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辺獄の黒騎士  作者: シベハス
第二部
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第二章 おかあさんⅣ

 渓流を流れる水の如く――“この大都市”の水路は、千年以上前の古代より独自の発展を遂げ、機能的、かつ芸術と呼べるほどに美麗であった。


 アウソニア連邦の南西部は海に面しており、そこには大運河により太古からの年月を経て模られた巨大な潟ができている。


 水の都――ラグナ・ロイウは、そんな場所に存在していた。


 この大都市は、ユリアラン大陸屈指の観光名所として栄えている。近代化に伴う武力衝突が大陸諸国の間で活発になっている昨今においてもなお、この街が人々の憩いの場として暗黙のうちに了解されているのは、偏にアウソニア連邦に教皇庁と騎士団本部が存在していることに他ならない。


 時刻は正午を回った頃だ。露店が建ち並ぶ大通りは、例年の同時期よりも遥かに人がごった返している状態だった。聖都セフィロニアで開催された聖王祭が突然中止となったために、それを目的としてこの国に訪れた観光客たちが、ラグナ・ロイウに流れ着いたことも要因のひとつだった。


「お客さん。それ、この街には持っていけないよ」


 ラグナ・ロイウは小さな島々の集合体であり、アウソニア連邦の本土から四キロほど離れた場所に存在している。本土からラグナ・ロイウに向かうには定期船に乗る必要があり、シオンもまたそれを利用したのだが――船が発着場に付き、タラップが架けられてそこに向かっていた時、ふと乗組員の男に声をかけられた。


 シオンが呆けた顔で首を傾げると、乗組員の男は苛立ったように顔を顰める。


「ラグナ・ロイウでは車やバイクの利用は禁止されている。持ち込んだら、その瞬間、逮捕されるぜ」


 そう顎をしゃくって、シオンが引く自動二輪車に目を馳せた。

 シオンは、若干不機嫌になって目元に力を入れる。


「そんな話、船に乗る時に聞いてないぞ」

「それは気の毒だったな。だが、そういう決まりだ」


 乗組員の男が肩を竦めて言うと、周りにいた他の乗組員たちが揃って笑い声をあげた。

 シオンは不快に思いつつ、溜め息をしながら向き直る。


「どうすればいい?」

「お客さんがどうしたいかだ。帰りの船賃払って本土に戻るか、バイクを置いて上陸するか――言っておくが、バイクを手放すなら廃棄する手間賃取るからな」

「船に乗る前に知らせなかったアンタらの不始末だ。これは置いていく。金が欲しいなら、あとは売るなり何なりしてくれ」

「おいおい」


 乗組員たちが、下卑た笑みを携えながらシオンに迫ってきた。


「あんまり船乗り舐めないでくれるかい? いいから、さっさと追加料金を置いて――」


 突然、乗組員の男がそこで声を詰まらせたのは、彼の喉元が強い力で締め付けられたからだ。シオンの右手が、乗組員の喉を捉えていたのだ。中年太り気味の乗組員の身体は、海面の浮き球のようにして、軽々と宙に持ち上げられる。

 長身とはいえ、シオンのような線の細い男が、推定一〇〇キロは超えるであろう男の身体を片手で持ち上げたことに、周囲から驚きと戦慄の声が上がった。


「三度は言わない。これは、先に伝えなかったお前たちの責任だ。こいつはここに置いていく。後は好きにすればいい。それ以上面倒なことを言うなら、お前の首を折る」

「わ、わかった……! 俺が悪かった、放してくれ……!」


 足をばたつかせながらの命乞いに、シオンは興ざめしたように手を放す。それから船の方には一瞥すらせずに、淡々とタラップを伝って港へと上陸した。

 シオンが最後の乗客だったようで、彼が降りた途端に、タラップが勢いよく下げられた。間もなく船の出入り口が塞がれるが、その間際に、先ほどの乗組員が聞くに堪えない罵声を負け犬のようにして吠え続けていた。


「大陸有数の観光地と聞いていた割に、サービスの質は異常に悪いな」


 シオンはそう言って嘆息しつつ、街の中心部へと足を向けていった。大陸屈指の観光地と聞いて、目的が観光でないにしろ、それなりの期待を持ってこの地に訪れた。ゆえに、初っ端からこのような不愉快な思いをしたため、どこか失望感に似た気持ちの沈みがある。


 しかし、ひとたび奥へと進めば、眼前にはその前評判には違わない壮大な景色が広がっていた。


 街にはレンガ造りの建造物が所狭しと建ち並び、それらの隙間を紡ぐのは石畳やコンクリートではなく、穏やかな波を立てるミナモだった。大運河を本流とした街の水路には、車や馬車に代わって多くのゴンドラが並び、今日も穏やかに客を乗せて進んでいる。

 人々の活気にあふれる笑い声は賑やかな調べとなり、水面に暖かい波紋を浮かべていた。その脇を固めるようにして並ぶ露店には、カーニバルの時期ではないにもかかわらず、派手な仮面が土産物のようにして装飾されている。観光客たちはそれを面白おかしく見て取って、付けて笑って、踊って見せていた。


 シオンは、いつもの希薄な表情のままであったものの、その光景に圧倒されたように感嘆として言葉を失っていた。かつて、騎士として大陸各地を飛び回っていた時でも、このラグナ・ロイウには訪れたことはない。同僚たちが口を揃えて“素晴らしい街”と言うから、どれほどのものかと常々思っていたが――なるほど、その通りであったと、一人納得していた。


 エレオノーラを見つけ出すという使命がありつつ、ふと小さな心の安らぎを覚えたようで、張り詰めていた心の緊張が少しだけ和らいだような気がした。


 と、不意に腰のあたりに衝撃を覚えたのは、そんな時だった。


「気を付けろよ、のっぽ!」


 振り返ると、少し離れたところで十二歳ほどの子供が走りながらこちらに向かって悪態をついていた。この華やかな街の景観にはそぐわない、みすぼらしい恰好をしている。頭から足の先――身に付けている鳥打帽からブーツまで、酷くボロボロに痛んでいた。


 子供の姿はすぐさま人ごみに紛れて見えなくなるが――


「街並みは華やかな一方で、といった感じか」


 そう言ってシオンが目を瞑り、顔を顰めながら首を左右に倒す。

 彼の手には、子供とぶつかる前にはなかった、何かの“ポーチ”が握られていた。







「ちょろいな」


 息を切らす直前で、ソーヤーは路地裏に身を潜めた。今年でまだ十二歳――しかし、その容貌は子供には似つかわしくなく粗暴で、ドブネズミのように酷く汚れていた。煤なのか、泥なのか、本人にもよくわかっていない黒い模様が、顔から頭の先まで、満遍なくついている。

 しかし、当の本人はそんなことなど意にも介していないようで――鳥打帽を被り直し、早速、“戦利品”を確認し始めた。


 だが――


「あ!? 中身入ってねえじゃん!」


 先ほどの若い男からくすねた財布の中身を見てみたが、紙幣どころか、硬貨ひとつ入っていない。

 ソーヤーは財布を地面に叩きつけ、何度も踏みつけた。


「観光客だと思ってそれなりに持ってると踏んだのに! 貧乏人かよ! クソ!」


 最後の悪態と同時に財布を蹴り飛ばすと、それは綺麗に路地裏の水路へと落ちていった。

 ボロ雑巾のようにして流れる財布には目もくれず、ソーヤーは肩を落としながら踵を返す。


「ったくよー……これでスカしたの、今日で三度目だぜ……」


 言いながら、自身の懐に手を伸ばした。


「飯代もまだ確保できてねえってのに、これからどうすれば――」


 だが、みるみるうちに、ソーヤーの顔は青ざめていく。ジャケットの下に入れてあった、自身のポーチがないのである。


「え、嘘だろ! ない!」


 慌てて周囲を見渡して探すも、それらしいものはどこにも落ちていない。


「おい、やべえよ! どうすんだよ! いったいどこで――」

「探し物はこれか?」


 突如としてかけられた男の声――見ると、路地裏の出口付近で、逆光を背にこちらに向かって立つ一人の男の姿があった。

 そして、その男の手に掲げられていたのは、


「俺のポーチ!」


 ソーヤーのポーチであった。

 途端に、ソーヤーは飢えた野良犬のような形相で男を睨みつける。


「てめぇ! それは俺のだ! 返しやがれ!」

「先にお前の方から返すものがあるだろ」


 そう言われて、ソーヤーはハッとする。

 この男、つい先ほど標的にした“獲物”だ。見間違えるはずもない。女のような顔立ちをした、長身で黒い長髪を縛った男だ。

 ソーヤーは歯噛みして、唸るように声を絞り出す。


「あ? 知らねえよ! 怪我したくなけりゃ、さっさとそいつを返せ!」


 すると、意外にも、男はすぐにポーチを投げ渡してきた。

 予期せぬ行動に、ソーヤーは思わず鳩が豆鉄砲を食ったような顔で目を瞬く。


「な、なんだよ。物分かりいいじゃねえか」


 すぐさま拾い上げて、ポーチの中身を確認するが――


「――ない!?」


 中に何も入っていなかった。ソーヤーの懐にあった時は、間違いなく中身があったはず。

 狼狽して、ソーヤーは目の前の男に駆け寄った。


「おい、中身はどうした!?」


 男はその赤い双眸を、まるで何の感情も含んでいないような視線で向けてきた。


「さっき中身を確認した時に捨てた。今頃は水路を伝って運河に流れているんじゃないのか?」


 その言葉を聞いて、ソーヤーは愕然として腰を抜かす。地面にへたり込み、絶望した表情で黙り込んでしまった。先ほどまでの威勢は一切失われ、まるで打ちひしがれるように静かになる。


 急変したソーヤーを目の当たりにし、男が嘆息しながら近づいていった。


「これに懲りたら、もう二度と人の物を盗み取るな」


 そして、ソーヤーの目の前に、一枚の小さな紙――写真をそっと置いてきた。

 色褪せたセピアに映し出されているのは、まだ赤子だった頃のソーヤーと、その母親である。

 ソーヤーは、魂を呼び戻したかのように、すぐに写真を懐にしまった。直後、尾を踏まれた猫のような俊敏さで男と距離を取る。


「クソったれが! 揶揄いやがったな!」


 ソーヤーが怒号を飛ばすも、男はそれきり興味を失ったようで、何も言わずに路地裏から立ち去ろうとしていた。


 しかし、不意に、路地裏の陰から、二人の何者かが姿を現す。

 二人はライカンスロープの大男で、双方どちらも、身体のどこかに狼のような特徴を持っていた。

 そんな二人を目にした途端、ソーヤーの目が一気に輝く。


「兄貴たち!」


 ソーヤーの声援のような呼びかけを受けて、ライカンスロープの大男二人はニヒルに笑って見せてきた。腕を曲げて力こぶを作り、鼻息を強く荒げる。

 その後で、威嚇するように、長身の男へと迫っていった。


「おうおう、綺麗な顔した兄ちゃんよ。俺らの子分に随分酷いことしてくれちゃったみたいじゃねえか?」

「こいつは見ての通りまだガキだぜ? いけないなあ、いい歳こいた大人がそんなことしちゃ――」


 と、威勢よく睨みつけながら煽っていたのだが――突如として、路地裏の壁の一部が轟音を上げて瓦解する。


 見ると、長身の男が壁に向かって腕を伸ばしていた。見ての通り間違いなく、この男が素手でレンガ造りの重厚な壁を叩き割ったのだ。

 男はそれからゆっくりと腕を引き、そのまま握りこぶしをライカンスロープたちの前に持っていく。握りこぶしにはレンガの塊が収められており――一瞬の後、男の掌の中でさらなる圧がかけられ、粉みじんに砕け散った。男が手を開くと、パラパラと無残な姿になったレンガの破片が地面に落ちていく。


「これ以上絡んでくるなら、次はお前たちを殴る」


 血だまりのような赤い双眸を向けられ、ライカンスロープの二人組は揃って失神寸前まで息を詰まらせた。あわわ、と腰を抜かし、支えを失ったように尻もちをつく。


 男は小さく鼻を鳴らし、二人組の間を通り抜けようとした。

 だが――


「ま、待ってくれ!」


 突然、ソーヤーが男の背に声をかけた。

 男が露骨に不機嫌な顔のまま振り返ると、ソーヤーは一瞬だけたじろぐ。しかし、すぐに負けじと前のめりになった。


「あ、アンタ、何もんだ!? 魔術師か!?」


 男はそれを無視し、再び路地裏の外に向かって歩みを進める。

 だが、ソーヤーがすぐに前に出て、立ち塞がった。


「さっきは悪かった、謝るよ! 俺はソーヤー!」


 そして、突然、両手両膝を地面について、懇願するような眼差しを向けてくる。


「アンタに折り入って頼みがある! どうか、どうか俺たちを助けてくれ!」


 それに倣ったかのように、何故かライカンスロープの二人組も同じようなポーズを取り始めた。


 いったいどういうことなのかと、長身の男――シオンは、困惑と、不可解さに、顔を顰めざるを得なかった。

単独行動中なのでシオンもやること荒っぽいです。

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