怪我人は居なかった。

「お食事の途中のお客様、当レストランの建物は最新の耐震設計をして御座います。震度7でも倒壊することは御座いません。どうぞご安心ください。なお、お食事がこぼれたり中に埃が落ちてきていると思われますので、順に代わりのお食事をご用意いたしますので、今しばらくお席の方でお待ちください。」


姉ちゃんと俺は元の席に戻った。テーブルと椅子が元の位置から数センチずれていたので、自分たちで元に戻した。周りの人達も元の席に戻った人はそうしていた。もちろん、代わりの食事を断って帰る人たちも結構居た。


「翔ちゃん、お水もらって来るね。」

「うん。」


俺の食べかけのケーキにも確かに埃がかかっていた。姉ちゃんの紅茶はサーバーに残っているのはたぶん大丈夫だけど、カップには埃がついていた。俺は姉ちゃんと俺の椅子の埃とこぼれたコーヒーをおしぼりでふき取って座った。


 ふと外を見ると、たぶん、動物園から出て来た人達だろう、大勢の人達が駅の方向に隊列を作って歩いているのが見えた。それで気が付いて、俺は今の地震の情報を見るつもりでスマホを立ちあげた。・・・けど、ネットには繋がらなかった。たぶん、この辺りの皆がネットにアクセスしているからだろう。今度は、母さんや彩香が心配になって、携帯に電話してみた。繋がらなかった。仕方無く家電にかけてみた。042までで、『ただ今電話が繋がりにくくなっています・・・』というアナウンスになった。

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