第三章 賽は投げられたⅩ
「よく戻ってきてくれた、ガイウス卿」
円卓の間に入ったガイウスを迎え入れたのは、騎士団副総長、議席Ⅱ番ユーグ・ド・リドフォールだった。
ユーグが椅子から立ち上がり、入り口で佇むガイウスに近づく。
ガイウスは、ユーグが歩いている間に頭を深く下げた。
「……この度は、大変なご迷惑をおかけしました。申し訳ございません」
ユーグは止まると、ガイウスの肩に手を乗せた。
「面を上げてほしい。諸々の事情は報告書で把握している。シスター・リディアから受け取った君の資料を見たあと、私も現地に赴いたのだが――アーサー卿の件も含め、凄惨な戦いだったことは想像に難くない。本当に、ご苦労だった」
「……恐れ入ります」
ガイウスは姿勢を正し、改めてユーグを見据えた。
「それと、療養中に発見したという混血と思しきエルフについてだが――我々が動き出すよりも早くにその存在に気付き、独自に調査していたとのことだったな。結果的に見逃してしまったと聞くが、君にも行き先の目星は付けられないか?」
「はい。私も派遣された騎士たちに同行して対象の住居に赴きましたが、すでにもぬけの殻でした。対象のエルフには先んじて現地の警察が接触したと伺いましたが、恐らく、その際に危機を察知して逃走したのではないかと」
自分が手引きした逃亡をそれらしく説明しながら、ガイウスはユーグの反応を伺った。ユーグは顎に手を当て、とりあえずは納得したように唸る。
「なるほど。その混血と思しきエルフ、身の隠し方を熟知していそうだな。すぐには発見できないだろう」
「ユーグ卿。混血の捜索は私の失態でもあります。もしよければ、私に一任いただけないでしょうか?」
ガイウスは、自分が一任すれば、リディアと通じることでマリアたちの所在を騎士団に悟られずに済むと考えた。根本的な解決にはならないが、それでも、最終目的を達成するまでの間は、妻子の安全を確保できる。
だが、ユーグは首を横に振った。
「ひとまずその件は後回しにしよう。行方は別の騎士に継続的に調査させるとして、優先順位は下げておく。それに、君には別の任務に当たってもらいたい。復帰して早々、申し訳ないところではあるが、頼めるかな?」
そううまくはいかないかと、ガイウスは内心で悪態を吐いた。それが表に出てしまわないよう、気を引き締める思いで背筋を正す。
「恐縮です。何なりとお申し付けください」
「ありがとう。と、その前に、早速、任務とは別の話になってしまうのだが――」
「はい?」
唐突に話題を変えられ、ガイウスも思わず呆けた声を上げてしまった。
対して、ユーグはどこか喜ばしそうに顔を穏やかにする。
「君には、議席に座ってもらいたい。この円卓の間に呼んだのも、それが理由だ」
あまりにも予想外の言葉に、ガイウスはそれこそ鳩が豆鉄砲を食ったような顔で狼狽した。
「ぎ、議席持ち、ですか? 俺が?」
上ずった声で反応するガイウスを見て、ユーグは面白そうに笑った。
「“帰天”を使えるようになったと聞いている。“帰天”を使える騎士は、漏れなく議席に座らせることが騎士団の慣例だ」
「お待ちください。確かに“帰天”を使えるようにはなりました。その慣例も承知しています。しかし、議席持ちになるには、まだ私にそれらしい実績がありません。まして、何年も騎士団を不在にしていたのです。そんな男が議席持ちになるなど、たとえユーグ卿の推薦があったとしても、他の騎士たちが納得するとは到底思えません」
「実績なら、充分すぎるほどだ。帝国の正体、および教皇庁とガリア公国の癒着を暴いた君は、今では教会の一部で英雄として讃える者がいるほどだ。特に、議席持ちであったアーサー卿を亡くしてもなお任務を完遂させた能力は、“帰天”を使えること以上に評価されている」
「しかし……」
まさかそんな評価をされていたとは――リディアから事前に騎士団内部での自分の立ち位置を聞いた限りでは、てっきり肩身の狭い思いをすることになると、ガイウスは思っていた。実際にはその真逆で、それはそれで都合の悪い話であった。騎士団の幹部である円卓の騎士――議席持ちになってしまったら、任務の色も大きく変わる。国家間の諍い解消や、独裁国家への政治的介入など、長期的かつ難易度の高い対応を求められる仕事に就くことになる。身動きが取り辛くなってしまうのは、ガイウスの計画には大きな支障だった。
「こう言っては何だが――議席持ちになりたがる騎士はそう滅多にいないというのが実情だ。仕事の内容がより政治色が強くなり、自由意思で大陸を動き回ることも難しくなる。それまでの一般騎士の任務内容と大きく異なることを鑑みれば、無理もない。だからと言って、君に押し付けるということではないが……」
ガイウスの芳しくない反応を見て、ユーグもそれなりの理解を示した。だが、その眼差しには、期待の念が込められている。
「それに、亡きアーサー卿の席を、いつまでも空けておくわけにもいかない。彼の――師の意思を継ぐという思いも込めて、どうか受け入れてくれないか?」
そう言われてしまってはさらに断り辛くなったと、ガイウスは眉間に皺を寄せる。
「……総長は、何と仰っていますか? 総長も同じ思いですか?」
いったいその話がどこまで浸透されているのか、その確認の意味合いで、総長の意思を知りたかった。
しかし、それまで柔和だったユーグの顔つきに、陰りが落ちた。
「ユーグ卿?」
「……これは最後に話そうと思っていたが、今伝えてしまうか」
穏やかではない雰囲気に、ガイウスは息を呑む。
そして、
「総長モルドレッド・カムランは亡くなった。君が不在にしていた二年の間にな。この事実はまだ世間には公表していない。教会内部でも、議席持ちの騎士と、教皇庁の枢機卿団以上にしか知らされていないという点は注意してほしい」
驚愕の事実に、ガイウスは再度目を丸くした。
騎士団の総長と言えば、例外なく単独での強さが組織内でも最上位層に位置する存在――そんな騎士が命を落とすなど、寿命以外ではほぼ考えられなかった。
「二年前? では、今は誰が総長に? まさか議席Ⅰ番は、二年間、ずっと空席のままなのですか?」
「ああ。教皇庁の妨害を受けているせいで新しい総長を決められていない。今は、私と、Ⅲ番ヴァルター卿がなし崩し的に騎士団の取りまとめをやっている。死亡した原因が原因なだけに、奴らも表立って動くことを渋っている」
「いったい、総長に何があったんですか?」
「事故死だ――表向きには」
不穏な言葉に、ガイウスはますます眉根を寄せた。
「表向き?」
「事故のあった日、総長はガリア公国の軍事施設に監査へ赴いた。無論、例の帝国の件でな。そこでプルトニウムを利用した臨界前核実験の現場に立ち会っていたのだが、研究員のミスで事故が起きた。その事故で総長は大量の放射線を浴び、数日後に急性放射線障害で亡くなった。事故直後の時点ですでに“帰天”を使うこともできず、実質的に即死したようなものだったらしい」
プルトニウムを利用した臨界前核実験――確か、ガリア公国が近年力を入れている軍事研究分野だ。世間的には新世代エネルギー技術の確立を謳っているが、その実は強力な兵器開発の一環で研究が進められていると聞いている。
「先ほど、事故死は表向きだと仰っていましたが……まさか、暗殺だったのでしょうか?」
「何も証拠はないが、私たちはそうだと確信している。事故が起きる少し前に、君の資料を使って枢機卿を何人か逮捕した後だったからな。これ以上の捜査は許さないとの、ガリア側からの警告、あるいは騎士団の動きを鈍らせるための教皇庁の作戦だったのかもしれない」
ここまで腐りきっていたとは――さすがに、気分を悪くせずにはいられなかった。
そんなガイウスの胸中が顔に出ていたのか、
「ガイウス卿、もし今の話を聞いて、少しでも義憤に駆られたのだとしたら――先ほどの話、どうか快諾してほしい」
ユーグが、話を繋げてきた。
「え?」
「君には議席持ちになってもらったうえで、この件について引き続き調査を進めてもらいたい。最終的には、教皇庁、ガリアを含め、あの茶番に加担した者全員を裁くつもりだ。無論その中には、教皇も含まれる」
ユーグから、手を差し伸べられた。
「我々と共に、すべての不義を斬り伏せてはくれないか?」
その口説き文句に、ガイウスは自ずと手を握り返した。
※
ユーグからの願いを聞き入れ、ガイウスは議席持ちの騎士として騎士団に籍を置くことになった。与えられた番号は、かつての師、アーサーが座っていたⅦ番。
その事実は瞬く間に教会内部に周知され、彼は騎士団に帰還してから一週間のうちに、一躍時の人として名を馳せることになった。
周囲からの熱い視線が冷め止まぬ居心地の悪い日が続く中――ガイウスはようやく半日以上の余暇を作り出すことに成功し、その時間をリディアとの面会に当てた。
ガイウスは彼女を、帝国に係る資料の連携に関与した重要参考人として扱い、接触することの正当性を騎士団に証明した。
リディアはいつも通り、教会の修道院が運営する孤児院にいた。
「あれから、マリアとエレオノーラはどうなった?」
孤児院奥にある応接室――小さなテーブルを挟んで対面に置かれたソファに二人は座っている。
ガイウスは、声を潜めながら訊いた。
「安心して、二人は無事。アウソニア国内で人口の少ない小さな村を見つけて、そこに住んでもらっているわ。マリアとは今後も連絡を取り合う予定だし、貴方も落ち着いたら顔を見せに行ってあげて。場所は――」
「いや、場所は伝えないでくれ」
ガイウスが遮ると、リディアは少し驚いた顔になった。
「いいの? 二人に会いたくないの?」
「会いたいさ。だが、今は会える状況にない。騎士団に戻って早々、重要な任務に就かされることになってしまった。おそらく俺の動きは、教皇庁、ガリア、そして騎士団にも把握されることになる。そんな状況で二人に会ってしまったら、今度こそ取り返しのつかないことになる」
その回答に、リディアは沈痛な面持ちになった。
「……場所だけでも知っておかない?」
「知ってしまったら、その瞬間に会いに行ってしまう。だからやめてくれ」
覚悟を決めたガイウスの顔を見て、リディアは呆れたような、悲しそうな顔でため息を吐いた。
「……相当な覚悟ね。わかった」
「マリアと連絡を取る機会があった時、俺がそう言っていたと伝えてくれ」
「マリア、また機嫌を損ねそうね」
「その時は先生がフォローしてくれ」
にべにもなく言ったガイウスに、リディアは今度こそ呆れた声で笑った。
「もう。そういえばさっき、重大な任務と言っていたけど、私も噂で聞いた。議席持ちになったんだって?」
「ああ。アーサー卿が座っていたⅦ番だ。彼の後任という立場らしい」
「断れなかったの? また苦しい思いをすることになるんじゃ……」
どうやら、リディアもガイウスと同じ考え、思いのようだった。
その言葉に、ガイウスは肩を竦めた。
「俺も最初は断ろうと思った。だが、これはこれでチャンスでもある」
「チャンス?」
「例の一件を突き詰めることができれば、教皇庁の腐敗した上層部たちを一掃できる。枢機卿、それに教皇もだ。そうすれば、そこに大きな空きができる」
ガイウスの話を聞いたリディアが、ハッとして目を丸くした。
「貴方まさか、教皇になるつもりなの?」
ガイウスが沈黙で肯定すると、リディアはさらに驚愕した。
「無理とまでは言わないけど、現実的とは思えないわ。騎士が枢機卿に転向できた事例なんて、今まで数えるほどしかない」
「議席持ちになれば、教皇庁が抱える不祥事を知る機会も多くなる。それをうまく使って奴らを脅迫なり更迭なりすれば、目指せるはずだ」
「教皇になって、何をするの?」
「マリアとの約束を叶える。混血だろうが、騎士だろうが――人間だろうが、亜人だろうが、誰もが当たり前に愛する者と添い遂げられる世界を実現する。まずは、混血の人権と生存権をすべての大陸諸国に認めさせることが最優先だ。ログレスかグリンシュタットを巻き込み、どちらかに主導的に動いてもらう。ゆくゆくは混血の認識にも一石を投じ――そのうえでマリアたちを移住させれば、理不尽な目に遭うこともない」
ガイウスの壮大な計画を聞いて、リディアは呆然とした。
「大きく出たわね……」
「笑いたければ笑えばいい。俺は本気だ」
しかし、ガイウスが真面目にその理想を実現しようとしていることを感じ取ったのか、リディアはホッと息を吐いた。
「いいえ。今の話を聞いて、私も決心した。正直に言うと、そろそろ私もどこかで一人、安住の地を求めて旅に出ようかと思っていたの。でも、貴方がこの大陸を変えてくれるというのなら、私も全力で応援する。できることは限られるけど、何か必要なことがあった時は言ってちょうだい」
リディアから助力を得られることに、ガイウスは安堵した。
「ありがとう。早速、と言うわけでもないんだが――」
「なに?」
「大陸同盟の締結を、先生の立場から妨害することはできないか? 総長から聞いたんだが、先生は大陸同盟に批判的な立場を取っているらしいな。それを継続してほしい」
「ええ。主張としてはログレスと同じ。亜人の奴隷制を撤廃しない限り、大国間を繋ぐ同盟は認められないと思っている。もし今の状態で同盟が結ばれたら、同盟を名目にガリアが大陸中の亜人を酷使することは目に見えているから」
「その声を続けてほしい。同盟が締結してしまっては、教皇や枢機卿たちを排除しづらくなる。ガリアは誰に何と言われようと、絶対に亜人の奴隷制を撤廃しない。それを逆手に取って、話を引き延ばせるんだ」
「わかった。貴方からの頼みが無くても、それはやるつもりだったから。教会にはできる限り苦言を呈して、動きを鈍らせておく。聖女でもない私がどれだけ抵抗できるかわからないけど」
「何から何まで本当にありがとう、先生」
最後にガイウスは立ち上がり、リディアの手を両手で握って感謝の意を伝えた。
部屋の扉がノックされたのは、そんな時だった。
「どうぞ」
リディアが促すと、扉が雑に開かれた。そこに立っていたのは、十歳戦後の男の子だ。
男の子はぶっきらぼうに孤児院の玄関を指差す。
「先生、お客さん」
「誰かな?」
リディアが男の子に近づくと、廊下から控えめな足音が聞こえてきた。
そして――
「わたくしです」
来客が姿を現した。
それは女で、年齢はガイウスと同じか、少し下くらい。その身なりからシスターであることは間違いないが――敢えて悪い言い方をすれば、どこか鼻につく雰囲気があった。まるで、自分が世界の中心で生きているような、それを誇示しているかのような佇まいが滲み出ていた。
「シスター・アナスタシア……」
リディアが困惑したように女の名を言った。
すると、アナスタシアは慇懃無礼に一礼を見せてきた。
「申し訳ありません、接客中でしたのね。今日も色々ご教授を承りたかったのですが」
ちらりと、アナスタシアがガイウスを見て言った。
リディアは慌てた様子で両者の間に立ち、ガイウスを紹介しようとした。
「紹介するわ、彼は――」
「議席Ⅶ番ガイウス・ヴァレンタイン卿、ですわよね? 存じております」
その必要はないと、アナスタシアが先に言ってしまう。
ガイウスは微かに目つきを鋭くした。
「初めまして、ガイウス卿。わたくし、シスターのアナスタシアと申します」
「どうして私のことをご存じで?」
「知っていて当然ですわ。あの“第三次帝国戦線”を終結させた英雄ですもの」
アナスタシアから手を差し伸べられたが、ガイウスはそれを取らずにリディアを見た。“第三次帝国戦線”――聞きなれない言葉の説明を求めたのだ。
「貴方が係わった任務、一部でそう呼ばれているらしいの」
リディアが教えてくれて、ガイウスは納得する。
二人のやり取りを見ていたアナスタシアが、どこか不気味に微笑んだ。
「そして、その功績を讃えられ、若くして騎士団の議席に座られたとも。すでに次期総長の候補になるのではと、教会内部では噂されております」
「……光栄です」
どうにもいけ好かない――ガイウスは、アナスタシアに対して本能的な嫌悪感を覚え、殊更に警戒した。
「わたくしもですわ。時の人とされている騎士様とこうして実際にお会いできるなんて」
しかし、アナスタシアはそんなことなど微塵も察していない様子で、ずけずけとガイウスの手を一方的に握りしめる。
「どうかお見知りおきくださいませ、ガイウス卿」
漂ってきた香水の匂いに、ガイウスの顔はさらに顰められた。




