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姉ちゃんは同級生 ~井の頭の青い空~  作者: 山崎空語
第3章 中学校の頃の俺達 ~特別な卒業生~
28/125

3-12 姉ちゃんをハグした日

 『俺は本当に気まぐれで庭球部に入部した。』と格好付けて言いたいのだが、本当は姉ちゃんが女子庭球部に入ったからだ。順平はナツ(清田奈津子)を追っかけて俺より先に入部した。この2人の『入部動機が不純』だって事は口が裂けても言えない情けない秘密だ。

 1年のうちは練習の大半がランニングと球拾いで、ラケットは素振り(基礎練習)のためだけにあるようなものだ。ガットなんか張ってなくても十分に役に立つ。だから、順平の提案で、東八道路にあるスポーツ店の入り口で投げ売りされていた重めのウッドラケットを素振り用に買った。

 2年になると、先輩や顧問の先生に決めてもらったパートナーとペアを組む。まあ、先輩達は良く見ていて、仲が悪い者同士でペアになることは無いが、相手が下手だと、不満が出ることもある。そして、秋の大会に向けてレギュラーが指名される。順平と俺はそのレギュラーになった。レギュラーと補欠(サブ)が指名されると、それ以外の連中は徐々に練習に出てこなくなり、コートを使う練習は時間が余るほどできるようになる。上手下手はこの時点でほぼ問題なくなる。

 3年の引退と同時に、順平が部長になり、俺はチームエース・・・と云うより、ムードメーカーと言われるようになった。俺達、入部の動機はともかく、今はお互いに頼れるパートナーだ。幼馴染で、ライバルで、ウザくて、面倒くさくて、良い奴で、お互い仕方なく親友だと思っている。順平とシングルで戦ったら、タイブレークの末、おそらくあいつが勝つだろう。


・・・そして俺たちは3年になった。


 武蔵野市のごみセンターの裏に木立に囲まれながらも土ほこりが立つテニスコートがある。吉祥寺駅か三鷹駅の北口からバスに乗って、市役所前かプール前で降りる。空に溶け込むような色に塗られた大きくて四角くて高い煙突があるから、道に迷うことなくごみセンターまでは行ける。

 ごみセンターの門の右横には空気が綺麗かどうかが表示されている掲示板がある。順平が言うには、NOxとかSOxとかが検出されて無ければ、試合で思いっきり息をしても死なないらしい。そこを通る時にはたいていチェックしてしまう。もっとも、息苦しさを感じたことは1度もない。

 5月の地区予選は連休明けに大抵ここで開催される。だから、連休は毎年練習漬けだった。すべてダブルスで個人戦は上位3ペア、団体戦は優勝チームだけが都大会に進むことができる。その日は接戦が多く、昼を過ぎたので、団体戦の決勝戦の3ペア分の試合が午後になった。個人戦を先にやるってことは、俺達が次で負ける事がかなり期待されているってか前提かも知れない。


女子キャプテンのナツが声をかけてきた。

「おい、男子。どうしたのよ2連敗なんて。シャキッとしてよ。『翔太』はハルちゃんと一緒に都大会に行くんでしょ!」

「無理。」

「どうしてよ!」

「あとは俺達と2年が2チームだから。大会本部もそれを期待している。」

「ダーメ! あなた達は絶対勝つとして、今年の2年は強いから気合を入れれば大丈夫よ!」

「テニスは気合にあらず。ストラテジーとテクニック。」

と順平がまた知った風な余計な事を言った。するとナツが真顔になった。

「高野君!」

「な、何でしょう? 奈津子様!」

ナツは順平を真っ直ぐ見つめて、こう言った。

「やる気、出せ、順平!」

「ハイッ。今、目が覚めました。」

「・・・・・なるほど。そうか、その手があったか。」と俺。

「何かいい手があるのか?」と順平。

「あとで交渉してみる。」

「なんだーぁ?交渉?」


ナツと俺は女子チームの方に歩きながら話を続けた。


「翔ちゃん、次は何時から?」

「予定では1時からなんだが、かなり押してる。」

「じゃあ、今のうちに弁当食べたほうがいいね。」

「だね。ところで、ナツちゃんに相談があるんだけど。」

「なに?」

「女子は優勝で都大会決定だろ?」

「まあね。ハルちゃんが出てたら全勝だったかもね。」

「え?エリ&ユミペア、結構勝ってたよね?」

「今日のエリちゃんはハルちゃんの代役じゃないよ。」


女子チームの輪に到着した。


「でだ。問題の後輩達の元気とやる気を引き出すために、ひと役買ってくれ!」

「何をすればいいの?」

「ハグしてやってくれないか?3年女子!」

ナツは真面目な女子だ。だから、びっくりして、目をまんまるにして、

「バカか!そんなことが出来るか!ドスケベ!」

この結果は予想していた。ダメ元だったのである。

「順平は『見詰められただけで目が覚めた』・・・と思ったんだけどね。」


 エリは元々可愛い顔立ちをしているのに、最近眼鏡(メガネ)をかける様になった。なぜか理由は解らないが、萌え系を覚醒したのだそうだ。何より中学生とは思えない均整がとれたプロポで密かに憧れている男子も多い。補欠(サブ)なんだが、今日は姉ちゃんが風邪で動けないので試合に出ている。午前中に姉ちゃんのパートナーのユミと組んで大活躍していた。


そのエリとユミが近づいてきて、エリが言った。

「どうかした?中西君。」

「いや、べ、べつに。・・・何でもない。」

「中西って、ハルちゃんが居なかったらただのスケベ男子だね。」

「さっきの事はもう忘れてくれ。」

「・・・いいよ!やったげる。」とエリ。

「私も。」

なんか裏がありそうだ。でもこういうのに弱い俺は期待した。

「まじ?」

エリの方が積極的だ。

「その代わり・・・あっ、勝ったらって事にしよう。」

「ええー、勝ったらかぁー。うーん。」


ムードを変えるには試合前の方がいいような気がする。そこんとこをさらに交渉するかどうか考えていると、エリは少し上体を曲げて、首をかしげ、上目遣いに俺を見上げながら、


「どうする? 私のハグだよー・・・」

「うーっ。・・・オッス。頼む。」

「うん。それで良し。」


こいつ小悪魔だ。それに抗えない俺も俺だ。・・・だがとにかく、これは後輩たちが喜ばないはずはない。敗戦ムードから脱却できそうだ。


俺は男子チームに走って帰って、

「おーい。2年。勝ったら先輩女子がハグしてくれるってよー!」

「マジすかー!」

「よっしゃー!」

案の定だ。

だが1人、2年のまとめ役で来年の部長と目されている、アキラ(山口明)が口を尖らせた。

「まずは先輩が次絶対勝ってくださいね。」

少しプライドを傷つけられた俺は、

「ハグは要らないと?」

「要るに決まってるじゃあないですか。でも、俺達は都大会行きたいっす。」

どうやらアキラには悪気は無いようだ。

「そんなに怒るなよ!」

「先輩達は秋にもう出てるからいいかも知れませんが・・・。」

「わ、わかってるよ。がんばるよ。」

順平が呆れ顔で、

「あーあ。後輩にハッパかけられるって、どうよ!」

すると、すでに負けた3年4人が、

「すまない。」

「うーん、悲しい。」

「何も言えね。」

「立場が無い。」

「帰ったら、3年はまず反省会だ。」と順平。

「次の試合まで2時間くらいありそうだから、みんな今のうちに弁当食べとけ!」と俺。


しかし、次の発言で、アキラが俺と同じような「妄想」をする奴だとわかった。


「ところで先輩!」

「なんだ?」

「・・・ハグしてくれる先輩は選べるんすかねえ?」

「さあ、そこまでは。・・・とにかく、がんばろう。」


俺はザックを置いた所へ行って弁当と凍らせたペットボトルを取り出した。

そこへエリがやってきた。

「中西君、私の弁当少し余ってる。食べていいよ。」

「佐野、色々ありがとう。」

エリは意味ありげな笑みを浮かべて、

「・・・ねえ、ハルちゃんが居ないと寂しくない?」

「なんで?」

・・・こいつ絶対なんか企んでいる。

「なんかそんな気がしただけ。というか・・・」

「なんだよ」

エリがくっついて来た。

「お、おい。・・・ち、近いよ。」

「ねえ、勝ってよ!」

と言ってハグした。

そこへナツが目を三角にしてやってきた。

「こら、そこの二人! 何やってんの!」

エリのやつ悪びれる様子もなく、

「うん。中西君に元気あげてたの!」


俺は極度に狼狽していた。


「が、がんばるよ!」

「中西真っ赤。がんばってね。」とエリ。

エリとナツは帰りながら、

「エリちゃん、だめだよ! ハルは・・・」

「わかってるって、でも私はハルちゃんの次なんだよ!」

「どういう事?」

「へへへ、ちょっとね。」


 俺達、三鷹市立三鷹台中の都大会へのアベック出場が決まったのは、もう7時半をまわって、かなり暗くなっていた。アキラのウイニングスマッシュが相手コートに突き刺さった時には、照明に照らされて、ボールの影が4つある状態だった。綺麗に決まった。女子と男子みんながこの劇的な逆転勝利を抱き合って喜んだのは自然な流れだった。期せずして、約束は十二分に果たされたのである。


・・・・・


その日の夕食後の事だ。俺は姉ちゃんの部屋をノックした。

「姉ちゃん、入っていい?」

「いいよ!」

姉ちゃんはベッドに上体を起こして、もう熱さましもしてなくて、気分良さそうだ。

「具合どう?」

「2日寝たから、もうすっかり治っちゃった。」

「良かった。・・・エリちゃん大活躍で女子優勝したよ!」

「翔ちゃんも優勝おめでとう。頑張ったね。」


そうか、ナツかユミから報告入ってるんだ。

おれは姉ちゃんの部屋の真ん中付近に立ったまま話を続けた。


「ああ。危なかったけどね。結果オーライってことで。」

「ちょっとボケてるけど、翔ちゃんの恰好いいリターンエースの写メ、ナツちゃんにもらったよ。」

「ああ、女子も最後まで付き合ってくれたんだ。」

「都大会も頑張ろうね。」

「うん。明日から少しディフェンスワーク調整しないとね。」


俺はベッドに向かってカーペットに座った。

姉ちゃんは俺をまじまじと見つめた。・・・この見つめられ方はこれまでにも何度か経験している。一瞬背筋に寒気を感じた。嫌な予感ってやつだ。


「試合以外でも大活躍だったんだって?・・・エリちゃんに聞いたよ!」

「えっ! ど、どんな?」

「つまり、自覚あるんだ。」

「こ、声が怖いけど。」

「気のせいだよ。・・・エリちゃんからどんな元気もらったの?」


あいつ。本当に小悪魔だ!


「それが・・・突然だったから・・・ごめん。」

「怒ってなんかないよ!」

「だから、ごめん。」

「なんで謝るの? そのおかげで優勝できたんだよね。」

「そう、だと、思うんですけど・・・」


ちょっと間があった。

その間俺は、姉ちゃんが居ない所で、てか、居ないから余計に、はしゃぎ過ぎたかも知れないと反省した。だから、ちゃんと謝ろうとしたが、姉ちゃんが先に口を開いた。


「この何日かで、私だけなんか取り残されちゃった気がするの。」

「そんなことないよ。ナツちゃんは姉ちゃんが出てたら全勝だったって言ってたぜ!」

「そうかしら!」

「きっとそうさ!」


一瞬の間があった。


「・・・ねえ翔ちゃん。翔ちゃんが試合してる頃、私も風邪と戦ってたんだよ!」

「そうだね。その通りだね。姉ちゃんも頑張った。」


何が言いたいのだろう? ・・・なんか脈絡が強引なような・・・

これは注意しないとかなり危険な状況の予感がする。


「・・・優勝が決まった時みんなどうしたの?」

「それはもう嬉しくて・・・」


そう言ったとき、俺は姉ちゃんが言いたいことが解ったような気がした。

だから、立ち上げってベッドに近づいて、それからベットに斜めに座って、


・・・姉ちゃんをハグした。


「ごめん。俺、姉ちゃんが居ない所ではしゃぎ過ぎた。」

「そうじゃないの。ごめんね・・・わたしのわがままだったわ!」

「姉ちゃんのわがままだったら大歓迎さ!」

「ほんと?」

「俺、姉ちゃんを1人で置いてきぼりになんかしないから。」

「・・・ありがとう、翔ちゃん。」

姉ちゃんの目に涙が光ったような気がした。

久しぶりに姉ちゃんの体温を感じた。なんかものすごく恥ずかった。そして嬉しかった。

「おやすみ、姉ちゃん。」

「おやすみ、翔ちゃん。」


姉ちゃんの部屋を出て、振り返って引き戸を閉めた時、姉ちゃんが首をかしげて俺を見送っていた。ものすごく可愛いと思った。

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