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辺獄の黒騎士  作者: シベハス
第四部
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第三章 賽は投げられたⅩⅧ

一ヶ月も間が空き申し訳ありません。

 アウソニア連邦北部にある人気のない山林地帯――そこに、魔術師協会付属の病院があった。しかし、病院とは表面的なもので、その実は秘密裏に行われる生物実験が主たる施設の目的だった。行われる実験は非人道的なものも多く、閑散としているこの地に建てられているのもそれが理由だった。


 病院の一室、特に他の部屋とは一線を画した厳重な個室に、イグナーツは少女を保護した。そこは打ちっぱなしの冷たいコンクリート壁が四方を囲む、まるで監獄のような場所だった。


「少女の容体はどうですか?」


 イグナーツが入室すると、中央のベッドで眠りに付く件の少女と、もう一人の別の人物がいた。白衣を纏った壮年の男で、イグナーツが騎士になってからの付き合いがある、教会魔術師でもあるここの医者だ。


 医者はイグナーツを見ると、手元のカルテを軽く掲げた。


「特に異常ありません。あとは目を覚ますだけです。それがいつなのかわからないことが問題ではありますが」


 医師の回答に、イグナーツは面目なく目礼した。


「留守の間、その子の面倒を見てもらって申し訳ありません。それと、謝罪ついでにもう一つ。今しばらく、この子をここで保護させてもらってもよいでしょうか?」

「こちらの都合としては構いませんが――」


 医師はそこで一度止めて、少女に視線を移す。


「やはり、ちゃんとした一般の病院に移した方がいいのではと、医者個人としては思います。ここは魔術師協会の付属病院なので、どちらかと言えば実験場的な側面が強いです。そんなところにこんな子供をいつまでも置いておくのは、少し忍びなく。この子と同じくらいの子を持つ身としては、耐えがたいものがあります」


 不憫な眼差しになる医者に、イグナーツは溜め息混じりに頷いた。


「そうですね。ですが、やむを得ない事情がありまして。表沙汰にできないことを成すには、ここが一番やりやすいのです。ドクターにも心労をかけてしまい、申し訳ありません」

「ここには厄介ごとしか持ち込まれないので慣れていますよ、イグナーツ卿。色んなヒトの共犯者になることは、日常茶飯事です」


 そう言って肩を竦める医者に、イグナーツは同じような反応を返した。


「頼もしい限りです。口が堅いのは美徳ですね」

「貴方に言われると皮肉に聞こえます。まあ、素直に褒められたと思いましょう。それはさておき――」


 次に医者は、ベッドの傍らに立った。そこには、一般的な収納タンス三つ分の大きさはある巨大な機器が置かれていた。機器の下には大きな台車があり、この部屋の外から運び込まれたものだ。


「言われた通り、機材の準備は整えてますよ。こんな大きな物をこっそり持ち出すのはなかなか骨が折れました。何せ、遺伝情報の解析装置なんて、私でもそう気安く触れるものではないですから」


 それの正体は、生物の遺伝子を解析し、その情報を可視化することのできる最新の医療機器だった。

 イグナーツは、頑なに少女の正体を教えないリディアに痺れを切らし、独自に調べることにしたのだ。遺伝情報を知ったところで少女の素性がわかるとも正直思えなかったが、今できることはそれくらいしか思いつかなかった。


「ありがとうございます。いつまでお借りできますか?」

「今日の深夜まで。少なくとも明日の朝六時までには元の場所に戻す必要があります。なので、その二時間くらい前までには利用を終えていただけていると助かります」

「充分です。本当に何から何まで、ありがとうございます」


 頭が上がらないと、イグナーツは少しだけ肩の力を抜くように視線を下げた。

 医者はそれを愉快げに見て、口元を綻ばせる。


「教会魔術師の次期トップになると目される騎士殿の頼みです。今から媚を売っても損はないでしょう」

「そんなものに興味はありませんが、借りを作った上にそんな期待をかけられると、応えざるを得ませんね。出世払い、頑張ります」


 どこまで本気で冗談かわからないやり取りをして、二人は小さく笑った。


 そして、早速二人は少女の事を調べることにした。電源を入れ、試験官に入った余りの採血を機械の受け口に注ぐと、重厚な駆動音が部屋の空気を震わせる。やがて出力機能から少女の遺伝子情報が印字された用紙が切れることなく、ゆっくりと吐き出されていく。あとはこのまま暫く放置し、結果を待つだけだ。この機械には予め多くのヒトの遺伝情報がインプットされており、それを元に照合などが自動的に進められていく。無論、ここが教会魔術師の施設であるため、騎士を含めた多くの教会関係者の情報もそこに含まれていた。


 果たして、この機械は少女の事をどう評価するのか――


 期待でも不安でもない、妙な焦燥感がイグナーツと医者の表情を険しくする。


 その時、不意に病室の扉がノックもなしに勢いよく開かれた。

 入ってきたのはガリア軍の制服を着た一人の大柄な男――この男は確か、ガストン・ギルマンとかいうガリア公国の少佐だったなと、イグナーツは一目見て気付いた。軍人らしい性格をしているが、その気性の荒さも目立つ、面倒な奴だったと記憶している。


 露骨にそれが顔に出ていたイグナーツ――ギルマンは彼を目にした瞬間、怒りに眉を吊り上げた。


「探したぞ、イグナーツ・フォン・マンシュタイン!」


 ギルマンは、騎士であるイグナーツに怯むことなく、激しい剣幕で迫った。

 それをイグナーツは冷ややかな視線で睨む。


「ここは病院です。静かにしてください、ガストン・ギルマン殿」


 突如、ギルマンの太い腕がイグナーツの胸倉を掴み上げる。


「貴様、いったい何のつもりだ!」

「何の話ですか?」

「俺の教会魔術師の免許更新、査定は貴様が担当したそうだな! 何故、不合格にした!」


 イグナーツはギルマンの手首を片手で軽く締め上げたあと、辟易した面持ちで距離を取る。


「実力不足。あとは、昨今のガリア公国の軍拡傾向を鑑みての結果です。軍部に所属する教会魔術師の数がガリアだけ異常に多い。さすがにそろそろ、他の国から色々突っ込まれる頃だと思いましてね」

「実力不足とは聞き捨てならんな! 何なら今ここで試してやろうか!」


 手を振り払ってさらに吠えるギルマンを、イグナーツは微塵の興味もなさそうに見る。


「何をして試すつもりなのかは知りませんが、やるならどうぞ。ただし、私を含めたこの場にいる者たちに危害を加えるようなことをするというのなら、容赦はしません。それならいっそ、毛糸のセーターで静電気を見せてくれた方がまだ心証はいいですよ」

「舐めたことを――」


 イグナーツの挑発に、ギルマンはさらに鼻息を荒げた。

 しかし、


「もう一度言います。ここは病院です、静かにしてください。息巻くのは戦場だけで充分でしょう」


 微かな殺気が込められたイグナーツの声に、ギルマンも溜まらず怯んだ。


「査定結果が不満なら、然るべき手順で申し立てをしてください。そうすればこちらも対応します」

「騎士だからと言って、いつまでも調子に乗っていられると思うなよ……!」


 悔しそうに上下の歯を嚙み鳴らすギルマンだったが、イグナーツは心底どうでもよさそうに肩を竦める。


「心外です。私は騎士としてやるべきことをやっているまで」


 それから数秒、嫌な沈黙が部屋を支配するが――ふと、ギルマンの視線がベッドで眠りに付く少女に移った。途端、イグナーツを見る目つきが、侮蔑を孕んだものに変わる。


「――ふん。それらしい高尚な事を言っているようだが、目の前の光景を見る限り、随分とゲスなことをしているようだが? 知っているぞ、お前たち騎士団がとても人前では言えないような凶悪な実験を幾度となくやっていることを。今度は子供を使って人体実験か?」

「貴方の国と一緒にしないでください。普段から非人道的な実験を目にしていると、何を見てもそうとしか見えなくなるんですか?」


 くだらない煽りだと思いつつ、最近苛立つことの多いイグナーツも敢えてそれに乗って返した。だが、意外にもギルマンは胸を張り、どこか誇らしげだった。


「何を言う。俺たち誇り高きガリアの軍人は、国民の平和と安全を守る存在だ。亜人のような低俗で悪辣な脅威を排除し、規律と秩序を生み出すことが使命だ」

「そうですか。では、その平和を守るためにも、さっさとこの場を去っていただけますか? 貴方の声は非常によく響くので、この場に相応しくない。言いたいことはもう言ったでしょう」


 これ以上相手にするのは無駄に疲れると、イグナーツは早々に退室を促した。

 それにギルマンが何らかの反応を示す直前――


「い、イグナーツ卿!」


 二人の言い合い中、避難するように離れたついでに機械の出力結果を監視していた医者から、酷く驚いた声が起こった。

 あまりの迫真さにただ事ではないと、イグナーツどころか、ギルマンでさえも怒りを忘れて怪訝になる。


「どうしました、ドクター?」


 イグナーツが近づくと、医者は出力結果が印字された用紙を、震える手で見せてきた。


「こ、この子、両親に教会幹部の関係者がいるようです……!」


 イグナーツは医者から紙を取り上げ、それを示す結果を目にする。

 そして、すぐに失態を犯したようにハッとした。

 後ろを振り返ると、興味深げな眼差しでこちらを見るギルマンの姿があった。


「ほお、これはまた思いがけずに面白い話を聞いた。教会幹部といえば、子を持つことは禁止されている身分――」


 口を開いたギルマンに、イグナーツは間髪入れず魔術を使った。左右のコンクリート壁から無数の無機質な触手が伸び、瞬き一つの間にギルマンの巨体を拘束する。その喉元には、槍の先端のように尖った鋭い触手が無数に突き付けられていた。


「ガストン・ギルマン、選びなさい」


 余計なことを面倒な男に知られた――イグナーツは、口封じのためにギルマンをここで処分することも辞さない考えだった。


「ここに“貴方は来なかったこと”にするか、それとも――」

「わかっている」


 今まさに生死の境にいるにも係わらず、ギルマンはいたって冷静だった。これには思わず、イグナーツも怪訝に眉を顰める。

 それには構わず、ギルマンは続けた。


「だが、脅迫というのはいささか横暴だな。こういう時はまず、交渉するというのが人間らしい選択だろう。それなりの見返りがあれば、俺はここで見聞きしたことを知らなかったことにしておいてやろう」


 そういうことかと、イグナーツは安堵半分、呆れ半分に力を抜く。同時に、ギルマンの拘束も解いた。


「……貴方の免許更新、手を回しておきます。それで手を打ちましょう」


 今ここでギルマンを始末することは容易い。だが、その事後処理の手間を考えれば、破格ともいえる条件ではあった。この男をどこまで信じるかという懸念はあったが、腐っても軍人――世界最強の勢力である教会を無暗に刺激するような愚かな行為はしないだろうと、ある程度信じられる見込みはあった。


「よろしい。ここで見聞きしたことは、あの世でも口外しないと誓おう」

「もし誰かに話したら、貴方の命だけで済む話とは思わないでください。当然、ガリアから教会への交渉のカードに使うことも厳禁です」


 イグナーツが念押しに言うと、ギルマンは満足そうに頷いた。


「安心しろ、こう見えて俺は口の堅い男だ。それに、教会の厄介ごとにわざわざ巻き込まれるのは、こちらとしても不本意だからな」


 とりあえずはこれでいいと、イグナーツは再度医者に向き直る。医者は医者で、機械から次々と出力される印字結果に、目を丸くさせていた。


「それでドクター、この子はいったい誰の子供ですか?」

「……ガイウス・ヴァレンタイン、と」


 もうこれ以上驚くことはないと思っていたが、イグナーツは声を上げることすらなく、ただただ天井を静かに仰いだ。

 なんてことだ、よりにもよって、あのガイウス・ヴァレンタインに実子がいたなんて――手に余る事実に頭を痛めていたところに、ギルマンの高笑いが響く。


「これは傑作だ。まさか、今や世間から英雄と称されている騎士が禁忌を犯しているとは。だが、これはいよいよ他人に漏らすわけにはいかないな。面倒ごとの塊のようなガキだ」


 いちいち癇に障る一言を言ってくるギルマンは無視し、イグナーツは医者の肩を軽く叩いた。


「ドクター、このことは貴方も他言無用でお願いします」

「ええ、わかっています。こんなこと、拷問されたとしても言えませんよ。知れ渡った時の影響は計り知れない」


 医者は冷や汗を拭きながら、呼吸を落ち着かせるように大きな溜息を吐いた。

 イグナーツはそれを見届けたあと、医者とギルマンそれぞれに厳しい表情で向き直った。


「お二人とも、いったんこの場は解散とさせていただきませんか。知った事実が衝撃的すぎて、私もこれからどうするか、落ち着いて考える必要がありそうです」

「俺の免許の更新、忘れるな!」


 ギルマンがすかさず言って、イグナーツは頭痛を酷くしたように顔を顰める。


「わかっています。一週間以内には再審結果を通達するので、大人しく待っていてください」


 それを聞いたギルマンは最後に大きく鼻を鳴らし、部屋から出て行った。

 ようやく静けさを取り戻したあと、医者が恐る恐るイグナーツの傍らに立つ。


「……イグナーツ卿、私はこれまで、持ち込まれる厄介ごとには保身のためにも首を突っ込まないことにしていました。ですが、今回ばかりはさすがに余計な地雷を踏みそうな気がして、ある程度は事情を知っておきたいと考えています。率直に訊きます、この子は何者なんですか? 何故、貴方が保護を?」


 もっともな疑問に、イグナーツはさらに難しい顔になった。だが、それは彼こそがまさに知りたいことなのだ。


「……すみませんが、私もそれをこれから調べようとしているところです。そして、ドクターがそれを知る必要はありません。私が言えるのは、それだけです」


 いつになく神妙な面持ちのイグナーツに医者も察したのか、それ以上食い下がる様子は見せなかった。


「……気を付けてくださいよ。地雷が爆発するのに、何がトリガーになるかはわかりませんからね」

「肝に銘じておきます」

「それでは、私はこれで失礼します」


 そうして医者も退室し、部屋にはイグナーツと、未だに眠り続ける少女の二人だけになった。

 イグナーツは、緊張の糸が切れたように、音を立てて近くのパイプ椅子に腰を掛ける。


「シスターとは約束をしてしまった手前、これからどうするか……」


 一息つきながら今後を考えねば――そう思った矢先、まだ動き続ける機器から、けたたましいアラート音が鳴った。ジリリリと、今すぐに動き出すことを催促する、甲高く不快な音――これはまさかと、イグナーツは椅子を倒しながら立ち上がった。


 そして、朱色で印字された情報に、今度こそ心臓を止めかける。


「混血反応……!?」


 そこには、少女の体から、人間とエルフの遺伝子が含まれていることを知らせる情報が確かに記されていた。


 いよいよ手に負えない話に、イグナーツはかつてない苦痛に歪んだ顔で、壁にもたれかかった。


「戸籍と出自の偽装工作、骨が折れそうだ……」


 何故こんなことになってしまったのか――一時の情に流された自分をここまで恨んだことは、後にも先にもこれだけだろう。

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