5話:恩返し
「…………はい?」
「キャロライン。あなたも知っているとは思うが、私はもう子供を残せない体になってしまった。随分昔にかかった熱病が原因だ」
まさか、陛下自らその話を持ち出してくるとは思わなかった。
(何を考えているの……?)
私が警戒していると、陛下は楽しげに私を見つめてくる。まるで、その視線は蛇を思わせた。
「王妃との間に、子は生まれなかった……というのが、社交界の認識だ。あなたもそう思っているだろう?」
「……まさか」
陛下の言葉では、まるで。
私の言葉を引き継ぐように、彼は頷いて答えた。
「そのまさかだ。私は、思慮深い人間でね。念には念を入れておきたい性質なんだ。第二王子……王妃との子は生まれていた。ただ、私はそれを念入りに隠してきたがね」
このタイミングで持ち出すとは、一体何を考えているのだろう。
まさかその、第二王子との婚約を命じるつもり?
でも、誰が相手でも私の答えは変わらなかった。
場を引っ掻き回そうとしている陛下の思惑に乗ってはならない。
動揺したら、相手の思うつぼだ。
そう思った直後、陛下はまるでなぞなぞを仕掛けるかのように、私に尋ねてきた。
「その相手とは、誰だと思う?あなたも知っている人物だ。随分、仲良くなったようだね」
思わせぶりな言い方に、ピンときた。
まさか、と思った。
息を呑み、目を見開く。
私のその反応に、彼はいたく満足したようだ。
にっこりと笑い、彼は言った。
「リュミエール・リュンガー。今はリュンガー伯爵を名乗っているね。あれが、私の本当の息子だ」
「…………嘘」
ぽつり、呟くように言葉が零れる。
空気に溶けてしまいそうなほど小さな声だったのに、陛下はハッキリと聞いたらしい。
さらに笑みをふかめ、彼は言った。
「嘘なものか。本人に聞いてみるといい。あれの母親は王妃で、父親は私だ。リュミエールが随分嫌がるから、他所に託したはいいが……やはり、愛しい女の忘れ形見だ。手元に置いておきたいだろう?」
「──」
視界が、ぶれるかのようだった。
呼吸が浅くなる。
信じたくない、とおもった。
(リュンガー伯爵が……陛下の実子?)
嘘だ。嘘よ。そんなの。
だって彼は、とても私に協力してくれた。
今だって、城への侵入経路や、その対策を立ててくれたのは彼だった。長年かけて足場を固めたと言う彼がみせてくれたのは、先程の声明文だった。
頭がガンガンする。
何を信じればいいか、分からない。
目の前が真っ暗になる私に、陛下はさらに言った。
「キャロライン。私はね、王太子でも、リュミエールでも、どちらでも構わないのだよ。あなたの相手が、国を総べる王となる。そういう意味では、リュミエールは実に上手くやったな。さすが、私の息子だ」
もはや、私はなんて言えばいいか分からなかった。
動揺してはいけない。
でもリュンガー伯爵が、陛下の息子……つまり、王子だったなんて。
「さて、魔法契約書、だったかな?どうする?キャロライン。この条件を呑まないのであれば、私はあなたと取引はしない。この取引は不成立!そうなったら、あなたと私で総力戦といこうではないか」
「……………」
「そうなったら、民の多くが死ぬだろうな。魔法使いがいる以上、私の負けは必至だが──こちらもタダでは負けられない。粘って粘って、往生際悪く足掻き、あらゆる小細工を使ってやろうじゃないか。諸外国も巻き込んで……」
「心底、くだらないですね」
口からこぼれたのは、自分のものとは思えないほど酷く、冷たい声だった。
「あなたの詭弁にはうんざりです。それ以上、無駄口を叩いていないで早く署名していただけません?どうせ、本気では無いのでしょう」
「……………ふむ」
私の言葉に、陛下は虚をつかれた様子だった。
私は、文字を描くために指を持ち上げると、魔法契約書に署名した。
「良くも悪くも、あなたは合理主義な人間です。意味の無いことはしない」
「……つまり?」
「自身の感情に引きずられ、みっともない真似はしない、と言いたいのです。あなたは、私を国に縛り付けたいのでしょう。そのためなら、手段を選ばない」
「…………」
彼は僅かに不愉快そうにした。
それは、図星だったからなのか、それとも小娘が一人前の口の利き方をしたからなのか──いやそれは、今に始まった話ではない。
だとすると、やはり前者だ。
鼻白んだ様子の彼は、何も言わなかった。それが、答えだ。
「……理解しました。リュンガー伯爵が、あなたを毛嫌いしている理由が」
「さて。そこまで嫌われるようなことをした覚えは無いのだけどね」
「そういうところだと思いますわよ」
陛下が宣言したのだ。
リュンガー伯爵の素性は、明日には広く知られる。
社交界の人間の誰もが知ることになるだろう。
もう、彼は無関係ではいられなくなった。
それなら──。
「検討します。今すぐ拒否することはありませんが、承諾することもできません。それは、陛下……あなたに言われて決めることではありません」
「……つまり、あなたは私に妥協しろ、と?そういうのかい」
「これでも、かなり譲歩していますわ。ただし陛下、それはあなたのためではありません。私は彼に、個人的な恩があるからです」
陛下のことは心底軽蔑しているし、人としてもどうかとも思う。
彼の利己的な考え方も、強欲なところは大嫌いだ。
彼の言葉を全て切り捨てることは可能だ。
糾弾し、もう知らないから!と他国に逃げ出すことも、出来なくもない。
私はリヒトゥルスを離れ、ただのキャロラインとして、自由を満喫出来るのかもしれない。
だけど、リュンガー伯爵は、その逆だ。
陛下が宣言した以上、彼はリヒトゥルスを離れられないし、逃げられない。
魔法使いを逃がした咎を、彼は陛下から背負わされる。
私に伝わることの無い贖罪の日々を過ごすことになるのだ。
親身にしてくれた彼に、それは恩を仇で返すことになる。
それに──。
「……では、署名してくださいますね?陛下。これ以上ゴネるのは、時間の無駄かと思います」
私の言葉に、陛下も納得したのだろう。
これ以上、強く出ても、脅迫しても、私は決して、陛下の言葉に頷かない。
彼は機敏にそれを感じとったらしかった。




