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辺獄の黒騎士  作者: シベハス
第二部
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序章

 教皇庁地下室――煌びやかな地上の構造とは打って変わり、死体安置所へと続く石造りの通路は薄暗く、露に塗れてかび臭かった。靴の音に合わせて水滴が地面を鳴らし、凍てつく静けさを悪戯に強調させる。


 教皇――アーノエル六世が死体安置所前の扉に着くと、そこにはすでに先客がいた。騎士専用の白い戦闘衣装を身に纏った、黒い長髪の男――騎士団副総長のイグナーツだ。

 イグナーツは教皇を見るなり軽く会釈をし、指示を受けるまでもなく死体安置所の扉を開ける。


「どうぞ、こちらに」


 静かに促すと、教皇は何も言わずに奥へと足を踏み入れた。その後に、イグナーツが続く。

 死体安置所の中は一本の通路がまっすぐに伸びており、その左右にいくつもの扉が規則的に配置されていた。扉の奥にはいずれも解剖室や、死体の長期保存を目的とした冷蔵室が設けられている。

 だが、今この通路を淡々と進むこの二人が目指す場所はそれらではなく、突き当り正面に存在する扉の先だ。


「黒騎士は誰が仕留めた?」

「アルバート卿です。円卓の議席Ⅶ番――アルバート・クラウスです」


 ふと、教皇から投げかけられた質問に、イグナーツは端的に答えた。


「アルバート……確か、“帰天”を使える騎士だったか」

「ええ。礼儀正しく品行方正、まさしく絵にかいたような騎士ですが、その戦闘力は騎士団の中でも指折りです」

「その騎士一人で討伐を?」

「戦闘にはⅤ番レティシア・ヴィリエ、Ⅵ番セドリック・ウォーカーも加わっていました。二年前の戦争で、シオンを取り押さえた三人になります」

「シオンを倒すには充分な戦力が当てられた、と」


 何かを勘ぐるような言い方に、イグナーツは反射的に眉を顰める。


「何か、ご不満が?」

「いや」


 教皇はそれきり黙り、歩みを進めた。

 間もなく、目当てである最奥部の部屋に到着する。すかさずイグナーツが前に出て、扉を開けた。


「猊下が彼と対面するのは、実に二年ぶりですかね?」


 部屋に入り、照明のスイッチが押される。天井の光が映し出したのは、無機質な空間だった。上下四方はすべて打ちっぱなしのコンクリートで囲われており、装飾の類は一切施されていない。家具や祭壇のようなものもなく、ただ一つ、部屋の中央に、黒い棺が台座に置かれていた。

 棺に、まだ蓋はされていない。


「ご確認ください」


 イグナーツに促され、教皇は棺に近づく。


 棺の中にあるのは、黒騎士シオン・クルスの遺体だ。両手を胸の前で組み合わせ、眠っているかのように目を閉じている。しかし、その皮膚は青白く変色しており、呼吸も脈も一切していない。誰の目から見ても、死者であることに間違いはなかった。

 だが――


「猊下、何を?」


 教皇は、祈りを捧げるでもなく――それどころか、何を血迷ったのか、突然、棺をひっくり返して遺体を床に寝かせた。続けて遺体の死に装束をはぎ取り、背中の状態を確認し始める。


「……騎士の生命活動が停止すると、その背中に刻まれた“騎士の聖痕”は自動的に焼き潰されるよう仕組まれている。その秘匿性を維持するためにな。それに“悪魔の烙印”が上書きされていた場合はどうなるのか――」


 教皇は立ち上がり、シオンの背中を見下ろした。


「“騎士の聖痕”は消え、“悪魔の烙印”だけが残る。なるほど、“その通りになっている”」


 シオンの背中には、“悪魔の烙印”だけが刻まれている状態だった。“騎士の聖痕”があった箇所は火傷痕のように爛れており、直視するのも憚れるような有様だ。


「“悪魔の烙印”を刻まれた騎士が死ぬとその背中がどうなるのか、お前は知っていたのか、イグナーツ?」


 不敵な笑みを浮かばせる教皇に対して、イグナーツは怪訝な顔を返す。


「仰っていることの意味が理解できませんが?」

「“お前の人形劇に付き合わされているのではないか”――私はそれを懸念している」


 狼のような鋭い金色の視線を向けられて、イグナーツは深く嘆息した。


「そこまで疑われるとは、心外ですね。私は、自分が図太い神経をしていると自覚していますが、さすがに傷つきますよ、猊下」


 そう言って、懐から一枚の紙を差し出す。それは、検死の結果だった。


「生体情報の確認込みで、その遺体は紛れもなくシオン・クルスです。この結果も偽装していると疑うのであれば、もう一度検死に出しましょうか? 何なら、猊下が一から手配してくださっても構いませんよ。何度もやるのは面倒なので、そうしていただけると私も助かります」


 検死結果には、騎士団が保有しているシオンの事細かな身体情報と、この遺体との突合結果が記載されていた。教皇はそれを斜め読みしたあと、イグナーツに視線を戻す。


「……検死には、ご丁寧に私の息がかかっているガリアの解剖医を選んだか」

「猊下も安心でしょう、その方が?」


 イグナーツが肩を竦めてにやけると、教皇は鼻を鳴らして検死結果を返した。


「黒騎士討伐の任、ご苦労だった、イグナーツ卿」

「ようやく認めていただけたようで。恐れ入ります、猊下」


 軽い会釈をして、イグナーツは検死結果を受け取る。彼はそれから、シオンの遺体を再び棺に戻そうとした。

 一方の教皇はというと、シオンの死が確実なものと知ってそれきり関心を失ったのか、早々に踵を返して部屋から出ようとしていた。

 その背に、イグナーツが声をかける。


「猊下、お忙しいところ申し訳ないのですが、もう少しだけお付き合いいただけますか?」


 教皇は今まさに部屋から出ようとしているところだったが、無言で振り返った。

 イグナーツはシオンを棺に納めたあとで、徐に教皇へ歩み寄る。


「黒騎士の死によって、騎士団としては猊下、ひいては教会に然るべき筋を通した形になります。猊下との間にまた新たな信頼関係が少しだけ築かれたところで、私からひとつ、お伺いしたいことがあります」

「なんだ?」

「猊下が黒騎士の死に固執する理由です。貴方は、何故そこまでしてシオンを死に追いやりたかったのですか?」


 途端に、教皇の目が細められた。何かを疑うような視線であることには間違いないが、それ以上に、敵意や殺気の類が含まれているようだった。


「黒騎士だからだ。それ以上の理由が必要か?」

「訊き方を変えます。シオンを“黒騎士に仕立て上げた”のは、何故ですか?」

「人聞きの悪いことを言う。奴は騎士団分裂戦争の戦犯だ、なるべくしてなったようなものだろう。それに、奴を黒騎士と定めたのは私の独断ではない。異端審問にて然るべき手続きを以て下された裁定だ」

「我々騎士団は当時その異端審問に加わることが許されなかった。証人尋問には、猊下と、何人かの枢機卿だけが選ばれたようですが、これはいささか公平性に欠けるのではと今更ながらに思料いたします」

「身内の証言は真実を曇らせる。仮に騎士団の証言があったところで、奴の罪状の裏付けを強めるだけだった話だ。何せ、シオンたち分離派の騎士を迎え撃ったのは、他でもないお前を含めた教皇派の騎士なのだからな」

「そこなんですよ」


 突然、ぴしゃりと言い放ったイグナーツに、教皇は目つきを鋭くした。


「あの戦争、いったいどちらが、何がきっかけで始まったものなのか、当事者の私たちすらまったくわかっていないんです。気付けば、教皇派、分離派のどちらかに与しているとされ、騎士たちが勝手に殺し合いを始めていた。当時は参りましたよ。こちらとしては、ただ騎士団の規律に則って対処していただけなのに、わけもわからず教皇派と呼ばれ、同士討ちを始めることになりましたからね」


 イグナーツはいつになく真剣な面持ちで語る。


「戦争勃発時点の対立構造こそ“リディア”の死が大きなきっかけではありますが、そもそもとして貴方の力が強まることに不満や懸念を抱く勢力は教会組織内の至る所に潜在的にいました。猊下は、このことはご存じで?」


 イグナーツの言葉に、教皇は鼻を鳴らした。


「当然だ。権力者とは押し並べてそういう立場にあるものだろう」


 余裕を感じさせる表情をしていたが、その眼差しは依然として険しかった。

 それに怯むことなく、イグナーツはさらに続ける。


「では少し話は逸れますが、騎士団分裂戦争が始まる少し前に、別の争いがこの大陸で起こっていたこと、猊下はご存じでしたか?」


 教皇は沈黙を返した。


「当時、ガリア公国が大陸中の亜人の集落を強襲していたみたいでしてね。我々騎士団としても、そのような蛮行は止める立場にあったのですが――どういうわけか、教会上層部のお達しで、ガリア公国への内政干渉に抵触するとして何一つ身動きが取れなかったんですよ。そう判断されてしまっては、いくら騎士団といえども、軍事介入をするにはそれなりの有事特権が必要になります」

「随分と回りくどいことを饒舌に喋るが――とどのつまり、お前は何を言いたい? シオンが黒騎士になった理由を聞いていたのではなかったのか?」


 その言葉を聞いて、今度は、イグナーツが不敵に笑ってみせた。


「何か隠し事がある時に物事を複雑にするのは、何も私だけの専売特許ではない、ということですよ、猊下。シオンは、“貴方にとって何か不都合な真実”を知っていたのではないですか? だから貴方は、あらゆる手段を講じて――騎士団分裂戦争なんて大掛かりな舞台を整えてまで、シオンを黒騎士に仕立て上げた。そうすれば、たとえ死の間際に彼が“何かを暴露”したとしても、裏切り者の世迷言として相手にされないでしょうしね。随分とえげつないやり方を思いついたものです」


 いつの間にか無表情になった教皇の横を、イグナーツが通り抜ける。


「まあ、シオン亡き今となっては、それを裏付けることはできず、その意味もなくなりましたけどね。今のは、私の妄想半分の与太話だと思ってください」


 そこまで言って、ああそういえば、と足を止めた。


「あと二ヶ月もすれば、十二月ですね。二十五日には、聖王祭も控えています。猊下がそこで今年は何を話されるのか、楽しみにしていますよ」


 イグナーツはそう言い残して、死体安置所を後にした。


 一人残った教皇は、再度シオンの亡骸を見遣る。この“裏切り者の死”は、教皇の新たな鬼胎になり替わろうとしていた。

やっぱり話を進めた方がよいと思って改稿は後回し!

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