第三章 賽は投げられたⅩⅩⅢ
一部の枢機卿たちによるガリア公国との癒着は、彼らの独断行為として処分されることになった。教皇庁は組織としての関与はないと世間に知らしめ、教会への反発を早期に収束させようと試みたのだ。
一方、教会内部ではガイウスの強硬的な手段を恐れた教皇庁が、騎士団への態度を一気に軟化させた。長年、総長不在のままにすることを押し通した圧力も解かれ、これを契機に、騎士団は大胆な人事異動と共に体制の強化を図った。
注目するべきは、幹部である円卓の騎士――議席持ちの刷新だった。
既存の議席持ちの騎士については、数名だけを椅子に残し、残りの大半を大陸諸国に点在する支部のトップに異動させることにした。世間的に見れば左遷に捉えられる動きだが、その実は騎士団の影響拡大を図った栄転に等しかった。
議席持ちだった実力を有する騎士たちが大陸の各所に存在することで、各国の不穏な動きの抑制と監視を強化することが目的だ。
そして、刷新した議席持ちの騎士たちは、三十代を中心にした、フットワークが軽く、実力主義を反映した若い組織へと変わった。
Ⅰ番ユーグ・ド・リドフォール
Ⅱ番ガイウス・ヴァレンタイン
Ⅲ番イグナーツ・フォン・マンシュタイン
Ⅳ番ヴァルター・ハインケル
Ⅴ番レティシア・ヴィリエ
Ⅵ番セドリック・ウォーカー
Ⅶ番ランスロット・マリス
Ⅷ番リカルド・カリオン
Ⅸ番ハンス・ノーディン
Ⅹ番モルドレッド・チェスター
ⅩⅠ番パーシヴァル・リスティス
ⅩⅡ番トリスタン・ブレーズ
ⅩⅢ番ガラハッド・ペリノア
既存の議席持ちであり、副総長であったユーグを総長に格上げし、同じく古株のヴァルターを相談役、顧問的な立ち位置のⅣ番に置くことで統率力を維持しつつ、目覚ましい実績を残してきたガイウスを副総長の座に、書記として機能することの多いⅢ番にイグナーツを座らせた。Ⅴ番以下は実績、実力共に騎士団内部での評価が高い者を配置することで、内外共に幅広く対応できる体制を整えた。
この幹部を据えた騎士団は、 後世において、歴代最強の騎士団とまで言われるほどの強力な組織になる――
「ようやく幹部の体制を整えることができた、と言いたいところが、祝賀会を挙げるような状況ではないな。各支部に異動した前任の議席持ち達から不満の声などは上がっていないか?」
十三人全員が着席した円卓の間にて、ヴァルターが冗談交じりに言った。
それを聞いたユーグは弱々しく笑い、肩を竦める。
「皆、納得してくれている。左遷ではなく、騎士団の体制強化を目論んだ栄転だからな。それが理解できない彼らではない」
「それもそうか。むしろ、窮屈な上座からようやく立つことができて、身動きのとりやすい立場に喜んでいるかもしれんな。古い組織が苦手としている世代交代も、付帯的にできたことだしな」
古参二人が穏やかなやり取りをする一方で、間に挟まるイグナーツは不安げに眉を顰めた。
「しかし、教皇庁は何故急に騎士団の人事へ干渉することを止めたのでしょうか? この局面では、自らの首を絞めることにしかならないのでは?」
「……“詳しいこと”は私も把握できていないが、どうあれ、我々にとっては僥倖であることに違いはない。この機は、うまく使わせてもらうことにしよう。急ぎで対処しなければならない事が多すぎるからな」
ユーグの回答は、どこか含みがあり、濁すようなものだった。
だが、今この場で議論すべきは、そんなことではない。
イグナーツは頷き、卓上の書類を手にしながら立ち上がった。
「まずは過去から今に至るまでの状況を整理しましょう。私と、ヴァルター卿から説明いたします。まず、私たち騎士団の今の“敵”は、大きく三つの勢力です。教皇庁、聖女、ガリア公国――これら三つの勢力がそれぞれの利害、思惑が一致したことで、大陸の情勢は彼ら彼女の手によって大きく風向きを変えました。これまでの常識を覆すような思想、経済活動が急速に広まり、大陸諸国はその対応に混迷を極め、それぞれの国力に大きな綻びが見えました」
「平たく言ってしまえば、大陸同盟を名目にした世界同化政策の波が押し寄せ、多くの国がそれに振り回されているということだ。特に貧困層や差別的な扱いを受ける亜人をはじめとした社会的弱者からの支持を多く集め、その母数の多さが齎す混乱に頭を悩ませている」
辟易した顔でヴァルターが付け加えたあと、イグナーツはさらに続けた。
「国境を越えた平等的な富の分配と人権獲得――表面的なスローガンこそ聞こえはいいものの、実態はそれらを利用した一部の権力者による既得権益の強化、新たな利権掌握が目的です。個々の民主主義的な価値創造の機会が失われ、埋まることのない様々な格差が要所に確立されることで、上下の循環性がない完全な支配体制になることを我々騎士団は懸念しております」
「それらは教皇庁とガリアによって水面下で推し進められていたが、そこにアナスタシアという都合の良い予期せぬ広告塔が登場したことで、表面だけを捉えた一般大衆に理想的な思想として広められることになった。だが――」
「個々の解釈でそれこそ都合良く受け取られる抽象的な彼女の教えは本人たちすら意図しない広がりを見せ、既存体制の支持層との大きな軋轢を生むことになってしまいました。それはやがて暴動といった明確な対立構造を生み出し、負の側面で具現化することに」
「大陸各地で激化する対立の争いは教皇庁と聖女の望むところではなかった。そのため、教皇庁は急遽、大陸各地で起きる対立の鎮圧、収束に動き出した。私たち騎士を駆り出してな」
経緯の大筋が終えたところで、イグナーツは書類を捲った。その視線は、ガイウスに移る。
「そして、ここからが最近の話になるわけですが――現時点で、対立の流れは急速に治まりつつあります。パルドラーナでのガイウス卿の活躍によって……」
「あれ以来、アナスタシアもすっかり大人しくなってしまった。いや、もはや機能していないと言っていいだろう。自ら命の危機に瀕したことで、ようやく己がやってきた事の重大さと影響力を認識したらしい」
「同時に、教皇庁も我々への圧力を弱めました。とりわけ、一部の枢機卿によるガリア公国との強い癒着が大陸中に広められたことが原因でしょう。ヒトの生命と尊厳を重んじる教会が、亜人を蹂躙し、隷属を是としている国と必要以上に懇意にしている矛盾に、世界中の人々が疑問を呈し、憤慨しました。ガイウス卿によって問題の枢機卿五人全員が即座に処罰されたことで、今は落ち着いているようですが」
ヴァルターがとある新聞の切り抜きを皆に広げて見せる。
「そのため、教皇庁と聖女に関しては、すでに力を失いつつある。だが、ガリアは相変わらずだ。今は自国のイメージアップに勤しんでいる。経済的に支配している小国や植民地を味方につけて大陸諸国へのプロパガンダは当然。滑稽な話としては、こんなものもあるぞ」
「亜人奴隷への直接的なインタビュー記事――奴隷自らにガリア公国での生活待遇を喋らせ、隷属される立場ではあるものの、その快適さや待遇の良さをアピールしています。もちろん、実態とは著しくかけ離れた、ただの嘘ですが」
新聞には、ガリア公国の亜人奴隷から直接聞き取った記事が書かれていた。
奴隷という身分でありながらその待遇は非常によく、主人に忠義を尽くすことこそが至高の喜びであるという当事者のコメントが書かれている。だが、そこに添えられた奴隷のエルフとライカンスロープの写真は、身なりこそ小奇麗であったものの、目には生気がなく、仮面を彷彿させる顔の強張りがあった。ガリア公国の実態を知っている者からすれば、写真写りが悪いというわけではないのは、自明だ。
「実際、奴隷制がありつつも厳格かつ人道的な法律と体制のおかげで、その命と尊厳が守られている国家もある。それを好例にして倣ったのだろうが、あのガリアが亜人相手にそんなことをするとは到底思えん。つい最近、国内のとあるライカンスロープの民族弾圧に取り掛かり、大規模な強制不妊手術にも乗り出したくらいだからな」
呆れで鼻を鳴らしたヴァルターに続き、イグナーツも肩を竦めた。
「あまつさえ、隣国ログレス王国の亜人対応を非難している有様です。ガリアから逃げた亜人たちの受け入れ制限を非人道的として、他国からの評判を貶めようとしています」
「状況整理としてはこんなところだ。さてここからどう動く、というのが今後の我々の課題だ」
最後にヴァルターがため息混じりに言い、イグナーツが着席したことで説明が締められた。
間髪入れず、ユーグが口を動かす。
「ガリアが及ぼす各国への影響は最低限に抑えられるだろう。前任の議席持ちを各支部長に異動させたことで、現地では彼らが目を光らせる。問題は、ガリア本国の動きだ」
それに同意しながら、ヴァルターは新しい書類に目を通した。
「教皇庁の勢いが弱まったことを逆に好機とし、大陸同盟締結とその権利を独占するために、ここぞとばかりに力を付けている。急速な軍拡もそうだが、前の総長も巻き込まれた核分裂実験を応用した兵器開発を進めていることが気がかりだ。今でこそ我々騎士団の力があるおかげで大人しくしているが、あと数年のうちに手に負えない軍事力を得る可能性がある」
その時、議席持ちの一人から挙手があった。
それは――
「少し、よろしいですか?」
「何だね、モルドレッド卿」
Ⅹ番に座す、モルドレッドだった。
「ガリアが力を付けている点については私も同意いたします。しかし、我々の立場を脅かすほどの影響力を得るとは、少々信じがたいですね」
その見解に、ユーグは眉間の皺を深くした。
「何故、そう思う?」
「確かに、新兵器開発には大きな懸念があります。しかし、あの国の主戦力となるものは、これまで通り軍事用に調教された魔物と、生体機械化技術を駆使した強化人間です。騎士からしてみれば、ものの数ではないかと」
それを聞いたイグナーツは顔を引きつらせた。
「それは傲りですよ、モルドレッド卿。侮りすぎです。その数こそが脅威となっている実状です。私たちが手に入れた情報だけでも、例を見ないほどに増えています。表に出ない実態を含めれば、それがどれほどのものになっているのか、想像つきません」
「だとすれば、そんな状況になるまで放置した我々騎士団の責任でもありますな。ですよね、総長?」
やけに厭らしい笑みを携え、モルドレッドはユーグを見た。
それにユーグが応えようとした――間際、
「それを教皇庁が黙認し、俺たちの身動きを封じていたんだ。外圧でなるべくしてなったようなものだろう」
それまで静かだったガイウスが、低い声で、獣が唸るように言った。
張り詰めた空気に、さらに重みが増す。
「お言葉ですがガイウス卿、であれば、騎士団の――いえ、教会の力が弱まったことこそ憂うべきではありませんか? かつての騎士団であれば、ガリアなど脅威の範疇でもなかったでしょうに」
「つまり、何を言いたい? 今のガリアが脅威ではない理由を総長は尋ねたのではなかったか?」
「ええ。しかし、騎士団として脅威と判断するのであれば、私はその決定に従います。ただ、強敵と感じる者に対し、真正面から挑むのは得策ではありませんね。ここはひとつ、かの国との対話に踏み切ってはいかがでしょうか?」
モルドレッドの提案に、今度はヴァルターが鼻で笑った。
「話にならんな。利用されるだけだ」
「ならば、こちらもあちらを利用する体で――」
「いったい“誰に気遣っている”? お前個人としては、ガリアは脅威ではないのだろう? 話がかみ合っていないぞ」
モルドレッドの言葉を、ガイウスは核心を突くような声色で遮った。
「……私の発言をどう聞き取って気遣っていると仰ったのか、理解に苦しみますね。私はただ、強硬な手段ではなく、平和的に解決できる手段を選ぶべきと申し上げたかったのです。争いは誰も望まないでしょう?」
「まるで聖女のようなことを言うな、モルドレッド卿?」
そう言ったガイウスの顔は無表情だったが、どこか挑発的で小馬鹿にしたような雰囲気があった。
モルドレッドもそれを感じ取ったのか、目つきに微かな殺意が宿る。
厳かな場に、一触即発の空気が漂う。
しかし――
「この話は、いったんここまでだ」
緊張の糸をユーグが解いた。
「具体的な対応策は、一度私とガイウス卿で考える。それを以て、また皆から意見を仰ぎたい。それでいいな、ガイウス卿?」
「はい」
解散から間もなく、円卓の間には、ユーグとガイウス、隣り合う席の二人だけが残った。
僅かな沈黙のあと、先にユーグが口を開く。
「……やはり、モルドレッド卿を議席持ちにしたのはリスクがあったのではないか?」
「あの男には教皇庁の息がかかっています。監視するなら手元に置いた方がわかりやすい。それに、存外に器も肝も小さい男であることがわかりました。あの振る舞いを見るに、議席持ちになれたのは、自分が上手く立ち回ったおかげだと思い込んでいるのでしょう。自覚のない馬鹿は不快だが、扱いやすい」
「どうするつもりだ?」
懸念を孕んだユーグの眼差しに、ガイウスは濁った金色の双眸を返す。
「我々騎士団と教皇庁との板挟みにし、始末する時が来るまで飼い殺しにします」




