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崑械のアイオーン  作者: gaia-73
第3章 幻帝の國

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XX / - 1 断章 アメリカ皇帝寝室



「こう考えてみてよ。一種のもうひとつのアメリカだ、そうはならなかった1980年だって。破れた夢の建築だって」


     ――――ウィリアム・ギブスン「ガーンズバック連続体」(1981)より



   ◇◇◇



 ソヴィエトの大ハンに今年はどんなクリスマス・プレゼントを贈ろうかと、ベッドの上で肘をつきながら外交官僚たちが用意したいくつもの高級カタログを学術書でもみるように生真面目に繰っている若きアメリカ皇帝(ツァーリ)の傍らで、Fiza-La(フィザ=ラ)は、テリイ・カー編のSFアンソロジー『ユニヴァース』の第11巻を読み終え、その表紙を静かに閉じた。


 夜はまだ更けたばかりだった(・・・・・・・・・)

 Fiza-La(フィザ=ラ)は退屈そうに髪をかき揚げ、予言でもしようか、と思い立つ。


 予言? ――そう、予言(・・)だ。

 今までどうして、こんなにも楽しそうなこと思い出せなかったのだろう?

 10のマイナス44乗秒の刹那、Fiza-La(フィザ=ラ)は書物であったころの名前を思い出す。まだ集積回路とプログラムが、外部から供給された電力によって作動していたころを――読まれることによってしか起動し得なかった、自らの性能を。



 ――――第三帝國は千年咲き誇る大輪の薔薇になるだろう。千年王国の到来は間近だ。ゆえに諸君もまた、千年忘れられることがない。千年……諸君それは短いと思うだろうか? 思い出してみ給え、千年を忘れ去られなかった者が、次の千年で忘れ去られないと。ローマ帝國と同様、第三帝國は永遠であり、故に君たちもまた、永遠なのだ…………。



 暗い執務室で、入隊する新卒に向けた訓話を小声で練習していたSS(エスエス)の長官の声を、彼女は思い出す。SS古代遺産課によって接収されたFiza-La(フィザ=ラ)は、他の諸々とともに、冷たい棚の中にずっと捨て置かれていた。



 …………戦場で死を畏れない者だけが戦乙女(ワルキューレ)の胸に抱かれ、神々の宮殿(ワルハラ)に招かれるだろう。現代のゲルマン騎士団の勇者諸君、その心はゲルマンの誇り、そして総統(フューラ)とともにあれ――。



 捨て置かれた棚の中ではただ、時間だけが過ぎた。

 目の前で読まれるのは彼女より価値のないものばかりだった。

 魔導書の類が皆無であるばかりか、人間の意志すら希薄な書類さえ多かった。

 そうした書類にサインがされるたび、彼女の表紙は波立ち、ページの束は脈打った。私には予言さえ可能な力が、宇宙の向こう側にいる神々に至る力がある。下らない訓話などを考える時間があるのなら、私を読め、人間――。


 ノルマンディー海岸に連合国軍が上陸し、沿岸警備隊が全滅してから、CIAによるペーパークリップ作戦に乗じて彼女がアメリカ自由主義連邦に持ち出されるまでには、それほどかからなかった。

 戦後すぐカリフォルニア侯国サンタモニカで、彼女が色も影も奥行きもない真っ白な空間から降り立ったのも――本のページのように折り重なった多重膜状の事象的地平面を超え、カルツァ=クライン粒子で形成された《脳髄》を美しい少女の屍体に召喚したのも、元ナチの科学者達だった。


 彼女の肢体組成と仕組みは、おそらく世界中で、最も《オリジナル》――国際コードネーム「人たる器を破棄せし者シュヴィラト・ハケリム」――に近い。相違はただ彼女の中身が、この宇宙には存在していないというだけのこと。余次元方向に存在する制御されたブラックホールのシュバルツシルト面に、魔導書たる彼女の活動電位を特殊なエキゾチック粒子でマスキングして《意識》をエミュレートしつつ、そもそもの彼女がもつ演算能力を、ブラックホールの情報ポテンシャルによって担保しているのである。


《読まれることのない書物が、内面化した自らを【読む】ことによって読者を必要としなくなったウロボロス状の――メビウス・リング状の《円環の廃墟》のようなもの》


 と彼女を産み落とした研究員は、先代のアメリカ皇帝(ツァーリ)Fiza-La(フィザ=ラ)を紹介したものであった。彼はその説明を理解していたのだろうか。

 今となっては、知りようもない。


(夜が退屈になったのは、先代が崩御されてからだが――)


 彼女はシーツの心地よさを肌で感じながら、自分の機能を久しぶりに思い出す滑稽を味わった。私はたしかに、魔導書だったのだ……。


(とはいっても、思考がデジタル計算に置き換えられている時点で、本来の性能のどの程度を再現できるかはわからないのだがな……)


 彼女は、5秒間思考に沈んだ。

 彼女ほどの演算力――毎秒、数千不可思議回のON/OFF・0/1切替が可能な程度の二進法計算力に相当する――があれば、地球環境下全ての分子運動でもある程度予測できるため、環境の想定をある程度限定しさえすれば、見かけ上《ラプラスの悪魔》にだってなれた。予言は、計算の結果として算出されるだろう。


(――ほう、ナーゴヤ? という都市が世界の命運を握っていると……)


 Fiza-La(フィザ=ラ)は可能な限りのあらゆる人間社会の動きを予測しながら、彼女の脳髄に映る世界を動かしていく。


(ナーゴヤ――この宇宙で技術的特異点テクニチスカヤ・シングヤノストに最も近いという、あの極東の島国の都市がか? ……どうも、いるはずのない「人たる器を破棄せし者シュヴィラト・ハケリム」が秘匿されている可能性が、73%以上ありそうだが……)



 彼女はその先を夢中になって見ようとした。

 傍らの若きアメリカ皇帝(ツァーリ)は、ソヴィエトの大ハンへの贈り物選びという退屈な仕事に眠気を抑えきれなくなったと見えて、枕に突っ伏している。

 Fiza-La(フィザ=ラ)は、誰にも話すことができなくとも、世界の未来をすこしだけ早く覗き見ることを覚えた。そして、少しその気になれば、自分もその中に身を投じられることも、微かながら予感したのだった。




   ◇◇◇



「……《古代王國》は存在し続け、そのために人類は、第三の《血の洪水》に見舞われるでしょう。禍つ星が姿を顕わさないのは四十日間だけで、とある少女が信仰を護るために捧げられます。――そして、聖なる者が帰還し、前述の者が打ち倒された後に大きな犬狼が出現するのですが、それは過去に存在した物すべてを破壊するような、不可避の猛獣です――――」


  ――――ミシェル・ノストラダムスからフランス王アンリ2世に宛てられた私信(1558年6月27日付)より

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