第一章 黒騎士シオンⅢ
「あの……」
目隠しの状態で十分ほど歩かされたあと、今度は不意に座らされ、何かに体を縛り付けられた。皮膚から伝わってくる感触から、おそらくは樹木だろう。
そうやって自由を奪われたところで、ステラはエルフたちに話しかけようとした。
だが、
「勝手にしゃべるな!」
間髪入れずに怒号が飛んできた。ステラは怯み、思わず身を竦める。
「もう俺たちはエルフの領域に入ったのか?」
しかし、そんな制止には構わず、恐らくすぐ隣にいるシオンが悪びれた様子もなくそう訊いた。直後、ステラたちの目隠しが外される。眼前に映るのは、やはり、武装したエルフたちが弓を引いている姿だった。
「三度目は言わない。勝手に話すな」
「さっきガリア軍の兵士が向かってきているって言っていたな。これから迎え撃つのか?」
一触即発ともいえるような状況でも、シオンは淡々とエルフたちに質問をした。だが、ついにその美麗な顔に蹴りが入れられる。ステラは短い悲鳴を上げて咄嗟に目を瞑った。それから恐る恐るシオンを見遣ると――意外にも彼は平然としていた。口を切ったのか、慣れた感じで、血の混じった唾を地面に吐き捨てる。
それを見たエルフが、さらに激しい剣幕になる。
「貴様! 我々の領域を汚す――」
「もういい! 今はそれどころじゃない!」
激昂したエルフを諫めたのは、最初にステラたちと受け答えをしたエルフだ。無造作にはねた髪に、刺繍の入ったバンダナを巻いた、やや背の低い青年だ。
そのエルフは同胞たちに弓を収めさせると、ステラとシオンの前に立った。
「貴様らの言う通り、ここはエルフの領域だ。それと、ガリア軍についてもその通りだ」
「そんな状況で俺たちをエルフの領域に入れたのは?」
「貴様らがガリア軍の斥候という可能性も考えられる。であれば、管理の手が行き届く場所に置いた方がいいと思っただけだ」
「賢明な判断をするエルフで助かった」
シオンは相変わらずの無表情で抑揚のない声だった。だが、その態度が小馬鹿にされていると感じたのか、エルフたちの顔つきが再び険しくなる。
「どういうつもりでいるのかは知らないが、貴様らの命は私たちに握られていることを忘れるな。さっきも言ったが、余計なことはするな。さもなくば、容赦なく射抜く」
「ガリア軍の兵士相手に勝算はあるのか?」
そんなエルフの忠告などまったく意に介していないようで、シオンはまた質問した。エルフたちは揃って顔を顰め、話の通じない獣を見るような目になった。もはや怒鳴る気力もない、という様子だ。
そんな時だった。ふと、ステラが縛られた縄を目いっぱいに伸ばすようにして前のめりになる。
「あの! こんな時に何ですけど! 話を聞いてほしいんです!」
「何なんだ貴様らは!? 自分たちの状況を理解しているのか!? 冗談抜きで今すぐ射殺――」
「私はステラ・エイミス! 一年前に崩御したログレス王国の女王――ビクトリア二世の直系に当たる孫娘です!」
半ばやけくそに、ステラは声を張り上げた。彼女の言葉を耳にしたシオンとエルフたちは、揃って目を丸くさせる。王族が何故こんなところに――その場に全員が、まったく同じ疑問を頭に浮かべた。
驚愕から生まれた数秒の沈黙、ステラはここぞとばかりに口を動かした。
「さっきは嘘を吐きました! 私は難民ではないです! 謝ります、ごめんなさい! でも、匿ってほしいのは本当なんです! 今この国はガリア公国にいわれのない侵略を受けている状態で、このままだと王族の私が殺されてしまい、国が滅んでしまいます! 私も王都から追い出されてしまった状態で、もう国内に安全な場所はほとんどなく、エルフの方々に頼るしか生き残る手段がないんです!」
ステラが怒涛の勢いで次々と事情を話した。初めこそ突然のカミングアウトに固まっていたエルフの面々だが――一秒、また一秒と経つにつれ、互いに顔を見合わせ、しまいにはステラのことを珍妙な動物を見るようになった。
「……あ、あの――」
ステラが冷や汗をかきながら戸惑っていると、エルフたちは無言でその場から立ち去り始めた。
「あれ!? ちょっと! 何で離れていくんですか!?」
「誰もお前の言うことを信じていないんだろう」
シオンがぼそりと言った。それを聞いたステラが、ああ、と諦めたようにがっくりと項垂れる。
「やっぱり、そうですよね。いきなり王族だなんて言っても、信じるはずないですよね。まして、相手は人間の社会に疎いエルフだし……」
「信じてもらえなくてよかったかもしれない。ここで下手に信じられたら、お前は交渉材料にされていた可能性がある」
「交渉材料?」
ステラが首を傾げると、シオンは視線だけを彼女に向けた。
「なんでガリア軍がここに向かっているのかは知らないが、エルフたちがお前を引き渡すことで自分たちを見逃してもらうよう計らう可能性は十分に考えられた」
「あ……」
「もう少し慎重になるべきだったな」
シオンの見解を聞いて、ステラは自身を誡めるように、しょんぼりとした。だが、彼女はすぐさま何かに気付いたように顔を上げた。
「あれ? もしかして、シオンさんは私の言うこと信じてくれてます?」
「半分くらいは。お前がガリア軍の兵士に狙われていたことが気になっていたからな」
「……そうですか。ありがとうございます」
「俺が信じたところで、何ひとつ状況は変わらないがな」
「……言わないでください。それ、私も思ったんですから」
さらに落ち込むステラだった。そんな彼女を尻目に――エルフたちは、二人のいる場所から数十メートル離れたところで、何やら必死に話し込んでいた。恐らくはガリア軍を迎え撃つための作戦会議をしているのだろう。
そこへ、伝令と思しきエルフが一人、その中に加わった。伝令のエルフの顔は、酷く青ざめていた。
「想像以上に事態は深刻だ! 兵士の中に〝教会魔術師〟がいる!」
伝令の言葉を聞いた他のエルフたちも、彼と同じように表情を曇らせる。
「それは確かか?」
「間違いない! 教会魔術師が魔術で爆発を起こして、森の木々をなぎ倒しながらここに迫ってきている! しかもそれだけじゃない、武装した兵士たちが五十人近くもいた! かなりまずい!」
エルフたちが一斉にざわめく。一方、ステラは何が大変なのか理解していない顔で、シオンに説明を求める視線を送った。
「〝教会魔術師〟って何ですか?」
「この大陸で魔術の使用を教会に認められた魔術師のことだ。魔術は便利な一方で、習熟した術者であれば家ひとつ楽に吹き飛ばすことができたりする。教会はそういう強力な力を持った魔術師を管理するために、大陸共通の免許を用意した。それが〝教会魔術師〟だ」
「私、魔術がそんな危険な使われ方しているところ見たことないんですけど、たった一人の人間がそんなことできるんですか?」
「ああ。大国の各国軍に数人は主力兵器と同格扱いで在籍している。そして今、ガリア軍に在籍する教会魔術師がここに迫ってきているんだろう」
その言葉を裏付けるかのように、突如として大気が震えた。微かな地響きと、木々がなぎ倒されていく音が、少し離れたところから聞こえてくる。遅れて漂ってきたのは、硝煙の臭いだ。
ステラとエルフたちが揃って怯む。
そこへ――
「さっさと逃げた方がいい。教会魔術師相手だと、さすがに勝ち目がないだろ」
シオンが、静かに、諭すようにそう言った。エルフたちもその言葉には内心同意しているようで、誰もが悔しそうに俯いている。だが、その内の一人が鋭い視線をシオンに返した。
「私たちはここを離れるわけにはいかない。亡くなった同胞たちが眠る地であり、連れ去られた同胞たちを迎える場所がここだからだ。〝バニラ〟の蛮族たちの手に自ら明け渡すくらいなら、いっそこの地と運命を共にする。貴様ら人間には理解できない価値観だろうがな」
そう言いながらシオンとステラに近づくと、そのまま二人を縛る縄を解き、とある方角を指差した。
「こっちの方角に行けば、ガリア軍とは接触せずに森を抜けられるはずだ。状況が状況だ、もう貴様らに構っていられない。逃げるなり何なりしてくれ」
エルフはそれだけを言い残し、仲間のもとへ戻っていった。彼のそんな背中を、ステラが何とも言えない神妙な面持ちで見守る。
一方で、
「今でこそこんな状況になったが、お前はエルフに匿ってもらってどうするつもりだったんだ?」
シオンが、縛られていた箇所を撫でながら、唐突にステラにそう訊いた。
「どう、って……正直、よくわからないです。でも、大臣とかは、ほとぼりが冷めた時に私を女王にして、国の主権を取り戻すつもりでいるみたいでした。でもまさか、隠れ家として頼みの綱だったエルフたちの領域までこんなことになっていたなんて」
「……仮に、女王になれたとして、お前はその先どうするつもりだ?」
「は?」
突拍子もない質問に、ステラは間抜けな声を上げた。対して、シオンは真剣な面持ちだ。
「例えば、このエルフたちの惨状を見て、女王になったらお前は何をする?」
「そりゃあ、こんな場面を見せられたら、エルフたちの居場所をちゃんと認めてあげたいですよ。私の知っている限りでは、エルフたちはただ静かに森の中で暮らしていただけなんですから」
ステラがそう答えた直後、エルフたちから一斉に雄叫びが上がった。どうやら、戦地に赴く覚悟ができたようだ。弓と矢を携え、爆音のする方へと勇ましく向かっていく。
ステラがそれを悲痛な顔で見ていた時――何故か、シオンもエルフたちと同じ方向に歩き始めた。
「え!? ちょ、どこに行くんですか!? そっちは危ない方ですよ!」
「お前はここにいろ」
シオンはそう言ってステラを制止させた。
「このまま大人しくしていても埒が明かない。話を進めてくる」
そう言ったシオンは、準備運動のように首や肩を軽く動かした。




