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辺獄の黒騎士  作者: シベハス
第四部
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第三章 賽は投げられたⅢ

 ガイウスが小姓になったのは、アーサーと初めて会ってから間もなくだった。騎士を目指すとリディアに言った時、彼女は酷く悲しみ、反対してきた。親の立場である彼女からしてみれば、当然と言えば当然である。騎士を志すというだけで自らの命を危険に曝すことであり、運よくなれたとしても、その一生を厳しい戒律に縛られて過ごすことになる。子供が身も心もヒトを辞めることに、賛成する親など普通はいないだろう。


 だが、それでもガイウスはリディアの反対を押し切り、騎士団の門を叩いた。身体検査、知能検査を難なく通過し、その背に“騎士の聖痕”を刻まれた。


 “騎士の聖痕”を刻まれた後の生活は酷いものだった。

 常に吐き気と倦怠感、発熱と全身の激痛に見舞われ、体調が良いと言える日は、最初の五年間は全くなかった。まともに身体が動かせない日であっても厳しい戦闘訓練は実施されるうえ、意識が朦朧していたとしても難関大学に匹敵する講義を長時間にわたって受けさせられた。


 同時期に百人ほどの子供が“騎士の聖痕”を同じように刻まれたが、その大多数がそんな日常、もしくは“騎士の聖痕”の負荷に耐えきれず、命を落とすか、騎士の夢を諦めざるを得なかった。

 屍になった同年代の子供の身体は解剖学講習の被検体にされることもあり、それはガイウスを含めた多くの小姓の精神を蝕んだ。夢に破れて背中の皮を失った子供が施設を抜ける時、何度その後を追おうと思ったことか。


 おおよそ五歳から十歳の子供の精神と体力では、到底耐えきれるものではないと、ガイウスは子供ながらに毎日内心悲観した。何故、騎士になる道を選んでしまったのかと、毎晩のように後悔した。


 だが、それでも――ガイウスは試練に耐え続けた。


 正しいことができるようになるため。

 誰にも侵されない強さを手に入れるため。

 自分自身にも負けない矜持を手に入れるため。


 そうして十二歳になった時、すべてのカリキュラムを終え、無事に“騎士の聖痕”に適合したガイウスは、従騎士になることが認められた。

 ガイウスと同時期に小姓を無事に卒業できた子供は、彼一人だけだった。


「失礼します」


 初めて騎士の装束に袖を通したその日、ガイウスは騎士団本部のとある一室に赴いた。部屋は議席持ちの騎士に与えられた専用の執務室だ。

 中央の机には、アーサーが座っていた。


 アーサーは椅子から立ち上がると、なんとも言えなさそうな、独特の笑みを見せてきた。


「まさか、あの時に会った子供が自分の弟子になるとはな」

「恐れ入ります、アーサー卿」


 十二歳らしからぬ落ち着いた所作で礼を返すガイウスに、またもやアーサーは力なく笑った。憐れむような、悲しむような――それとも、かつて自分が通った過酷な道を思い出しているのか。もしくは、これからのことを危惧しているのか。


 アーサーは、すっと表情を消すと、ガイウスの前に立った。


「本当に、騎士になる覚悟はあるんだな?」

「無論です」


 力強く答えたガイウスに、アーサーはまた顔に感情を戻した。


「君は同期の小姓の中でも特に優秀だったと評判だ。まあ、“騎士の聖痕”の負荷に耐えきっただけでも選ばれた存在ではあるのだが。それに、私と同じで“帰天”を扱える素質も持っているとも聞いた。期待しているよ」


 肩を軽く叩かれ、ガイウスは少しだけ気恥ずかしそうに顔を俯けた。小姓だった時は一度たりとも監督者から優しい言葉をかけられたことがなかったため、不意な人情に虚を突かれてしまった。


 それには構わず、アーサーは一枚の紙を手に取り、ガイウスに手渡した。


「早速だが、この後すぐに私と一緒に任務に赴いてもらう」

「どのような任務でしょうか?」

「大陸の西に拠点を持つ犯罪組織――盗賊団の掃討だ」


 確かにその通りの内容が、受け取った紙にも書かれていた。

 ガイウスは眉根を寄せた。


「どうした?」

「恐れ多いのですが、質問してもよいでしょうか?」


 アーサーは肩を竦めた。


「もちろん。というか、その堅苦しい話し方はやめないか? 小姓の時に色々礼儀作法を学んだかもしれないが、私に対してはもっとくだけて接していい。その方が私も助かる」

「盗賊団の掃討とのことですが、騎士がやるような仕事なのでしょうか? 大陸の西といえば小国地帯ですが、小国では手に負えない規模ということですか?」

「建前上はな」

「建前?」


 小首を傾げるガイウスを尻目に、アーサーは身支度を始める。


「こちらから――私が、騎士団に任せるように依頼した」

「何故ですか? 何か、騎士団にとって利益になるようなことが?」

「ああ」


 きょとんとするガイウスの背を、アーサーは軽く押した。その手には旅行用のスーツケース、そして腰には長剣を携えている。


「詳しい話は――現地で話す。それまでは、観光気分でゆるりと移動しようじゃないか」







 任地には汽車を乗り継いで向かった。アーサーの言った通り、移動中は任務とは思えないほどに穏やかで、観光目的の旅行をしている気分にも錯覚した。とりわけ、アーサーが自身の趣味や余暇の過ごし方を延々と話すため、厳格な小姓時代を過ごしたガイウスにとっては、騎士が人間らしい過ごし方をしていることに興味を惹かれた。


「シスター・リディアとは最近会っていないのか?」


 最後の乗り継ぎ便に乗って暫く経った時、アーサーがそう訊いてきた。

 ガイウス自身も半ば彼女の存在を忘れかけていたこともあり、少しだけ驚いた顔をしてしまう。


「小姓になってからは、ほとんど会っていません」

「まだ幼かったとはいえ、彼女は育ての親みたいなものだろう。君が騎士を目指すと知った時も、かなり反対したと聞いている。初任務に行く前に、一度会っておけばよかったな」

「アーサー卿は会っていないんですか? シスターに」

「前は孤児院の維持費を渡すのにちょくちょく会っていた。君と初めて会った時みたいにな。だが、議席持ちになってしまってからは、ああいう仕事が回されることもなくなってしまった。最後にシスターと会ったのは、もう五年くらい前になる」


 アーサーがリディアとどれだけの仲であるかは知らないが、それを聞いてガイウスはふと思い立った。


「では、この任務が終わったら一緒に会いに行きませんか?」


 いきなり一人で会いに行くのは、どうにも気恥ずかしかった。アーサーも巻き込めば、何となくそれらしい雰囲気で里帰りができると考えたのだ。


 ガイウスの提案を聞いたアーサーは――なぜか、一瞬だけ冷ややかな顔つきになった。


「……そうだな。任務が終わったあと、君が同じことをもう一度言えるなら、そうしようか」


 妙な含みを持った言葉に、ガイウスは眉を顰めた。


「どういう意味でしょうか?」


 しかし、アーサーは答えなかった。

 それからの会話も、これまでの他愛のないものから、仕事の話へと変わっていった。


 そうして二時間ほど汽車に揺られて駅に着いた時刻は、西の空に太陽が完全に姿を消した後だった。


 駅を出た二人は、そのまま街を出て目的地に向かった。場所は、街から大きく離れた場所にある閑散とした森の中だった。

 森の中を暫く進んで三時間が経った頃、木々が部分的に少ない場所に抜けた。周囲には明らかな人工物――街の方から密かに延ばされた水道管や電線などが見受けられるようになり、地面には車輪やヒトの靴の跡もあった。


 警戒を強めて先に進むと、仄かな灯に照らされる小さな集落を見つけた。鉄線などで雑に囲われた敷地内に、粗末な小屋やテントが乱雑に建てられている。

 あれこそが、今回の討伐対象となる盗賊団のアジトだ。


 藪の陰に隠れたガイウスとアーサーは、双眼鏡越しにアジトの周辺を確認した。

 小銃で武装した見張り役が鉄線の近くに二人いるだけで、警備はかなり手薄だ。


「構成員の数は五十一人。事前情報によると、今日の深夜に戦利品の分配が行われるらしく、構成員全員がアジトに戻っているらしい」


 アーサーが双眼鏡を外しながら言った。


「どのように攻め入りますか? 銃器で見張りを立てているようですが」

「君はまだ何もしなくていい」

「はい?」


 思いがけない回答に、ガイウスは思わず粗雑な声を出してしまった。失言だったと自身を戒める間もなく、


「私が一人であそこを陥落させる。君の仕事はその後だ」


 アーサーが長剣を引き抜いて立ち上がった。


「それは、どういう――」

「返事は?」


 有無を言わさぬアーサーの鋭い眼光を受け、ガイウスは怯む。


「……わかりました」

「よろしい。では、ここで少し待っていろ。片付いたあと、照明弾を上げる。それを確認したら敷地内で私と合流してくれ」


 刹那、アーサーは姿を消した。辛うじてガイウスが目で追えたのは、アーサーが見張り二人を音もなく仕留めたところだった。


 それから僅か三十分――アジトから照明弾が上がった。


 ガイウスは周囲の気配を気にしながら慎重にアジトの敷地に入った。だが、それを嘲笑うようにして、アーサーは堂々とど真ん中に立っていた。


「こっちだ」


 促され、ガイウスは先導するアーサーの後ろに付いていく。


「あの、私の仕事というのは?」


 入ったのは、敷地内の中でも一際堅牢そうな建物だった。外壁がすべてコンクリートで造られており、おそらくはもともと小国が管理する公的な施設だったのだろう。盗賊団は、空き家となったこの建物を中心に拠点を築いたのだ。


 二人は建物の地下に降りて行った。薄暗い照明を頼り進んでいくと、鉄の扉が一つ、廊下の先にあった。


 中に入ると、そこは倉庫のような広大な部屋で――中央には、小汚い身なりをした何人もの男女がいた。

 そのいずれも、両目と口を布で塞がれ、両手両足を縛られた状態で跪かされていた。


「こいつらは……構成員ですか?」

「ああ」


 盗賊たちは漏れなく戦意を喪失しており――直前までどんな目に遭っていたのか、完全に怯えた様子で小さく震えていた。


 ガイウスは怪訝になりながら、アーサーを見遣った。


「もしかして、こいつらをどこかの国に引き渡すのが私の仕事――」

「いいや、違う」


 アーサーは短く否定したあと、盗賊の一人の首根っこを掴み、ガイウスの目の前に放り投げた。


「ガイウス、この男を殺せ」


 突然の言葉に、ガイウスは固まる。


「命令だ。ガイウス・ヴァレンタイン、この男を剣で殺せ」


 アーサーは畳みかけるように、再度言った。

 動揺を隠せないガイウスは、声を上ずらせた。


「し、しかし、アーサー卿、彼らはもう抵抗する意思がないように見えますが……」

「できないのなら、君を騎士にするわけにはいかない。少なくとも、私の弟子はすぐに辞めてもらう」


 急に、眼前の騎士が、得体のしれない存在に見えてしまった。もしここで断りでもすれば、その瞬間に自分の首が跳ね飛ばされそうだとも思った。


 歴戦の騎士から放たれる強烈な圧に、恐怖を感じる間もなく、ガイウスは自身の長剣を引き抜いていた。

 気づいた時には、目の前に転がっていた盗賊の首は胴体から離れていた。


「これを……あと人数分やるんですか?」


 それを自分がやったのだと理解したついでに、ガイウスはそう訊いた。

 だが、アーサーは静かに首を横に振った。


「いいや、次は人体実験だ」


 そして、また盗賊を一人掴み、手早くテーブルの上に仰向けで縛り上げる。


「死体を使った解剖は小姓の時にもやったな? 今度はそれを生きたヒトでやってもらう。構成員は人間だけだったが、男女で性別は揃っている。まずは男、その後に女だ」

「こんなことに、いったい何の意味が……」

「人体の急所、特定作用に対する反応は必要最低限知っておく必要がある。死体を使って勉強したところで、体得させるのは難しい。生きた人間を使って反応を見るのが一番だ。何より、ヒトを殺す抵抗をいくらか消せる」


 アーサーはスーツケースを開けると、中からメスなどの道具を取り出した。


「解剖で手を動かすのは勿論君だ。何をどうするかは、私が指示を出す。最初は慎重にやると良い。太い血管を傷つけてしまったらすぐに死んでしまうからな。数も限りがある」


 解剖のための道具がガイウスに差し出されるが、彼は受け取ることができなかった。

 アーサーが小首を傾げる。


「どうした?」


 淡々としたアーサーの振る舞いに、ガイウスは息を呑んだ。


「できないのか?」


 問われても、首を振ることさえできなかった。


「この盗賊たちはどの国にも籍を置いていない。見ての通りの無法者だ。当然、ヒトの社会のルールに則って生きてきた存在でもない。言ってしまえば、道具と言葉を使えるだけで獣と変わらない。どこかの国に差し出したところで、まともな教育を受けていない以上、更生させて生き方を変えることもできないだろう」


 アーサーは呆れたように息を吐くと、部屋の一角に向かって歩いた。そこには、大きな布をかけられた何かの膨らみがあり――アーサーが布を取ると、その下には三人の女と子供の死体があった。一糸まとわぬ姿で、どれも酷く痛めつけられていた。


「ここで玩具にされた女性たちだ。子供もいる。盗賊たちをこのまま野に放てば、また同じことをする。そうなった時、苦しむのは、罪のない生きるべきか弱い存在たちだ」


 アーサーは視線をガイウスに戻した。


「初めてあった時、君は私にこう質問したことがあったな。悪いことをしたヒトに暴力を振るってはいけないのかと。そして、私はこう答えた。私たち騎士は許されていると」


 まったく動けないガイウスの隣に、アーサーが再び立った。


「ガイウス、騎士になるというのは、こういうことだ」


 この日を境に、生きているヒトを見ることが、怖くなった。

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