第三章 賽は投げられたⅩⅩⅥ
ガイウスとシオンが盗賊団のアジトを急襲してからわずか十五分――盗賊たちは騎士と従騎士の突然の襲撃にまともな迎撃をできず、逃げ惑うことすら叶わずにいた。人間とライカンスロープで構成された武装勢力は文字通り成すすべなく、この一幕は一方的に蹂躙される形で終わりを迎えようとした。
「殺しは今回が初めてだったか。気分はどうだ?」
返り血一つ浴びていないガイウスが、後ろでえずくシオンに声をかけた。
シオンは、殲滅の指示を受けてから考える間も、ショックを受ける間もなく、無心でヒトを殺し続けた。そして、恐らく最後の一人を屠った時、ようやく良心を含めた情緒を取り戻したのだ。
「慣れそうに、ありません……」
それは途端に強烈な罪の意識となり、彼の未熟な心と精神を毒のように侵していった。シオンは堪えきれなくなった吐瀉物を洞窟の地面に吐き出し、肩で激しく息をした。
「慣れる必要はない。割り切ればいい」
ガイウスは冷たい声で諭し、さらに続ける。
「シオン。こいつらはどの国にも籍を置いていない、文字通りの無法者だ。強盗、強姦、放火、殺人――ヒトがやることとは到底思えない所業を当然のようにやらかしている。たとえ、それらがこいつらの生きる術であったとしても、ここまで成熟したヒトの社会――今この時代、この世において、それを赦すことは絶対にできない。法で裁くことができないのであれば、その命を刈り取ることが正義だ。そして、俺たち騎士は、それを執行することが許されている」
理屈を話すガイウスだったが、シオンにはそれを聞き入れる余裕はまったくなかった。血に塗れ、震える自身の剣から視線が外せず、凍えるかのように身体を委縮させている。
「シオン――」
そんな弟子の眼前に、師が立つ。
「この世に神などいなければ、善悪すらもない。あるのは、正義だけだ。つまり、立場と力、結果だけがこの世のすべてを取り決めている」
まるで、本当に神などいないと、“ないはずのものをその目で見た”かのような口ぶりだった。
「今から言うことを心得ておけ。お前が騎士の責務に耐えるため、師である俺から送る――救いの言葉であり、呪いの言葉だ」
恐る恐る上げたシオンの赤い双眸に、ガイウスの顔が映り込む。あたかも、神の天敵であるかのような、身の毛もよだつ面持ちだった。
「すべての不義を斬り伏せろ、その身に悪魔を宿そうとも」
シオンは、その言葉の意味を考えるように一度深く項垂れ――赤く染まった剣を杖にして、自身を奮い立たせた。
すでにガイウスは踵を返しており、アジトの奥へと歩みを進めていた。
「先に進むぞ」
洞窟の中の唯一の導は、足元に張り巡らされた電球だけだった。市街地から違法に引き寄せた電力を無理やり使っているためか、安定した電力を供給できおらず、そのほぼすべてがちかちかと点滅している。
そんな視界の中を数分歩き続け、二人は行き止まりに差し掛かった。
そこはただの岩壁ではなく、木製の粗末な扉が付けられていた。
「あの……ここは……?」
怯えるように訊くシオンを無視し、ガイウスは扉を無作法に開けた。
扉の奥には小さな小屋ほどの空間があり、日用品などの物品を雑に収めた木箱が幾つも積まれていた。おそらくは、盗賊たちが倉庫として使っていた場所だろう。
ガイウスはそこに入ってすぐ、扉の横の地面に置かれていたコードを手に取った。先端にはスイッチがあり、彼はそれを躊躇いなく押す。
すると、天井に吊るされていた電球が辺りを仄かに明るくした。
照らし出された光景は、暗かった時と同様にただただ木箱が積まれている空間――しかし、明らかに何人かのヒトの気配がする。
すると突然、ガイウスは足元にあった小さな木箱を蹴り飛ばし、壁際に積まれていた物品を吹き飛ばした。
直後に聞こえたのは悲鳴――それも、子供のものだった。
「……子供?」
吹き飛ばした先、埃と土煙が晴れた場所にいたのは、小汚い身なりをした三人の人間の子供だった。男児二人に女児二人、シオンより三歳ほど若く、十歳になっているかどうかといったところか。
子供たちは咳き込みながら驚きと恐怖に顔を歪ませつつ、シオンとガイウスに対峙した。その手には、拳銃が握られている。
「シオン、命令だ。あいつらを殺せ」
何の前振りもなく、ガイウスが言った。
シオンは、絶句して目を見開く。
だが、
「どうした? こちらに銃を向けているぞ。早くしろ」
ガイウスは突き放すように、再度指示を出した。
子供たちに銃を向けられていることなど構わず、シオンは顔面蒼白になってガイウスに詰め寄った。
「か、彼らはどう見ても俺より幼い! そんな子供を――」
「三十六件」
突然、何かの件数を告げたガイウス――シオンがぽかんとしていると、
「これまでに確認が取れた、こいつらが犯した犯罪の数だ。近隣を通った旅客を襲撃しての強盗、資産家老夫婦を狙った計画的な詐欺、美人局を使った脅迫――いずれも最後は殺人までやっている。子供の悪戯で済ませる範疇を超えている」
言いたいことはわかるなと、ガイウスはその先の言葉を目でシオンに告げた。
しかし、シオンは小さく首を横に振った。
「ま、まだ子供ですよ? ちゃんと教育してあげれば――」
「誰が教育する? さっきも言ったように、この周辺に更生させるほどの教育を実施できる国はないぞ」
「な、なら教会に……そうだ、リディアの孤児院なら――」
「今いる孤児たちが安全に暮らせると思うか? 無論、リディアを含めてな」
言われてシオンが固まった直後、子供たちが動き出した。二人のやり取りを好機と捉えたのか、一目散に扉に向かって駆け出す。
だが、その先にいるのは他ならぬガイウスとシオンだ。
当然、ガイウスはそれを赦すはずもなく――瞬き一つもない刹那に、子供三人全員の両脚を斬りつけた。
迸る鮮血と同時に、甲高い絶叫が響き渡る。漏れなく太ももの主要な血管を切断されており、地面が瞬く間に赤く染まった。
「ちょうどいい。これでいくらかそれらしい理由ができただろう。このまま放っておいても死ぬだけだ。楽にしてやれ。慈悲だ」
ガイウスが冷徹に言い放ち、シオンに金色の瞳を向ける。
「やれ、シオン・クルス」
一瞬の静寂――そののち、シオンは、子供たちからの命乞いの言葉を断つように剣を振った。
※
膝から崩れ落ちる形で地面にへたり込んだシオンは、亡霊に誘われるかのように、斬首した子供の生首を一つ手に取った。子供の目は剣を振るシオンを捉えた時のまま見開かれており、口は途中まで発していた命乞いの形のまま固まっていた。
シオンは、小刻みに震えながら、子供の首を抱き締めた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……どうか、どうか生まれ変わった先では普通のヒトとして幸せに――」
「殺めた者にかけるのは弔いの言葉だけでいい、余計なことは喋るな」
氷柱を心臓に突き刺すような声で、ガイウスが吐き捨てた。
「相手がどれだけ悲劇的な過去を歩み、戦いを避けることができなかったとしてもだ。それは優しさではなく、まして同情にもならない。聞く相手がただの肉の塊になった以上、何を言ってもただの自己弁護と保身だ」
もはや、冷酷や非情といった言葉では表現しきれないその台詞に、シオンは我を忘れて立ち上がった。
「違う! 俺はそんなつもりで言ったんじゃ――」
「“あいつは可哀そうな奴だったが殺すしかなかった、だからお前が正しい”――こう言われたいか?」
心中をすべて見透かしたようなガイウスの視線に、シオンは獲物にされた小動物のように身を縮こまらせた。
「こ、こんなこと続けたら、き、気がおかしくなる……。せめて、正気を少しでも保てるように――」
「殺した命は懺悔を口にすれば発散できるほどどうでもいいものなのか? その程度で自分を律することができるほどに安い命だったのか? お前の剣はそんなに軽いのか? 背負う覚悟もなしに剣を握ったのか?」
淡々と放たれるガイウスの言葉に、シオンはいよいよ感情を壊していく。目と鼻から零れるように体液が溢れ、早まる鼓動に応じて息遣いが荒くなる。
「お前、何のために騎士を目指している?」
しかし、シオンはそれに答えられなかった。赤く染まった自身の身体を見下ろしながら、慄きで焦点のあっていない視線を地面に散らす。
それを見たガイウスは、興が冷めたように踵を返した。
「次のアジトに向かうぞ。今度は五人ほど生け捕りにしろ。そのあと、捕まえた盗賊を使って人体急所とダメージを与えた時の反応を学んでもら――」
「俺は、殺人鬼になりたいわけじゃない!」
「当たり前だ。もしそうだとしたら、今ここで俺がお前を殺している」
有りっ丈の力で悲痛に叫んだシオンだったが、それすらもガイウスは冷たくあしらった。
「何か守りたいものがあって騎士を目指しているんだろ。だったら覚悟しろ。守りたいもの以外――自分を含めた、あらゆる犠牲を払う覚悟だ」
そう言い残し、ガイウスは去っていった。
一人取り残されたシオンは、嗚咽するように喉から苦悶の声を漏らし、それを慟哭に変えた。




