3話:タヌキ
見物人は、口々に何かを囁いている。
その囁きの大半は、王女殿下のことだろう。
だけど、チラチラと私の方を見る目もあった。
死亡したはずの私がいることに驚きを隠せないのだろう。
(……どういうことなの)
私は、王女殿下が口走った情報を整理しようと努めた。
(あの夜のことは、陛下の指示だった?)
なぜ?どうして?
そこで、典型のようにある推測に行き着いた。
(もしかして……)
シンと静まり返った廊下で、私は先手を取った。
「ローガンとの婚約を破棄させたのは、王太子殿下と私を婚約させるためですか」
「何のことだい?それより、キャロライン。あなたが無事で良かったよ。殺害というのは、誤った情報だったのだね」
「白々しい。今王女殿下が口走ったことは、真実ですか?」
知らず、声が固くなった。
陛下は、寝衣にローブを羽織っただけの軽装だったが、慌てた様子もなく、首を傾げた。
「ああ。デライラなら、彼女はちょっと変わっていてね。夢想癖が激しいんだ。気にしなくて構わないよ」
「どの口が……。陛下、あなたが口を開けば開くほど、私の信頼は地底を這うことをご理解いただけていますか?もはや、地中にめり込む勢いです」
私がそう言うと、陛下の顔からスッと笑みが消えた。
そして彼は、無表情に私に問いかける。
「では何だい?あれの虚言を、認めろとでもあなたは言うのかい」
「虚言なのですか?真実では?そもそも、本当に虚言であったなら、なぜ陛下は彼女を罰しなかったのです?ローガンとの事件が起きた時に」
「娘を傷物にしたなら男が責任を取るのは当然だろう?それとも、デライラに罰を与え、修道院にでも入れていたなら、あなたの気は晴れたのかい?」
「そうではなくて……!あなたの行動には、一貫性がない!」
ダメだ、と思った。
このまま話していたら、陛下のペースに呑まれる。
彼は、するりと話していた本題を巧妙に、ほんの少し、脇道にずらす。
今だって、そうだ。
彼は今、騒ぎを起こしたことを理由に王女殿下に罰を与えると言った。
それなら、それはあの夜にも言えたことだ。
今回だけ罰するなど──疚しいから、その口を閉ざそうとしているようにしか見えない。
私は、陛下に言った。
「取引をいたしましょう、陛下」
「あなたから持ちかけてくるのか。よい、興味深い」
余裕を見せる彼に、私はゆっくり息を吐く。
慌ててはだめだ。
相手は、巧妙に場を制御する王。
感情的になったら──負ける。そう思った。
「では、まず1つ目ですが。ローガンの処刑は不当なものです。取りやめてください」
「ふむ、それはなぜ?」
「彼の罪状は魔法使いの殺害とのことですが、私は生きています。彼は、無罪です」
陛下の決定に面と向かって意義を申し立てるなど、王家に叛意ありと見られてもおかしくない行為だった。
しかし、今の私には強いカードがある。
それは、切り札と言ってもいい。
私の言葉に、陛下は首を傾げた。
まるで、本心からそう思っているとでも言うような声で、彼は尋ねた。
「だが、あなたは襲撃されたのだろう?命からがら伯爵邸に戻った侍女もそう証言している。襲撃を命じたのがローゼンハイムではないと、なぜ言い切れる」
「では逆にお聞きしますが、彼を犯人だと決めつける理由はなんでしょう?」
聞き返すと、陛下は顎髭を撫でつけた。
それから、ため息混じりに彼は答えた。
「髪だよ。キャロライン。あなたは、髪を切られただろう。彼に」
「──あれは」
息を呑んだ。
髪、と言って思い当たるのは当然、ローゼンハイム邸での出来事だった。
私は、あの場で髪を切った。今までと決別する意味もあったし、いずれ必要になるだろうから
という好意の証でもあった。
まさかそれが彼の冤罪への決め手になるとは思いもしなかったのだ。
だいたい、その後すぐに襲撃を受けるなんて私も想定外だった。
それに、陛下が髪のことを知っているということは、ローゼンハイム邸に調査が入ったことを意味する。
私は、眉を寄せて陛下を睨みつけ言った。
「……あれは、私自らの意思で切ったものです」
「そうかな。揉めたのでは無いのか?」
「揉めておりません。それに、いずれ必要になると思ったのですわ。陛下──あなたに」
私の言葉に、陛下は面白そうに片方の眉を持ち上げた。




