第二章 魂を鬻ぐ者ⅩⅧ
ジステア平野に展開されていたガリア軍残党の排除に成功したあと、シオンとイグナーツはノリーム王国に直行し、残存戦力の殲滅に取り掛かった。
二手に分かれ、イグナーツは残党の大多数がいる城を制圧し、シオンは各区域の市街地と国境近辺にいる兵士を順次排除した。残党トップであるゴウラを失った兵士たちはもはや何の脅威でもなく、二人は粛々と作戦を進めることができた。
そうして一足早く仕事を終えたシオンは、イグナーツのいる城に向かった。城門を潜り抜けてすぐの広場で、ちょうどイグナーツが敷地内にいた最後の兵士を討ち取るところだった。火の精霊サラマンダーが、恐怖に錯乱して銃を乱射する数人の兵士たちに覆いかぶさったところで、作戦は完了した。
「これで城に駐在していた残党はすべて片付けました。そちらも終わりましたか?」
シオンに気付いたイグナーツが言った。
「見つけた兵士は全員仕留めた。だが、まだ潜伏している生き残りがいるかもしれない」
「了解です。シルフを何体かばら撒くので、それで刈り取ります」
イグナーツは手早く風の精霊シルフを作り出し、宙に放った。儚げな体色のアゲハ蝶を模した精霊たちが、朱色に染まった夕暮れの空に向かって飛び立つ。
「あとは国民の保護だな」
シオンが言って、イグナーツは頷いた。
「そうですね。中央区の刑務所施設が強制労働者たちの収容所代わりに使われています。そこに行きましょう」
二人は城を出たあと、国の東区域にある刑務所施設に急いだ。そこはまだ、シオンが敢えて手を付けていない場所だった。
理由は、不用意に刑務所の兵士を倒してしまうと、収容されている国民たちが暴徒化する恐れがあったからだ。そのため、ここの兵士だけは殺さず、教会側の準備が整うまで現状を維持させる必要がある。
しかし――
「どうなっている?」
シオンたちが到着した時、刑務所は予想外の状態だった。重厚な鋼鉄の門はすでに開けられており、近辺には兵士たちの死体が転がっている。
何よりも異様だったのは――開かれた門から、収容されていた国民たちが溢れ出すように駆け出していることだった。
イグナーツの目つきが変わった。
「ガリア軍残党が機能していないことに国民たちが気づいたのかもしれません。これはまずい!」
二人は、逃げ惑う国民たちの流れをかき分けながら、刑務所の敷地内に侵入した。
そして、案の定だった。
敷地内では、捕まっていた国民たちが反旗を翻し、ガリア軍残党の兵士たちを蹂躙していた。国民たちは奪い取った銃火器を手にし、その圧倒的な数の差で兵士たちを嬲り殺しにしている。
それだけであればまだ良かった。
問題は、抑圧から解放された国民たちが何の統制もなしに、本能のまま個々人が暴れていることだった。倒すべき敵を失った今、国民同士での争い、敷地内での略奪がすでに始まっていたのだ。
「シオン、貴方は女性と子供が収容されている場所に向かってください! ここは私が対処します!」
イグナーツの指示を受け、シオンは敷地の奥に向かって駆け出した。女子供が収容されている建物の場所はわからなかったが、おおよその見当はすぐについた。何故なら、幾人かの男たちが、争いや略奪に目もくれず、一直線に向かっている場所があったからだ。
間もなく、それは確信に変わった。
とある建物から一斉に飛び出してきたのは、大勢の子供と若い女たち――そのすぐ後ろには、怒声を上げながら追いかける男たちの姿があった。
その勢いの先頭で、子供が一人、派手に転ぶ。後を追っていた男の一人が、子供の上に跨った。
「やめろ! 子供だぞ!」
シオンが力づくで男を子供から引き剥がすが――そのすぐ近くで、またその隣で、さらにその奥で、同じような光景が連鎖的に起きる。
中には、家族、夫婦、あるいは恋人のように再会する者たちの姿もあったが、それらは瞬く間に暴徒と化した国民たちの手によって搔き消された。
シオンは、女子供を襲う男を手当たり次第に無力化した。殺さないように加減し、頭や腹を殴って気絶させる形で。
しかし、そんな器用なことをしていては間に合うはずもなく、周囲に響く悲鳴の数は多くなる一方だった。
やがて、シオンにも銃弾が飛んでくるようにもなった。避けることは容易いが、密集したこの場では誰に被弾するかわからない。刀で弾こうにも、ヒトの流れが激しいこの場所で振り回せば、誰を斬りつけることになるかもわからない。
最悪、“帰天”を使えば回復できることを頼りに、シオンは致命傷を避けながら、甘んじて飛来する弾丸をその身に受けた。
いつまでもこんなことを続けていられない――焦燥と怒りに、シオンの顔が酷く歪む、その時だった。
夕闇の大気が低く唸った。そこに映るのは三つの巨大な影――空中戦艦“ドミニオン”、“ヴァーチュ”、“エクスシア”だ。
『ノリーム王国国民に告ぐ。その場から一歩たりとも動くな。我ら十字軍の指示が出るまで、一切の行動を許さない。従わない場合、武力行使による鎮圧を開始する』
鋼の天使から伝えられた無慈悲な勧告――それを合図に、無数のドローンが三つの本体から国中に向かって放たれた。
「十字軍……!?」
驚きに声を漏らすシオンに応じて、地上に接近したドローンから十字軍の兵士たちが雪崩出てきた。その全員が中世の甲冑を彷彿とさせる防具に身を包み、しかし手には最新の銃火器を持ち、機械のように統率された無機質な動きで国のあらゆる場所に進軍する。
そして、シオンの近くに降り立った十字軍兵士たちは、躊躇いなく暴徒と化した国民に銃弾を放った。
先の勧告通り、動くものはすべて標的だった。人種、性別、年齢関係なく、兵士たちは抵抗、あるいは逃げていくヒトを射殺していく。
「待て! そいつらは国民だ! ガリア軍残党じゃ――」
「わかっている」
血塗れのシオンが叫ぶと、後ろから声をかけられた。
振り返った先にいたのは――
「ランスロット……」
ランスロットは、シオンにポーションを手渡した。
「ガリア軍残党の殲滅、ご苦労だった。あとは我々に任せればいい」
しかし、シオンはそれを払い除け、彼の胸倉を右手で掴み上げた。
「ちょっと待て、ここをどうするつもりだ?」
「無論、正常化させる。そのために、まずはこの状況を武力で鎮圧する」
そう言って、ランスロットはシオンの手を払いのけた。
続けて、空中戦艦が再度スピーカーを広げる。
『大人しく従えば身の安全を保障する。抵抗する者は容赦しない。繰り返す。大人しく従えば身の安全を保障する。抵抗する者は容赦しない』
直後、空中戦艦の砲台から威嚇射撃が開始された。国内の目立つ建物に向かって、何発もの砲弾が撃ち込まれる。
しかし、それがまた暴徒たちに火を点けた。
人間、亜人問わず、武装した暴徒たちが、怒りの咆哮を一斉に上げる。
「ここは俺たちの国だ! ガリアにも教会にも侵略されてたまるか!」
「“バニラ”に任せられるか! お前たちが勝手なことをしたせいでこの国は侵略されたんだぞ!」
「亜人風情がガタガタ抜かすな! お前たちが奴隷のままだったら、そもそもこんなことにはならなかったんだ!」
そして、十字軍を交えた戦場が出来上がった。
呆然と立ち尽くすシオン――その前で、ランスロットが剣を引き抜いた。
「シオン、手伝え。あれを制圧する」
シオンは意識を呼び戻し、ランスロットの肩を掴んだ。
「待て! これじゃあガリアとやっていることが変わらないぞ! 同じことの繰り返しだ!」
「放っておいてもガリアと変わらない。次は国民そのものが周辺諸国の脅威になるだけだ」
冷たく正論を返したランスロットに対し、シオンは弱々しく怯む。その有様は、まるで兄に叱られる弟そのものであった。
「でも――」
それでも何かを言い返そうとしたシオンだったが、後ろから何者かに肩を掴まれた。
「イグナーツ……」
振り返ると、イグナーツが首を横に振っていた。
「今は彼らが正しい」
シオンの肩を掴むイグナーツの手には、それを強調するかのように強い力が込められていた。
「どのみち、秩序を保つためにここには十字軍が長期的に駐留します。それに、ランスロットの言う通り、この混乱を今のうちに治めなければ、事態はもっと深刻化する」
「それは、そうだが……」
「ガリア軍残党への対応と違い、皆殺しにして終わりではない。私たち二人だけでこれだけの人数を大人しくさせるのは無理です。彼らに任せるしかない」
副総長に諭され、シオンはそれ以上の言葉を飲み込んだ。
一連のやり取りを見ていたランスロットが踵を返す。
「手伝う気がないのならここから立ち去れ。邪魔だ」
イグナーツはシオンを後ろにやり、肩を竦めた。
「そうさせてもらいます。それで、なのですが、空中戦艦のドローンを一機貸してください。それで移動します」
「好きにしろ」
そう言い残し、ランスロットは暴徒の鎮圧に取り掛かった。
「シオン、我々はトレイニア聖国に戻りましょう。事の顛末を、導師にも伝えなければ」
※
十字軍から借りたドローンに乗り込み、シオンとイグナーツはノリーム王国を後にした。
「このままトレイニア聖国の南方司令部に直行しますが、大丈夫ですかね? まあ、疲れていても付き合ってもらいますが」
空中戦艦本体と同様、ドローンの操舵室となる場所には制御に用いる機械装置などは一切なく、無機質な空間に大きな印章が描かれているだけだった。
その中央に立ち、ドローンをコントロールするイグナーツが、シオンにそう言った。
「ああ」
シオンは、イグナーツから少し離れた場所の床に座っていた。壁に背を預け、俯くように頭を下げている。
「貴方も随分丸くなりました。これも、ステラ女王陛下の影響ですかね」
「甘くなったって言いたいのか?」
シオンが噛みつくように訊いたが、イグナーツは肩を竦めた。
「さあ。貴方の内面が具体的にどう変化したかは知りませんが――少なくとも人間味が増したんじゃないんですか? ただ、もし貴方がまだ従騎士で私の弟子だったとしたら、あの時、私は貴方のことを引っぱたいていたと思います。多分、ガイウスにも同じようなことをされた経験があるのでは?」
言われて、シオンは過去を思い出す。
確かに、従騎士だった時、師だったガイウスには何度も叱られた。先ほどのような惨劇も、何度も見てきた。そして、そのたびにガイウスから精神面の弱さを指摘され、どうするべきかを教えられた。
だからもう大丈夫――そう思っていたはずなのに、今は、どうにも気分がすぐれない。
「戦場での軍人は容赦なく殺せるのに、それ以外はできない――同じ武器を持った相手でも差が出てしまうのは、何でですかね。法や倫理観を意識した社会的な抑止力がそうさせているのか、それとも、道徳のような個人的な感情がそうさせているのか。まあ、そもそもとして国民を保護することが目下の目的だったので、それに暴れられたら戸惑うのも無理はない」
言語化できないそもそもの違和感に、イグナーツが代わって言ってきた。
「どちらにせよ、我々が解決しようとしている問題についての対応としては、あの時のランスロットの行動が正しいです。私も助かったって思っています」
それも、理解しているつもりだった。
「悔しいし、苛立たしいでしょう。でも、そんなもんなんです。世の中はどうにもならない理不尽な事ばかりで溢れている。全員が清く正しい規律ある行動を取れるわけではない。それは、二年前の戦争の時に貴方がよく理解したはずです。無論、私たちもですが」
二年前は、誰よりも覚悟を決めていたはずだった。
「いっそすべてを滅ぼして楽になりたい――ガイウスの気持ちも少しだけわかります。でも、それを赦しては駄目なんです。何故なら、ここまで築き上がった世界と、今を懸命に生きている命への冒涜になってしまう。それを個人の思いで全部台無しにしようなんてのは悪魔のエゴでしかなく、到底認められるものではない。だから、我々のような存在がいるんです」
「必要悪?」
面を上げて訊いたシオンに、イグナーツは首を横に振った。
「そんなたいそうなものじゃないですよ。吸血鬼たちが私たちのことをこう言って忌み嫌っていたらしいじゃないですか、“愛と平和を謳いながら力を振りかざすお前たち教会が気にくわない”って。その通りの存在だと思いますよ。傍から見れば、私たちは二律背反の殺し屋です」
それも、ガイウスから言われたことがあった。
「ですが、多くの命を殺めることになったとしても、それより多くの救われるべき命、社会があるのなら、そうするしかない。それしか世界を存続させることができない。であれば、私は悪魔にだって魂を売りますよ。貴方だって、今までそうしてきたでしょう?」
それを結論に、今まで戦ってきた――つもりだ。
沈黙するシオンだったが、不意にイグナーツの雰囲気が変わった。
「ステラ女王陛下に散々偉そうなこと言っておいて、今さら情けない姿を曝すなんて赦されませんよ。それだけは肝に銘じておきなさい」
その声には、明確に怒りが込められていた。
久しぶりに、騎士としての振る舞いを咎められた気がした。
※
トレイニア聖国の南方司令部に着いたシオンたちは、早々に衝撃的な事実を導師から伝えられた。
騎士の参戦許可を出せたのは、国防長官であるベアトリス・イバールが射殺されたこと、そして、それを導師のカリス・ホーリーがやったことだった。
南方司令部の一室にて、カリスは二人の兵士に両脇を挟まれながらシオンたちの報告を聞いていた。その両手首には、手錠がはめられている。
「これから、導師はどうなるので?」
一通りの話を終え、早々にイグナーツが訊いた。
カリスは、生気を失った顔を軽く伏せる。
「罪は償わなければなりません。このまま、この国の司法に任せます」
「非常に残念です。罪を犯したとは言え、貴方の選択は国民の命を大勢救うことに直結しました。我々正道派からも何かしらの――」
「正道派の介入を認めてしまえば、真聖派の国民たちの感情を不用意に刺激してしまいます。平等と公平が守られてこそ、意味のある宗派であり、国ですから。導師の私が従わなければ示しがつきません。この国が無事だった――その結果さえ得られれば、私は甘んじて罰を受け入れます」
カリスは最後に、それでは、と付け足して部屋の外に向かった。
だが、兵士が扉を開けるのと同時に、徐に振り返る。
「イグナーツ卿、シオン卿」
それから彼女は、深々と一礼をして見せた。
「トレイニア聖国を救っていただき、誠にありがとうございます」




