第一章 再臨Ⅴ
「そんなこんなで、我々騎士団のプライドはずたずたになりました。今思えば、騎士団の地位を失墜させ、教会内での影響力を教皇一色に強めることも企ての一部だったのかもしれませんね。しかし、ここまで一方的にやられて大人しくしているほど騎士団もお人よしじゃありません。教皇庁の不義には、いかなる手段を講じても一矢報いるべきと私は考え――戦争終結後、議席持ちの一部の騎士――私と総長、Ⅲ番リリアン卿で、教皇を罷免し、異端審問にかける計画を密かに実行し始めました」
話が本筋に入り、ステラは傾聴する姿勢に力を込めた。
「最初に申し上げた通り、それには御身のお力が必要不可欠です。しかし、悪い事ほど立て続けに起こるものでして――ご存じの通り、数年前にログレス王国の前女王が崩御した直後、ガリア公国がここぞとばかりにログレス王国に攻め入る事態になりました。ガリア公国にステラ王女が捉えられれば計画に大きな支障がでる――しかし、その時またしても我々騎士団は教皇庁に釘を刺され、ログレス王国への直接的な協力はするなと言われてしまいました。そこで私は、ひとつ賭けに出ることにしたのです」
「賭け?」
ステラが首を傾げると、イグナーツはどこか悪戯っぽく微笑した。
「黒騎士シオンを利用することにしました。シオンが御身と接触すれば、彼の性格上、必ず守護してくれると考えてね」
突拍子もない内容に、ステラは目を見張る。
「利用って――」
「ステラ王女がエルフの独立自治区周辺で孤立状態に陥っていると聞き、私はそれをチャンスと捉えました。シオンの処刑日を調整し、輸送列車を脱線事故に見せかけ、ステラ王女と引き合わせることにしたのです」
つまり、シオンが川で行き倒れのようにしていたのは、すべてイグナーツの企てということになる。にわかには信じられない事実に、ステラは驚きと混乱で滑舌を悪くした。
「じゃ、じゃあ、シオンさんが川で倒れていたのは――」
「私が輸送列車を魔術で吹き飛ばし、そのまま御身が通るであろう場所まで彼を流しました」
色んな意味で、“とんでもない男”だと思った。ヒトを人とも思わない冷淡な計画に加え、人間離れした能力でそれを実現させてしまうのだから、やはり騎士団副総長という肩書はあらゆる面で恐ろしい存在だと、ステラは改めて認識した。
「そこからは、御身の方がお詳しいでしょう。シオンは、御身がステラ王女だとわかれば、きっと復讐のために教皇暗殺に動き出し、利用するだろうと考えました。戴冠式を口実に教皇を引きずり出し、自分に有利な舞台で暗殺を決行する――その時まで、シオンは御身のことを是が非でも守るだろうと。そして、彼は見事、文字通り命を賭して御身を守ってくれましたね」
シオンの死をどこか他人事な言い草で表現され、ステラは少しだけ眉を顰めた。
「……そんな言い方はやめてください」
「失礼いたしました。確かに、今の言い方は少し嫌味っぽかったですね」
謝罪して、イグナーツは軽く咳払いをする。
「気を取り直して――シオンとステラ王女が無事に接触できただけでも結果としては上々だったのですが、ここでさらに嬉しい誤算が生まれます」
「嬉しい誤算って、もしかしてエルフの奴隷解放ですか?」
「お察しがよくて助かります。実を言うと、ルベルトワの領主が教皇と結託し、エルフの奴隷を使った人体実験をしていることはこの時点で私も把握していました。その事実を証明できる証拠を入手できれば、我々の計画を大きく前進させることができるとも考えていました。ですが、教皇に睨まれている以上、騎士団が表立って領主を締め上げることはできない――そこで私は、魔術の弟子であるエレオノーラを送り込むことにしたのです」
エレオノーラ――かつての旅の仲間の名を聞いて、ステラは一瞬だけ身を跳ねさせた。
容姿端麗、頭脳明晰、自分にはないものをいくつも持っていた、もう一人の憧れの人だった女。しかし、今のステラにとっては、彼女もまた憎悪を向けるべき対象の一人に成り変わっている。
自ずと、顔が歪められた。だが、不意に、イグナーツが最後に残した言葉が、頭の中でもう一度復唱される。
「弟子、ですか?」
「はい。エレオノーラは騎士ではなくただの教会魔術師ですが、彼女に魔術のイロハを教えたのは私です。彼女がまだ小さかったころ、母親を失い、一人亡者のように彷徨っていたところを騎士団が保護したのです。以降、私が保護者的な立場で彼女が自立するまで育てることになったのですが――彼女には色々と驚かされましたよ。魔術の才能はまさに千年に一人の逸材といってもいいほどで、十二歳にして教会魔術師になってしまいました。そして、これは他言無用にしてほしいのですが、何よりも驚いたのは――」
「……教皇の隠し子だった、ということですか?」
ステラが先に言って、イグナーツは少しだけ驚いた顔になる。
「ご存じでしたか」
ステラは無言で肯定の意を示す。
イグナーツは軽く息を吐いて、気を取り直すようにソファに座り直した。
「エレオノーラを保護した時、その健康状態を調べるために血液を採取したのですが、彼女の遺伝情報から辿った父方の生体情報が、アーノエル六世――ガイウス・ヴァレンタインのものと同じだったのですよ。あの時は、心臓が止まるかと思いましたよ」
当時を振り返るように、イグナーツはやや顔を綻ばせていた。
「その事実は、偶然その場に居合わせた一部の教会魔術師だけが知り、決して口外してはならないと箝口令が敷かれましてね。確か、ガリア軍のガストン・ギルマンも知っていたはずですね」
だからリズトーンで戦った時、ギルマンはエレオノーラに対して妙な反応を示したのだと、ステラは納得した。
「と、少し話が逸れてしまいましたね。本筋に戻しましょうか。それで、御身たちがエルフたちを取り戻すべくルベルトワに侵入すると知った私は、もともと実験場に研究者として忍び込む予定だったエレオノーラに、シオンたちに協力するよう指示し直しました。それを終えたあとは、 王女の保護と監視のため、引き続き御身たちの旅に同行するようにも命じました」
やはり最初から騙されていたのだと、ステラは内心酷く憤った。旅のことを思い返せば思い返すほどに、悲しみと怒りが心臓を焼いていくような感覚に陥る。
それに、ルベルトワで起きた“アリスのこと”が鮮明に思い出され、やり場のない怒りがさらに増幅されていった。
ステラのそんな胸中などいざ知らず、イグナーツは説明を続ける。
「そうして御身たち三人の王都へ目指さす旅が始まったのですが、ここでひとつ、厄介な課題がありました」
「厄介な課題?」
「騎士団は脱走した黒騎士を放っておくわけにはいきません。私個人の思惑としては、そのままのらりくらりと教皇とガリアの手から逃れつつ、ログレス王国内でのんびりしてくれればよかったのですが、騎士団としてはそうもいかない。脱走した黒騎士を捕まえる、あるいは処分することは最重要任務として扱われます。しかし、シオンを利用してステラ王女を保護する計画を知っているのは、その時点で私とリリアン卿、あとは総長だけでした。もし下手なタイミングでシオンを討伐されたりでもすれば、なし崩し的にステラ王女が騎士団に保護され、そのまま教皇を通じてガリアの手に渡ってしまうことも懸念されました。アルクノイアでアルバート卿たちが御身たちと接触した時は、いっそ彼らにも計画を伝えようかとも考えたのですが――あまりべらべらと教皇罷免の計画を広めたくないという思いもあり、別の手段を取ることにしました。ホテルでガリア軍がいきなり押し掛けましたよね? あれ、私が手配したんですよ。ステラ王女がいるかもしれないって。そうして混乱を作れば、シオンとエレオノーラなら、どさくさに紛れてアルバート卿たちから逃げてくれると思いましてね。アルバート卿は正義感の強い騎士なので、必ずガリア軍の方を優先すると見込んでの作戦でした。そして見事、私の思惑は当たり、御身たちは無事逃げ切ることができた、というわけです」
アルクノイアのホテルでいきなり起きたガリア軍の襲撃は、この男が原因だったのか――ステラは怒りと驚きで歯軋りをしながら、犬のような唸り声を上げる。
イグナーツが困惑気味に苦笑した。
「ああ、やはり怒りますよね。でも、許してください。あの時は、そうするしかなかったんです」
しかし、ステラの静かな怒りは収まらず、彼女はイグナーツのことを睨み続けていた。すかさずリリアンが、どうどう、と宥める。
「責めは後で幾らでも聞きますので、まずは私の苦労話をさせてください」
急に真面目なトーンになったイグナーツに、ステラもまた気を引き締める。
「しかし、事態はより悪い方に向かっていました。御身たちがアルクノイアに訪れる前に、リズトーンでガリア公国軍第八旅団と交戦してしまったことが原因です。あの一件は、完全に計画の想定外の出来事でしたからね。ステラ王女と“紅焔の魔女”エレオノーラが一緒にいるということがガリア軍の情報網を通じて教皇の耳に入り、諸々私は詰められることになったのです。エレオノーラは教皇には知らせていない隠し玉だったので、それまでの報告に彼女の名が出ていなかったことを根掘り葉掘り聞かれましてね。このままだと、教皇が騎士団に対してさらなる圧力を強めることになりかねませんでした。それだけは避けなければと、私は急遽円卓会議を開催することにしました。そこで議席持ち全員に教皇罷免の計画を話し、彼らにも協力を要請することにしたのです」
その話を聞いて、ステラは、そういえば、と当時を思い出す。偽物騒動にて大臣から事情聴取をした時くらいから、シオンはエレオノーラに対して不審がるような目を向けるようになっていたな、と。
「教皇からの最初の言及についてはどうにか話をはぐらかして逃れることができたものの、すでに彼の猜疑心は最高潮でした。そこで私は、このタイミングで黒騎士討伐を完遂させ、教皇への手土産とすることにしたのです」
「どういうことですか?」
何故、教皇から疑いを強められることによって、シオンの討伐を完遂させるという方針になるのか、ステラには想像もつかなかった。
「教皇は、何故かシオンの死に異様な執着を見せていました。私たちとしても、黒騎士討伐を経て騎士団の義務を果たせば、仲間割れの汚名を払拭することができます。つまり、黒騎士の討伐は、私たち騎士団にとって、教皇の猜疑心を鎮めつつ、騎士団としての面子を保つことのできる、このうえない好都合なイベントだったのです」
「……そして、シオンさんを殺した」
怨恨が込められたステラの声を聞いて、イグナーツは静かに目を伏せた。彼女の心中を察したように、ゆっくりと息を吐き、
「はい。これも仕事でしたからね」
端的に回答した。
ステラは、自身を落ち着かせるように大きく深呼吸をする。それから改めてイグナーツを見据えた。
「副総長」
「そうかしこまらず、イグナーツとお呼びください」
「イグナーツさん。どうして教皇は、シオンさんの死に執着していたんですか?」
ステラの問いに、イグナーツは難色を示す。
「残念ながら、それは私にもわからないです。今も議席Ⅺ番とⅫ番に協力してもらって調べてはいますが、まだ何もわかっていないですね」
そう言って肩を竦め、回答を終わらせた。
ステラは次に、
「じゃあ、次の質問です。イグナーツさんは、偽物騒動の時のトーマス大臣を口封じに殺しましたよね。あれは、何故ですか? 私たちに聞かれたくないことがあったんですか?」
偽物騒動でのイグナーツの行動について訊いた。
すると、イグナーツは、ああ、と言って力なく笑う。
「シオンがあの大臣から話を聞いたら反射的に余計なことをしかねないなと思って、さっさと始末したんですよ。生かしたところでろくでもない人間でしたしね」
「余計なこと?」
「あの時大臣が言おうとしたことは、恐らくガリア公国と結託しての教皇の目的です。そしてそれは、最初の方で私が話した通り、大陸同盟の実現になります。“表向き”には、教皇は協力者にそう言っていますからね」
「何でそれをシオンさんが知るとまずいんですか?」
「一連の出来事すべてが大陸同盟の実現に関っているとシオンが耳にすれば、彼はステラ王女を大陸の外に逃がしかねませんからね。なんだかんだ言って、シオンはそういう優しさを持つ男ですから。かつて自身が陥れられた陰謀に、ステラ王女を巻き込もうとは思わないはずです。そんなことになれば、私たちとしては非常に都合が悪かった」
思わぬところでシオンの優しさに触れ、ステラは少しだけくすぐったい思いになった。真面目な話をしているのに顔がにやけそうになるのを堪え、次の質問をしようとするが――
「イグナーツ様、次の予定のお時間が迫っております。そろそろお話をまとめられた方がよいかと」
リリアンが、そう進言した。イグナーツもそれは承知していたようで、特に慌てたこともなく、改めてステラを見遣る。
「ステラ王女とはまだ話さなければならないことがあるのですが、致し方ないですね。申し訳ありませんが、今伝えておかねばならないことを少し一方的に喋らせてもらいますね」
そう断りを入れて、徐に立ち上がった。
「ステラ様には、ログレス王国の新たな女王になったうえで、生き証人となってほしいのです」
「生き証人?」
何の証人になればよいのかと疑問を想っていた矢先に、
「教皇とガリア公国の蛮行を実際に目の当たりにした大国ログレス王国の女王が、公の場で彼らを糾弾するのです。無論、エルフの実験記録を始めとした、彼らが行ってきた非人道的な行為の確たる証拠を白日の下に晒して」
訊かずともイグナーツが答えてくれた。
しかし、彼は以前、エルフの実験記録程度では教皇は屈しないと言っていたはずだ。
「で、でも、前にイグナーツさんはそのやり方では不十分だって――」
「強力な後ろ盾を得ることができれば話は別です。我々騎士団と聖女、それに今の教会の体制を良しとしない大陸諸国の支持を受ければ、大陸の世論は必ずやステラ王女の味方となります。我々はそのためのステラ王女への協力は一切惜しまず、御身が女王になることを全面的に支持いたします。我々の計画への賛同、どうかご検討いただけますと幸いです」
騎士団の思惑を聞いて、ステラは心の整理がつかないまま静かに顔を俯ける。
こんな時、シオンがいたらどう反応してくれたか――急に心細くなるが、それを答えてくれる人はもういない。女王になる覚悟はとっくにできていたつもりだったが、いざ騎士団という大きな力を後ろ盾にすることになると、急に現実味が帯び、恐ろしくなってしまった。
そんなステラを、イグナーツはどこか憐れんだ瞳で見下ろす。
「……さて、そろそろお時間のようなので、私はこれにて失礼いたします。良いお返事を期待しておりますよ、ステラ次期女王陛下」
そして、踵を返して部屋から出ていった。リリアンも、部屋の外まで彼を見送りに出ていってしまう。
「私は、どうすれば……」
独り取り残されたステラの口からは、そんな戸惑いの言葉が自ずと漏れてしまっていた。
もう誰かに頼ることは許されないのだと、部屋の静寂が暗に伝えているかのようだった。




