第三章 相剋ⅩⅣ
「応戦に行った奴らが全員やられちまった! ガリアの奴ら、魔物の大群を率いているぞ! もうすぐそこまで迫ってきている! 今すぐ逃げろ!」
見張り塔にいた住民が震えた声を張り上げた。酷く狼狽しており、自身もすぐさま地上へと降りて一目散に駆け出してしまう。
突然の出来事に、他の住民たちが揃ってきょとんとした顔になっていたが、やがて駅舎の方角から聞こえてきた地鳴りに戦慄するようになる。ライカンスロープたちの優れた視力と聴力が、すぐさまその地鳴りの正体を捉えたのだ。駅舎方面からこちらに向かってくるのは、奔流の如く押し寄せてくる無数の魔物たち――ゴブリン、トロール、サイクロプスが群れを成し、餌となる住民を求めて咆哮していた。
「う、嘘だろ!」
誰かが発したその一声を皮切りに、それまで高を括っていた住民たちが一斉に駅舎とは反対方向に走り出していった。
先の雷の影響で、街の半数以上の住民が外に出ていた状態だったが、悲鳴と怒号が混ざった騒ぎに、家屋の中にいた残りの住民たちもただ事ではないと、続々と避難の輪に加わっていく。
阿鼻叫喚として、我先にと他人を払いのけて先に逃げようとする住民たち――その傍らでは、ノラとステラが必死に声を上げて彼らに呼び掛けていた。
「皆さん、落ち着いてください! 他の人を押さないで!」
「駅舎と正反対の方角に向かってください! そのまま街の外に出て、決して街には戻らないでください!」
しかし、二人の声は逃げる住民たちの喧騒に掻き消され、誰一人として耳を貸す者がいなかった。
こうなることは予想していたが、実際にそうなってみると何とも歯痒いと、シオンは表情を険しくして露骨に苛立ちを見せた。そこへ、オーケンが徐にやってくる。
「黒騎士の兄さんの言う通りだ。街の周囲を囲むように、嗅ぎなれない臭いが駅舎の方からぐるりと移動し始めている」
「想像以上に手際がいい。逃げる住民の何人かは兵士と鉢合わせして、殺されてしまうかもしれないな」
シオンが申し訳なさそうに視線を落とした。それを見たオーケンが、やんわりと首を横に振る。ドワーフ特有の髭がわさわさと優しく揺れた。
「仕方がない。この短期間でわしらにできることは限られていた。まして、住民たちはお前さんたちの言うことに一切耳を傾けなかった。彼らにこれから起こることは、なるべくしてなる結果だろうさ」
「……それで納得しない奴もいる」
そう言ってシオンが視線を送った先には、喉奥を裂かんばかりの勢いで声を張り上げるステラの姿があった。オーケンが、感心したような、呆れたような小さなため息を吐く。
「一国の王女が、こうして自ら体を張って動くとはね。わしらのことを切り捨てでもやらなければならないことがあるだろうに。まあ、わしらとしては有難い上に、少し安心もした」
「安心?」
シオンが小首を傾げると、オーケンはその気難しそうな顔を少しだけ笑顔で緩めた。
「将来、わしらの国を治めるであろう御仁が、ああいう娘でよかったってな」
「どうかな。政治は綺麗ごとだけで務まるものじゃない。俺個人としては、あいつにそんな大層な役が務まるとは到底思えないな」
「まるで王女の保護者のような言い草だな」
オーケンが力なく笑うと、シオンが片方の眉を上げるような感じで訝しんだ。
「どういう意味だ?」
「気にしないでくれ。近くにいる奴と、傍目から見た奴とでは、その個人の印象もまた違って見えるというだけだ」
結局何を言いたいのか理解できないまま、シオンは眉根に皺を寄せたままだった。だが、それ以上の追及をすることは叶わず、
「ちょっと、シオン! もう時間がない! さっさと準備に入って!」
エレオノーラが怒号さながらに招集をかけた。シオンは、彼女のもとへ行く前に、一度オーケンへ軽く目を馳せる。
「アンタも早く避難した方がいい。ここも安全じゃなくなる」
「ああ。ノラと王女の娘さんが仕事を終えたら一緒に行くさ」
頷いて、シオンはエレオノーラの傍に駆け寄った。
エレオノーラはライフルを抱えるようにして両腕を組み、いつも通りの若干不機嫌な顔を見せている。
「もう無駄話する余裕なんてないんだから、しっかりしてよね」
「わかってる、すまない」
シオンの軽い謝罪に、エレオノーラは小さく鼻を鳴らした。
それから二人は、駅舎へと続く大通りの方へ向き直る。大通りに並ぶ街灯が、街中に向かって走る魔物たちの姿を、鮮明に映し出す。すでに、人間の視力でも肉眼で視認可能な距離まで近づいていた。
「準備はいい? 予定通り、アタシはひたすらぶっ放すから。魔物や兵士が近づいてきたら、ちゃんと対処してよ」
「ああ。加減なしに頼んだ」
エレオノーラが、ライフルを構える。その照準の先は、無論、魔物の群れだ。
残り一〇〇メートル、九〇、八〇と、彼我との距離が迫る。
群れの先頭を走るゴブリンの一匹が、シオンとエレオノーラの姿を双眸に捉え、奇声を上げながら飛びかかった。
そして――
「きっしょ」
エレオノーラが引き金を引き、銃口から巨大な火球が放たれた。車数台は楽に吞み込んでしまいそうなほどの火炎が、魔物の群れに襲い掛かる。
エレオノーラの炎は、先頭を走っていたゴブリンたちを漏れなく消し炭と化し、さらに奥へと突き進んでいった。後続に控えていた屈強なトロールをも焼き払い、発射地点から五〇メートル離れたところで着弾する。炎は着弾と同時に駅舎方面へと伸びて勢いを増し、大通り一帯を火の海と化した。
この火力は、エレオノーラが放った弾丸だけによるものではない。彼女は大通りの地形を変える際に、ある仕込みを同時にしていた。
このリズトーンという街はログレス王国でも屈指の炭鉱街――採掘済みの石炭を始めとした化石燃料が街中至る所に存在する状態だった。また、周囲の山脈から流れる地下水もこの街には豊富に延ばされていた。
エレオノーラは、それらを大通りの地面に混ぜ込んでいたのである。
そこへ巨大な火種が着弾した瞬間――彼女は、すぐさまライフルで地面を突き、魔術によって地中の燃料と水を可燃物、水素、酸素に変化させた。
それらは瞬く間に連鎖的に引火し、大通りを劫火に包ませたのだ。
よもやヒトであれば間違いなく瞬時に焼死するような有様――しかし、獄炎の中にいるのは、通常の生物よりも遥かに頑丈に造られた魔物である。この炎で、大通りにいたすべての魔物を焼き殺すことができたわけでもなかった。
体を火傷で激しく損傷しつつ、脂肪に火を点けたまま雄叫びを上げ、数匹のゴブリンとトロールが炎の中から姿を現してきた。
この炎がエレオノーラによって生み出されたことを理解しているのかどうかは定かではないが、いずれにせよ、ゴブリンたちは痛みと熱さ、怒りによって形相を酷く歪めていた。
そして、その感情を発散するかの如く、エレオノーラに狙いを定めて襲い掛かっていく。
だが、魔物たちの進撃は、指一本として彼女に届くことはなかった。
シオンが刀を鞘から走らせ、まずは一匹、ゴブリンの頭を刎ね飛ばす。その首と胴体が地面に着く前に、さらにもう一匹のゴブリンが縦に両断された。
エレオノーラに向かってさらに二匹のゴブリンが飛びかかるが、シオンが振るう刃は、先ほど両断したゴブリンが左右に分離する前に、その二匹の頭を上顎から斬り捨てる。
時間にして三秒も満たさない一連の剣技に、魔物は当然として、エレオノーラすらも何が起こったのか反応できずにいた。
炎から逃げ出たゴブリンたちを屠ったところで、今度は二匹のトロールが雄叫びを上げながら、文字通り身を焦がしてシオンに肉薄してきた。
三メートルは超える巨体でありながら、その身体能力はライカンスロープをも凌ぐ俊敏さを有している。二匹のトロールは、ゴブリンたちとは比較にならない身のこなしで、颯爽とシオンとの距離を詰めて拳を振り上げた。手の甲に炎を引火させて高所から振り下ろすその有様は、さながら小隕石の落下のようだ。
しかし、次の瞬間にはトロールの振り下ろされた腕は胴体から斬り離されて宙を舞っていた。その断面から鮮血が吹き出す間もなく、今度は頭が縦に両断される。薪を割ったような頭部から、花火のような勢いで血が溢れ出た。
トロールの一匹が何かの芸術作品のような姿になった矢先には、すでにもう一匹のトロールはシオンの刀によって首を刈り取られていた。
僅か数秒の間に、炎から逃れてきた魔物はすべて討ち取られた。
シオンは他に魔物の気配がないことを確認すると、刃の血糊を雑に払って一度刀を鞘に納める。
「お、お見事……」
エレオノーラが呆気に取られた様子で賛辞の言葉を送ったが、シオンの目つきは鋭いままだった。
「炎の中で異様にでかい魔物がまだ暴れているな」
シオンの言葉通り、火の海のど真ん中で、何やら行き場を失った子供のようにして喚きながら両腕を振るう一つ目の巨人――サイクロプスがいる。この炎によって足を焼き潰したためその場から動けずにいるようだが、依然として上半身は無事だ。
その様子を見たエレオノーラが、表情を険しくしながら鼻を鳴らした。
「ちょうどいいや。このまま“次の攻撃”、仕掛けちゃうから」
エレオノーラはそう言って、ライフルをくるくると回し出す。
「シオン、危ないからちょっと離れてて」
そう言ってシオンを後ろに下がらせると、エレオノーラはライフルを長杖に見立てて、自身の正面に両手で構えた。
「火種は至る所に、燃料と酸素も充分」
目を瞑り、周囲の条件を確認するようにぼそぼそと呟く。
次の瞬間、魔術の実行反応である青白い発光がエレオノーラの周囲から発せられた。光は地面を割るように、大通りへと延びていく。
やがて、地面が小刻みに震えだし、地鳴りのような音が鳴り始める。
そして、エレオノーラがライフルの先を大通りへ向けた途端、
「消し飛べ!」
彼女の言葉に呼応するようにして、大通りの地面が怒涛の勢いで捲り上がった。土と、炎と、可燃物と、水が、何かの意思を孕んだかのように駅舎へと流れていく。紅蓮の奔流は火砕流のようにして、大通り一帯を容赦なくなぎ倒していく。
その光景はまるで、地雷原に仕込まれた爆薬が一斉に炸裂したかのようだった。
炎の濁流は、魔物の群れを瞬く間に呑み込んでいき、一匹たりとも逃がしはしなかった。
“紅焔の魔女”から放たれた炎は、まさしく災害染みた力を以て、敵を殲滅せんとしていた。




