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辺獄の黒騎士  作者: シベハス
第一部
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第三章 相剋ⅩⅨ

 団長であるガストン・ギルマンを失った第八旅団の兵士たちは早々に撤退を始めた。しかしそれは決して整列されたものではなく――まさか、教会魔術師であり、ガリア軍最強とまで謳われた強化人間を失ったことに、信じられないといった様子だった。作戦を継続できないと悟った瞬間、ライカンスロープをも凌ぐ身体能力を持つ強化人間たちが、我先にと駅の軍用列車へと殺到した。

 そうして、リズトーンの街からガリア軍が完全撤退したのは、東の山から日の光が差し込んできたあたりだった。


 街の中央区では、ノラの嗚咽混じりのすすり泣く声が響いていた。彼女の腕に抱かれているのは、ギルマンの落雷によって身を焦がしたカルヴァンだ。

 カルヴァンは、命の恩人であるノラとオーケンを庇い、 “避雷針”を手放したがために、ギルマンの魔術をまともに受けてしまった。表皮は焼け爛れ、呼吸も完全に停止している状態だ。


 その少し離れたところでは、オーケンが街の住民たちの亡骸を前に項垂れていた。住民たちとはあまりうまくいっていなかったと聞くが、それでも彼なりに思うところがあるのだろう。

 日の光が強くなってきたところで、オーケンは徐に埋葬の準備を始めた。

 不意にそこへ、ステラが駆け寄った。


「私も手伝います」


 籠から解放されてまだ体力も戻っていないだろうに、ステラはそう言って住民の遺体を運ぼうとした。

 だが、


「ステラ、さっさとここを出るぞ。いつまたガリア軍がここにやってくるかわからない」


 シオンが、いつもの無表情でそう制止した。エレオノーラに修復してもらったジャケットを羽織りながら、ステラに鋭い視線を向ける。


「待ってください。だったら、尚更この状況を放っておけません。せめて街の人たちを――」

「だったらお前とはここまでだ。あとは好きにしろ。俺は先にこの街を出る」


 ステラが皆まで言うのを遮って、シオンは吐き捨てるように言い放った。

 思いがけない言葉に、ステラは勿論、エレオノーラも固まった。


「エレオノーラ、お前はどうする? 俺としてはお前についてきてもらえると有難い」

「え、あ、ちょっと、アンタ、いきなり何言い出してんの?」

「俺と来るなら好きな時に好きなだけ“騎士の聖痕”を見るといい」


 エレオノーラにとって誘惑のような、勧誘のような――シオンがらしくないことを冷たい口調で淡々と言い続ける。

 ステラが血相を変えて前に出た。


「い、いきなりそれはないでしょう! 幾らなんでも無責任です! そもそも、私たちがうまくやればこの人たちは死なずに済んだんです! だけど――」

「そもそも俺たちがいなければ、誰一人として生き残ることはなかった」

「で、でも――」

「でもなんだ? お前まさか、ここの住民がお前のせいで死んだと思っているのか? 自惚れるのも大概にしろ。あの状況でお前一人に何ができた? せいぜいノラの手伝いをしただけだろ」

「私がいたから住民が人質に――」

「お前がいなければ住民はその場で殺されていた。むしろ、俺たちがいたことでノラとオーケン、逃げ切れた僅かな住民を救うことができた。最悪の結果が、少しばかりよくなっただけだ。良くも悪くも、あの時のお前の影響力はその程度だ」


 論破するかの如く、シオンは饒舌だった。

 ステラは呼吸を荒くしながら、言葉を詰まらせる。


「お前のやるべきことがここにあるのなら残ればいい。だが、俺にも教皇を暗殺するという目的がある以上、先に進ませてもらう」


 吐き捨てて、シオンは踵を返そうとした。

 そこにエレオノーラが立ち塞がる。


「ちょっと、アンタ! 言い方ってもんがあるでしょうが!」

「ここにいつまでも留まれる余裕はない。ルベルトワの時と違って、すでに俺たちが何者なのか知られている状態でガリアに喧嘩を売ったんだ。黒騎士がギルマンを屠ったと知られれば、最悪、すぐにでも第八旅団以上の規模の軍隊を送ってくる可能性がある」


 シオンのもっともな言い分に、エレオノーラも押し黙ってしまう。さっさと立ち去ってしまうシオンと、地面を見つめたまま固まるステラを見比べて、おろおろと首を左右に振る。

 そしてエレオノーラは、自身のスーツケースを担ぎ上げ、シオンの方へと走っていった。その間際に、


「ステラ、アンタも変な意地張ってないでさっさと来なさい! あの、多分――駅で待ってるから!」


 そう言い残した。


 取り残されたステラの目から、とめどない涙が溢れてくる。唇を噛み締め、握りしめた両手の拳を震わせた。暫くそうしていたが、ついに我慢できなくなり、弱々しい泣き声が自ずと漏れてしまう。

 まるで幼児が親と逸れたような――それでいて、自身が弱い立場であることを認めたくなく、悔しさに負けることを拒むような泣き方だった。

 その隣に、オーケンがそっと立つ。


「お嬢さん。ここでくたばっちまった奴らを想うお前さんの気持ちは本物だ。王族としての立場に、強い責任を感じていることもわかる。だからな――」


 そこで区切って、ステラを見上げた。


「もし本当にこの国のことを思って何かをしようと思っているなら、お前さんにしかできないことをやってくれ。そしてそれは、きっとお前さんにならできる」


 泣きじゃくった顔で、ステラはオーケンを見た。


「そんな顔をできるのは、お前さんが本当にわしら国民のことを思ってくれている何よりの証拠だ。だから、“頼む”――この国を救ってくれ、王女様」


 ステラは何度も口を小さく開閉させ、必死に言葉を紡ごうとした。だが、息が詰まってしまい、どうしても声を出すことができない。

 そこへ――


「ステラ様」


 ノラがやってきた。ひとしきり泣いたのか、目は赤く腫れ、酷い隈が目元に残っていた。

 ステラは、そんな彼女を目の当たりにして、さらに涙を流す。


「ノラさん……ごめんなさい……! 私が、私がちゃんとしていれば――私が、ノラさんの大事な人を……!」


 しかし、ノラはやんわりと首を横に振った。それから、そっと、ステラのことを抱き締める。


「カルヴァンを失ったことはとても悲しいです。ですが、ステラ様のせいではありません。この結末を受け入れるにはまだ少し時間がかかると思いますが――それでも、私は今こうして生きています。ステラ様たちと、カルヴァンがくれた命です。貴女が声を上げたおかげで救われた命が、今ここにこうしてあるんです」


 ステラは嗚咽を殺すように歯を食いしばった。


「私たちは大丈夫です。だから、ステラ様は先に進んでください。それが、一国民としての願いです」


 ノラの言葉を聞いて、ステラは食いしばる歯に一層の力を込めた。それから、勢いよく互いの体を引き剥がす。

 ステラは、ノラとオーケンを正面に据えた後で、一度涙を腕で乱暴に拭った。


「ノラさん、オーケンさん、ごめんなさい。私、行きます」


 拭き取れなかった涙と鼻水を顔に残しつつ、震えた声で言った。

 一国の王族とは思えないほどに情けない顔をした少女に、亜人の二人は暖かい笑みを返した。


「はい。道中、お気をつけて」

「わしらはわしらで勝手に生き延びる。だから、王女様も達者でな」


 ノラとオーケンの言葉を受けて、ステラは後ろ髪を引かれる思いで踵を返し、駆け出した。







「アンタも発破かけるの下手くそだよね。あれじゃあ本当に見放したみたいじゃん。まあ確かに、あれくらい強引にいかないと、あの娘はいつまでもあの街でめそめそしてたかもね。でも、女の子なんだから、もうちょい優しく背中叩いてやりなよ」


 ガリア軍の占拠を受けて無人となった駅舎――そのホームのベンチにて、エレオノーラが足をぷらぷらさせながら言った。

 その隣に座るシオンは、どことなく不機嫌そうにしていた。


「何の話だ?」

「じゃあ、何でここにこうして無駄に座っているのさ? この駅、誰もいないし暫く汽車も停まりそうにないけど?」


 エレオノーラの言葉通り、駅の従業員は誰一人として見当たらず、ホームの線路には通行止めの看板が置かれている。誰がどう見ても、この駅に汽車が停車するとは思えない状態だった。恐らく、ガリア軍が手配したためだろう。


「夜通し教会魔術師一人とガリア公国の旅団を相手にして、その上死にかけたんだ。それなりに疲れている。休んでいるだけだ」


 シオンがそれらしい言い訳を言って、エレオノーラが妙な声を上げながら空を仰いだ。


「かーっ! 何言ってんだかね、この黒騎士は。素直にステラを待ってるって言えばいいものを」


 それを聞いたシオンが仏頂面のまま小さく溜め息を吐く。


「ギルマン相手に何もできなかった奴にとやかく言われたくない」


 エレオノーラが、カチンときた様子で顔をひきつらせた。


「アンタ、言っていいことと悪いことあるんじゃないの!? アタシがいたから魔物の群れをどうにかできたようなもんでしょ! それに、アンタこそ人質取られる前にさっさと“天使化”していればもっといい結果になったんじゃないの!? ていうか、“帰天”を使えるんなら最初から言いなさいよ!」

「……そうだな、俺もステラに対して偉そうなことを何も言えない。相手の力量とタイミングさえ間違えなければ、もっと多くの命を救えたかもしれなかった。何もかも、俺の考えが甘かったせいだ」


 急にしおらしくなったシオンに、エレオノーラが戸惑う。てっきり言い合いになると思っていたのだが、思いがけない反応に、しどろもどろになってしまった。


「あ、いや、ごめん……そんなつもりで言ったわけじゃないんだけど――そ、そうだ!」


 不意に、エレオノーラが話を変えるようにスーツケースの中を漁り始めた。

 そこから取り出したのは、一枚の観光パンフレットだ。


「今アタシたちがいる山脈地帯を抜けたらさ、“アルクノイア”って街があるんだけど、そこに寄っていかない? ここさ、ログレス王国で二番目に大きな街なんだよね。人も多いし、木を隠すなら森の中で逆に目立たずにいられるんじゃない?」


 一人で必死になって話題を振るエレオノーラ――シオンはそれを見て、ホームの天井を仰ぎながら軽く息を吐いた。


「……ステラと出会ってからまともに休めていないからな。目立たずにいられるような場所があれば、それもいいかもしれない」

「でしょでしょ? んじゃ、決まりね。ステラもいい気分転換になるっしょ」


 指を鳴らして、エレオノーラはうきうきとした笑顔を見せる。

 しかし、ふと、シオンはそこで表情を引き締めた。


「ただその前に、ひとつ訊きたいことがある」

「ん?」


 唐突にシオンの声色が変わって、エレオノーラが間抜けな顔で首を傾げる。

 それから間髪入れずに、


「お前の“親”って、何のことだ?」


 シオンが、まるで“敵”を捉えたかのような眼差しでエレオノーラを見た。

 ギルマンとエレオノーラが対峙した際に、彼の口から放たれたその一言を、シオンは聞き逃さなかったのである。

 それまで年相応の無邪気な笑みを見せていたエレオノーラの顔から、スッと感情が消えた。

 シオンとエレオノーラ――これまで、利害関係のみで手を組んでいた二人の間に、微かな綻びが見え始める。

 一秒もない沈黙の間に、確かな猜疑心と若干の敵意が、互いの双眸に映り込んでいた。

 そして、エレオノーラが先に口を開こうとした時――


「シオンさん、エレオノーラさん!」


 不意に、駅のホームに声が響いた。

 見ると、目と鼻を赤くして息を切らしたステラが、仁王立ちするように立っていた。

 ステラは、シオンとエレオノーラが座るベンチの前に立つと、勢いよく頭を下げた。


「さっきはすみませんでした! 私、自分のやるべきことを見失っていました! もう迷いません! だからどうか、また一緒に旅をさせてください! お願いします!」


 怒涛の勢いで声を上げるステラに、シオンとエレオノーラが揃って目を丸くさせた。暫くの間、鳥のさえずりが妙な静寂を繋ぐ。

 そんな平和な沈黙を破ったのは、エレオノーラの笑い声だった。


「アンタも本当にわかりやすい子だね! シオン、何か言ってやりなよ」


 すると、シオンは珍しく視線を泳がせて、顔を軽く掻いた。


「……まあ、俺もきついこと言ったの、悪かった。そもそも、お前がいないと俺の目的も果たせないし……」


 バツが悪そうにぼそぼそと言ったシオンの返答に、エレオノーラがいよいよ笑いが止まらないといった様子で、ゲラゲラとお腹を抱えだした。

 そんな光景を、ステラがまた泣きそうな顔になって見遣る。鼻を啜りながら、それでいてもう無駄に泣くまいと、必死に堪えていた。


 シオンはそこで溜め息を吐いた。後頭部を軽く掻き、不意にベンチから立ち上がる。


「揃ったなら、さっさと行くぞ。エレオノーラもいつまで笑ってる」


 言われて、エレオノーラがすぐにベンチから立ち上がった。


「ああ、ごめんごめん――って、こっからどうやって山脈地帯抜けるの? 結構距離あるはずだけど」

「いつ汽車の運行が再開するかわからないんだ。歩くしかないだろ」


 当然のように言ったシオン――それに対して、ステラとエレオノーラが、揃って驚きと不満の声を上げた。


 王都までの道のりは、まだ続く。







 王女たちが街を去って一時間ほどが経った頃――リズトーンの街で、ノラとオーケンは、ガリア軍に殺されてしまった住民たちの弔いを始めていた。同時に、いつ再来するかもわからないガリア軍から逃れるための準備も進めている。

 弔いは、オーケンが即席の魔術で掘った穴に、住民たちの遺体を納める形で済まそうとした。本当ならしっかりとした墓を人数分立ててやりたいところだが、時間が限られている以上、やむを得ない方法だった。

 オーケンが埋葬の準備をしている間に、ノラは可能な限り遺体を綺麗な状態にしようと、一人ひとりの身なりを整えさせていた。

 そして、ノラの想い人であるカルヴァンの傍らに寄り添う。


 まだ、彼の死を受け入れることはできなかった。いつも通り、看病をすればまた目を覚まして憎まれ口を言ってくるのではないか――そんな淡い期待を寄せながら、ノラはそっとカルヴァンの頬に手を添える。

 そんな時だった。


「――……」


 カルヴァンの口が、微かに動いた。

 ノラは目を疑いつつ、急いで彼の脈を取る。すると、僅かにだが、確かに鼓動を取り戻し始めていた。

 信じられない出来事に、ノラは呆然とした表情のまま、急いでこのことをオーケンに知らせようと立ち上がる。

 そこへ――


「あ……」


 カルヴァンが、何かを言いたそうに弱々しい声を上げた。

 ノラは慌てて彼の傍へ戻り、耳を傾ける。


「……ありが、とう」


 絞り出すような声で、カルヴァンがそう言った。

 見ると、彼の目は開かれ、その瞳にしっかりとノラを映し出していた。

 ノラが抱き締めると、カルヴァンもまたそれに応えるように、力の入らない腕を回してきた。

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