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辺獄の黒騎士  作者: シベハス
第四部
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第三章 賽は投げられたⅩⅩ

 マリアの刑が執行されてから数日後、ガイウスは再度オルタに赴いた。休暇を利用して得た猶予は僅か二日――その間に、娘のエレオノーラの安否を確認しなければならない。


 マリアが残した言葉を頼りに、彼女と懇意にしていたという村の女性のもとを訪れる。黒のスーツを纏い、ただの一般人を装ったが、閑散とした集落であるため、身なりの整ったガイウスは必要以上に目立ち、村人たちから警戒された。


 くだんの女性の家に赴いた時も、


「知らないよ、そんな子!」


 怒声で門前払いとなり、まったく相手にされなかった。

 ガイウスは、扉を壊してでも確認したい思いを必死に抑えつつ、それでもめげずに呼びかけた。


「待ってくれ。間違いなく――」

「いいから帰っておくれ! ウチに子供なんていないよ!」


 暫くして、この女性の言うことは本当なのだろうと悟った。声を上げながら家の中の気配を探ってみたが、子供らしき存在は何も感じられなかった。


 まさか、あの家主の女がエレオノーラに何かしたのか――そう考えもしたが、不用意にここで騒ぎを起こすこともできなかった。マリアとの約束がある。ここですべてを台無しにしてしまっては、彼女は何のために死んだのか。


 ガイウスは次に、たまたま目に入った村の中年男性に声をかけた。

 すると、男は恍けた顔をしながら頷いた。


「んあ? 小さな女の子? それなら、確かに村の近くに住んでたよ。エルフの女と一緒に。でも何日か前から姿を見てないね」

「今はどこに?」

「さあ。あ、でも、もしかしてアレがそうだったのか?」


 独り言のような男の回答に、ガイウスは目つきを鋭くした。


「何の話だ?」


 男はガイウスの気迫に怯みながら続きを話す。


「ちょ、ちょっと前に酷い雨の日があったんだ。その時に、村の東の方に走っていくちっこい影を見たんだよ。外は暗かったし、雨でよく見えなかったら、熊か鹿かかと思ったんだけどよ、あの日以来その子を見かけないから、もしかしたら――って、おい、もういいのか?」


 その言葉を聞いて、ガイウスはすぐに村の東に行った。舗装されていない地面は雨の湿気を未だに根深く取り込んでおり、そのおかげでヒトや動物の足跡をはっきりと残していた。


 確かに、男の証言通り、子供のものと思われる足跡が村の外に向かって伸びていた。ガイウスがその跡を辿っていくと、かなり村から離れた場所まで続いていた。ゆうに十キロは超えており、おおよそ子供が一人で出歩く距離ではない。おそらく、母親を追ってずっと彷徨っていたのだろう。


 ガイウスは、締め付けられるような痛みと、微かな希望を胸に携え、駆け足でその小さな足跡を辿った。


 しかし、ある場所を境に、ぴたりと痕跡がなくなった。

 そこは深い森の中で――あったのは、子供がその場で倒れ込んだであろうと思われる形跡だった。そして、周囲には獣か魔物か――少なくともヒトではない生き物の足跡だ。


 ガイウスはその場で両膝を付き、項垂れた。

 最悪の想像が脳裏をよぎり、あたかもそれが事実であるかのように自分を苛ませた。


 これから何のために生きればいいのか――だが、まだ折れるわけにはいかない。

 マリアの言葉が、何度も頭の中に響く。

 そのたびに、無理やり自分を奮い立たせた。


 マリアとエレオノーラ、二人がいなくなったとしても、まだ自分は、戦わなければならない。そうでなければ、いったい誰が二人の無念を晴らすというのか。もう二度と、二人のような理不尽の犠牲を出すわけには――







 アナスタシアが正式に聖女に就任したのは、ガイウスが帰還してから一週間後の出来事だった。聖王教の総本山であるルーデリア大聖堂にて、聖都セフィロニアを挙げての盛大な式が催された。数十年ぶりに新しい聖女が誕生したことで、街は日夜問わず喧騒に包まれた。


 そんな空気から隔絶されたように静かな場所――街の外れにある小さな礼拝堂に、ガイウスは一人、教壇近くの椅子に座っていた。窓から差し込む月明りと、壁に並ぶ小さな燭台が、ガイウスの姿を陰鬱に照らしている。それは、あたかも懺悔するかのような有様だった。


 不意に、礼拝堂の扉が開かれた。外の冷気と共に、人影が一つ、中に入る。


「……ガイウス」


 小さな足音を立て、ガイウスと身廊を挟んだ隣の椅子に座ったのは、リディアだ。

 ガイウスは彼女に目を合わせないまま、徐に口を開く。


「……すまない先生、直接言うのが遅くなった」


 ガイウスの声は震えていた。まるで、これから悪事を謝罪する子供のように。


「俺は、マリアを救えなかった――」

「私のせいなの」


 意を決して伝えたガイウスの告白を、リディアはそう言って断ち切った。

 ガイウスはフードの隙間から、驚きと困惑の顔を覗かせる。


「マリアとやり取りしていた手紙が、私のミスで第三者に漏れてしまったの。それが原因で、彼女を死なせることになってしまった」


 リディアの言葉に、ガイウスは固まった。


「ガイウス、貴方には復讐する権利がある」


 それには構わず、リディアは続ける。


「私を殺して」


 直後、街中から何発もの花火が上がった。鮮やかな色の光が、ガイウスとリディアを交互に照らし出す。


「――誰だ?」


 光が落ち着いて間もなく、ガイウスは訊いた。


「第三者というのは、誰の事だ?」


 その鋭い声色に、リディアは怯えるように身を竦めた。


「それは……」

「――アナスタシアだな?」


 言い淀むリディアの反応から、ガイウスが自分で答えた。

 リディアが無言のままであることを肯定と受け取り――ガイウスは立ち上がる。


「……結局、アンタもあの女にいいように使われているだけの存在か」


 そして、吐き捨てるように言い残し、扉に向かって踵を返す。

 その背中を、リディアは慌てて追いかけた。


「ガイウス、待って! もう一つ大事なことがある! 貴方とマリアの子はまだ生きてる! 今どこにいるのかは私も知らないけど、貴方が望むなら――」

「エレオノーラは死んだ」

「違う! 落ち着いて、ガイウス! 本当にあの子は――」


 リディアがガイウスの腕を引いて、無理やり足を止めさせた。

 だが――


「くだらない嘘で俺を立ち直らせようとするなら、もう二度と姿を現すな」


 振り返ったガイウスの金色の目は、正気を失いかけていた。この状態では、まともに話を聞かせることもできないと思えるほどに。


 悪魔が取り憑いたかのような形相に、リディアは戦慄に身を震わせ、息を呑んだ。

 そうしている間に、ガイウスは礼拝堂の外に出てしまう。


 立て続けに起きる花火の光と音に意識を取り戻したリディアは、再度、ガイウスに向かって走った。


「ガイウ――」

「リディア!」


 その時、突然、リディアの名を叫ぶ声が起こった。

 街の中央から礼拝堂に向かって、誰かが一人、駆け寄ってくる。


「シオン……」


 それは、白い制服――小姓の衣装に身を包んだ、十歳前後の少年だった。

 リディアにシオンと呼ばれたその少年は、酷く息を切らした状態で、しかし顔はどこか嬉しそうだった。


「聖都に来るなら言ってほしかっ――」


 シオンが明るい声で何か言いかけた直後、彼は足の腱を切られたように、突然その場に倒れた。


「シオン!」


 それを見たリディアが、慌ててシオンのもとに駆け寄った。


「やっぱり無茶だったのよ、十歳を過ぎた貴方が“騎士の聖痕”を刻むなんて……」


 リディアがシオンの身体を支えると、彼は重病を患ったような顔色で、しかし健気に小さく笑った。


「……大丈夫、これくらいは、いつものことだから。だけど今日は、少し調子が悪くて」


 体に付いた土を払いながらシオンは立ち上がった。その後で、きょろきょろと辺りを見渡す。


「それより、誰かと話していたの?」


 不意に尋ねられ、リディアはハッとした。


「え? え、ええ。議席持ちの騎士様よ。紹介するね、ガイウ――」

「誰もいないけど?」


 シオンの言う通り、すでにこの場にガイウスの姿は見当たらなかった。


「ガイウス……」

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