表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺獄の黒騎士  作者: シベハス
第四部
310/331

第三章 賽は投げられたⅤ

 ガイウスが“帝国”の調査任務に就いてから、すでに二年が経過した。二年という年月は騎士の任務としては異例と言えるほどの長期間であり、その事実だけでもこの仕事が非常に困難であることの証左だった。


 任務の遂行を難航させている原因は大きく二つだった。


 一つは、この過酷な環境。年中を通して激しい吹雪に晒されることが多く、晴れる日は月に一度あるかといった頻度だ。加えて、任務の機密性から補給らしい補給を騎士団から大々的に受けることもできなかった。そのため、“帝国”側に足を延ばすことに踏み切れず、情報収集の手段としては、時折現れる所属不明の兵士を捕縛し、拷問にかける以外になかった。だが、兵士から得られる情報も早々に底打ちになり、直近一年は真新しい情報を仕入れることができないでいた。


 二つ目は、集落の存在だった。集落には依然として数百人の住民が暮らしており、彼らは日々、魔物の襲撃に怯えていた。親を失った子供に至っては毎日の食糧もままならず、大人の手を借りなければ一週間を生き延びることすら難しかった。

 そんな状況をガイウスが放っておくはずもなく、彼はアーサーの意に反し、“帝国”の調査よりも優先的に住民の保護に時間を費やした。

 そして、いつしかその振る舞いは敵勢力にも悟られることになり――足止めのため、集落に送り込まれる魔物の数は日を重ねるごとに、殊更に増していった。


 さらに不幸なのは――


「住民には指一本触れさせんぞ!」


 住民は単純に魔物に襲われるだけではなく、生きたまま連れ去られるようにもなった。兵士に攫われた住民たちは近隣で置き去りにされることが多く、これもガイウスたちの動きを鈍らせることが主たる目的なのだと考えられた。あえて生かしたまま放置することで救出に向かわせ、消耗させているのだ。


 今日も今日とて、魔物の襲撃に併せて兵士たちが集落にやってきた。

 そして、いつものようにガイウスはそれらを撃ち払う。


「もう大丈夫だ」


 集落の端にある唯一の水汲み場には、二人の老人と三人の子供がいた。襲い掛かってきた魔物と兵士を倒したガイウスは、身を寄り添い合う住民たちの元に駆け寄った。


 しかし――


「どうした?」


 老人の一人が、蹲ったまま微動だにしないでいた。

 不審に思ったガイウスが近づき、老人の背中に手を添えるが、


「――!?」


 突如として老人の口が肉食獣のように変形し、ガイウスの喉笛に牙を突き立てた。







「一人で行動するなと、あれほど言ったのに」


 ガイウスが目を覚ました場所は、拠点として利用している集落の空き家だった。

 薄暗い室内を照らすのは、隙間風に煽られて頼りなく揺れる燭台の灯――ガイウスの朧げな視界に映ったのは、枕元に立つアーサーだった。


「治療中に“帰天”に目覚めたのが、不幸中の幸いだった。もし使えるようになっていなければ、あのまま君は死んでいた」


 ガイウスは、自身の状況を確かめるように、体に力を入れた。意識ははっきりしているし、四肢も問題なく動く。だが首元は、何重にも巻かれた包帯できつく固定されていた。


「ガイウス、君の気持ちは理解できる。だが、今この地で我々がやることは、そうじゃないんだ。もう二年が経つ。いつまでこんな意味のないことを続けるつもりだ。住民たちを救い出したところで、焼け石に水だ」


 アーサーは、叱るというより、呆れるように言ってきた。


「それに、潜伏している戦力は私たちの想像以上だ。展開されている規模は師団クラスが五つ以上。加えて、君を襲ったような一般人に扮した魔物も紛れ込んだ。相手も、我々を本格的に刈り取るつもりでいるのかもしれない」


 そこでようやく、ガイウスは自分の身に何が起きたのかを理解した。助けようとした住民の中にいた老人の一人が、ヒト型の魔物だったのだ。不意を突かれ、それに自分は襲われたのだと。


「前にも言ったな、情を持つなと。これで、その意味がよく理解できたはずだ」

「アーサー卿」


 ガイウスは体を仰向けに寝かせたまま、アーサーに訊いた。


「あの場にいたヒトたちは、どうなったんですか?」

「……逃走する兵士たちが間際に連れ去っていった。悪いが、君の救出と治療を優先させてもらったため、その後の足取りもわからない。今回の任務は極秘――教皇庁に勘付かれるのを防ぐため、騎士団から追加の戦力が送られてくることもないからな。今ここで限られた戦力を失うわけにはいかない」


 そう言い残し、アーサーは部屋の外に出ていった。


 一人残されたガイウスは、強烈な無力感に、ただ目元を濡らすことしかできなかった。







 騎士団から補給が届いたのは、実に三ヶ月ぶりだった。

 食料に衣類、生活に必要な物資が木箱に詰められていたが――その量はお世辞にも充実しているとはいえず、前回の補給の半分以下であった。


「いつもありがとう、騎士様」


 ガイウスはそれらを優先的に子供たちに分け与えた。自分たち騎士は、最悪、野生の鹿や兎を狩ることで飢えを凌ぐことができる。それもあって、今回の補給に至っては、そのすべてを住民たちに渡すことにした。


「今回は量が少なくてすまない。悪いが、皆で仲良く分け合ってほしい。この紙に書いてある通り、計画的に食べるように」

「うん」


 親のいない子供たちが寝泊まりする家屋に物資を送り届けたあと、ガイウスは逃げるように外へ出た。


 子供たちの笑顔を見ると、得体のしれない恐怖に身体が震えるようになっていた。


 それが明確な怯えに変わる前に、さっさと引き上げようとした――その時、アーサーが目の前に現れた。


「少しいいか」


 小ぶりの雪の中、アーサーはガイウスを家屋の裏に連れ出した。その神妙な顔にガイウスが怪訝になっていると、


「昨日拷問にかけた兵士から、敵が拠点としている箇所を割り出した。明日、そこを目指して襲撃する。これで、教皇庁とガリアが大陸同盟締結に向けたマッチポンプを実施している確証を抑えられるかもしれない」


 アーサーはそう切り出した。


「当然、君にも付いてきてもらうぞ、ガイウス」

「場所は、どこですか?」

「ここからずっと北東に向かった先、アウソニア連邦と“帝国”を物理的に隔てる断崖だ」

「移動手段は、当然徒歩ですよね? だとしたら、俺たち騎士の足でも、この悪路では片道で三日はかかるんじゃ……」

「そうだ。この地域は常に吹雪で、碌な道もない。私たちでも三日で辿り着ければ上出来だ」


 つまり、拠点を制圧できたとしても、行きと帰りを含めてこの集落を約一週間空けるということだ。


「辿り着くだけでも大変だが、本命はその後だ。拠点の戦力は、師団五つどころではなかった。ガリア軍全体の三割近い戦力が構えているらしい。“帝国”を迎え撃つために長年隠れて準備を整えていたのか、もはや要塞だ。そんなところに、体力を消耗した状態で襲撃することになる。私たち二人でも、無事に終えられるかどうか」


 話をしながら上の空になっていくガイウスに、アーサーは顔を顰めた。


「……当然、その間、ここは守れなくなる。先に言っておくが、ここの安全を確保してから向かうなんてことはできないぞ」


 一週間も集落を空けてしまえば、ここの住民はその間、どうなってしまうのだろうか――ここ最近の魔物の襲撃頻度を考えれば、疑問を抱くまでもなく、無事では済まないだろう。


 すでにアーサーは、ガイウスの胸中を読み取っているかのような面持ちだった。

 それにガイウスが気づいて、勢いよく面を上げた。


「アーサー卿、俺は――」

「騎士様」


 言いかけて、不意に後ろから声をかけられた。


 振り返ると、そこには、先ほど物資を届けた子供たちがいた。

 子供たちは、ガイウスを見つけるなり、小走りで近づいてくる。


「これ、皆で作ったの。騎士様、いつも守ってくれてるから、お返しのお守り」


 そう言って差し出してきたのは、手作りの“剣のペンダント”だった。樹皮や何かの木の実で作られた、すぐにでも壊れそうなほどに脆い、小さなお守りだ。


 ガイウスはそれを、そっと受け取った。


「俺は……」


 その先の言葉を詰まらせていると、アーサーは静かに背を向けた。


「……もういい。私一人で行く」

「アーサー卿……」

「出発は明日だ。もし気が変わったのなら、助かる」


 一人その場から立ち去るアーサー――しかし、ガイウスは追いかけることができなかった。


「アーサー卿! 俺は、やっぱり――」

「ガイウス」


 アーサーは最後に、次の言葉を言い残した。


「――――」







 アーサーが出発してから五日が過ぎた。

 集落の日常は、何も変わらなかった。


「これでいい……」


 今日も、ガイウスは一人、魔物と兵士から住民たちを守っていた。


「ここを守れるのは、俺だけだ……」


 アーサーなら大丈夫――そう言い聞かせるように、あるいは自分を正当化するように、戦いながら独り言を呟き続けた。


 この日は珍しく雪が降らなかった。そのせいか、襲撃にきた魔物はいつものように集落に入り込むことがなく――生意気にも、遠くの場所で、挑発するように周辺を徘徊する姿を見せてきた。視界がいいため、あえて目につく動きを見せ、誘っているのだろう。


 そんな小賢しい策略に誰が乗るかと、ガイウスは高を括った。

 それが命取りだった。


 天気が良いことに普段と違った動きを見せるのは、魔物だけではなかった。


 久しぶりに外で遊べると、子供たちが活発に動き出してしまったのだ。

 ガイウスがそれに気づいた時にはすでに遅く――子供の一人が、兵士に連れ去られてしまった。


 当然、連れ戻すべくガイウスが救出に向かった。

 だが、不気味なことに、兵士はいつも以上に逃げの姿勢を取ってきた。いつもなら、ある程度誘い出したところで、闇討ちのように吹雪の中から奇襲をかけてくるはずなのに。視界が良好なせいで攻撃に転じないのだろうか――しかし、その予想は外れた。


「貴様ぁ!」


 ガイウスが怒号を上げたのは、兵士が連れ去った子供を銃で撃ち抜いたからだ。兵士は子供を撃ち抜いたあと、子供を置き去りに立ち去った。

 ガイウスは急いで子供の救護にあたった。弾丸は子供の太ももを撃ち抜いており、傷口からは夥しい量の血が溢れていた。


「待ってろ、すぐに助ける! しっかりするんだ!」


 応急手当を済ませ、何度も呼びかける。

 だが、すでに子供は意識を失わせ、目を虚ろにしていた。


「目を覚ませ! 死ぬんじゃない!」


 やがて血の流れが止まるが、すでに脈もなくなっていた。


 呆然とするガイウス――次に、激しい怒りと喪失感が襲い掛かり、すぐさま兵士を補足しようと立ち上がる。


 しかし、


「――!?」


 そうはさせまいと言わんばかりに、突如として爆音が鳴り響いた。

 発生源は、集落だった。


 子供の遺体を抱え、ガイウスは急いで集落に戻った。


 そして――愕然とした。


 集落の家屋が、この短い間に、すべて焼き払われていた。

 何が起こったのか、いや、それよりもまず住民の救助を――色んな考えを頭に浮かべながら、ガイウスは集落を走り回った。


「誰かいないのか! 誰か!」


 呼びかけに返事がないどころか、悲鳴の一つも聞こえない。

 駆けながら、焦燥感ばかりがガイウスに募っていく。


「誰か! 返事をしてくれ!」


 必死の呼びかけに、ようやく応じた人影が一つあった。

 それは、お守りを手渡してくれた子供だった。

 しかし――ガイウスは、助けに行けず、ただその場で立ち尽くした。


 子供は、焼け落ちる家から出てきたのと同時に、全身を火に包まれた姿で地に伏した。すでにその身体は頭から足の先まで黒く炭化しており、何をどうやっても助けられないことは自明だった。


 周囲のすべての火が消えるまで、ガイウスは何もできず、固まった。







 ――すべては正義のためだと言っていたな。

 ――であれば、今この地では、真実を暴くことこそが正義だ。


 単身で“帝国”に向かいながら、ガイウスは、この任務の中で幾度となく言われた師の言葉を思い出していた。


 ――非情になれ、ガイウス。

 ――君が守るべき者は、ここにはいない。


 雪を踏みしめるたびに、毎日、毎日、住民を助けるたびに言われ続けた言葉が脳裏によぎる。


 ――その優しさが、情が、君の剣を鈍らせている。


 進んだ先で、兵士と魔物の死骸、それに兵器の残骸が散見されるようになった。

 アーサーと交戦した痕跡だろう。


 ――それが命取りになるのであれば、その心こそが君にとっての一番の敵だ。


 進めば進むほどに戦火の跡が激しさを増していく。

 赤く染まった雪、無数の死体。

 幾万、幾千の数。


 ――今、我々に必要なのは天使の救いではない。


 その中央に、アーサーがいた。

 彼は折れた剣を手に両膝を付き、すでに動かなかった。


 ――あらゆる障害を消し去る悪魔の力だ。


 息絶えた師の顔を見た時、彼の最後の言葉を鮮明に思い出した。

 今なら、その意味が、手に取るようにわかる。


 ――すべての不義を斬り伏せろ、その身に悪魔を宿そうとも。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ