第一章 再臨Ⅰ
白亜の巨人の如く聳え立つ騎士団本部――その中央階層に、要人向けの宿泊施設が備え付けられていた。大陸最先端の技術をふんだんに取り入れたこの宿泊施設は、どの先進国の最高級ホテルであっても遠く及ばないと思わせるほどに豪奢かつ煌びやか、それでいて高機能な造りであった。
それはログレス王国の王女――ステラ・エイミスが利用する部屋についても同様である。一客室であるにも関わらず、中央の大広間の広さに至っては、ちょっとしたダンス会場にもできるほどの空間だった。
ステラはそんな大広間にて、大開口窓から見える外の景色を一人眺めていた。眼下に広がるのは、アウソニア連邦の雄大な自然――騎士団本部は、人里から離れた山岳地域に建てられているのだ。往来する人々の中に一般人の姿はなく、騎士か、その関係者のみである。教会のようなしめやかな雰囲気とはまた違い、規律正しくも物々しい空気が建物全体に漂っている。
朝日が完全に東の空から顔を出し切り、今日もまた“何もしない一日”が始まる――そんなことを考えていた矢先だった。
不意に、ドアノッカーによって部屋の扉が鳴らされる。ステラが返事をすると、間もなく扉が開かれ、その先に一人の少女が立っていた。
円卓の議席Ⅲ番リリアン・ウォルコット――ステラが騎士団本部で保護されるようになってから今まで、彼女の警護を一任されている女騎士だ。
絹のような長い銀髪に、新雪のように透き通った肌――その無表情かつ事務的な応対も相俟って、リリアンの異様に整った容姿は、見惚れるといった類のものではなく、委縮するような不自然さがあった。ステラより二、三歳年上といった若さなのだが、どうにも年齢不詳に見えてしまう。
時刻は午前九時――リリアンが来ることは、保護されるようになってからの二か月間、毎朝のルーティンだった。それにも関わらず、彼女の異質さに慣れることができないステラは、いつも眉根を寄せて困惑気味に接していた。
「おはようございます、ステラ様」
「お、おはようございます、リリアンさん……」
ぎこちなく挨拶を返すと、リリアンは笑顔を返してきた。だが、それすらもどこか作り物のような感じがする。このように、ステラの一日は、いつも警戒心を極限まで引き上げるところから始まっていた。
そんなステラの胸中などいざ知らず、リリアンは深々と一礼する。
「本日も御身御守護を務めさせていただきます。ご協力のほど、どうかよろしくお願いいたします」
「はい、どうぞ……」
「失礼いたします」
ステラに了解を得て、リリアンが部屋に足を踏み入れる。
ここからが地獄なのだ。
毎朝、この状態になってしまったが最後、寝る直前まで一日中リリアンに付きまとわれることになる。食事の時は勿論、入浴、排せつまで、常にどこかしらにリリアンの目がすぐ傍にある状態だ。警護というよりは監視に近く、日に日に募るストレスは相当なものであった。
ステラは、背後にリリアンの視線を感じつつ、大広間のソファに腰を掛ける。すると、その傍らに、ぴったりとリリアンが立つのだ。
「……あの、座りませんか?」
ステラが遠慮気味に言うと、リリアンは再度笑顔を返してきた。
「どうか、私のことはお気になさらずに」
「いや、私が落ち着かないので、適当に座ってもらえると有難いです」
「さようでございますか。それでは、失礼いたします」
リリアンが、テーブルを挟んでステラの正面に座るが――
(毎朝気まずい……!)
ステラは頭の中でそう叫んだ。
ここまでが、毎朝の定例行動なのである。リリアンは丁寧にステラと接するものの、それはこのように事務的かつ無機質で、とても同じ年頃の少女を相手にしているとは思えなかった。
そんなことを考えていると――
「今日もよい天気ですね。この騎士団本部は、アウソニア連邦の中でも比較的気候の安定した――」
リリアンが、一方的に当たり障りのないことを話し出した。恐らく、気を遣ってくれているのだろうとは思う。
だが、その応対があまりにも“優等生すぎて”、ステラはどうにもまともに相手をする気になれないのであった。
そうやってステラがげんなりしている間も、リリアンはひたすらに話し続けている。
「――以上のように、この場所は年間を通して晴れの日が多く、大陸の北部にあっても雪があまり積もることがありません。ですが、今日は十一月の最終日――いよいよ本格的な寒さが到来する頃です。ステラ様も、どうかご体調を崩さぬよう、ご自愛くださいませ」
そこで、ステラはハッとした。
今日は十一月三十日。つまり――
「――シオンさんが亡くなってから、もう二ヶ月が経つんですね……」
いつの間にか、彼と旅をしていた期間よりも、彼を失った期間の方が長くなってしまっていた。そう思った瞬間に、思わず目頭が熱くなる――ステラは咄嗟に笑顔を繕い、リリアンに向き直った。
「そ、そういえば、リリアンさんは円卓の議席持ち、の騎士さんなんですよね? だったら、同じ議席持ちのシオンさんと仲良かったりしたんですかね?」
彼のことを思い出して泣きそうになるのを防ぐために自ら話を切り出したのに、なぜか結局彼の話をしてしまった。
ステラはすぐに別の話題にしようと思案したが、
「当時、私はまだ議席持ちではありませんでしたが、シオン様にはとてもお世話になりました。優秀な騎士は他にも在籍しておりますが、とりわけ、個人的に異性としても好ましく思った方は、シオン様以外にはいません」
リリアンが間髪入れずに拾ってきた。
やってしまった、これ以上話を広げても辛い思いをするだけなのに――と、思ったが、妙に具体的かつ好印象な評価に、興味を引かれてしまった。
「……今の発言には、騎士として相応しくない言葉が含まれておりました。どうか、ご放念くださいませ」
珍しくリリアンが、少しだけ取り乱したように早口になり、そう訂正した。恐らく、彼女の言う相応しくない言葉というのは、最後の方の言葉だろう。騎士であっても聖職者であることに変わらず、色恋沙汰には厳しい規律があるはずだ。
(あの人、本当に至る所で女の人を惚れさせているな……)
死人に抱く感想としてはいかがなものかと思う反面、そう評価せざるを得ないと、ステラは呆れた。まして、おそらく本人にはその自覚すらなかったはずだ。大方、表向きは理論的かつ合理的で尤もらしい正論を言って相手を打ちのめしつつも、いざ相手が困った時は救いの声を読み取ったかのように手を差し伸べ、問題を解決してきたのだろう。こう言語化すると、いよいよ質の悪い男娼のようにすら思えてしまい、若干ではあるが軽蔑の思いが芽生えてきた。
ステラは、いかんいかんと頭を横に振り、リリアンに向き直った。
「そ、そうなんですね。あの、シオンさんって騎士団にいた時から――その、女性にモテてたんですか?」
苦笑しながら訊くと、リリアンは少しだけ視線を伏目がちにした。
「シオン様は女性のみならず、総じて騎士団内部で評価の高いお方でした。しかし、あまり他人と積極的に関わろうとするお人柄ではなかったため――いうなれば、若くして高嶺の花のような存在だったと表現するのが適切だったかもしれません」
それを聞いて、ステラは堪らず吹き出した。
「それ、何かわかります。いつも眉間に皺寄せて難しい顔して、一人で色々考えている感じですよね。でも、高嶺の花はよく言い過ぎですよ。あれは単純に、ただ近寄り難いってだけです」
「そうなのですか?」
リリアンが不思議そうに訊いてきた。
「だってあの人、実際はそこまで深刻なこと考えていることなかったですもん。急に不機嫌そうに顔を険しくして、私とエレオノーラさんが、何かなー、何か怒らせるようなことしちゃったかなーって話し合ってたら、“腹が痛い”とか言って、急いでトイレに駆け込むこととかざらにありましたしね」
笑い話のように言って、途端に、ステラは自分を戒めるように口を噤んだ。一ヶ月ほどの短い旅路――三人で過ごした時の郷愁が、それを許すまいと、瞬時に心を締め付けたのだ。
その一方で、
「ステラ様は、シオン様をよく見られていたのですね」
リリアンが笑っていた。今までの事務的なものとは違う、心が自ずとその表情をさせているかのような笑みだった。
思わず面を食らって、ステラは暫し呆けてしまう。しかし、すぐに表情を元に戻して、力なく微笑した。
「――何でもできるあの人に、少しでも追いつこうと必死だっただけです」
ステラの一言に、リリアンが首を傾げる。
そして、
「今思えば、私の憧れでした」
そう返答した。




