1話:何を失ったの
木で出来たベンチに腰を下ろしながら、ぼーっと考える。
まるで、慰安旅行に連れてこられた社畜のようだ。
つまり、やることが無く、時間を持て余していた。
仕事を取り上げられた仕事中毒のように瞑想に励んでいると、後ろから声を掛けられた。
「気分はどうですか?レディ・キャロライン」
その柔らかな声に、背筋をピンと伸ばす。
(いけない。いくらなんでも、気を弛めすぎだわ)
振り向くと、そこには予想した通りの人物がいた。
つまり──
「ええ、ありがとうございます。リュンガー伯爵。もうすっかり、良くなりました」
私は自身の肩に手を触れる。
あの日、肩を射抜かれた私だが、彼の手当により、ほとんど快復していた。
そう。私は生きていた。
☆
あの日、もうだめだ、と思った直後の出来事である。
突然、援軍が現れたのだ。
それが彼、リュンガー伯爵だった。
彼は、偶然、襲われている私を見かけたという。
そして襲撃を知ると、自身の護衛に命じ、援護に入ってくれたとのことだった。
彼の護衛たちも似たような黒のローブを羽織っていたので、場は混乱した。
しかし、それが勝機を生み出した。
彼の護衛が援護に入ったと言っても、人数は圧倒的に向こうの方が上だ。
だけど伯爵に仕える護衛たちはよく訓練されていて、魔力も高かった。
そのため、魔力と武力を合わせることで、膠着状態に持ち込んだ。
どちらが勝ってもおかしくない瀬戸際が続いたが、あまり長引かせることは得策ではない、と襲撃者たちは判断したのだろう。
何せ、いつ援軍がやってくるか分からない状況だ。
この騒ぎだ。
じき、王都の正規軍が援軍にくることだろう。
リュンガー伯爵も、遣いを出しているはず。
彼らの去り際は早かった。
分が悪いと見ると、すぐさまその場を離脱した。
鮮やかすぎる去り際で、追いかけることは難しかった。
呆然としていると、ようやく援護に回ってくれた騎士たちの主──つまり、伯爵が姿を現した。
「ご無事ですか?レディ・キャロライン」
彼とは、社交界で時々見かける程度の知り合いとも言えない薄い関係だった。
予想外の人物が現れたことに驚いたが、それよりも今は、大事なことがある。
「怪我人がいるんです!護衛が矢に射られて……!!」
必死に言うと、彼は私の肩を見て眉を寄せた。
「あなたも怪我をしているようです。……失礼します」
そう言って、彼は座り込む私の前に膝をつくと、私の肩に手をかざした。
「ルヒトゥルスに根付く、守護神よ。生きとし生けるものを慈しみ、愛し、見守る神の慈悲をこのものにも与え給え。女神であれ」
彼が唱えたのは聖句だった。
それに、絶句する。
彼が唱えた聖句──つまり回復魔法は、教会で洗礼を受け、修行を終えた人にしか使えない。
魔法使いであっても、回復魔法だけは教会で教えを受けなければ使うことが出来ないものだった。
回復魔法は、独学では身につけることが難しい種類の魔法なのだ。
それを、彼は行使した。
つまり──
(伯爵は、聖職者だったの……?)
そんな話は聞いたことがない。
だけど彼は前伯爵の実子ではない。
縁戚筋から取った養子だ。
(もしかしたら、養子に入る前は、教会に所属していたのかも……)
そう推測したが、今はそれどころではない。
真偽を確かめている余裕はなかった。
彼が聖句を唱えた直後。
肩がじんわりと熱を持つ。
だけどそれは衝撃とは違っていて、例えるならホットタオルを当てているような、温泉に浸かっているような、そんな心地良さだった。
ハッとして肩に触れると、もう怪我は治っていた。
「彼らの怪我の程度を確認します。怪我人は護衛二人と御者の、計三人ですか?」
「馬車の中に、侍女がいます。頭を打った衝撃で今は気を失っています」
「分かりました。そちらも確認しましょう」
そしてリュンガー伯爵の手当により、護衛と御者の怪我は癒された。
幸い、矢尻には毒が塗られていないようだった。
奇襲をかけた謎の集団は、不意打ちに戸惑っている御者や護衛に素早く近づき、意識を落としたのだろう。
ふと、疑問が過った。
(……どうして殺さなかったのかしら)
護衛や御者が軽傷だったことは喜ばしい。
もちろんだ。不幸中の幸いだと思っている。
だけど……気になる。
(彼らは、暗殺者や殺し屋ではなかったの?)
その手の商売をしている人間なら、確実に殺すはずだ。
そうではなく、気絶という方法を選んだのは、なぜ?
もしかして彼らは、暗殺集団では無かったのだろうか。
(……ダメだわ、分からない)
私たちを襲った彼らも逃げてしまった今、手がかりはゼロだ。
私がそう思っていると、視線を感じた。顔を上げると、リュンガー伯爵が私を見ていた。
「あの……何か?」
「いえ、すみません。……あの、不躾ではありますが、お聞きしてもいいですか」
リュンガー伯爵は聞きにくそうにしながらも、ハッキリ尋ねてきた。
「その髪は、どうされたんですか?まさか、彼らに……?」
それで、私は先程、ローゼンハイム公爵邸で髪をばっさり切ったことを思い出した。
どうりで、リュンガー伯爵が気まずそうにしているわけだ。
こんな髪になってしまったら、普通、貴族の娘は正気ではいられない。
全てに絶望することだろう。
悲観に暮れ、世を儚んでもおかしくない。
髪は女の命という言葉があるように、貴族令嬢にとっても髪は何より大事なものだ。
髪の艶、長さ、アレンジ。
貴族の娘は、競い合うようにあれこれと手入れして、社交界に臨む。
私は、首を傾げた。
さらりと、顎あたりでばっさりと切った白い髪が動きに合わせて揺れた。




