第三章 賽は投げられたⅩⅦ
更新が遅くなり申し訳ありません。
少しずつペースを上げていきます・・・。
マリアが通された面会室は、教会にある懺悔室のように厳かだった。壁は一面暗めの茶色の木造で、妙な圧迫感がある。部屋の中央を仕切るのは格子状の金網――鉄格子であり、それの存在が、やはりここは罪人を収容する施設の一部なのだと、入室するものに改めて認識させていた。
マリアは、鉄格子の前に備え付けられた小さな木の椅子に腰を掛ける。
それから間もなく、鉄格子の先にある正面の扉が開いた。
面会室に入ってきたのはガイウスだった。最後に見たのはもう何年も前だったかと、マリアは少しだけ懐かしく思った。
「元気そうだね。久しぶりに会えて嬉しい。ちょっと老けた?」
冗談交じりに声をかけると、ガイウスは伏目がちの顔を上げた。今にも泣き出しそうな顔で――そこに議席持ちの威厳はなく、彼と初めて出会った時の弱々しい表情だ。しかし、同時に、これから戦場に向かうような張り詰めた雰囲気を漂わせている。
「どうしたの、そんな怖い顔して?」
マリアが訊くと、ガイウスは前のめりになった。鉄格子越しに、声を潜めるように口を動かす。
「今ならここから逃げ出せる。近くに騎士はいない。すぐに――」
「どうせすぐにまた捕まるよ。それに、そんなことしたらアンタもタダじゃ済まされないでしょ」
ガイウスの提案に、マリアは苦笑して肩を竦めた。ガイウスは苦虫を嚙み潰したような顔で唸る。
「あの子は――エレオノーラはどうした? あの時、どうして家にいなかった?」
「アタシの家の近くに村があったでしょ? あそこに信頼できるヒトがいて、そのヒトに預けた」
「これからエレオノーラを迎えに行って、三人で大陸の外に出よう。もうここに――」
「だから、無理だって」
「無理じゃない! 俺が何とかする!」
声を張り上げるガイウスに、マリアは嘆息した。
「空中戦艦使われたら、どうにもならないって」
「マリア、諦めないでくれ! もう時間がないんだ! 君の処刑は明日に決まってしまったんだ! 逃げるなら今だ!」
「そっか」
必死に説得を試みるガイウスに対して、マリアは達観したように目を伏せた。
ガイウスは、そんなマリアに苛立ちを孕んだ目を向ける。
「君がなんと言おうと、無理やりにでもここから――」
「ガイウス」
ガイウスが今まさに鉄格子を力づくで捻じ曲げようとした時、マリアが刃を通すような声で言った。
「アタシはね、いつかこうなる運命だったの。ずっと前から覚悟していたから、大丈夫」
「大丈夫なわけないだろ! 俺が認められるか!」
ガイウスは否定し、再度鉄格子に手をかける。
「ここを壊す。離れてくれ」
だが、マリアは一向に従おうとしない。
「マリア!」
「ガイウス、アンタが救うべきはアタシなんかじゃないでしょ?」
「いいや、君と子供以外はもうどうでもいい。頼む、早く離れてくれ」
ガイウスの再三の説得にも係わらず、マリアはじっと彼を見つめるだけで、微動だにしなかった。
「頼むから、お願いだから……!」
項垂れるように懇願するガイウス――数秒、あるいは数分、両者の間に長い沈黙が続いた。
そして、そんなことをしている間に、面会室の扉が外からノックされる。
「ガイウス卿、お時間です」
扉の外から、衛兵が時間切れを知らせた。
ガイウスは、最後にマリアを愛おしそうに見たあと、静かに面会室を後にした。
その去り際、ガイウスはマリアにこう言い残した。
まだチャンスはある。処刑場に連れていかれる時が、すべての運命を決める――と。
※
イグナーツは、リディアの孤児院に訪れた。保護した女児はひとまず教会魔術師の預け入れ、体力が回復するのを待つことにした。
孤児院に入ると、イグナーツは足早にリディアの私室へと招かれた。質素な空間に似つかわしくない、重々しい空気が二人の間を漂う。
「依頼された通り、子供は保護しました。衰弱して気を失っていますが、命に別状はありません。一週間もしないで目を覚ますかと思います。このあと、孤児院に?」
イグナーツがテーブルの対面に座るリディアに訊いたが、彼女は心ここにあらずといった面持ちで反応をすぐに示さなかった。
「シスター?」
「……イグナーツ卿、厚かましいことを承知でお願いがあります。どうか、あの子を貴方の手で育ててくれませんか? 新しい戸籍を与えて」
訊ねた瞬間にその回答が返ってきたが、イグナーツには到底承諾できない頼みだった。リディア本人の言う通り、あまりにも厚かましい願いに、さすがの彼も顔を顰める。
「はっきり申し上げます。それは無理です。私は騎士であり、日々の任務があります。今でこそシスターの護衛を任されている立場でありますが、いつその任が解かれ、大陸の各地に派遣されるかわかりません。子育てなど無理です。まして、素性も知れない子供を」
「あの子に新しい人生を与えるには、騎士の力が必要です。ただのシスターでしかない私には、戸籍を工作することができません。私にできることは何でもします。どうか、お願いします」
沈痛な面持ちでリディアは頭を下げた。その有様は、斬首刑に処されるかのように、自罰的だった。
「そう仰るのであれば、百歩譲って私が新たな戸籍を与えるとして、子育ては貴女がしていただけませんか?」
「……あの子だけは、どうしても私には無理なんです」
「何故ですか?」
イグナーツが厳しい声色で訊いた。リディアは一瞬、それに答えようと微かに唇を開けたが――
「――言えません」
数秒おいて、また口を噤んだ。
これ以上は話にならないと、イグナーツは呆れのため息を吐く。
「では、この話は聞き入れることができません。あの子は回復次第、シスターが管理する孤児院に――」
そう言って席を立とうとした瞬間、リディアが急に動き出した。イグナーツよりも先に椅子を降り、その場で両膝を付いて彼に跪く。
突然の奇行に、イグナーツも驚きで表情を崩した。
「何をなさっているのですか?」
「……あの子を助けてもらえるのなら、私は喜んで自分の命を捧げます。それでも足りないというのであれば、貴方が望むことを何でもします。だから、どうか……」
リディアの言い方は、命乞い、あるいは神への祈りのように厳かだった。願い事をされている立場のイグナーツですら、思わず息を呑んでしまうほどに妙な凄みと覚悟がその姿から滲み出ていたのだ。
それから時計の秒針が数回鳴った時――ついにイグナーツは折れた。天井を仰ぎ、微かな怒りと同情を孕んだ長い息を吐く。
「――近々、教会魔術師の人員確保のため、魔術師を志望する若者を対象とした大規模な育成プログラムが実施される予定です。少し無理があるかもしれませんが、あの子はそのサンプルの一人として教育させます。騎士と同等の訓練を受けさせることになるかもしれませんが、それでよければ」
それが最大限の譲歩だと、イグナーツは言った。研究の被験者として扱うことに異論を唱えるのであれば、これ以上は無視するしかない。
リディアはどう答えるか――彼女の両目から滴り落ちた涙が、ぽつりと雨痕のような軌跡を残す。
「ありがとうございます……!」
声を絞り出したリディアを見て、イグナーツは怪訝に眉を顰めるばかりだった。
いったい、あの子とこのシスターに何の繋がりがあるのか――




