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崑械のアイオーン  作者: gaia-73
第3章 幻帝の國

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39/60

14 / - 2 名古屋市 伍



 柳條(りゅうじょう)香流(かなれ)中尉の病室は、学園都市の第零層(・・・)――つまり、まだ公式には階層とはされていない、積盤基層(ラミノスフィア)の上にあった。現時点での、最上階層にあたる。施設整備は十全ではないが、すでに人も住んでいる。しかし11月までは当初の建築予定通り、第一層の名はまだ与えられない。


 積層学園都市は、上に行くほど福祉施設に占められ、役所や大規模私有地は消えていく。積層都市という形態を現代日本で成立させるにあたって、都市の上下と権力・血統の上下を明確に切り離す必要があるのは当然のことだった。没になったとはいえ、地上を第一層と名付ける案が出されていたことからもこうした当局の姿勢は示されており、行政本部などがすべて地上に置かれたことが、学園都市政の意向を端的に表していた。しかしながらそれは上下という価値観を素朴に転倒させただけの、原始的な脱構築に過ぎず、積層学園都市が未だに《中枢》という概念に縛られた静的(スタティック)な怪物であることを、未だ否定できてはいなかった。


 だがそれも当然かもしれない。


 中枢を持たない刺胞生物(ヒドラ)は、巨体も天空も望みはしない。

 都市はヒドラではなく未だ巨獣(リヴァイアサン)――胎児のように身をかがめ、地に半身を突き入れるリヴァイアサンだ。巨大な(アギト)を地面に埋め、挑発的に尾と尻を高々と天上に向ける、侮辱的で背徳的な、一匹の醜い怪物がここには屹立している……。

 病室から出て、無機質な白い廊下を歩きながらそんなことを考えていた総矢獨景の前に、丈の長い、黒いローブを身に纏った女性が立ち塞がった。気づくのが遅れた獨景は、肩をピクっと震わせて立ち止まった。


「どうした、驚いた顔をして……」


 彼を心配そうにのぞき込むのは、金色の長い髪を無造作に後ろでくくった、白人系の顔立ちの――エルフ、あるいはオルザレットの女だった。


「いや、どうも。フェアベルン……いや、今はラリオノーワ――でしたっけ」


「ソローミン――ニーカ・ソローミンだ。言っておいたよな?」


 怪訝そうな顔で彼女は獨景に言う。

 獨景は、ソ連の地下権力である《教団》の使者であるエルフのことを、それほど気に掛けていない。というより、よく覚えていない。だがそれが、それほど気に掛けていないことが、相手に露見することは避けなければならなかった。

 《教団(ダークミステリィズ)》と積層学園都市(バビロニア)は、蜜月関係でなければならないからだ。


「そうでしたっけ。すみませんソロみ(・・・)さん」


 獨景は、なので謝った。


「おい、」


「えーとじゃあ、ニー子(・・・)さん?」


 獨景の様子に適当さを感じ取ってか、黒ローブ姿のエルフは獨景からふらっと数歩遠ざかって泣きそうな顔になった。


「あ……えーと」


 エルフは、奥歯を噛みしめているようだった。

 泣くのだろうか、と獨景は考えた。

 今までの経験からしても、彼はわりとひとを泣かす。若干女性の方が泣かせた数は多い気もするが、彼は性別で人を差別したりはしない。身構える獨景にむかって、エルフは勢いよく左手のひとさし指を指して、叫んだ。


「えぇーい! この国の人間はどいつもこいつも、私のことを、無職乙(ニー子)だの生涯独身乙(ソロみ)だの、言いやがって!! ふざけるな! ころすぞ! いいか、お前らみんなころして、わたしもしんでやるからな、バーカ、バァーカ!」


 素が出てるなぁ、と獨景は考えた。

 エルフは長寿だがなんでかいつまでも子どもみたいなのも多い。

 獨景は気が遠くなるのを感じた。

 なんでこんなのの相手をしないといけないんだろう、とも思ったが、そういう黒い感情は囚われるだけ効率を下げるので、特に気にせずに本題と思われることを話し始めた。


「それで、黒木総理はご存命ですか?」


 ぜいぜいと息を整えながら、エルフは感情を抑えて答えた。


「いや、殺してしまった。銃を向けられたのでな……」


「となると、政府要人は実際に全滅ですか」


「望んでいたのだろう?」


 そう返されて、獨景はやや首を傾げた。


「というか、望んでいたのは《教団》でしょう?」


 それを聞いてエルフはまた泣きそうな顔になる。

 いやたぶん、これは泣きそうなのではなくて、彼女は感情が高ぶるとこういう表情になるのだろう。


「何を、今更いってるんだ。お前と教団はすでに一心同体だろう。一なる神のほかに神なし、さればこそ一者にしてすなわち全。全すなわち貴様でありわれわれだ」


 獨景が、釈然としない顔をしていたのだろうか。

 エルフは、獨景を優しく諭すような調子で、歌うように続けた。


「魂は関係性自体になり、身体は物自体になり、心臓は犬にくれてやったお前じゃないか――いや、もう(・・)お前(・・)という(・・・)人間(・・)はいないんだよ(・・・・・・)。分かるだろう……?」


 説得するのに今さらデカルトだかフランシス・ベーコンだかを使ってくる辺り、彼女たちの時代性が透けて見えるのではないか、と獨景は考える。《教団》という名は伊達ではないということなのか。


「随分と、前時代的(アナクロ)な〈人形〉の(ポスト・)如き非-主体(ヒューマン)ですね」


この時代錯誤(アンティーク・)な都市(バビロン)にはお似合いなんじゃないか」


 エルフはさらりと言い返した。

 べつに、彼らも前時代的なものにそれほど縛られているわけではないようだった。


 せっかく第零層まで来たのだからと、ふたりは展望台フロアに向かって歩いた。

 すでに部分的には、次の階層――第マイナス一層とでも呼べばよいのか――の建設が始まっているが、地上から三百数十メートルの位置にある展望フロアは、日本では最も空に近い人工建築だった。


「ここはすごいな」


 と拍子抜けするほど単純な感想をソローミンが呟いた。

 たしかにすごい。地平線も水平線も、遙か遠くまで見渡せる。

 東京タワーのてっぺんより、やや低いくらいだろう。


「まぁ、ふつうに神戸とかまで見えるからな……」


 のんびりと獨景も言った。

 わりとぶかぶかなローブ姿のエルフが、手摺りの方に走り寄っていく。


「おぉ……あれがキョートか? ここからだと地味なつぶつぶにしか見えんな」


「んー、大坂じゃないですかね。ほら、亰都はもっと北ですよ。ほとんど見えないはずですけど」


 裸眼で亰都まで見えると言い張るエルフの視力に少々引きながら、獨景は助言した。天気が良いので、景色が良く見えるのは確かだった。


「落ちたり飛ばされたりしないでくださいね?」


 と獨景は彼女に駆け寄りながら、わりと本気で心配しながら言った。

 名古屋は、冬になれば伊吹颪(イブキ・オロシ)が吹くように、昔から風の通り道だった。

 この風に関してはビル風の比ではない大気の混乱を引き起こすので、量子コンピュータも利用して都市の中を螺旋状に旋回させたり、循環させたり通り抜けさせたり、つねに非常な努力が行われていた。人の通らないところは、たいていが強風の通り道になっている。

 しかしその機能がまだ、この第零層には実装されていない。

 風は気まぐれに吹き、ときに不意に人を攫ってしまうこともありえるのだ。


「なぁ、ソーヤ」


 ソローミンは、手摺りにもたれかかるようにして景色を見ていたが、不意に獨景の上の名を呼んだ。


「なんです」


 風の音が一瞬強くなって、近くにあった旗がバタバタと揺れた。

 若干ふら付きながら、獨景も手摺りに掴まる。


「どうしてさっき、私をみて驚いた顔をしたんだ?」


 おまえはあまり驚かないやつかと思っていたよ、と彼女は続けた。


「別に大した意味はありませんが……そうですね。あえて思い出すとするなら、何となく自分自身が立っていたような錯覚というか、まぁその、恰好としてローブがまっ黒な白衣(・・・・・・)に見えたんでしょうね」


 ソローミンは唇を尖らせると、つまらなさそうに、


もう一人の自分(ドッペルゲンゲル)か?」


 とむくれたように言った。


「なんだそれ、本当に自分自身であれば、そんなの怖いはずないじゃないか」


 ふん、というように、彼女は獨景を不満そうに見上げた。

 並んで立つと、身長差が気になるらしい。


「魂は、べつに物としての(・・・・・)それ自身が怖いのではないんですよ」


 獨景は、手摺りに掴まって並びながら、ソローミンに言い訳した。


「はぁ、どういうことだ?」


「それは、さっきあなた自身も言っていた……」


 続きを言おうとしたとき、不意に強い風が吹き抜けた。

 長い金髪が風に煽られて顔に纏わりついて、ソローミンは「ぷぎゃー」と悲鳴を上げた。

 獨景はそれを見て吹き出して、笑いながらソローミンにばしばし叩かれていた。


 言いそこなった言葉が獨景の心に一瞬留まり、風に紛れて消えていった。

 言い訳にしては素直な、彼の気持ちの吐露だった。



 ――魂は、自らという(・・・・・)関係性(・・・)自身が(・・・)怖いのだ。

 

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