表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺獄の黒騎士  作者: シベハス
第一部
40/331

第三章 相剋ⅩⅧ

 満身創痍――シオンの身体は、そうとしか表現できないほどに痛めつけられていた。みぞおちに開けられた穴然り、先のギルマンの雷によって、その体表には無数の樹状の火傷痕を残している。少なくとも、普通の人間ではまず立ち上がることなどできるはずがない。

 シオンは、解けた長髪と、ズタボロになった服を靡かせながら、ゆっくりと歩みを進め始めた。シオンが歩くたびに、彼の背中から放たれている赤黒い光と稲妻が勢いを増していく。


「まるで質の悪い亡霊でも見ているような気分だ。身体に風穴を開けられたうえ、俺の“トールハンマー”をまともに受けた人間が生きているなど」


 そう言って、ギルマンがすぐに兵士たちに指示を出した。

 強化人間の兵士たちが小銃を手に、シオンの行く手を阻むように取り囲む。


「だが、ここまでだ。総員、構え」


 ギルマンの一声に応じて、兵士たちがシオンに照準を定めた。


「――撃て」


 直後に、兵士たちの小銃から一斉に弾丸が放たれ、シオンに集中砲火が浴びせられる。乾いた発砲音が、夜の大気をけたたましく震わせた。

 しかし――


「……これはいったい、どういうことだ?」


 兵士たちの狙いは、間違いなくシオンを捉えていた。無数の弾丸はシオンの身体を貫き、彼を血の滴る肉塊へと変える――はずだった。

 小銃から放たれた弾丸は、いずれもシオンに当たることなく、彼の目の前で静止していた。空中で静止した弾丸は障害物に当たって拉げたというわけでもなく、虚しく回転して、前進することができていない。やがてその動きも止まると、殺虫剤を吹きかけられた羽虫のようにぽとぽとと地面へ落ちていく。

 あまりにも不可解な現象に、ギルマンと兵士たちがこぞって狼狽えた。


 それから間髪入れずに、シオンの背中からひと際強い稲妻が迸る。

 刹那、シオンの身体に急速な異変が起きた。

 みぞおちの空洞が、視認できる速度で再生していったのである。そればかりか、焼け爛れた表皮、樹状の火傷などが、瞬き数回の間に跡形もなく治ってしまった。


 彼に起きた変化はそれだけではない。


 体がもとの状態に戻った直後、今度は赤黒い稲妻が体中を伝うように走っていった。それらは、樹状の火傷とはまた違った痕跡をシオンの身体に刻んでいく。

 例えるなら、どす黒い血を通わせた血管――それらが、目や心臓の周辺、腕に残された。

 その異様な痕跡が侵すようにして、シオンの目の強膜が黒く染め上がる。もともとが赤い瞳であることも相まって、彼の双眸は奈落の深淵に溜まる血だまりのようになった。


「なんだ……その有様は……これではまるで――いや、これこそまさしく――」


 そして、最後に、頭上に光と稲妻が収束していく。それはやがて刺々しい輪を模るが――形状をうまく保てないのか、前面部分がぽっかりと欠けてしまっていた。本来であれば、茨状の光輪になっていたものと思われるが、前面が欠けているせいで、またその色が赤黒く禍々しいせいで――


「“悪魔”ではないか」


 双角に見立てられ、今のシオンの姿を、ギルマンがそう形容した。







 シオンの一連の変貌を、息を殺して見守っていたステラ――彼女が捕らわれている籠の横で、小さな呻き声が聞こえた。

 見ると、隣の籠の中で、エレオノーラが体を地面から引きはがし、どうにかして立ち上がろうとしているところだった。


「エレオノーラさん!」


 ステラが涙目になって喜びの声を上げた。エレオノーラは頭を押さえながら軽く首を横に振り、意識をはっきりさせようとする。


「エレオノーラさん、大丈夫ですか!? エレオノーラさん!」

「そんなキンキン高い声出さないでよ……聞こえてるって。多分、身体も大丈夫。ちょっと痺れてる感じするけど」


 ステラの呼びかけに煩わしそうに応じると、エレオノーラは籠に手をかけて徐に立ち上がった。

 そして、弱々しい目つきで、目の前の光景に愕然とする。


「……アタシが意識失っている間に何があったのか知らないけど――“あれ”、いったいどういうこと?」


 エレオノーラの視線の先には、赤黒い稲妻を纏う禍々しい姿となったシオンがいた。彼女の胡乱げな問いかけに、ステラもどうしたらいいのかわからないといった様子で声を震わせる。


「わ、私も何が何だか……! シオンさん、重傷を負って動かなくなったと思ったら、凄い雷の直撃を受けてあんなことに……」


 エレオノーラは眉を顰めて目を凝らし、シオンの有様を事細かく確認した。そして、シオンの頭上にある欠けた光輪を見て、ハッとする。


「やっぱりあいつ、“帰天”を使えたんだ……だからアタシに“悪魔の烙印”の効力を訊いて……」

「“帰天”?」


 聞きなれない言葉にステラが首を傾げるも、エレオノーラはいったんそれを無視する。


「でも、アタシが知っている“天使化”とはだいぶ違う……。あんな凶悪な見た目じゃ、とてもじゃないけど天使なんて呼べないじゃん」


 呼吸を整えながら独り言を発するエレオノーラに、ステラは若干苛立たしそうに籠を揺らして迫った。


「え、エレオノーラさん、何ですか、その“帰天”とか“天使化”って? シオンさんに何が起きてるんですか?」


 エレオノーラは一度大きな呼吸をし、改めてステラを横目で見遣った。


「“帰天”は騎士が“天使化”する特殊な魔術――そして“天使化”は、騎士だけが行使できる特殊な身体強化状態。アタシも魔術の勉強の一貫でそういうものがあると知っているだけで、実際に目にするのは初めて――なんだけど、あいつの“天使化”、どう見ても普通じゃない」

「普通じゃないって言うのは?」

「今のシオン見てみなよ、どこをどう見れば天使なんて形容できるのさ。アタシの知っている限り、“天使化”した騎士は青白い光と茨の光輪を携えた美しい姿をしているって話だけど、今のシオンはその真逆じゃない」


 エレオノーラの言葉に同意するようにして、ステラは息を呑んだ。

 それを尻目に、エレオノーラはさらに説明を続ける。


「多分、“悪魔の烙印”の抑制反応のせいだ。“悪魔の烙印”が“天使化”を抑え込もうとしているからあんな見た目になっているんだ。でも、だとしたら、シオンの“帰天”は“悪魔の烙印”の効力を無視するほどに強力って話になるわけだけど……」


 学者のようにぶつぶつと呟き始めたエレオノーラに、ステラが再度、籠を揺らして迫る。


「あ、あの! 結局、これからどうなるんですか!? シオンさんは無事なんですか!?」

「……あの強化人間たち、シオンに皆殺しにされるよ」


 言葉にするのも憚れるといったエレオノーラの口調に、ステラは目を丸くした。







 シオンは“天使化”を遂げたところで、不意に左手を横に伸ばした。すると、兵士に取り上げられたシオンの刀が、離れた場所から吸い寄せられるように彼の左手に収まる。

 その瞬間、ギルマンが声を張り上げた。


「総員、近接戦闘の用意! 目標は黒騎士だ! 整い次第、攻撃を開始しろ!」


 ギルマンの指示に応じて、兵士たちが片手用の戦斧を左右両手に構える。

 間髪入れず、シオンの背後に向かって、一人の兵士が飛びかかった。


「――!?」


 しかし、兵士の戦斧は虚空を薙いだ。ついさっきまで、確かにそこにシオンはいたはず――刹那、戦斧を空振りした兵士が、縦に両断されて地に伏した。

 そして、そこから三十メートルほど離れた位置に、いつの間にか移動したシオンが納刀していた。

 静かに納められた刀が小さな金属音を発した直後、両断された兵士とシオンの直線状にいた他の兵士たちの首が、ずるりと落ちていく。


「何が起こった!?」


 不可解な現象にギルマンが吠えたが、その疑問が解決する間もなく、周囲の兵士たちが同じように斬り伏せられていく。一人、また一人と、悲鳴を上げる暇すら与えられずに身体を両断されていった。

 続々と屠られていく兵士の間に走るのは、一筋の赤い光だった。それはあたかも悪魔が紡ぐ死の線のようにして、夜の闇の中で不気味に点滅している。

 それが、生物の域を超えた速度で移動するシオンの軌跡であったと、ギルマンが理解できたのは、彼以外の今この場にいる強化人間の兵士が全員討ち取られた後になってからだった。


 シオンが、何もないところに赤い光と共に忽然と姿を現す。刀を鞘に納め、徐にギルマンの方へ目を馳せた。


「“余計なこと”をしなければ、あのまま俺を殺せていたかもしれなかった」


 シオンから発せられたその声は、いつも以上に抑揚に欠いていた。感情の一切を失ったように、淡々とした様子で佇んでいる。


「よ、余計なことだと?」


 呆然と立ち尽くしていたギルマンが、シオンの声によって意識を呼び戻した。


「アンタの雷だ。あれのお陰で、ほんの一瞬、意識を覚醒させることができた。もしあれがなければ、身体に開いた穴が致命傷になってそのまま死んでいたかもしれないな」

「俺を小馬鹿にしているつもりか……!」


 ギルマンが拳を握り、怒りに体を震わせた。それから軍用コートを勢いよく脱ぎ捨て、両足を大きく広げてシオンに対峙する。


「“その姿”がいったい何の小細工は知らんが、いつまでも調子に乗っていられると思うな、黒騎士! 俺はガリア公国軍第八旅団団長、“機械仕掛けの雷神”――ガストン・ギルマン准将だ!」


 威勢のいい声を上げた直後、ギルマンから夥しい量の電気が放たれる。紫色の雷光はたちまちギルマンの軍服を焼き払い、彼の表皮すらも焦がしていった。そこから露わになったのは、強化人間特有の人工筋線維と金属製の外殻だ。帯電によって淡く輝き、電熱が周囲の空気と地面を焼き潰していく。


「光栄に思え! 俺が本気を出して一対一で戦うのは貴様が初めてだ、黒騎士! この状態の身体能力は騎士をも超える! 周囲の電気は触れれば象すらも即感電死させるほどの高圧だ! さあ、来い!」


 刹那、ギルマンの身体が後方に大きく吹き飛んだ。赤い光となってシオンが繰り出した拳が、ギルマンの顔面を殴り飛ばしたのだ。

 続けて、シオンは吹き飛ぶギルマンに追いつき、彼の巨体を蹴り上げる。蹴り上げられたギルマンの身体は、糸を失ったマリオネットのように宙を舞った。


 そして、その落下地点近くで、シオンが刀を抜いて構える。

 ギルマンが自然落下するのに合わせて、シオンは刀を袈裟懸けに振り下ろした。ギルマンの身体は左肩から右わき腹にかけて両断され、右腕の先もついでに斬り捨てられる。

 ガラクタ同然となったギルマンの身体が、激しい土埃を上げて地上に転がった。


「ぬ、ぬう……!」


 バチバチと微かな電気を放電させながら、ギルマンが低く呻く。

 その傍らに、シオンが立った。


「もう一度訊く」

「……な、なに?」


 唐突なシオンの問いかけに、ギルマンは低く唸った。


「教皇はガリアと組んで何をしようとしている? 騎士団はどこまで関わっている? 聖女は?」


 それは、ギルマンが回答しなかったシオンの質問だった。

 ギルマンは壊れたマスクの隙間から口元を覗かせ、激しく歯噛みをした。


「痛めつければ俺が口を割ると思ったか、黒騎士! 俺は誇り高きガリア公国軍第八――」


 そこまで言いかけて、ギルマンは完全に沈黙した。

 シオンが、ギルマンの頭を踏み潰したのだ。


「答える気がないのならいい」


 シオンはそれだけを言い残して、踵を返した。同時に赤い光も止み、シオンの容貌も元に戻る。

 リズトーンの街に、朝日はまだ昇っていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ