7 / - 4 名古屋市 參
「オーストリアやドイツって、東にはモスクワが、西にはパリがあって、そのちょうど中間なんです。だから、東西の文化が行き来する中継地として、両方の文化や思想に触れていなければ生み出されないような独自の文化が発展したんです……」
包帯だらけの私と、私立小学校の制服姿の冬目ちゃんは、近くのファミレスに場所をかえ、夜になっても話し続けていた。といっても、話しているのはバカな私じゃなくて、冬目ちゃんばかりだったけれど。
「ベルリンも、そういった都市のひとつなんですよ! 何だかベルリンって、東のモスクワと西のパリに挟まれているところとか、工業都市なところとか、いろいろと、その、名古屋に似てるんですよね。ほら、名古屋も東海道の中間くらいにあって、東京と、京阪のちょうど文化的な中継地なところがあって……オーストリア=ハンガリー帝国の首都だったウィーンの方が、むしろ混沌都市として語られる頻度は高いんですけれど――」
色々なことを話してくれた……新カント派、ソボール的意識、全一性の哲学、叡智圏、宇宙主義、求神主義と建神主義、造神主義と優生学……そしてその根源であるというグノーシス思想…………小さな冬目ちゃんはまさに博識で、博覧強記で、しかも優しくて、私たちの楽しい時間はいつまでも終わらなかった。
それに、私はこの時間が、終わってほしくなかった。
このまま彼女と、別れたくなかった。
独りになったらまた、あのときのことを思い出さなくちゃいけなくなるから。
迷惑だってわかってはいた。
でも、つい私は言ってしまった。
「――今日は、帰りたくないよぅ……」
「え、えぇ~~~」
白いブラウスに紺の釣りスカートという出で立ちの冬目ちゃんは、年相応の困った声を上げた。
「うーん……」
そして、とても深刻そうに考え始める。
整ったボブカットがつるりとして、凛々しくて、なんだか少年みたいだった。
でも彼女はすぐに上目遣いで、
「じゃあ、うち来ます?」
と言った。
「え? いいの! いくいく!」
私は、即座に叫んでいた。
まわりの席のお客さんが、迷惑そうに一瞬、こちらを向いた。
私は自分が椅子から腰を浮かせて、中腰になっているのに気付いた。
そこまでうれしかったなんて……。
私はだんだん顔が熱くなるのを感じながら、また席にお尻を置いた。
「あ、あの、その、ごめんね?」
年下の女の子の家に押し掛けるのも冷静になったらすごく恥ずかしかったし、それですごくよろこんでいる自分というのもすごく恥ずかしい気がした。
「え、そ、そんな。なんだかカナさん、今日は疲れているみたいですし、このままひとりにするの怖いっていうか……」
あー、もぅ、オヌシは大人か! 素敵すぎるわ!
私はそんなこんなで、結局そのまま彼女の家にお邪魔することになった。
◇◇◇
ふたりの少女を遠巻きに見ている者がいた。
(……中尉の娘か? いや、親戚とか……でもな……)
それは単レンズ義眼の青年――代月更也だった。
「でも、どう見ても、彼氏なんだが……」
彼は柳條のことを泣かしてから、さすがに反省したのだが、どうやって謝っていいのかもわからないし、とりあえずこうして退院してみて、街で見かけたので彼女のことをつい追って来たのだが、話し掛けようとした直前に、あの幼女(というにはすこし大人びている)が柳條に話し掛けてしまった。
それから数時間、彼はふたりにバレない程度の距離を置いて、さらに追って来ていたのだった。彼自身、どうしていいのか途方に暮れていた。謝ろうにも、小さい方がいなくならないことにはどうも気まずい。
そうこうしているうちに、ふたりは席を立った。
追おうか、と彼が考えた瞬間、柳條と向かい合っていた幼女が、柳條の背中越しに、明らかに意味のありげな視線を送ってきた。数秒、彼の方をじっと見詰め、気付いているぞ、とでもいうように、威嚇しているようだった。
「……!!」
背中が、すっと寒くなった。
次の瞬間には、義眼に内蔵された電子中枢が不自然に反応し、ピントをぼかしてしまった。単純な電子機器でしかないはずの義眼装置が、怯えているとしか思えなかった。
「…………クソッいったい何者なんだ、あの幼女」
彼は、敗北感にその場で静かに脱力した。




