第三章 賽は投げられたⅥ
この時にはもう、自分が何をしたいのかも、わからなくなっていた。
始まりは、単純で純粋な正義感だったはずなのに。
大いなる力を手にすれば、理不尽に苦しむ弱者を救うことができると思っていた。
自分を犠牲にさえすれば、何でもできると思っていた。
しかし、誰一人として護ることはできなかった。
それでも、力だけは残った。
力がある限り、戦い続けなければ。
しかし何のために?
護りたかった者ばかりか、恩師すらも失った今、為すべきことは?
戦いの終わりに得るものは?
真実を暴いたところで何が手に入る?
それが本当に欲しいものなのか?
その先に何かあるのか?
罪のない子供たちを犠牲にしてまで手に入れるものなのか?
師を失うほどにまで価値があるものなのか?
自分を捨ててまで?
自分に問いかけても、何も返ってこない。
考えれば考えるほどに先が見えなくなる。
頭が痛くなる、吐き気がする。
――ああ、そうか。
ようやく、理解できたことが一つだけある。
何をどうするべきかではなく、自分がどうなりたいかを考えるべきだった。
助けてほしい、ここから解放してほしい。
苦しくてたまらない。今すぐにでも、ここではないどこかへ。
――でも、今の自分に、それが赦されるのか?
※
「て、敵襲! 敵襲!」
不明勢力――もとい、“帝国”軍に扮したガリア軍の戦力は、アーサーの予想通りだった。十にも及ぶ師団クラスの勢力が国境間近に展開されており、堅牢な大要塞すら建設されている状態だった。
「相手はたった一人だ! 騎士とはいえ、この物量差では相手になるはずもない!」
しかし、すでに“帰天”をコントロールできるようになっていたガイウスを相手取るには、それでも不充分だった。
ガイウスの剣と光はすべてを斬り裂き、焼き払い、ガリア軍を確実に葬っていった。碌に補給がなく、慣れない雪中での戦いであるにもかかわらず、ガイウスは一人で何日も戦い続けた。兵士も、兵器も、魔物も、目に映るものはすべて排除した。
そうやって戦っている間だけ、何も考えないでいられた。
手足が吹き飛ぼうが、再生力が底を突きようが――無心でいられるこの瞬間だけは、自分の存在を認めることができていた。
そして、会敵してから三日後の朝――ようやく、要塞の中に逃げ込んだ最後の兵士を捉えることができた。
「お前たちは“帝国”ではなく、ガリア軍だな? ここで何をしていた?」
もはや正気を失い、幽鬼のように淡々と尋問を始めるガイウスに、兵士は慄きながらある書棚を指し示した。
「そ、そこに全部の情報がある! た、たた、頼む! 見逃してくれ! こんな不毛な作戦、俺だってやりたくなか――」
兵士の頭を斬り飛ばしたあと、ガイウスは書棚に向かった。
そこにあったのは、ここの兵士たちが今日までにやっていた活動記録だった。
結論、やはりここの兵士たちはガリア軍だった。
そして、その目的も、アーサーの仮設通りだった。
大陸同盟という壮大な計画の実現――その恩恵を教皇庁とガリア公国が最大限に得るため、両者は秘密裏に結託し、前準備を極秘に進めていたのだ。
“帝国”に偽装した兵士たちがこの地に展開されていたのも、締結を渋るログレス王国への牽制のため――脅威を自ら演出することで、大陸情勢の危機感を煽ることが目的だった。
書棚に保管された数々の記録――そこには、ガリア公国と教皇庁の癒着を知らしめる多くの証拠も残されていた。これらを騎士団に渡せば、この騒動は一気にカタを付けられるだろう。
ガイウスは必要な書類を懐にしまい、要塞を後にした。
その後で――不意に、兵士が最後に残した言葉を思い出す。
――“こんな不毛な作戦”。
間違いなく奴はそう言った。
ガイウスは帰路に着く前に、国境を目指した。
目と鼻の先にある断崖、そこを越えれば、国境先の“帝国”をこの目で見ることができる。
もう“帰天”を使う体力も残っておらず、戦闘で欠損した左腕を戻すことすらできない。
だが、それでも、ガイウスはその目で確認することにした。
今までやってきたことに、意味があるのかどうか――
しかし、断崖の上に登った彼の虚ろな双眸に映ったのは、“どこまでも広がる何もない雪原”だった。
ガイウスは押収した資料を懐から取り出した。
そして、兵士たちの調査記録をつぶさに読んだ。
そこには、こう記されていた。
――先行調査の結果、“帝国”はすでに国家として消滅。
――“帝国”は数百年前の戦後、鎖国政策の後、度重なる内乱と自然環境の悪化による大飢饉により国民のほとんどが死亡。
――大陸の脅威となる存在は、もはやこの地にいない。
すべてが、権力者たちによるただの茶番劇だったのだ。
ガイウスは立ち尽くし、空を仰いだ。
分厚い雲が、彼の立つ場所にだけかかっておらず、眩い光――天使の梯子が差し込んだ。
※
証拠として押収した資料を騎士団に届けるのに、リディアを頼ることにした。顔を合わせないように孤児院に訪れ、諸々の依頼を書いた直筆の手紙と、“剣のペンダント”を資料と一緒に同封した。これで、リディアならまず間違いなく騎士団に届けてくれるだろう。
見慣れた孤児院の入り口近くで遊んでいた子供にお願いして、彼女に渡してもらうことにした。
その時の子供の表情が、ガイウスの脳裏に強く焼き付いた。きっと、瀕死の騎士の姿を見て、さぞ驚いたことだろう。
何故、そんな面倒なことをしたのか――
もう、騎士団には戻りたくなかった。戻れば、また戦うことになる。
護りたいものも護れず、ただ剣を振り続け、命を奪うだけの化け物になるのは、もう二度とごめんだった。
“帰天”を使う体力も残っていない以上、死が訪れるのも時間の問題だ。
どこへ行くでもなく、人目を避け、ただひたすらに歩き続けた。
休まずに体力を減らせば、その分、早く死ぬことができる。
どこかで飛び降りて一息に死ぬことも考えたが、この苦しみを最後の懺悔に、犠牲にした者たちへの弔いにしたかった。
どうせ“騎士の聖痕”は死んだ時に焼き潰されるし、騎士団に迷惑をかけることもない。
このまま野良犬のように死ねば、ようやく楽になれる――そのことだけしか、考えられなかった。
――もういいんだ。
――疲れた、ゆっくり休みたい。
――これで楽になれる。
――救われる。
――……。
――。
「――お、まだ生きてる?」




