第一章 再臨Ⅲ
教皇の罷免に、異端審問――大国の王女とはいえ、たかだか十五歳の女一人に何ができるのか、ステラが問いかけようとした時、
「そもそもの事の始まりから話しましょうか」
イグナーツがすぐに切り出した。
「ステラ王女は、“大陸統一論”という言葉をご存じですか?」
いきなり聞きなれない用語が飛び出し、ステラは眉根を寄せる。自分の教養のなさを悔い、恥じるように体を小さくする。
「……無知ですみません、知らないです……」
「なるほど。ということは、ステラ王女のお婆様――先代のログレス王国女王陛下は、孫娘である貴女のことをどうにかして巻き込まないように考えていたのかもしれないですね」
イグナーツは意外にも、馬鹿にした様子もなく、真摯に受け止めてくれた。それに、何故ここで祖母が関ってくるのか――ステラは、次々に生まれてくる疑問に、思わず身構えた。
「“大陸統一論”とは、その言葉通り、大陸を一つの国家にまとめ上げてしまおうという思想です。ですが当然、無数の国が存在する現代のユリアラン大陸においてはそのようなことは実現不可能――そこで、その妥協案ともいえる考えが提唱されました」
「妥協案?」
「大陸同盟――大陸四大国の内の次にあげる三ヶ国、ログレス王国、ガリア公国、アウソニア連邦を中心に結ばれる、安全保障、経済協力などを目的とした同盟です。そしてこの同盟は、大陸国際社会の水面下にて、教会を仲介役として進められることになりました」
「ちょ、ちょっと待ってください。無知ゆえに馬鹿な質問かもしれないんですが、なんでそんな同盟が必要になったんですか?」
イグナーツは優秀な生徒からの質問を受けた敏腕講師のようなノリで指を鳴らした。
「いい質問ですね。さすがはログレス王国の王女です」
いやぁ、と、ステラは満更でもない様子で頭の後ろを掻く。一方でイグナーツはすぐに真面目な表情になった。
「これには教会――いえ、正確には教皇庁の思惑が強く関係しています。というのも、二千年近い大陸史において、教皇庁は今まで教会の権威を失わず、絶対的な力を大陸諸国に見せつけてきました。その大きな要因のひとつが、聖王騎士団です。騎士という超人的な力を持つ戦士の集団が、その圧倒的な軍事力で大陸中の国を大人しくさせていたのですが――ここ数百年の間で、そのパワーバランスは徐々に、しかし確実に変わり始めてきました。何故だかわかりますか?」
「わかりません」
ステラの即答に、イグナーツは声を上げて笑う。
「不敬を承知で申し上げますが、素直で大変よろしいですね。では早速その解答ですが――原因は、化石燃料を用いた産業革命以降の急速な科学の発展と、それに伴う機械技術の汎化にあります。機械技術は、誰でも簡単に扱える強力な兵器を大量に生産できるようにしました。このせいで、これまで教会の専売特許にしていた圧倒的な軍事力というものが、ついに大陸諸国の軍隊に脅かされるレベルにまでなったのです。事実、昨今の大陸情勢はあまりよいものとはいえず、これまで騎士団が武力で抑止していた大陸諸国同士の紛争が、至る所で勃発するようになっているのが現状です。我々騎士団も、総動員で西へ東へと騎士を派遣して火消しに取り組んでいるのですが、早晩、限界が来るのは目に見えているでしょう。教皇庁はこのことに強い危機感を抱き始めました」
「だから、皆で仲良く平和になりましょう、ということで同盟が?」
ステラの無垢な問いを聞いたイグナーツの反応は、今度は苦笑気味だった。
「んー、それだけであればよかったんですがね。一番の問題は、この情勢がユリアラン大陸の西側諸国だけではなく、世界各国でも同様に起きている、ということです」
今一つ理解できないステラが、難しい顔になって首を深く傾げる。
「何が問題なんですか?」
「諸々飛ばして単刀直入に言うと、大陸外からの軍事的な侵略を受ける可能性が、中世以前と比べて格段に上がっているということです」
「え!?」
思わず声を上げたステラだが、すぐにイグナーツが両手を挙げて落ち着かせた。
「勿論、今のところそんな事実はありませんし、そんな兆候もありません。ですが、機械技術がこの先どんどん洗練されていけば、いずれ現実になるかもしれません。ましてこのユリアラン大陸には、北東に“名も無き帝国”、極東に“セリカ”という大国が存在しています。現在、“帝国”は完全鎖国状態で沈黙中、“セリカ”とは可もなく不可もなく付き合うことができていますが、今後世界的な飢饉や経済恐慌が起きた時、それらの国が、騎士団をも凌ぐ圧倒的な軍事力を用いて大陸の西側諸国を蹂躙してくるなんてことも考えられます」
「だから、大陸中の国が結束して、防衛力を高めようと?」
「そんなところです。ステラ王女のご理解が早く、大変助かりました」
しかし、ステラはまったく納得できていなかった。その話が、この現状にどう繋がっていくのか想像できないのだ。そんな思いが顔に出ていたのか、
「では、おおもとの背景をお話ししたので、本筋へと突入しましょうか」
イグナーツが続きを話し始めてくれた。
「この大陸同盟の考えについては、どの国も概ね賛同していました。大陸諸国同士の不要な争いを避けつつ、大陸西側以外の脅威から身を守るために有事の際は協力し合う――それだけを聞けばとても理想的なのですが、実現には数多くの問題が存在しました。当然といえば当然です。太古から現代まで教会という圧倒的な権威の下に存在していた大陸諸国であっても、そこにはそこのルールや文化がある。それらは国同士の間に生まれる溝や摩擦となって、同盟締結の大きな妨げとなりました。そして、その代表例かつ最も根深かったのが、“亜人問題”です」
ここで、ステラの頭の中で、何かの歯車がかち合ったかのように整理がついた。あ、という小さな声を漏らすと、イグナーツも少しだけ目つきを鋭くする。
「お察ししたようですね。そう、ここで、ログレス王国とガリア公国の長年の対立が大きな問題として取り上げられます。ログレス王国は大陸の中でも亜人の人権に関してとても敏感な国、一方、ガリア公国は未だに亜人の奴隷化を合法として根強く社会経済に浸透させている国――まして、この二国は隣国同士がゆえに太古からいくつも衝突を繰り返してきました。この二国は、同盟の条件にそれぞれの主張を掲げて、一歩も譲歩することがありませんでした」
「もしかして、ログレス側の条件は、ガリア公国の亜人奴隷制度の撤廃、ですか?」
「その通りです。素晴らしい」
イグナーツから賛辞の言葉を受けるも、ステラの胸中は晴れなかった。何故なら、それを皮切りに、今この現状までの過程が連鎖的に予想できてしまったからである。
心拍数が徐々に上がっていくのを感じながら、ステラはイグナーツの講義の続きを待った。
「そして、この対立はひとつの“最悪な結果”を生んでしまいます」
「“最悪な結果”?」
ステラが首を傾げると、イグナーツと、傍らに立つリリアンまでもが、少しだけ伏目がちになった。
「ほんの数年前の話です。ガリア公国が、大陸中の亜人の集落を、片っ端に強襲し始めたんですよ。しかもこの事実は、教会が黙認、もみ消しました」
衝撃的な話に、ステラは咄嗟にソファから立ち上がった。急速に頭にのぼった血のせいで、自ずと怒声を上げそうになる。だが、行き場のない怒りであることに瞬時に気付き、歯を食いしばってどうにかとどめた。
ステラは一度徐に息を吐き、改めてイグナーツを見遣る。
「……ガリアは、何でそんなことを?」
「自分たちの主張、及び長年の亜人に対する認識を、大陸国際社会に認めさせるためです。“亜人は人間によって管理されるものであり、人間の手から離れた亜人は悪である”。ガリア公国はそれを証明するために、亜人へ執拗な嫌がらせをするようになりました。そして、それに耐えきれなくなった一部の亜人たちが、ついにガリア公国への宣戦布告と攻撃を仕掛けたのです。ガリア公国は、ここぞとばかりに応戦し、亜人から攻撃を受けたことを口実に、大陸中の亜人を狩ることに正当性があると主張し始めました」
「それで、ログレス王国へ同盟締結の条件を取り下げろ、と言ってきたんですか?」
「本当、ご聡明で助かります。仰る通りです」
ステラは唇を噛み締め、拳を震わせた。シオンたちと旅した中で出会った亜人たちの顔を思い出すと、涙が零れ落ちそうになる。それを、深呼吸をしてどうにか留めると、
「すみません、続けてください」
イグナーツを促した。
「まあ、休み休みいきましょう。で、そんなことがあったわけですが――本来、そのような蛮行は我々騎士団が即座に仲介して止めに行くべき話です。ですが、教皇庁はそれを許しませんでした。過度な内政干渉だとして、傍観を要請してきたのです。何を馬鹿なことを、と思うかもしれませんが、教皇庁の立場からしてみれば、それでさっさと同盟を締結できるのであれば容認しようという考えだったのでしょう。それでもログレスが駄々をこねるのであれば、孤立させて適当に制裁なりなんなりを加えればいいという魂胆があったのかもしれません」
「理不尽すぎる……!」
「ええ、仰る通りです。今のステラ王女と同じように憤る人は、教会内部でも少なくありませんでした。そして、その中に、“リディア”という修道女がいました」
聞き覚えのある名前に、ステラは怒りを一瞬忘れてハッとした。
「“リディア”って……前に、シオンさんが言っていたような……」
イグナーツが、一拍の間を置いてから口を開く。
「――“リディア”は、捨て子だったシオンの育ての親であり、彼の恋人でもあった、ハーフエルフの女性です」
思いもよらない驚愕の事実を多数含んだ言葉に、ステラは表情を失った。




