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辺獄の黒騎士  作者: シベハス
第四部
306/331

第三章 賽は投げられたⅠ

2025/7/1 章名変更しました。

 任務を終えたシオンは、騎士団本部の自室に戻った。

 自室の扉を開けるのと同時に――エレオノーラが駆け寄り、そのまま胸に飛び込んできた。シオンは、きつく抱きしめてくるエレオノーラに驚き、両腕を上げたまま固まる。


「ど、どうした? 何かあったのか?」

「別に……」


 ぼそぼそと不満げな声を漏らし、エレオノーラはシオンの胸から顔を外した。


「任務はうまくいったの?」


 外したケープマントを適当な場所に置いたあと、シオンは騎士の装束の首元を緩めた。


「ああ。特に変わりないか?」


 ソファに座って一息つくと、エレオノーラが隣に座る。


「うん。って言っても、部屋からほとんど出ないで過ごしていたけど」

「息苦しかっただろ、そんな生活」

「そうでもないよ。この部屋広いし。溜まっていた魔術の研究も捗ったしね」

「その間、誰とも会わなかったのか?」

「直接会ったのはリリアンだけ。ステラとは電話で少し」

「ステラは元気そうか?」

「忙しそうだった。プリシラとユリウスも護衛しながら色々手伝っているみたい」


 自分事のように顔を曇らせるエレオノーラ――つられて、シオンも疲れたように項垂れた。


「……あの二人からも後で話を聞いておかないとな」


 ふと、エレオノーラが目の前のテーブルに置かれていた封筒を横に滑らせてきた。かなりの厚みがあり、厳重に蝋で封がされている。


「なんだ、これ?」

「ステラから。アンタが戻ってきたら見てほしいって」


 シオンは封筒を手に取り、中身を取り出した。中には紐で綴じられた何枚もの紙が収められていた。紙はすべて同じ書式、様式で、そこには何人もの個人情報が記されていた。顔写真に名前、年齢、出自、職業、家族構成、住所――そればかりか、身長や体重、血液型、果ては人格の評価、経済力など、一人に対してありとあらゆる情報が書かれていた。


 これが何を意味する書類なのか、シオンはすぐに気づいた。


「これは――ガイウスが選定した人物のリスト……!」


 隣のエレオノーラも驚きに目を丸くする。


「それって、ステラと一緒に生き残らせるヒトたちのこと?」

「八十七万四千四十人……人種、国籍、年齢、性別に何の関連もなく、完全にガイウスたちの考えで選ばれている」

「選ばれたヒトたちはどうなるの?」

「来る日に王都キャメロットへ強制的に送られるはずだ。まるで、大洪水神話の方舟――」


 話しながら紙を読み進めていたシオンが、ふと手を止めた。


「どうしたの?」


 エレオノーラが覗き込むと――シオンの視線の先には、彼女の情報が記されていた。つまり、ガイウスはエレオノーラも世界に残そうとしているのだ。


 二人は暫く沈黙したが、間もなくシオンは冊子を手に立ち上がった。向かった先は、電話だ。

 シオンは手早くダイヤルを回し、相手を呼び出した。

 通話先は――


『シオンさんですか? ステラです』


 ステラに繋がると、シオンは受話器を耳と肩で挟みながら冊子を捲った。


「リストを見た。まさかとは思うが、ガイウスの計画に乗るつもりか?」

『……いいえ。ですが、最悪を想定しての対応をしています』


 とりあえずは望んだ回答を得て、ほっと胸を撫で下ろす。ステラの言う最悪とは、ガイウスたちが創世の魔術の実行を成功させてしまった時の話だ。


「それを聞けて良かった。後半に付け足した形跡のある二十万人ほどの人選はお前が?」

『はい。もちろん私の独断ではなく、色んなヒトの考えを参考にして。プリシラさんとユリウスさんにも意見を聞きながら……』


 電話越しにでも、ステラの声のトーンが下がったのは如実に感じた。他人の命を扱うことに人一倍抵抗のある彼女が命の選別をするなど、相当なプレッシャーとストレスがあったことだろう。


「……大変だったな、肉体的にも、精神的にも。よくやったよ、お前は」


 労わりの言葉をかけると、受話器の向こうでステラは無気力に笑った。嬉しくもなく、ただその結果を受け入れているようだった。


「それで、これを俺に見せてどうするつもりだ? 最初に断っておくが、これを俺に見せても大した話は聞けないと思うぞ」

『エレオノーラさんがリストに入っているの、見ましたか?』


 話を仕切り直すと、ステラは声に張りを戻した。


「ああ」

『私が加筆する前にはもう、エレオノーラさんの名前が記されていました。教皇が――』

「実子だから残したかもしれない、って言いたいのか?」


 シオンが先駆けて言うと、ステラは黙った。どうやら、当たっていたらしい。


「結局、俺に何を期待している?」

『もし、教皇が親心でエレオノーラさんの名前を残したのだとしたら、まだ彼にも……』


 ヒトの心がある? それとも、計画を止める意思が残っている?

 言い辛そうに尻すぼみに声を小さくステラだったが、シオンは溜め息を返した。


「残念だが、あったとしてもあの男はこの計画を止めることはないだろう。今さら情に訴えかけたところで、鼻で笑われるだけだ」

『……ですよね』


 もはや言葉で何をしても無駄なことは、ステラも本心では承知していたようだ。一抹の望みをかけつつも、やはり諦めるしかない選択肢であることは、これまでのガイウスとのやり取りから察したのだろう。


「このリスト、この後ガイウスに返すのか?」

『はい。時間稼ぎでしかないですが、期日ギリギリに返そうかと思っています』

「あまり無茶な事はするなよ。騎士団を気遣いすぎると、あいつらも何をしてくるかわからない」

『はい、引き際は弁えています。お忙しいところすみませんでした、話したいことは以上です』

「……あまり無理はするな、って言っても、それこそ無理な話か。ガイウスの計画が成功するにしろ、失敗するにしろ、終わった後に一番苦労するのは、多分お前だからな」


 シオンの言葉に、ステラは小さく笑った。とっくの前に覚悟を決めていたような、今さら何を言うのかと、そんな雰囲気が伝わった。


『そうですね。どうなっても、王として大規模な復興に取り組むことになりますから』


 それに何か気の利いた言葉をかけようと頭を回した時、不意に部屋の扉がノックされた。

 シオンは受話器を手に持ち直す。


「誰か来た。また何かあれば連絡をくれ。いったん切らせてもらう」

『はい。シオンさんも』


 受話器を置くと、すでにエレオノーラがドアスコープを覗いていた。


「イグナーツ卿」


 彼女の言葉を受け、シオンはすぐに扉を開けた。

 廊下では、イグナーツが少し疲れた顔で立っていた。


「今、大丈夫ですかね? 任務の報告書を作ったので、貴方にも目を通してもらいたいのですが」


 そう言って、イグナーツは手元の書類を軽く見せてくる。

 だが、シオンはすぐに応じなかった。


「どうしました?」


 小首を傾げてくるイグナーツ――対して、シオンは扉を全開にした。


「別件で話したいことがある」


 イグナーツを部屋に招き入れたあと、シオンはステラから受け取った人選リストを彼に見せた。

 シオンたちと同様に始めは驚きに戸惑っていたイグナーツだが、すぐに真剣な面持ちになって紙を捲った。

 最後の一枚を読み終えたイグナーツは、静かに冊子をテーブルに置く。


「いい人選ですね。確かにこれなら、ステラ女王陛下が存命する間は、理想的な社会になるでしょう。ですが、百年もすればまた混沌とした世の中になると思いますがね。結局は同じことの繰り返しです」


 その流れで煙草を取り出し、口にくわえるが、


「勝手に吸うな、俺の部屋だぞ」

「失敬」


 シオンに止められ、すぐ懐にしまった。

 イグナーツは気を取り直すように足を組み直した。


「それで、話したい事とは? これを見せて、私の意見を聞きたいだけではないでしょう?」


 即答しないシオンに、怪訝になったエレオノーラが顔を覗きこんでくる。


「シオン?」


 シオンは改めてイグナーツを見遣った。


「アンタは、昔のガイウスを知っているんだよな?」

「知っている、というほど深い仲ではありませんが、まあ、貴方たちよりは。少し上の先輩でしたからね、彼は」

「どういう男だった?」


 異様に食いつくシオンに、イグナーツが眉を顰めた。


「急にどうしたんですか? 今さらガイウスの生い立ちを知ったところで――」

「頼む」


 いつになく険しい顔のシオンを見て、イグナーツは気圧されたように肩を竦めた。


「……優秀という言葉で表すのも恐れ多いくらい、完璧で高潔な騎士でした。貴方もご存じの通り、数多くの功績を残しましたし――とりわけ、“第三次帝国戦線”においては、一部界隈で大陸の救世主とまで称された男です。彼が騎士として初めて任務に当たった戦争ですね」


 その説明に、シオンとエレオノーラは揃って前のめりになった。


「第三次? 帝国戦線って……まさか、北東の“帝国”と戦争したんですか? “帝国”は完全鎖国状態で、何百年も前にあった“第二次帝国戦線”以降、こちら側と何も接触がないはずじゃあ……」


 エレオノーラの質問に、イグナーツは露骨に顔を顰めた。


「……私も疲れているようですね。口を滑らせましたか」


 失態を悔いるように眉間を抑えるイグナーツだったが、それには構わず、シオンは続けた。


「ガイウスが騎士として初めて当たった任務――つまり、マリアと出会う前のことか」

「そうなりますね」

「教えてほしい、あいつに何があった?」


 イグナーツは目つきを鋭くした。


「私も直接この目で見たわけではないので、曖昧な事しか話せませんよ。それに、知ってどうします?」

「最後の覚悟を決める」


 シオンの回答に、イグナーツはさらに難しい顔になる。どう反応するべきか迷っているようだったが、


「……何を言っているのかよくわかりませんが――いいでしょう。ただし、二つ条件があります」


 そう言って、指を二本立てた。


「一つは、これから私が話すことを絶対に口外しないこと。話していいのは、私と総長とヴァルター卿――あとは、ガイウス本人だけです」

「もう一つは?」


 息を呑むシオンとエレオノーラだったが――


「ここで煙草を吸わせてください、すみません」


 イグナーツは面目なさそうに笑った。

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