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辺獄の黒騎士  作者: シベハス
第一部
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第六章 さようならⅨ

「もっと驚いた顔すると思ったんだけど、そうでもないね。まあ、それが“アンタの凄く驚いた顔”なのかもしれないけれど」


 少しだけ口の端を吊り上げるようにして、エレオノーラは冷笑した。琥珀色の双眸はネコ科の動物のように鋭く細められており、シオンとステラにとっては、そんな彼女の表情は今までに一度も見たことのないものだった。


「それとも、やっぱりアタシのことは信じてなかった?」


 シオンは、肯定も否定もせず、今一度表情を引き締めて深く息を吐いた。刀を握り直し、アルバートに注意を払いつつ、改めてエレオノーラを睨みつける。


「シオンさん……私、もう、何が何だか……!」


 今にも泣き出しそうな顔で、ステラが声を震わせた。その華奢な身体が小刻みに震えているのは、雨に打たれる寒さのせいだけではないだろう。事態を把握できない混乱と、信頼していたエレオノーラに銃を突きつけられている恐怖によって、もはや正常な精神を保てていない様子だった。


「俺がここで死なないと困るっていうのは、どういう意味だ?」


 低く唸るようなシオンの問いかけに、エレオノーラは鼻を軽く鳴らす。


「言葉通りだよ。アンタがここで死んでくれないと、アタシも騎士団も、これから先のことうまく進められないの」


 ライフルの握る手に力が込められ、カチャ、と小さな音が鳴る。ステラが怯え、目をきつく閉じた。シオンが咄嗟に飛び出そうとするが、それまで静観していたアルバートに動きが見えたため、すぐに踏みとどまった。


「“紅焔の魔女”、それ以上は話さないでくれ。その話は騎士団の中でも、まだ円卓の議席持ちにしか知らされていない」


 アルバートの言葉を聞いて、エレオノーラは表情から笑みを消した。


「だったら、さっさと殺しちゃってよ。それだけ弱らせたなら、あとは一思いに終わらせられるでしょ」


 淡々とシオンの殺害を依頼するエレオノーラに、ステラは目を見開いた。恐る恐る後ろを振り返るが、


「エレオノーラさん……冗談、ですよね……?」

「冗談でアンタに銃向けないよ、ログレス王国のお姫様」


 その眼前には、ライフルの銃口が文字通り目と鼻の先の距離にまで迫っていた。

 言葉を失って硬直するステラをそのままに、エレオノーラは再度シオンへ視線を向ける。


「シオン、アタシの言いたいことはわかるよね? 大人しく死んで。じゃないと、ステラが消し炭になるよ」


 そう宣告されたシオンは、身体の正面の傷口から溢れ出る血を止められず、足元に血だまりを作っている状態だった。呼吸の乱れが収まらず、彼の口からは不規則に白い吐息が吐き出されている。意識も失いかけており、瞳はどこか胡乱げで、視点も定まっていなかった。

 それでも――刀を握る手に力を込め、一歩、踏み出す。呼応するように、アルバートとエレオノーラが咄嗟に身構えた。


 刹那、突如として、二人の騎士が動き出した。


「ユリウス、プリシラ!?」


 それまでレティシアによって磔状態にされていたユリウスとプリシラが、同時に駆け出していた。

 ユリウスはアルバートへ、プリシラはエレオノーラへとそれぞれ肉薄していく。

 しかし――


「――!」


 二人の騎士を、さらにまた別の騎士二人が力づくで止めた。


 レティシアが、ユリウスの背に乗って彼を地面に押し倒し、その首筋に双剣の刃を挟み込むようにして当てる。セドリックは、片手でプリシラの首根っこを掴み上げ、彼女を磔にしていた岩壁に再度打ち付けた。


 ユリウスが顔を顰めながら、自身の背に乗るレティシアに牙を剥く。


「クソったれが! 離せ、ババア!」

「ユリウス、それ以上勝手な真似をするのなら、このまま刃を引いて首を刎ねる」


 一方でプリシラは、自身の首を絞めるセドリックの太腕を両手で掴みながら、必死に足をばたつかせていた。


「セドリック卿……何故、貴方たちはこんなことを……!」

「お前たちに説明する必要はない。大人しくしていろ、プリシラ」


 議席持ちⅤ番とⅥ番による一瞬の鎮圧劇に、高台は再び静寂を取り戻した。


 シオンは一度、自身の胸から足元へ、舐めるように目を馳せた。出血が、留まる様子を一向に見せない。


「……俺が死んだら、ステラはどうなる?」


 不意に、シオンはアルバートにそう訊いた。対して、アルバートは頭を横に振る。


「詳しいことは言えない。だが、王女の身の安全は保証しよう」


 静かに始まった二人のやり取りに、ステラが目を大きく見開いた。


「シオンさん……?」


 突然、ステラの身を案じ始めたことに対して、彼女は呆けたように呼び掛けた。

 しかし、シオンはそんなことに気付いてすらいない様子で、


「騎士団は、あいつを女王にさせるつもりか?」

「悪いが、それも言えない」


 さらに、アルバートとの会話を進める。


「俺が死ねば、あいつは安全な暮らしができるのか?」


 止まる気配を見せない二人の騎士の会話に耐え兼ね、ライフルを突きつけられていることなども忘れたように、ステラは弱々しく足を踏み出した。


「何、言ってるんですか……やめてください……!」


 先のシオンの質問に、アルバートは徐に頷いた。


「――ああ。ステラ様は、私たち騎士団が命を賭けてお守りしよう」


 それを聞いて、シオンは目を軽く伏せた。数秒の間を空けた後で、鞘を剣帯から取り出し、そこに刀を静かに納める。

 そして、それを投げ捨てた。


「待ってください……シオンさん……」


 シオンはそれから、アルバートに向き直った。

 もはや立っていることも不思議なほどに弱った様子で、ただその場に佇む。


「シオンさん!」


 それを何かの了承と取ったのか、アルバートは、シオンに向かって静かに歩みを進めだした。手にする長剣が握り直される。


「最期に、何か言い残すことはあるか?」


 腕を伸ばせば互いの体に届くほどの距離にまで迫ったシオンとアルバート――

 アルバートがそう訊くと、シオンは目を閉じて、力なく笑った。


「――くだらない人生だった」


 そして、アルバートの長剣が、シオンの胸を貫く。それから一呼吸置く間に、長剣が捻られ、一気に引き抜かれた。

 赤い血飛沫と共に、シオンが仰向けに倒れる。それからぴくりとも動かない彼の体を中心に、水溜まりが瞬く間に血で染まっていった。


「嘘ですよね……?」


 空を仰ぐシオンの赤い瞳に、光は灯っていなかった。小さく開かれたままの口からは、もう白い吐息は出ていない。


「嘘ですよね、シオンさん。私のこと、また揶揄ってるんですよね!」


 ステラが駆け出す。だが、すぐにセドリックによって肩で担ぎ上げられた。セドリックはすでにプリシラを解放しており――そのプリシラはというと、シオンが倒れた光景を目の当たりにして、呆然と地面にへたり込んでいた。


「シオンさん! シオンさん!」


 ステラが、セドリックの肩の上で何度もシオンの名を叫ぶ。


「ほら、またリズトーンの時みたいに、バババッと起きてください! このままだと私、連れ去られちゃいますよ! ほら、ねえ!」


 そんな呼びかけも虚しく、シオンは雨空を向いたまま何も反応を示さなかった。


「“天使化”して、いつもみたいにこんな人たちさっさと倒しちゃってくださいよ! ねえ! シオンさん!」


 長剣を納めたアルバートが、シオンの傍らに付いて片膝をつく。


「シオンさん!」


 シオンの脈と呼吸を確認した後で、そっと彼の両目を手で閉じる。

 そして――


「聖王暦一九三三年、九月三十日、六時三十八分」


 自身の懐中時計を見ながら、


「――黒騎士シオン・クルスの死亡を確認」


 シオンの死を宣告した。







 “スローネ・ドローン”は、空中戦艦スローネを母艦とする小型の空中戦艦だ。全長三十メートル、最大幅十八メートル、高さ六メートルの大きさで、これ単独では空中戦艦としての役割を果たすことはないが、戦場では小回りが利く高速輸送機として活用されることが多い。


 スローネ・ドローンは、街の外に停泊中の母艦に向かっている最中だった。スローネ本体では、その大きさゆえにグラスランドの街中に降りることができないため、代わりにこの艦が送迎をすることになったのだ。艦内には、今しがた黒騎士の討伐を終えた三人の議席持ちの騎士と、教会魔術師の女が一人――そして、ステラがいる。ユリウスとプリシラについては、後に来るという騎士団の部隊が来るまで、黒騎士の遺体の保護を任され、グラスランドに留まることになった。


「雨に濡れたままだと風邪ひくよ。これで体拭きな」


 ステラが、艦内の窓際で一人立っていると、教会魔術師の女――エレオノーラ・コーゼルが、タオルを一枚差し出してきた。

 ステラは、目も合わせずにその手を払う。


「……いつから、私たちのこと騙していたんですか?」


 おおよそ、十五歳の少女から発せられるとは思えない低い声だった。

 それを聞いたエレオノーラが肩を竦める。


「騙していたつもりはないけど。まあ、アタシが騎士団と通じていたことは黙っていたから騙してい――」

「さっさと答えてください」


 濡れた朱色の髪の隙間から、何かに取り憑かれたような青色の瞳が覗く。


「……ルベルトワを出て、アルクノイアに向かうあたりから」

「その時から、シオンさんのことを殺すつもりだったんですか?」


 ステラの質問に、エレオノーラは小さく鼻を鳴らした。


「いや。諸々、アタシが知らされたのは、グラスランドのホテルに着いてから。だから、旅をしている期間からすれば割と最近」


 淡々としたエレオノーラの回答に、ステラは顔を俯けて体を震わせた。


「……あんなに笑っていたのに――あんなに楽しかったのに、ずっと……ずっと、裏では私たちのこと、馬鹿にしていたんですか?」


 エレオノーラが眉間に皺を寄せて首を傾げる。


「馬鹿にしていたって意味がよくわかんな――」

「エレオノーラさん、シオンさんのこと好きになっていたんじゃないですか! それも嘘だったんですか!?」


 そう叫んで顔を上げたステラの頬には、左右それぞれに一筋の涙が流れていた。


「私が、何も気付いていないと思っていましたか?」


 怒りと悲しみを宿した双眸でエレオノーラを睨みつけるが、彼女は目を合わせず、窓の外を見始めた。


「アホくさ。何を根拠に――」

「女の勘です」


 かつて、目の前の女が言ったことを、今度はステラが口にした。


「私、応援してました。美男美女で、凄くお似合いだなって思ってました」


 声がかすれて、震えそうになるのを堪えながら、ステラは俯き気味に喉に力を込めた。


「もし私がちゃんと女王になって、二人が結ばれたりとかしたら、こっそりシオンさん匿ってログレスで生活してもらったり、お祝いしてあげたいとか考えてました……!」


 艦内の床に、ぽつぽつと音を立てて涙が落ちる。


「それくらい、それくらい、お世話になった二人には幸せになってほしいなって思って……! シオンさんもエレオノーラさんのこと好きになってくれたら、シオンさんだって旅が終わっても生きていてくれるんじゃないかって!」


 そして、大きく息を吸い込み――


「……私だって、シオンさんのこと――」

「アタシの親父、教皇なんだ」


 エレオノーラの一言を聞いて、ステラはその先の言葉を失った。


「所謂、隠し子ってやつ。教皇は知らないみたいだけど」


 そう言って横目で見下ろしてくる女魔術師の目は――金色だった。今となっては見慣れているはずの、琥珀のように綺麗な彼女の瞳――途端に、どこの誰かもわからない、得体の知れない“魔女”を目の当たりにしているようで、底知れない恐怖に、ステラは胸の臓物を抜き取られるような感覚に陥った。


「アタシの体には、シオンがこの世で一番恨んでいる男の血が流れているの。そういうわけだから」


 ステラから全身の力が抜け、彼女は支えを失ったように床に崩れ落ちた。


「ごめんね、アンタの恋路を邪魔しちゃったみたいで」


 エレオノーラはそれに一瞥すらせず、静かに踵を返した。


「――さようなら」

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