第一章 黒騎士シオンⅣ
奇妙な二人組だった――二年前に族長が死に、自分がその代役を務めるようになってから今日この日まで、あんな人間は見たことがなかった。
エルフのエルリオは、戦場へと向かいながら、先刻逃がしたばかりの人間二人を脳裏にちらつかせていた。
だが、すぐにその意識は戦場へと強制的に向けられる。激しい爆音が、木々の葉を震わせた。地を伝わる振動から、相当な威力の爆発が起きているのだろう。エルリオの後を追う他のエルフたちの表情が、意を決したものから徐々に不安と恐怖に変わっていった。
木々の隙間から、森を抜けた先の平野が見えてきた。ログレス王国――もとい、エルフの独立自治区として認められた領域と、ガリア公国との国境が存在する場所だ。昨日までは緑に覆われた澄んだ平野であったが、今となってはその見る影もない。至る所で地肌が露出し、平野と森の境にある木々が無残になぎ倒されている状態だ。
エルリオたちは平野に出る手前で、大木の陰に各々身を潜めた。
「さっき聞いたよりも想像以上に数が多いな」
「問題は数じゃない。奥で馬に乗っている奴だ」
仲間の一人に言われて、エルリオは目を凝らした。人間よりも数段身体機能が優れているエルフであれば、遠眼鏡がなくとも目を細めるだけで数百メートル先の人を識別することができる。
「……確かに、あれは〝教会魔術師〟みたいだな」
エルリオの目に映ったのは、馬にまたがった一人のガリア軍兵士だ。他の兵士と同様に青を基調とした軍服を身に纏っているが、唯一銃器による武装をしていない。その代わりに身に付けていたのは、首から下げられた〝銀のペンタクル〟――教会魔術師の証だ。
教会魔術師の兵士が、不意に手をかざす。その数秒後に、どこからともなく爆発がいくつも沸き起こった。木々がなくなって見通しが良くなると、そのたびに一気に兵士の行軍が進んだ。その有様は、まるで戦車が一台投入されているかのようだった。
「兵器とはよく言ったな。弾数が無制限の砲弾が飛んでくるようなものか。このままだと、あと数時間もしないで私たちの住処にまで到達してしまう」
エルリオが歯痒そうに声を絞り出した――その時だった。突然、エルフの同胞が一人、木立の陰から勇ましく飛び出た。恐らく、この追い詰められた状況に耐えきれなくなったのだろう。
飛び出したエルフは雄叫びを上げながら弓を引き絞り、ガリア軍に向かって矢を放った。だが、すぐさまガリア兵たちが、そのエルフに向かって無数の弾丸を撃ち込む。撃たれたエルフは、瞬く間に血と肉片に塗れ、無残に散っていった。
それは完全な悪手だった。エルフがこの森にいることを、ガリア兵たちに確信させてしまったのだ。その証拠に、銃剣を構えた兵士たちが、獲物を捉えた獣の如く駆け出す。
それを見たエルリオは覚悟を決めた。
「もうやるしかない! あいつらを迎え――」
そう言って皆を鼓舞しようとした矢先、不意に、脇を通り抜けた人影があった。
エルリオは目を疑った。
先ほど逃がしたはずの人間の男が、隠れる素振りも全く見せずに、堂々とガリア軍に向かって歩いていたのである。
エルリオは咄嗟に、男の肩を掴んだ。
「おい、何をしている! 逃げ先はさっき教えただろう!」
男は、その黒い長髪を靡かせながら振り返り、日の光のような赤い双眸で視線を返してきた。
「あそこにいるガリア軍を黙らせる。その代わりに、あとであいつの話を聞いてやってくれ」
「は?」
言っていることの意味が分からず、エルリオは思わず呆けた声を上げた。
その直後に、
「し、シオンさん! やっぱりそっちは危ないですって!」
男の連れの人間の少女がやってきた。
この非常事態に輪をかけて何を面倒なことを――そう憤った矢先、エルリオは自身の目を疑った。黒髪の男が、ガリア軍の兵士たちに向かって、真正面から走り出したのだ。
※
シオンは森を抜けるのと同時に駆け出した。黒い長髪と白いローブを激しく靡かせながら、裸足であることを意にも介さずに平野を走る。
銃剣付きの小銃を構えたガリア軍の兵士たちが、何事かと、一瞬だけ前進を躊躇う。迫りくる白い人影は、彼らが目的としているエルフではない――しかし、そんなことなどどうでもよいと思えるほどに、異様なプレッシャーがそれから放たれていた。
ズドン、と一発、シオンの足元で大きな爆発が起こる。立て続けにさらに二発――まるで、地雷原を突っ切っているかのような有様だ。
そうやって、教会魔術師がシオンを爆発で捕捉しようとする一方で、
「構え!」
指揮官と思しき人物が腕を上げた。直後、侵攻する兵士たちが一斉に銃口をシオンに向ける。
「撃て!」
無数の発砲音が鳴った。銃口の照準は間違いなくシオンを捉えていた――にも関わらず、弾丸は一発もシオンに掠めることすらなく、彼は何事もなかったかのように走り続けていた。
ガリア軍の兵士たちはここで違和感に気が付いた。シオンの走力が、明らかに人の速度ではないことに。豹などの獣、あるいは隼の如く、生物の限界に迫る速さである。
指揮官が慌てて次の発砲の号令を出そうとした。再度腕を高く上げ、兵士たちに小銃を構えさせる。
「撃て!」
二回目の射撃音に混ざって聞こえたのは、鈍い打撲音――シオンが、兵士の一人に向かって飛びかかったのだ。
シオンは兵士の一人を踏み台にして足蹴にし、さらに奥にいたもう一人を強襲する。強襲された兵士は胸から踏み潰され、血を吐き出して絶命した。
シオンはそのまま走る勢いを殺さずに、潰した兵士の小銃を拾い上げ、さらに直進する。
「何をしている! よく狙え!」
指揮官から怒号が飛んだ。兵士たちが三度シオンに狙いを定めるが、その時、彼はもうすでに指揮官のもとへ到達していた。
シオンは小銃の砲身を両手で握り、指揮官の脇を通り抜け様にストック部分で殴りつける。指揮官は前歯全てを失い、鼻を大きく陥没させながら激しく後ろに吹き飛んだ。
それには構わず、さらにシオンは駆け抜ける。次の標的は、教会魔術師だ。シオンと教会魔術師の間には、もうガリア軍の兵士はいない。
教会魔術師は、にやりと不敵に笑い、勢いよく馬から飛び降りた。直後に、両腕を広げる。すると、シオンを中心にして地面が小刻みに隆起した。それから一秒とせずに、大爆発が起きる。牛舎ひとつを簡単に消し飛ばすくらいの威力はあっただろう。辺り一帯が、激しい黒煙と土煙に塗れた。
その場にいた誰もが、シオンの死を悟った。教会魔術師が満足げに笑みをこぼし、立ち込める硝煙の臭いを肺一杯に鼻から吸い込む。両目を瞑り、あたかも葉巻の臭いを嗜んでいるかのようだ。
シオンが黒煙の中から飛び出してきたのは、そんな時だった。教会魔術師が驚きで見開いた瞳には、シオンが小銃の先に付けられた銃剣の刃先を向け、跳躍している姿が映っていた。
迫りくる死を目の当たりにし、教会魔術師の表情が恐怖に変わろうとした瞬間、その顔面に勢いよく銃剣が突き立てられた。
直後、一陣の風が平野を駆け抜ける。黒煙と土ぼこりの一切を払いのけた先には、教会魔術師の顔に銃剣を突き立てるシオンの姿があった。シオンがゆっくりと立ち上がると、身に纏うローブは先の爆発の影響で上半身がぼろぼろになっていた。彼はそれを、煩わしそうに自ら剝いでいく。
そして、その背中から覗いた地肌――そこには、絵画のような美麗な印章が刻まれていた。騎士の剣を模した巨大な印章、それに貫かれるように描かれた黒い悪魔――〝騎士の聖痕〟と〝悪魔の烙印〟を同時に宿す者、それが意味するところは――
「く、黒騎士……!?」
「間違いない、黒騎士だ! 黒騎士がいるぞ!」
ガリア軍の兵士たちが、戦慄の声を上げた。シオンはそれに応えるように振り返る。
「あと、六十二人か」
シオンは破り捨てたローブの一部で後ろ髪を一本に束ね、再び目にも止まらぬ速さで駆け出した。




