第三章 賽は投げられたⅩⅩⅤ
シオンがガイウスに弟子入りしてから一ヶ月が過ぎようとしていた。しかし、従騎士になってからというものの、それらしい任務に就くことは未だなく、小姓時代の延長のような日々を送るばかりだった。
「戦闘訓練はここまでだ」
今日も早朝から騎士団本部の訓練場にて一戦交えるだけであり、ガイウスの仕事の手伝いはおろか、雑務すらも与えられることはなかった。
「食事を終えたあとは十三時から直近の経済史、十五時からは兵器への応用が注目される科学技術の復習だ。前に渡した二冊の本を持ってこい」
当然、そんな日常が続けば、やる気に満ち溢れている若者は不満を抱く。自分の活躍の場を与えられず、鬱屈した感情ばかりがシオンの胸中に募っていた。
「……くそっ!」
たまらず、シオンの口から悪態が零れる。ガイウスに叩きのめされ、地面に伏したままの状態で、強く拳を握りしめていた。
「不服そうだな。何が気に入らない」
衣服を整えながらガイウスが訊くと、シオンはここぞとばかりに勢いよく立ち上がった。
「俺はガイウス卿の弟子なんですよね? もう小姓じゃないんですよね?」
「ああ」
「なら、どうして毎日こんなことばかりさせるんですか? 一ヶ月間、ずっと訓練ばかりじゃないですか」
焦りで早口になるシオンに、ガイウスは冷ややかな視線を返す。
「今のお前にはそれが必要と判断したからだ。嫌味でやっているわけではない」
「他の従騎士は皆任務で実戦に赴いています! 俺だけですよ、こんなお遊びみたいなことしているの――」
瞬間、シオンの身体が宙を舞った。重心を失って一回転した身体は、再度地面に叩きつけられる。瞬き一つもない刹那の狭間、肉薄したガイウスが、腕一本でやってのけたのだ。
「お前は少し感情の起伏が激しい。任務どうこうの前に、自制心を身に付けろ。何より、この程度の動きを見切れないようであれば、戦場に送ってもすぐに死ぬだけだ」
淡々と未熟さを突き付けてくるガイウスに、シオンは強く歯噛みした。こうも実力の差を見せつけられては、もはや何も言えない。
己の力不足に打ちのめされた弟子を背に、ガイウスは静かに踵を返す。
その時だった。ガイウスに向かって、小走りに近づいてくる騎士の姿があった。
ガイウスのもう一人の弟子であり、議席Ⅶ番の騎士、ランスロット・マリスだ。
「ガイウス様」
ランスロットはガイウスの傍らに付くと、何かの紙を見せながら小声で話した。
「……わかった」
それを聞いたガイウスは簡単に返事をして――今度は、未だに地面で横になって不貞腐れるシオンに向き直った。
「シオン、予定変更だ。午後から任務に赴く」
まるで、餌の時間を知らされた子犬のように、シオンの顔が明るくなる。
「え……!?」
「詳細は移動の中で話す。昼食を終えたら戦闘衣装に着替えて本部正門前で合流だ。荷物は必要最低限にしろ」
※
騎士団本部を発ったガイウスとシオンは、大陸の西――小国地帯に向かった。白昼堂々と出歩く騎士の姿に驚く大衆の視線を浴びながら、汽車をいくつか乗り継ぎ、丸二日をかけての大移動だ。
「あの、任務の詳細っていうのは……」
最後の便に乗ってから十五分ほどが経った時、シオンが痺れを切らしたように、かつ恐る恐るガイウスに訊いた。二人しか乗っていない貸切の特等車両の中、汽車の音にかき消されそうなほどに弱々しい声量だったが、対面のソファに座るガイウスの耳にはしっかりと届いていた。
「お前は、シスター・リディアの孤児院の出らしいな」
ガイウスは移動中にも書類仕事を進めていた。徐にその手を止め、シオンに視線を移す。
「はい、そうですけど」
「彼女に最後に会ったのは?」
任務の詳細ではなく、突然身の回りの話になり、シオンは困惑の表情になった。
「従騎士になる前です。本部に異動になる前に会って、それっきり……」
ふと、ガイウスは伏し目がちになった。
質問とは別の話になったかと思えば、今度はこの反応――シオンは、露骨に怪訝な顔で首を傾げた。
「ガイウス卿?」
「……任務を無事に終えたら、会いに行ってやれ。帰還した後の休みは好きな時に取るといい。許可する」
妙に物憂げなガイウスに、シオンは全身を強張らせた。ガイウスの台詞から、もしや相当困難な任務なのではと考えてしまったのだ。
「こ、この任務、危険なものなのでしょうか?」
無事に終えたら――議席持ち、それも副総長がそう言うのだから、間違いないのだろう。シオンは、そんな不安と期待が入り混じった複雑な目の輝きを携えていた。
だが、対するガイウスは置物のように反応を示さなかった。
「あの、任務の詳細は……」
再度シオンが訊くと――
「お前は、彼女をどう思っている?」
ガイウスは、またしても話の内容をそちらに変えた。
「え?」
「シスター・リディアのことだ」
「ど、どうって……」
意図のわからない問いかけに困惑するシオンだったが、次第に気恥ずかしさを覚えたようにしおらしくなる。
「お、恩人です。俺を拾って、小姓になるまで育ててくれたヒトですから……」
その反応を見たガイウスの目が、微かに細められた。
「愛しているのか?」
「な!?」
紅潮するシオンだったが、対するガイウスはいたって真面目な面持ちだ。
「他意はない。彼女は、自分の命を賭けるに値する存在か――それを訊いている」
ガイウスが諭すように言うと、シオンは落ち着きを取り戻し、顔の赤みも引かせた。
それから短い沈黙のあとに、
「――はい」
しっかりと、ガイウスの視線を受けながら答えた。
「そうか」
車内での二人の会話は、それきりだった。
最後まで何の話をしたかったのかわからないまま――シオンは眉根を寄せ、ガイウスは書類仕事に戻った。
※
「結局、何の任務なんですか? ここまで来ても、内容については何も教えてくれませんでしたよね」
駅を降り、街中を歩き始めて数分と足らず、シオンが不満を口にした。目的地である小国地帯の最西端に着いたというのに、それでもまだガイウスは任務について語らないのである。
今も、シオンがやや苛立ち気味に言ってもその通りのままで――しかし、不意にシオンは気を張った。
ここはとある小国の首都とされている場所だが、あまりにも閑散かつ殺伐としていた。時刻は十四時であり、普通に考えれば人通りがピークになり得る時間でもある。にも係わらず、市街地の人影は疎らで、住民たちはまるで何かに怯えているかのように静かだった。
よく見れば、建物や道路などの状態も非常に悪い。ひび割れは当然、街灯に至っては電球どころか本体ごと抜き取られたような跡もある。路肩に停められた車は所々部品が欠けており、現在進行形で複数人の男がそれらを運び出しているような有様だ。
「気付いたか? 人々の活気のなさに」
異様な光景に身構えるシオンに、ガイウスが訊いた。
「俺たちのことを教会の人間とも認識できていないようですが……」
「この地域の小国は、他の国と比べてあらゆる力が乏しい。経済、福祉、治安、教育――そういう場所は、すべからく犯罪の大きな温床となる」
ガイウスの説明のあと、今まさにそれが二人の前で行われようとしていた。一人の若い男が、鉄パイプなどで武装した数人の男たちに、路地裏に連れ込まれていったのである。
間もなく、命乞いが混ざった男の悲鳴と共に、激しく殴打する音が幾度となく響き渡った。
シオンがそこに足を向けようとした、その時――
「行くな」
ガイウスが彼の肩を掴んで制止した。
シオンは驚いた顔で振り返る。騎士であれば、目の前で行われている悪事など到底見逃すことなどできない――そう言いたげだった。
しかし、
「あれは俺たちに関係がない」
ガイウスは無慈悲に言い放った。
「でも――」
「目に入った悪党すべてを虱潰しに叩くつもりか? お前の身体は永久機関ではないぞ」
感情的に動くことを咎められ、シオンは口を噤む。
「本来、教会の影響下にある地域であれば、俺たちの姿を見れば誰も目の前で悪事に手を染めることはしないだろう。だが、ここはそういう暗黙的な抑止力すら効かない場所だ。騎士は大陸の平和と秩序を守る存在だが、こと現代においては、権威的な力がその有効性の大部分を占めている。有能な警察組織が巡回していれば、銃を抜かずとも犯罪の数は少なくなる――そんな単純な理屈だ」
「あの、いったい、何の話を……」
「では、そうした高次元的な抑止力が効かない場合に、何者かの悪意によって理不尽な暴力が振るわれた時、我々騎士が取るべき行動は?」
ガイウスの突然の問いかけに戸惑いつつ、シオンは背筋を少し伸ばした。
「もちろん、戦います」
「そうだな。では、具体的にどうする?」
「具体的に?」
「――目的地はこの先だ。海岸の方に出る」
※
市街地を南西に向かって小一時間ほど歩いた所で、二人は海岸に出た。そこは断崖絶壁の岩壁でできた海食崖であり、西の荒れた風を纏った波浪が轟音を立てて押し寄せてくる場所であった。
見るからにヒトを寄せ付けない雰囲気だが――だからこそ、周囲に点在する何者かの気配と、そこから放たれる殺気は敏感に感じ取れた。
「警戒しろ。いつ後ろから弾丸が飛んできてもおかしくはない」
「ガイウス卿、ここは?」
シオンが訊くと、ガイウスは崖のとある一点を指差した。そこには、自然の作り出した海蝕洞が蜂の巣のようにしていくつもあった。そして、穴の周囲には明らかにヒトが生活した痕跡がある。
「盗賊団のアジトだ。この地域の小国を跨いで犯罪行為を繰り返す無法者たちが、ここに大勢住み着いている」
ここでようやく、シオンは任務内容を察することができた。
「今回の任務というのは、盗賊たちの捕縛ですね? 捕縛後の身柄の引き渡し先はこの国の政府でよいですか?」
従騎士が初めて挑むのにそれらしい任務であることに、シオンは嬉々としてやる気を出す。
しかし、ガイウスは無反応だった。
「ガイウス卿?」
怪訝になったシオンが、呼びかけつつガイウスの顔を見た――その時、
「いや、皆殺しだ」
身の毛もよだつほどに冷酷な声色で、ガイウスは吐き捨てた。
「ここに一般人がいないことは確認が取れている。人質や奴隷、捕虜のような存在もいない」
ガイウスは歩みを進めながら剣を抜いた。
「シオン、今この瞬間より、俺たち以外の目に入った生き物は全員殺せ。それが任務内容だ」




