第三章 賽は投げられたⅩⅩⅡ
パルドラーナの暴動は、教会による情報統制が敷かれ、表立って大陸諸国にその結末が知られることはなかった。しかしその一方で、生き残った僅かな住民や、現場を遠くから観察していた者たちの証言は完全に封じ込めることができず、半ば都市伝説のようにして伝播することになった。
そこでは皆、口を揃えてこう伝えていたという。
無数の光の刃が街を斬り裂いたと――
「早速だが、此度の件について聞かせてもらおうか、ガイウス・ヴァレンタイン」
与太話のような噂が未だ絶えないまま二週間が過ぎた日、教皇庁本部のルーデリア大聖堂に隣接する礼拝堂にて、教皇と枢機卿団による臨時の諮問会議が開かれた。
最奥の主祭壇に現教皇――イリマリウス八世が鎮座し、身廊を挟んだ左右側面には枢機卿たちが厳かに立ち並んでいる。
そして、それらの中央に一人佇むのはガイウスだ。
「何を黙っている? 猊下がお尋ねしているのだぞ」
入室して間もなく教皇から問われるも、ガイウスは無機質な表情のまま、すぐには口を開かなかった。それに耐えかねた一人の枢機卿が、無礼を咎めるように、再度促した。
「此度の件というのは?」
露骨に惚けた回答ではあったが、ガイウスの調子はまるで自動人形だった。
その不気味さもさることながら、ふてぶてしい振る舞いに、枢機卿たちから苛立ちの吐息が漏れる。
「くだらない白を切るな。パルドラーナでの一件だ。中央区を焼き払ったのは卿の所業であろう。どうにか誤魔化せている状態だが、中には教会の蛮行であると噂する者がいる始末だ。どう弁明するつもりだ」
「報告書に記載した通りです。聖女を含めた一般市民を守るため、暴徒鎮圧に当たりました」
「その一般市民の大半を殺したことをどう弁明するのかと訊いているのだ。騎士であるがゆえ、法的な罪にこそ問われないものの、教会の倫理観と品位を疑われる由々しき事態だ」
枢機卿たちから次々と責めの言葉が投げられるも、ガイウスは一切の感情を廃した様子だった。
次第に、枢機卿たちの声色が苛立ちを隠さなくなる。
「騎士が、しかもそれが議席持ちとなっては、大陸諸国に示しがつかんぞ」
それでもなお態度を改めないガイウスに、ついに枢機卿の一人が青筋を額に浮かべた。
「何か言わぬか!」
礼拝堂にその怒声が暫く響いた。
そんな中、教皇が軽く手を挙げて場を鎮める。
「ガイウス卿、君の活躍はよく聞いている。私としても、君のような逸材を失脚させてしまうのは非常に惜しいと考えている。そこで、だ。ここで一つ、提案があるのだが――」
「大陸同盟締結のため、騎士団にスパイ工作員として忍び込めと?」
教皇の最後の台詞を、ガイウスが先んじて言った。剣を一振りしたかのような声の鋭さに、礼拝堂の空気が張り詰める。
だが、
「貴様、猊下に向かってその言い草はなんだ!」
枢機卿たちの怒りが瞬く間に再燃した。
険悪な雰囲気をそのままに、教皇は続ける。
「歯に衣着せぬ言い方ではあるが――理解しているのなら話は早い。君が協力者になってくれるのであれば、この件は不問とし、我々の方で政治的に丸く収めることを約束しよう」
教皇たちの目論見は非常にわかりやすかった。現状、大陸同盟の早期締結に向けた一番の障害である騎士団の動きを封じるために、ガイウスを教皇庁――教皇と枢機卿団の内通者として忍び込ませたいとのことだ。
無論、その誘いを断れば、ガイウスは異端審問にて裁かれることになるだろう。
その思惑は、枢機卿たちの顔を見れば一目瞭然だった。
「ガイウス・ヴァレンタイン、悩むことはないはずだ。お前にはその道しか残されていない。もし断れば、お前は異端審問に送られ、黒騎士に認定されることは免れられんぞ」
勝ちを確信した表情で、枢機卿たちから厭らしい視線がガイウスに向けられる。
「君がこの提案を受け入れてくれるというのであれば、もう一つ」
さらに、教皇から駄目押しの言葉が続く。
「今なお空席となっている騎士団総長の椅子、そこに君が座ってもらおう。そうすることで教会内部の結束はより強固なものとなり、大陸の管理体制が盤石なものとなる。もはや、断る理由などないはずだ」
しかし、ガイウスは相変わらずの態度のまま、沈黙した。
一向に軟化しないガイウスに、枢機卿たちの語気が強まる。
「ガイウス! さっきから不敬であるぞ! さっさと返事を――」
と、不意に、ガイウスが何かを床に放り投げた。
「……なんだ、これは?」
それは、数枚の紙きれ――一瞥でも確かに確認できたのは、教会とガリア公国の公印が押された、両者間で取り交わされた公文書であるということだ。
「気になるのであれば、ご自身の手で取ってご覧になってください」
吐き捨てるようなガイウスの一言に、ついに枢機卿たちの堪忍袋の緒が切れた。今にでも殴り掛からんと、一斉にガイウスへ歩みを進める。
「いい加減にしろよ、貴様! 猊下、このような輩と会話するだけ時間の無駄です! 即刻――」
場の熱気が最高潮に達したその時、礼拝堂の扉が勢いよく開かれた。
そこから入ってきたのは、青ざめた顔をした一人の司祭だった。
「何事だ。まだ取り込み中であるぞ」
枢機卿の制止も係わらず、司祭は今にも腰を抜かしそうな足取りで教皇の前に両膝を付く。
「げ、猊下……! た、たた、大変なことに……!」
呂律の回らない司祭が、教皇に向かって何かを差し出した。
それは、アウソニア連邦の新聞社が発行した号外であり――
「どういうことだ、これは!?」
教皇はそれを手に取った瞬間、狼狽に目を丸くさせた。
「まさか、貴様の仕業か!?」
それまで一貫して穏やかな態度を見せていた教皇が、途端に声を荒げた。その視線の先は、ガイウスだ。
「“ご存じかもしれませんが”、そこに落ちている情報はほんの一部です。そして、同じものをすでに大陸諸国の各種メディアにばら撒きました」
ガイウスが床に投げ捨てた書類と、司祭が持ちだした号外――そこには、彼がかつて帝国との国境線で手に入れた、教皇庁とガリア公国の癒着を知らしめる事実が、公文書の写しを添えて綴られていた。
「教会の倫理観? 品位? でしたか? 私に問う前に、まずはご自身の行いを見直すべきでしたね」
新聞には、ガリア公国との不正な取引が事細かに記されており、あまつさえ係わった枢機卿の名まで載っていた。
つい先ほどまで息巻いていた枢機卿たちの顔から、瞬時に生気が失われていく。
「ご安心ください。“トドメ”になる情報――貴方たちの茶番劇については伏せてあります。リークしたのは、あくまで貴方たちとガリア公国との不適切な関係についての一部です」
「こ、こんなことをしてただで済むと――」
枢機卿の一人が、ガイウスに掴みかかろうとした。刹那、その眉間に、ガイウスが剣の切っ先を突き付ける。
「世間に知られてしまった以上、そこに名を連ねた教会関係者を、私は騎士として裁かなければならない。ここにいる枢機卿だけで、五人は該当します」
その五人のうちの一人は、今まさにガイウスに剣を向けられている老人だった。
騎士が放つ無慈悲な殺意に、老齢の枢機卿は戦慄する。
「ま、待て。落ち着け、ガイウス。今ならまだ赦せる。だから――」
「誰がお前に赦しを乞うた」
直後、ガイウスは目にも止まらぬ速さで剣を振り、その枢機卿を袈裟懸けに斬り裂いた。
断末魔と悲鳴が礼拝堂を満たし――ガイウスは、血の足跡を残しながら、教皇の前に立った。
「教皇イリマリウス八世、己の人生をすべて費やし、ようやく教皇になれたんだ。天に召されるその時まで、その名は綺麗なままでいたいだろう?」
教皇が持つ新聞の中央を、ガイウスは血塗られた剣でゆっくりと裂いていく。
「赦しを乞うのは、お前たちの方だ」
裂かれた新聞の隙間から、悪魔が顔を覗かせた。




