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辺獄の黒騎士  作者: シベハス
第四部
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第二章 魂を鬻ぐ者ⅩⅣ

 カリスとのディナーを前に、シオンとイグナーツは一度宿泊先のホテルで黒のスーツに着替えた。それから改めて教えてもらった住所に移動すると、そこには高層ビルが一軒建っていた。オフィスビルではなく商業施設を目的とした建物で、中には飲食店をはじめとした多くのサービス店舗が経営されていた。

 二人はビルの入り口でカリスと合流し、そこの七階にある高級レストランに入店した。一時間以上かけてトレイニア聖国の名物とされる多様な料理のフルコースを楽しみ、今はガラス窓から覗く夜景を肴に食後の談笑をしていたところだ。


 そんな時、不意にイグナーツが外に視線を移し、感心したように頷いた。


「それにしても良い国ですね。我々は騎士団の任務で大陸各地に赴くことが多いのですが――この聖都を見るに、大陸四大国に比肩する発展具合だと思っています。これも導師のお力あってのことでしょう」


 カリスはワイングラスを口から外し、力なく笑った。


「ありがとうございます。近年の急速な経済成長こそ私が導師になってからのことですが、その影響は微々たるものです。ここまで発展できたのは、近くで私を支えてくれた多くのヒトと、そして、真聖派の信徒――国民の皆様による献身的な働きのおかげです。ゆえに、国民が安全で豊かな暮らしを送れることが、導師としての何よりの誇りだと思っています」

「であれば、なおのこと、この景観は守らねばなりませんね。先ほどは長官殿に拒否されましたが、我々も引き続き協力させていただきます」


 イグナーツの言葉に、カリスは視線を落とした。


「……この流れでまた仕事の話をしてしまうのですが――」


 弱々しい声で断りを入れ、改めてシオンとイグナーツを見遣る。


「お二人は、もしこのままガリア軍残党と衝突した場合、我が軍が勝つ見込みはどれほどあるとお考えですか?」


 イグナーツはグラスを置いた。


「厳しいことを言ってしまいますが、ほぼないと思っています。ただの師団程度の戦力であれば、貴国の軍事力で退けることも可能だったでしょう。ですが、やはり禁術の存在が大きいです。教会魔術師のゴウラさえどうにかなれば、といった感じですね」


 その回答にカリスは目を伏せた。どことなく、始めからそう言われることがわかっていたかのような面持ちだ。


「そうですか……」

「先ほども申し上げた通り、我々も可能な限り協力いたします。手に入れた情報からおおよその侵攻場所、具体的な侵攻方法も想定できるので、明日改めて共有させていただきますよ。長官殿は嫌がるかもしれませんが」

「ありがとうございます。ベアトリスの件は、私からももう一度説得してみます」


 ふとこのタイミングで、レストランのスタッフがシオンたちのテーブルに近づいてきた。


「導師、失礼します」


 スタッフは丁寧なお辞儀を見せたあと、カリスに向かって軽く耳打ちをした。するとカリスは、わかりました、と一言返事をする。スタッフが立ち去ったあとで、恐縮そうな顔を向けてきた。


「申し訳ありません。まだお話したかったのですが、そろそろお店が閉まる時間です。名残惜しいですが、この辺でお開きとさせてください」


 カリスに言われ、二人はテーブルから立ち上がった。


「本日はありがとうございました。ご用意いただいたお食事、とても美味でした」


 二人に続き、カリスもテーブルから立ち上がる。


「お口にあったようで何よりです。宗派は異なれど同じ聖王教を信仰する者同士、今後ともよろしくお願いいたします」

「ところで、なのですが――」


 カリスが別れの握手をしようと腕を伸ばした時、不意にイグナーツがそう言った。


「導師はまだお時間ありますか?」


 突然の質問に、カリスは戸惑いつつ腕時計を確認する。


「え、ええ。日付が変わるくらいまで――あと一時間ほどであれば」

「私はこの後少しやることがあるので同席できないのですが、もしよければ、シオン卿のお相手をしていただけないでしょうか?」


 イグナーツからの提案に、カリスは狼狽えた。夜景の光を反射する瞳が、戸惑いで細かく揺れる。


「え、あ、し、シオン卿と二人で、ですか?」

「はい。今後の作戦会議をするのもよし、ただ純粋に交流を深めるのもよし――せっかく真聖派のトップである導師と直接お話しする機会ができたのです。我々騎士団としても、是非親睦を深めておきたい」

「わ、私は構いませんが……」


 そう言って、カリスはシオンをちらりと見た。

 シオンはいつもの淡白な表情で、小さく頷く。


「であれば、どこか軽く飲めるお店にでも」


 隣のイグナーツが小声で、もっと愛想良くしてください、と言ったあと、


「と、彼も言っているので、お手数ですが、お付き合いいただけますか?」


 さらにもう一押し、カリスに打診した。

 カリスは少し悩んだあと、はにかむような微笑を浮かべる。


「一つ上の階に、バーがありますので、そこでよければ……」

「ありがとうございます。そういうわけで、シオン、後は頼みましたよ」


 そう言い残し、イグナーツはさっさと退店してしまった。彼の姿が見えなくなって間もなく、カリスが軽く咳ばらいをする。


「で、では、私たちはこちらに」


 それからシオンは、彼女の案内で一階上のバーに入った。木造ベースの落ち着いた雰囲気に反し、店はかなりの盛況で、仕事終わりの大人たちの喧騒に包まれていた。

 バーのスタッフは、まさかの導師の登場に驚くと、慌てた様子で店の奥に案内を始めた。案内された先は、夜景が見える半個室の席で、店の中でも比較的落ち着いていられる場所だった。


「少し騒々しいですが、どうかご勘弁ください」


 申し訳なさそうにするカリスに、シオンは首を横に振った。


「いえ、大丈夫です」


 席に着いた二人は、適当にアルコールをそれぞれ頼んだ。間もなくスタッフがグラスを運び、まずは軽く喉を潤す。


 グラスを置いたカリスは、長い溜息を吐いた。目をぎゅっと瞑り、その様子は今にも眠り込んでしまいそうだった。


「だいぶお疲れのようですね。ガリア軍残党の件を考えれば、当然と言えば当然だと思いますが」


 シオンが声をかけると、カリスはハッとして顔を上げた。恥ずかしそうに顔を赤くし、椅子に座る姿勢を正す。


「す、すみません。先ほどのようなしっかりとした食事を取ったのも久しぶりで、つい気が緩んでしまいました。それに、仰る通り、目先の課題が今まで経験したことのないものばかりで、少し疲れが……。簡単に人前で弱音を吐くことも許されないので、気を張りっぱなしで……」


 二人だけになったことで人心地が付いたのか、それともシオンに気を許しているのか――実際どうかはわからないが、カリスはようやく自分の話をするようになった。ディナーの時も自身の身の上の話は一切しなかったため、今なら新しい情報を何か聞き出せるかもしれない。


「誰か頼れる方はいないのですか? それこそ、愚痴の一つでも気楽に吐けるような」


 シオンの問いを受け、カリスは夜景の遠くを見た。


「昔は、ベアトリスが私の相談に良く乗ってくれました。でも今は、お互い偉い立場になってしまったこともあり、あまり……」

「昔ということは、彼女とはプライベートでも付き合いが?」

「ええ。導師なので人脈こそ広いですが、友人はあまりいなく、友と呼べるのは彼女だけですね」


 友人が少ないことを恥じるように力なく笑った。


「親友、でしょうか?」

「どちらかと言えば、恩人、ですね」

「恩人?」


 意外な関係に、シオンは眉根を寄せた。


「子供の時に、とてもお世話になったんです。今となっては自慢にもなりませんが、こう見えて私は幼い時に神童と周囲からもてはやされていました。といっても、周りの子供より多少勉学ができる程度のことでしたが」


 カリスはそこで一度区切り、アルコールを一口飲んだ。


「大きな転機は十歳の時で――両親を不慮の事故で亡くしたあと、私の頭脳の使い道を巡って色んな大人が周囲に集まりました。当時は訳も分からず大人に言われるがまま、ひたすらに勉強して、気づけば十五歳で大学に入学していました。大人たちは凄い凄いって褒めてくれたんですけど、勉強が人並み以上にできたところで所詮精神は未熟な子供です。当然、周囲の学生たちに馴染むことなんてできず、嫉妬でいじめや迫害に遭うこともたびたびでした」


 そう言って、当時を思い出したように表情を渋くする。


「そんな孤独がどうしようもなく辛くて、いっそどこかに逃げてしまおうと思った時に出会ったのが、ベアトリスでした。学部は違いましたが、彼女は同じ大学で士官候補生として同時期に入学していたんです。学内でいつも一人でいる私を気遣って、彼女から声をかけてくれました」


 カリスは微笑した。


「始めはただ挨拶を交わす程度の間柄だったんですが、私がいじめに遭っているところにベアトリスが来て、守ってくれたんです。あの時のベアトリスは、本当にかっこよくて、まさに私のヒーローでした」

「そこから友人としての付き合いが?」


 シオンが訊くと、待っていましたとばかりにカリスは深く頷いた。


「はい。五つも歳が離れているのに、彼女は屈託もなく私に付き合ってくれました。やがて大学を卒業し、私がそのまま講師として在籍することになった後も、彼女はずっと見守ってくれたんです」

「もしかしてなのですが、政界に入ったのも長官がきっかけですか?」

「ベアトリスは、自分がライカンスロープであることを強みに、軍人になる道を選びました。軍人といえば、いつ命を失うことになるかわからない危険な職業――私はどうしても彼女に恩返しをしたくて、周りの大人たちのコネを使い、政界に進出しました。私が政治に携わることで、少しでも彼女に危険なことが及ばないようになればと思い」


 シオンは、なるほど、と言って、納得した。


「素晴らしいお考えですね。お二人の絆の強さ、相当なものなのでしょう」


 しかし、賛辞の言葉に反して、カリスの表情は浮かないものだった。


「……ですが、月日が経ち、仕事で忙しくなると、目の前には常に現実が付きまといました。彼女と会う時間が減ったことで、私的に交流することも難しくなり、最近は疎遠です」

「導師が就任された時、長官はすでにその地位に? それとも、長官が先に?」

「私が導師になったのが先でした。ベアトリスは今年長官になったばかりです」

「導師の優秀さはかねてより聞いていましたが、長官も同様のようですね」


 またもカリスは顔に影を落とした。悉く意外な反応を見せる彼女に、シオンはますます怪訝になる。


 そして、


「……ベアトリスがあの若さで長官になれたのは、私が強く推したことも一因なんです」


 懺悔するように、カリスがぽつりと言った。


「もちろん、不正に手を染めてはいません。ですが、実力主義のこの国では候補者になる者も数多く、彼女はそのうちの一人でしかありませんでした。他にも有力な人材はいたのですが――個人的な思いがそこで出てしまい、導師の立場に甘え、つい彼女を推してしまったのです」

「長官の地位になれば、危険な戦場に自ら赴くこともないだろう――そうお考えになったからですか?」


 カリスは無言で頷いた。


「興味本位で聞いてしまうのですが、周囲からの反発はなかったのですか?」

「もちろんありました。ですが、彼女が熱心な真聖派の信徒ということが政界に大きく響き、思いのほか組織としての考えがまとまるのは早かったです。うちの国、妙なところで信仰の強さが試されることが多くて」

「確かに、かなり信仰心に熱い方でしたね。騎士からの助力を正面切って拒絶されたことは、今までほとんどありませんでした」


 シオンの言葉を受け、カリスはついに項垂れるように姿勢を崩した。その顔には、強い後悔のような念が浮かんでいる。


「……彼女にも、色々ありましたから」


 その言葉が意味するところを確認しようと、シオンは口を開けたが――先に、カリスが腕時計に目を通してしまった。

 カリスは時間を見て、あ、と声を漏らす。


「申し訳ありません、もう一時になってしまいました。明日も朝早くに大事な会議があるので、そろそろ……」


 さすがに国のトップということもあり、時間と体調管理には当たり前に気を遣っている。

 これ以上はさすがに無理かと、シオンも続きを諦めた。


「はい。本日はお忙しいなか、ありがとうございました。この後、お見送りいたします」


 立ち上がり、シオンがそう申し入れた。

 しかし、カリスはやんわりと首を横に振る。


「あ、大丈夫です。護衛の者が近くに待機していますので。どうか、お気遣いなく」

「わかりました。お気をつけてお帰りください。本日はありがとうございました」

「こちらこそ。今後ともよろしくお願いいたします」







 宿泊先のホテルに戻ったシオンは、自室ではなくイグナーツの部屋に向かった。部屋の扉を三回ノックすると、すぐに応答があった。


「どうぞ、中に」


 ほんの数時間前にチェックインしたばかりだというのに、部屋の中はすでに散らかっていた。とりわけ目を引いたのは、テーブル周りに積み重ねられていた大量の新聞紙だ。


 何か調べ物でもしていたのだろうかと、シオンが疑問に思った矢先、


「どうでした? しっかり導師を口説き落とせましたか?」


 イグナーツが揶揄い混じりに訊いてきた。

 シオンはジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めながら窓際の椅子に腰を下ろした。


「ベアトリス・イバールがあの若さで長官になれたのは、導師の後押しもあったかららしい。地位を高めることで戦場に赴く機会を減らしたかったみたいだ」


 報告を聞きながら、イグナーツは煙草に火を点ける。


「ほお」

「二人は古くからの友人関係にあるそうだ。カリス・ホーリーが子供の時に大学でいじめに遭っていたところをベアトリス・イバールが助けに入り、それから付き合いが始まったと言っていた。ただ、今はお互い国の要人的な立場になったせいで、私的に会話する機会もほとんどなくなったらしい」

「なるほど。ありがとうございます」


 イグナーツは紫煙を吐いたあと、水の入ったグラスをシオンに渡した。シオンはそれを一気に飲み干し、鼻の奥に漂うアルコールの臭いを掻き消す。その後で、テーブル周りに散乱する新聞紙に目を向けた。


「情報収集でもしていたのか?」

「ええ。私もベアトリス・イバールについて少し調べました。これ見てください」


 イグナーツが差し出したのは、古い新聞だった。

 そこに書かれていた日付と発行地域を見て、シオンは眉根を寄せる。


「二十年以上前の新聞、それもログレスの? こんなものどこで手に入れた?」

「近くの図書館に忍び込んで拝借しました。それより、右上の記事です」


 目を通すと、そこにはとある事件についての記事が書かれていた。


「ライカンスロープの一家全員が旅先で消息不明になった事件――これがどうかしたのか?」

「その一家が、長官の家族です。そして、唯一生存が確認されたのが、当時まだ十歳前後だったあのベアトリス・イバールでした」


 イグナーツは煙草の火を消し、さらに続けた。


「一家全員が消息不明になったのは、旅行先でガリアと通じた奴隷商に連れ去られたことが原因です。夫婦は奴隷商たちの隙を見て一人娘のベアトリスだけを逃がすことに成功しました。その後すぐ、ログレス王国が彼女の証言をもとに教会を通じてガリアへ両親の返還を求めたようです。しかし、仲介役となった教会の動きが悪く、結局両親が戻ってきたのはそれから一年後。しかも両親はすでに奴隷として酷使された後で、彼女の元には骨だけが返されたそうです」

「ログレスの新聞に書かれたということは、長官はもともとログレスの国民で、正道派だったってことか」

「そういうことですね。おそらく、彼女はこの事件を機にトレイニア聖国に移り、真聖派になったのではないかと。私たちを目の仇のように扱ったのも、この背景を知れば納得です」


 シオンは嘆息した。


「しかも、これから侵攻してくるのは怨敵であるガリアの残党ときた。あんな啖呵を切ってまで俺たちを拒絶したのも、自分の手で仇を取りたいから、かもしれないな」

「導師も不憫ですね。せっかくの気遣いが、逆に彼女の闘争心を傍若無人に焚きつけることになってしまうとは」


 シオンはテーブルの上に新聞を置いた。


「次はどう動く? 長官の背景がわかって、事態を動かせそうか?」


 しかし、イグナーツは芳しくない表情を返した。


「どうしましょうかね。明日また導師とは色々話すことになるとは思いますが、それからまた考えますか。それとさっき、ガイウスとも少し電話で話しました」

「なんて言っていた?」

「貴方の予想通り、一週間後に十字軍を使った粛清を始めるとのことです。明日に一回、明々後日にもう一回、教皇庁からガリア軍残党に向けて撤退勧告を出す予定で、全部突っぱねられたら粛清決定と言っていました」


 嫌な予想ばかり当たるなと、シオンは軽く顔を顰めた。


「そうなれば、捕らわれているノリーム王国の国民にも大きな犠牲が出るな」

「ですね。粛清ともなれば、いちいちヒトを選ぶなんてこともしないでしょうし。それに、一度侵攻を許してしまうと、粛清が開始されるまでトレイニアは蹂躙され続けることになります。そちらの被害も相当なものになるでしょうね」

「いざという時は、長官の意向を無視して俺たちが戦線に加わることも選択肢に入れておきたい」


 シオンの提案に、イグナーツはやむなしかと、肩を竦める。


「それをやってしまうと、私たちが望んでいる結果――トレイニア聖国に騎士団が恩を売るというのが、押し売りになってしまいますね。あとになって色んな方面から顰蹙を買うことになるかもしれませんが――まあ、国民の人命優先なのは私も同じなので、最悪はそれでいきましょう」


 そう言って、イグナーツは新しい煙草に火を点けた。


「大勢のヒトの命を秤に乗せた仕事は、やっぱり疲れますね」


 同感だと、シオンが無言でそれに同意した。

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