第三章 賽は投げられたⅩⅩ
マリアの刑が執行されてから数日後、ガイウスは再度オルタに赴いた。休暇を利用して得た猶予は僅か二日――その間に、娘のエレオノーラの安否を確認しなければならない。
マリアが残した言葉を頼りに、彼女と懇意にしていたという村の女性のもとを訪れる。黒のスーツを纏い、ただの一般人を装ったが、閑散とした集落であるため、身なりの整ったガイウスは必要以上に目立ち、村人たちから警戒された。
くだんの女性の家に赴いた時も、
「知らないよ、そんな子!」
怒声で門前払いとなり、まったく相手にされなかった。
ガイウスは、扉を壊してでも確認したい思いを必死に抑えつつ、それでもめげずに呼びかけた。
「待ってくれ。間違いなく――」
「いいから帰っておくれ! ウチに子供なんていないよ!」
暫くして、この女性の言うことは本当なのだろうと悟った。声を上げながら家の中の気配を探ってみたが、子供らしき存在は何も感じられなかった。
まさか、あの家主の女がエレオノーラに何かしたのか――そう考えもしたが、不用意にここで騒ぎを起こすこともできなかった。マリアとの約束がある。ここですべてを台無しにしてしまっては、彼女は何のために死んだのか。
ガイウスは次に、たまたま目に入った村の中年男性に声をかけた。
すると、男は恍けた顔をしながら頷いた。
「んあ? 小さな女の子? それなら、確かに村の近くに住んでたよ。エルフの女と一緒に。でも何日か前から姿を見てないね」
「今はどこに?」
「さあ。あ、でも、もしかしてアレがそうだったのか?」
独り言のような男の回答に、ガイウスは目つきを鋭くした。
「何の話だ?」
男はガイウスの気迫に怯みながら続きを話す。
「ちょ、ちょっと前に酷い雨の日があったんだ。その時に、村の東の方に走っていくちっこい影を見たんだよ。外は暗かったし、雨でよく見えなかったら、熊か鹿かかと思ったんだけどよ、あの日以来その子を見かけないから、もしかしたら――って、おい、もういいのか?」
その言葉を聞いて、ガイウスはすぐに村の東に行った。舗装されていない地面は雨の湿気を未だに根深く取り込んでおり、そのおかげでヒトや動物の足跡をはっきりと残していた。
確かに、男の証言通り、子供のものと思われる足跡が村の外に向かって伸びていた。ガイウスがその跡を辿っていくと、かなり村から離れた場所まで続いていた。ゆうに十キロは超えており、おおよそ子供が一人で出歩く距離ではない。おそらく、母親を追ってずっと彷徨っていたのだろう。
ガイウスは、締め付けられるような痛みと、微かな希望を胸に携え、駆け足でその小さな足跡を辿った。
しかし、ある場所を境に、ぴたりと痕跡がなくなった。
そこは深い森の中で――あったのは、子供がその場で倒れ込んだであろうと思われる形跡だった。そして、周囲には獣か魔物か――少なくともヒトではない生き物の足跡だ。
ガイウスはその場で両膝を付き、項垂れた。
最悪の想像が脳裏をよぎり、あたかもそれが事実であるかのように自分を苛ませた。
これから何のために生きればいいのか――だが、まだ折れるわけにはいかない。
マリアの言葉が、何度も頭の中に響く。
そのたびに、無理やり自分を奮い立たせた。
マリアとエレオノーラ、二人がいなくなったとしても、まだ自分は、戦わなければならない。そうでなければ、いったい誰が二人の無念を晴らすというのか。もう二度と、二人のような理不尽の犠牲を出すわけには――
※
アナスタシアが正式に聖女に就任したのは、ガイウスが帰還してから一週間後の出来事だった。聖王教の総本山であるルーデリア大聖堂にて、聖都セフィロニアを挙げての盛大な式が催された。数十年ぶりに新しい聖女が誕生したことで、街は日夜問わず喧騒に包まれた。
そんな空気から隔絶されたように静かな場所――街の外れにある小さな礼拝堂に、ガイウスは一人、教壇近くの椅子に座っていた。窓から差し込む月明りと、壁に並ぶ小さな燭台が、ガイウスの姿を陰鬱に照らしている。それは、あたかも懺悔するかのような有様だった。
不意に、礼拝堂の扉が開かれた。外の冷気と共に、人影が一つ、中に入る。
「……ガイウス」
小さな足音を立て、ガイウスと身廊を挟んだ隣の椅子に座ったのは、リディアだ。
ガイウスは彼女に目を合わせないまま、徐に口を開く。
「……すまない先生、直接言うのが遅くなった」
ガイウスの声は震えていた。まるで、これから悪事を謝罪する子供のように。
「俺は、マリアを救えなかった――」
「私のせいなの」
意を決して伝えたガイウスの告白を、リディアはそう言って断ち切った。
ガイウスはフードの隙間から、驚きと困惑の顔を覗かせる。
「マリアとやり取りしていた手紙が、私のミスで第三者に漏れてしまったの。それが原因で、彼女を死なせることになってしまった」
リディアの言葉に、ガイウスは固まった。
「ガイウス、貴方には復讐する権利がある」
それには構わず、リディアは続ける。
「私を殺して」
直後、街中から何発もの花火が上がった。鮮やかな色の光が、ガイウスとリディアを交互に照らし出す。
「――誰だ?」
光が落ち着いて間もなく、ガイウスは訊いた。
「第三者というのは、誰の事だ?」
その鋭い声色に、リディアは怯えるように身を竦めた。
「それは……」
「――アナスタシアだな?」
言い淀むリディアの反応から、ガイウスが自分で答えた。
リディアが無言のままであることを肯定と受け取り――ガイウスは立ち上がる。
「……結局、アンタもあの女にいいように使われているだけの存在か」
そして、吐き捨てるように言い残し、扉に向かって踵を返す。
その背中を、リディアは慌てて追いかけた。
「ガイウス、待って! もう一つ大事なことがある! 貴方とマリアの子はまだ生きてる! 今どこにいるのかは私も知らないけど、貴方が望むなら――」
「エレオノーラは死んだ」
「違う! 落ち着いて、ガイウス! 本当にあの子は――」
リディアがガイウスの腕を引いて、無理やり足を止めさせた。
だが――
「くだらない嘘で俺を立ち直らせようとするなら、もう二度と姿を現すな」
振り返ったガイウスの金色の目は、正気を失いかけていた。この状態では、まともに話を聞かせることもできないと思えるほどに。
悪魔が取り憑いたかのような形相に、リディアは戦慄に身を震わせ、息を呑んだ。
そうしている間に、ガイウスは礼拝堂の外に出てしまう。
立て続けに起きる花火の光と音に意識を取り戻したリディアは、再度、ガイウスに向かって走った。
「ガイウ――」
「リディア!」
その時、突然、リディアの名を叫ぶ声が起こった。
街の中央から礼拝堂に向かって、誰かが一人、駆け寄ってくる。
「シオン……」
それは、白い制服――小姓の衣装に身を包んだ、十歳前後の少年だった。
リディアにシオンと呼ばれたその少年は、酷く息を切らした状態で、しかし顔はどこか嬉しそうだった。
「聖都に来るなら言ってほしかっ――」
シオンが明るい声で何か言いかけた直後、彼は足の腱を切られたように、突然その場に倒れた。
「シオン!」
それを見たリディアが、慌ててシオンのもとに駆け寄った。
「やっぱり無茶だったのよ、十歳を過ぎた貴方が“騎士の聖痕”を刻むなんて……」
リディアがシオンの身体を支えると、彼は重病を患ったような顔色で、しかし健気に小さく笑った。
「……大丈夫、これくらいは、いつものことだから。だけど今日は、少し調子が悪くて」
体に付いた土を払いながらシオンは立ち上がった。その後で、きょろきょろと辺りを見渡す。
「それより、誰かと話していたの?」
不意に尋ねられ、リディアはハッとした。
「え? え、ええ。議席持ちの騎士様よ。紹介するね、ガイウ――」
「誰もいないけど?」
シオンの言う通り、すでにこの場にガイウスの姿は見当たらなかった。
「ガイウス……」




