6-4 合宿参加を取り下げた日(その2)~抱き締めれた~
俺とユウ(戸上裕也)は玄関脇の自販機で缶コーヒーを買って4階の談話室に入った。5時過ぎだった。いつもの様に談話室には誰も居なくて、俺達が入ると人感センサーが作動して電灯が点き、せせらぎと小鳥の囀りが部屋中に木霊す様に響いて、森の中に入った様な感覚になる音が流れ始めた。俺達は奥の右側の小部屋に入った。
「けっこう日が長くなったね。」
「そうですね。」
俺が奥の窓側に座り、ユウが俺の正面に座った。そして2人共缶コーヒーのリングプルを引き上げた。談話室に『カコン』という缶コーヒーを開けた音が響いた。まあ、大人だったら缶ビールを開けるってところだ。俺もユウもそれを1口飲んで、ローテーブルに置いた。俺が口火を切った。
「相談事って?」
「すみません、思いっきり個人的な事なんです。」
「それは俺がなんとか出来そうな事か?」
「先輩に何とかしてもらうとか云うんじゃ無くて、教えて貰いたい事があります。」
「わかった。なんか、探り合いみたいなのは止そうか!」
「はい。」
俺とユウは1度笑顔で視線を交わしてからまた1口コーヒーを飲んだ。
「相談したい理由にもなると思いますので、ちょっと僕の家庭の事情を聞いてください。あ、嫌だったらそう言ってください。止めますから。」
「わかった。だけど、それを聞く前に了解してもらいたいんだけど、姉ちゃんに話しても良いか? こうして相談に乗っていることを知ってる訳だし。」
「はい。分りました。でも春香さん止まりにして頂けませんか?」
「それは大丈夫だ。姉ちゃんは信用できるから。」
「はい。僕もそう思います。」
俺は顔を上げて缶コーヒーを大きく1口飲んだ。そして、ユウが抱えている、かなり深刻な問題に巻き込まれる覚悟を決めた。少し上に向けた首を元に戻してユウを見ると、ユウもコーヒーをゴクリと飲んで缶をローテーブルに置いた。今度はユウが話し始めた。
「僕には血の繋がってない妹がいます。」
「それはひょっとして麻耶ちゃんの事?」
「はい。」
「そっか・・・マヤちゃんは確か教律学園の中等部だったね。」
「はい。3年生です。」
「そっか、短大までエスカレーターだ。」
「それが、高等部に行かないとか言い出して。」
「どうして?」
「中卒で働くって。」
「なんか訳ありだね。」
「最近、自分が両親の本当の子供じゃない事を知ったみたいなんです。」
「養女なんだね。」
「はい。子供の頃、父の遠縁の夫婦が離婚してその子供を引き取ったとか聞きました。」
「それを最近知ったと言う事か。ショックだったろうね。」
「妹は何も言わないで1人で悩んでいるみたいで・・・」
「はっきり本人に聞いたのか?」
「いえ、何となく。」
「つまり、困り事と言うのはその事なんだね。」
「それだけじゃ無くて・・・実はストーカーが居るみたいなんです。」
「マヤちゃんに?」
「はい。」
「それは大変だ! それが本当なら相談相手が違う。警察に相談しなくちゃ!」
「いえ、命の危険性は無いと思うんです。」
「どう云う事?」
「おばさんなんです。ストーカー。」
「ひょっとしてそれは。」
「たぶん、実の母親じゃないかと。」
「だけど、どうしてそのおばさんにストークされてるって判ったんだ?」
「2月の初め頃、妹に相談されて。」
「ストークされてるって?」
「まあそうですが『誰かに見張られてる気がする』って。」
「ふう~ん。」
「それで、時々僕がマヤの通学路を見張って、3月の終わりに突き止めたんです。」
「なるほど。」
「たぶん、最近そのおばさんに何か言われて、自分の事が分かったんじゃないかと思うんです。」
「そうかもな。だけど、はっきり聞いた訳じゃ無いんだろ?」
「聞けないですよ、そんな事。」
少し沈黙が流れた。
「つまりユウがしたい事は、ストーカーを撃退してマヤちゃんを高等部に行かせる事だね。」
「まあそうなんですけど、僕が先輩に相談したいのは、妹にどう接したら良いか教えて欲しいんです。」
「妹との接し方かぁ・・・兄妹なんだろ?」
「はい。」
「なら、兄貴として接するしかないんじゃないか?」
「それが上手く出来ないんです。核心に触れる会話が出来ないんです。」
また少し沈黙が流れた。俺とユウは缶コーヒーを飲んで、ほぼ空になった缶をテーブルに置いた。談話室の天井に小川のせせらぎと小鳥の囀りが響いて、目をつぶるとものすごく広い樹海に迷い込んだみたいな感覚だった。
「ユウは何でこの話を俺にしようと思った?」
「気を悪くしないで欲しいんですけど。」
「何となく判るけど、一応確認したい。」
「それでは、遠慮しないで言います。」
「うん。」
「翔太先輩と春香先輩とは血縁じゃないって聞きました。」
「そっか。やっぱりな。」
「だけど、何でも話し合って仲良しじゃぁないですか。」
「そうだね。」
「どうしたらそうできるのか教えて欲しいんです。」
俺は考え込んだ。姉ちゃんと俺が仲良しなのは『姉弟以上恋人未満』を互いに認め合っているからだ。言葉だけじゃ無く、ハグもするし、時々夜を共にする。アレは無しだが。そういう関係をユウとマヤちゃんに今直ぐ求めるのはかなりムズイだろう。でも、兄妹なら、そういう、互いに好きで自然に労わり合える関係をいつか築けるのが良いと思う。だとすると、その前に何でも話し合えないとそこへは辿り着けないはずだ。何でも話し合えるには、やっぱこれしか無いと思う。血縁がどうとかじゃ無く。俺は深呼吸をして話を進めた。
「ユウはマヤちゃんがカワイイか?」
「僕の妹がそんなに可愛いはずがありません。」
「あのなあ、冗談言ってる場合か? マヤちゃんがツンデレだとは思えないけど?」
「すみません。かなりハズいですけど、正直に言うと・・・可愛いです。」
「じゃあ、好きか?」
「えっ! それはつまり・・・」
「家族としてサ!」
「好きか嫌いかと問われれば・・・好きです。」
「大好きか?」
「えぇっ?」
「普通に好きか、大好きか?」
「どう言って良いかわかりません。」
「俺はね、姉ちゃんが大好きだ。無条件で。姉ちゃんも俺が大好きだって言ってくれる。もちろん妹の彩香も大好きだ。」
「先輩が言いたい事が良く解りません。」
「そうだね。直ぐには解らないだろうね。」
「大好きって・・・好きの大小関係って・・・どういう事ですか?」
「そうだなぁ、説明ムズいけど、自分と同じって事さ。切っても切れないと言うか。」
「益々解りません。」
「人格ってか、意識と肉体が別なだけで、お互いの・・・何て言うか・・・自我の有る所が同じだって思える事さ。」
「良く解りませんが、それは血縁だったら言える事では?」
「血縁だとそうなり易いかもだけど、血縁じゃ無くてもそうなる位に好きになればいい。それが『大好き』なんだと思う。」
「自我が同じ?・・・出来ませんよ、そんなの!」
「だろうね。即には出来ないよね。」
なんか上手く言えてない気がする。でも何とかして判って欲しいと思う。そうしないとユウの背中を押す事にならないからだ。
「俺は意識した事は無いけど、姉ちゃんと俺もこうなるまでには何年もかかったと思う。色々あったし。」
「僕と妹にはもう時間が無いし、そういうのやっぱり無理みたいです。」
また少し沈黙が流れた。俺はどう言えば解ってもらえるかと言葉を探した。
「そっか・・・それじゃあ、ユウ、良いか?」
「な、何ですか?」
「覚悟を決めろ! マヤちゃんを何があっても好きで居るって。」
「はい、そう言う事なら分ります。だけど、マヤがどう思うか。」
「今は1方的で良い。まずシスコンになれば良い。」
「えぇ~!」
「その覚悟があれば何でも話しかけれるし、聞ける筈だろ?」
「そうかも知れませんが、マヤは迷惑がると思います。」
「ウザがられてもサ!」
「出来ますかねえ、僕に!」
「たとえ、世界中を敵にしてもマヤちゃんの味方で好きでいて守ってあげる!・・・その覚悟を決める事だ。そして、その気持ちを真っ直ぐマヤちゃんに伝える。何度ウザがられても繰り返して伝える。言葉と態度で。つまり、そうだな・・・バカ兄貴になれ!」
「出来るかどうか不安というか自信無いです。」
「まずはそこから始める。ユウがまず最初に『アガク』のが重要だ。」
少しまた沈黙の時間が流れた。
「精神論的にはなんか解ったような気がします。ですが・・・それで、僕は具体的にはどうすれば良いですか?」
「そうだな・・・まず、マヤちゃんが好きで、どんな事があっても味方になるし、全面的に頼って欲しいと言う気持ちを言葉と態度で伝える。ウザがられても、伝わったと思えるまで。」
「分りました。でもすみません、どうなったら伝わったと判りますか?」
「それはケースバイケースさ。マヤちゃんの反応を察すれば解るって。」
「はい、判りました。自信はありませんがそうします。」
「その次に、まだ誰かに見張られているか、両親には相談したかを確認する。」
「はい。」
「いいか、この確認は、ユウの気持ちをがマヤちゃんが受け入れてくれてからじゃないと、逆に信用を失って、きっと反発されるからね。」
「はい。」
「最後に、どうして高等部に行かないのか、その理由を聞く。血のつながりを気にしているんだったら、それは間違ってる。『気にするな』と言ってあげる。最悪、たとえユウがバイトしてでも学費は何とかするって言ってあげるんだ。」
「それは無理じゃないですか?」
俺は少し語気が荒くなった。
「無理とか言う位の、その程度の覚悟で妹を守れるとか思うな! 好きだったらそれ位覚悟しろよ!」
「は、はい。」
「ごめん、少し熱くなった。でもいいか! 俺は干渉しないのが良い兄貴ってか家族じゃ無いと思う。思いっきり干渉しろ。ただし、本人になった積りでな! 怒ったり叱ったりしてしまったら、それはまだマヤちゃんの気持ちに寄り添えてない。たぶん信じ切れてないんだ。」
「寄り添うなんて事、僕に出来るでしょうか?」
「良いか! 1度縁を結んだ家族ってのは、枝と葉が独立してるだけで、見てる物や感じる風は違っても、同じ幹に繋がっていて、同じ根っこで生きてる。特にキョウダイは。・・・だから、ユウはマヤちゃんを気持ちで抱きしめる事だ。できれば本当に抱きしめてあげられれば良い。そして『僕に任せろ』って言ってあげる事だ。」
「はい。解りました。その積りで思い切って話してみます。」
「うん。それが良い。とにかく、ユウは何があってもマヤちゃんの味方になってあげる事だ。」
「はい。」
話はまとまった気がした。俺とユウは笑顔で見詰め合って、完全に冷たくなったコーヒーの缶を手に取った。飲み干す積りで口に運んで頭を反らせたが、残りはもう無かった。見るとユウも同じ状況だった。俺とユウは談話室を出てユウは放送室に戻り、俺は下校した。
その日の夜9時半頃、俺と彩香は姉ちゃんの部屋に居た。3人共いつものパジャマを着ている。姉ちゃんは風呂から出たところで、例によってベッドに腰掛けてタオルで包むようにして髪を乾かしている。彩香はさっきまで学校や友達の事を一方的に喋っていたが、今は部屋の真ん中に座った俺の胡坐の中で眠ってしまっている。幼稚園からの友達のナオちゃんと同じクラスになれて嬉しいらしい。2人で学校の探検や冒険をし始めているのだろう。それにしても、相変わらず可愛い寝顔だ。俺は優しく髪を撫でながら、その寝顔を堪能した。
「サヤは今が1番楽しいんだろうね。」
「そうね。可愛い寝顔だわ!」
「俺達の1年は喧嘩で始まったっけ。」
「そうだわ、翔ちゃんと順平君が剛君と喧嘩してた。」
「そういえば姉ちゃんが剛を突き倒したっけ。」
「あら、そんな事したかしら。」
「あの頃の姉ちゃんは誰よりも強かった。」
「あら、今でもよ!」
「確かに。」
姉ちゃんと俺は顔を見合わせて微笑んだ。
「・・・ねえ、聞かないの?」
「聞いていいの?」
「うん。ユウには、姉ちゃん限りって事で了解をもらった。」
「ありがとう。じゃあ聞きたいわ!」
俺はユウの相談事と俺の応答について姉ちゃんに何も加えずにそのまま伝えた。姉ちゃんは何度か頷きながら黙って聴いてくれた。その話が終わった頃、母さんが入って来た。
「サヤちゃんは居るかしら。」
「うん、ここに。」
「あらら・・・やっぱりもう寝ちゃったのね。」
「うん。」
「じゃあ連れて行くわ!」
例によって母さんが彩香を抱くと彩香は母さんにたぶん無意識に抱き着いた。母さんは重そうに彩香を抱えて出て行った。姉ちゃんと俺は笑顔で母さんを見送った。俺は母さんが階段を下りて見えなくなってから姉ちゃんの部屋の入り口の引き戸を閉めた。そして振り返ると姉ちゃんが俺を見詰めていた。
「翔ちゃん、こっち来ない?」
「うん。」
俺はベッドに腰掛けた。そして、姉ちゃんからブラシを受け取って、姉ちゃんの後ろ髪を梳いた。
「翔ちゃんは凄いね。」
「どういう事?」
「ユウ君のアドバイス。」
「あれで良かったかなあ?」
「良いと思うわ! 何でも話し合えないと兄妹にはなれないもの。」
「だよね。ありがとう姉ちゃん。」
「私、あの時、翔ちゃんと話が出来なくなったら、とってもキツかったわ。」
「だったね。俺は全身の力が抜けたし。」
「そうだったの?」
「うん。」
「・・・大好きよ、翔ちゃん。」
「俺も姉ちゃんが大好きだ。」
姉ちゃんと俺は見詰め合って、それから抱き合って、そして・・・キスをした。少し深くて長いキスをした。それから、姉ちゃんは俺の左胸に頭を傾げて着けて、俺は姉ちゃんの肩を抱いて、暫らく黙ったままベッドに並んで座って、お互いの気持ちを確かめ合った。
「今夜はここに泊まって行くでしょ?」
「うん、そうする。けど、その前にスマホ取って来る。」
「枕もね。」
「うん。」
俺は立ち上がって、スマホと枕を取って来た。俺が姉ちゃんの部屋に戻ると、姉ちゃんはベッドの奥側に寝そべっていて、明りはベッドサイドのスタンドだけになっていた。
「お邪魔します。」
「うん。良いよ。」
俺は姉ちゃんの右横に寝そべった。そしてスマホを点けてメールをチェックした。
「あれ? ユウからメールが来てる。」
「上手くいったかなあ?」
「あぁっ!」
「どうしたの?」
「麻耶ちゃんを抱き締めれたって!」
「ほんと! すご~い!」
「えっ?・・・新しい相談事が出来たので、明日の午後、妹と2人でお邪魔したい・・・って。」
「どういう事?」
「お邪魔したいって。我家かなあ?」
「でも、そうよね。」
「まあ、リビングで良いよね。」
「駄目よ、翔ちゃんの部屋が良いわ!」
「じゃあ片付けないと。」
「掃除もしないとね。」
「あのぉ、手伝ってください。」
「仕方ないわね。」
「有難うございまする。」
「いつかみたいに、埃を立てるのは止めてね!」
「了解!・・・じゃあ、OKって返信する。」
「うん。」
俺が『成功おめでとう』と『相談OK』を送信すると、1分もしない間に即レスが返って来て、翌日の午後、我が家に戸上兄妹が来ることになった。姉ちゃんにそのメールを見せて、互いに笑顔で見詰め合ってからスマホを消して、それから2人共体を回して上向きになって、手を繋いで・・・眠った。コンディショナーの香りに包まれて。




