3話:取引
「やめた方がいい」
珍しく、彼は強い語気で言った。
「なぜですか?……危ないから?」
「……決して、あなたの力量を疑っているわけではありません。ですが、陛下は……あの人は、本当に、交渉が上手い。保身に入らないんですよ。常に捨て身だ。だから、通常なら取れないはずの選択をあっさりと選ぶ」
彼の口ぶりは、陛下のやり方をよく知っている人のものだった。
それに、違和感を抱く。
「リュンガー伯爵は、陛下と親交が?随分詳しいですのね」
探りを入れているように感じたのだろうか。
リュンガー伯爵は、まつ毛をふせて答えた。
「……私が、リュンガー伯爵家に養子に入ったのは、陛下に理由があります」
「理由?」
聞き返したが、彼は私の疑問には答えなかった。
その代わり、ちらりと扉に目を向ける。
「……場所を移しましょうか」
その言葉に、ハッとする。
そういえば私は、先程から立ちっぱなしだし、リュンガー伯爵は、執務椅子に座りっぱなしである。
(きっと、長くなるし……仕切り直した方がいいわね)
私は、リュンガー伯爵の言葉に頷いて答えた。
そして、彼の案内を受けて、隣の応接室に向かう。
応接室のソファに、それぞれ腰を下ろした。
着席すると、リュンガー伯爵は先程の私の質問に答えた。
答えられない、という回答を持って。
「先程の件ですが……お答えできません。申し訳ありません。ですが、個人的な事情なのでお気になさらず。……話を、戻しますね」
リュンガー伯爵の声は淡々としているが、有無を言わせない響きがあった。
それだけ、聞かれたくないことなのだろう。
リュンガー伯爵は陛下に対して、強い警戒心と、そして本人は隠しているつもりなのだろうけれど──確かな悪意が見える。
(一体、どういう関係なのかしら……)
気になるけれど、今は優先して聞き出すことでも無い。
(今はとにかく、ローガンを……彼の冤罪を晴らさなきゃ)
もう二度と関わりたくない人だけど、私のせいで死ぬとか、最悪だ。
今朝の、グレースとの相談(という名の一方的な会話)を思い出す。
『確かにローガンには散々な目にあったわ。正直、もう顔を合わせたくもないもの……。ま、契約書もあるし、これからも顔を合わせるつもりは無いけど。でもねぇ?私のせいで死なれたらそれはそれで嫌なのよ。寝覚めが悪すぎるじゃない』
『ヴヴ……』
『だからね、私思うのよ。何としても、ローガンを助けなきゃ、って。全く、私を散々苦しめた相手なのにね。まあでも、仕方ないわ。この件に関しては彼は完全に被害者。巻き込まれ事故みたいなものだものね』
『ヴー……』
そんな会話を、していたのだ。
これだけ聞けばわかると思うけれど、私は決して善人ではないし、聖人でもない。
ローガンを助ける理由なんて、私が気になるから。
ただ、それだけ。酷く利己的な理由だ。
グレースとの会話を回想していると、ふとリュンガー伯爵が顔を上げた。
そして、私を見つめるとハッキリと言った。
「私は、あなたが陛下に会いにいくのは反対です。……レディ・キャロライン。あなたは、陛下と会ってどう交渉するつもりですか?」
彼の質問に、私は予め考えていたことを口にする。
何も私だって、考え無しに言っているわけではない。
「まず、私の生存を知らせます。その上で、取引を持ちかけます」
「……取引?」
彼は、意表を突かれたと言わんばかりに、目を見開いた。
私より黄色味の強い、象牙色のまつ毛が持ち上がる。
私の取引内容を聞くと、彼は難しい顔になった。深く考え込んでいたようだが、やがて顔を上げる。
「……なるほど。確かにそれは、陛下の意表を突きそうだ」
「魔法契約書で取り交わせば、反故にはできません」
魔法契約というのは、魔力で交わされた契約書のことだ。
契約書の中でもっとも強い強制力を持つもので、破れば相当の罰を受ける。
その罰則、というのも明確な線引きがされていない──もっというなら、解明されていないのが現状だ。
過去の例には、魔法を一生使えなくなる罰を与えられたケースもあるという。
そのため、魔法契約を結ぶのはそれ自体が危険行為だ。
だけど、強制力という意味では、これ以上のものはない。
(流石に、予想できない罰ゲームっていうのはめちゃくちゃ怖いわよね!!)
そういうわけで、ローガンと結んだのは普通の契約書である。
(……だけど、この取引内容なら、陛下も受け入れざるを得ないはず)
「彼がその取引に乗らなければ?」
リュンガー伯爵が、さらに尋ねた。
さながら、生徒の卒論で質問する教授のようだ。
「乗らない?そんなこと、有り得るのでしょうか。だって──」
私が続きを口にするより早く、リュンガー伯爵が答えた。
「あなたが姿を見せることで、陛下は学習するはずだ。他人の命がかかれば、あなたは譲歩する、と。味をしめた王が、次はあなたのご家族を人質に取らないという保証はない」
そんな、学習型AIみたいな。
または、美食を覚えた野生動物みたいな。
……とツッコミを入れる余裕はなかった。
それくらい、彼の言葉は衝撃的だったからだ。




