第二章 魂を鬻ぐ者ⅩⅢ
ベアトリスの案内で着いた場所は、教団本部の敷地内にある地下施設だった。聞けば、聖都に駐在する軍が利用する簡易演習場とのことだった。床、壁、天井が分厚いコンクリートで構成された通路が迷路のように張り巡らされており、重々しい鉄製の扉が幾つも並んでいた。
シオンとイグナーツは、そのうちの一つ、第五演習場と書かれた部屋に通された。中は、これまた無機質な雰囲気であり、天井の照明と換気口以外に設備と呼べるものは何一つ見当たらない。
ベアトリスは、部屋に入るなり、中央に立って徐にスーツのジャケットを脱いだ。ネクタイを取り、シャツの腕を捲って、腰のホルスターから拳銃を取り出す。
その行動に、イグナーツが信じられないといった顔で驚いた。
「まさか、騎士を相手に一人で挑むおつもりですか? しかも、そんな武装で?」
それを挑発と捉えたのか、ベアトリスは嫌悪感を剥き出しに鼻を鳴らした。
「いちいち癪に障る言い方をする。やはり、騎士というのは高慢で不遜な生き物のようだな」
どうやら、冗談でもなんでもなく、本気のようだった。
イグナーツは嘆息すると、隣のシオンを見遣った。
「彼女、強化人間かヒトベースの魔物でしょうかね?」
シオンはすぐに首を横に振った。
「いや、多分違う」
「おや、わかるんですか?」
「あの自信、恐らく身体強化の魔術だ。ああいう手合いは今まで何度か見たことがある」
シオンの経験上、騎士に対して自信満々に対峙する者は、総じてこのパターンが多かった。騎士の強さが“騎士の聖痕”という印章を体に刻むことで手に入るため、ならば強靭な肉体を持つ亜人が身体強化の印章を用いることで同様に実現できるのでは、という典型的な誤解の例だった。この手の話は、実際に騎士の強さを目の当たりにしたことが少ない国や地域で未だに多く見られている。教会が“騎士の聖痕”について強力な情報統制を行っているため、その本質的な能力がほぼ外部に知られていないことが大きな要因である。しかし、この国が真聖派であることも、このような誤った手段を取らせてしまった原因なのだろう。気に入らない勢力の情報を殊更に排除してしまったがゆえ、正しい認識を得られなかったと思われる。
シオンの見解に、イグナーツは納得して声を上げた。
「ああ、言われてみれば」
「それで、どうする? わざわざアンタが出るまでもないだろうし、特に異論がなければ俺が出る」
「お願いします。決着の付け方としては――適当に我々の力を示してください。時間もかけずにお願いします」
「了解」
上司からの指示を受け取り、シオンはベアトリスの元に近づいていった。
ベアトリスは軽く体を伸ばしながら、シオンを睨みつける。
「さあ、さっさと始めるぞ。ルールはどうする?」
「アンタの勝ちは、俺を殺したらでいい。副総長のイグナーツが責任を持つ。好きなタイミングで始めて構わない」
両者の距離が二十メートルほどの間隔になったところで、シオンが言った。
途端、ベアトリスの顔が獰猛な肉食獣のように歪められる。
「つくづく舐めた奴らだ……!」
ベアトリスは拳銃を構え、戦闘態勢に入った。
そして、シオンの予想通り、彼女の身体から魔術の実行反応である淡い青色の発光現象が起きる。
「死んで後悔するな!」
怒声と共に、ベアトリスが牽制に引き金を――引くことはなかった。
「……!?」
彼女の拳銃はいつの間にかシオンの右手に握られており、銃口はこめかみに突き付けられている。目にも止まらぬ速さで肉薄したシオンが、一秒もない時間で制圧したのだ。
何が起こったのか理解できず、戦慄の顔で固まるベアトリス。それはカリスも同じで、騎士が見せた圧倒的な戦闘力に、ただ茫然と立ち尽くしていた。
「アンタが勝つか、納得するまで付き合う」
そう言ってシオンは拳銃の銃把をベアトリスに向けて返そうとした。しかし、ベアトリスは拳銃に視線を向けるだけで、冷や汗を顔に残したまま微動だにしない。
妙な沈黙が暫く続き、室内には換気口の稼働音だけが響いた。
そして、そんな膠着状態を破ったのは――
「ベアトリス! もうやめなさい! 私の目から見ても力の差は歴然です!」
導師カリスの叱咤だった。
続けて、カリスはイグナーツに向く。
「イグナーツ卿、この勝負は貴方たちの勝ちです。今この目で初めて騎士の戦闘力を目の当たりにしましたが――話で聞く以上に圧倒的なものでした。貴方たちが対ガリアの戦いに参加いただけるということであれば、導師である私の立場からしてもこの上ない僥倖です」
それを聞いたシオンは、一向に受け取ってもらえない拳銃を静かに床に置いた。
傍らで、カリスがベアトリスに歩み寄る。
「ベアトリス、よいですね?」
カリスに聞かれて、ようやくベアトリスに変化が見受けられた。わなわなと身を震わせながら、勢いよく腕を振るう。
「……認められるか!」
突然、悲鳴のような声を挙げたベアトリスに、シオンとイグナーツは思わず身を竦ませる。
「何が騎士だ! ここは我々真聖派の国だ! 死んでも正道派の力など借りてたまるものか!」
ベアトリスはそう吐き捨て、拳銃を回収し、部屋を退室した。
「ベアトリス!」
乱暴に閉められた扉に向かってカリスが呼びかけるも、ベアトリスからの返事は何もなかった。
咄嗟にカリスが後を追いかけ――その間に、イグナーツがシオンに話しかけた。
「何だか、振る舞いや態度だけ見れば、うちのⅤ番レティシア卿に似ていますね。レティシア卿の方がずっと柔軟で賢いですが」
シオンは嘆息して同意した。
「原理主義もあそこまで来るとただの障害要素だ」
「ええ。よくまああの若さで国防長官なんて重要な役職に就けたものです。あれだけ頭が固いのなら、まだ老人の方が可愛げがありましたよ」
「あの女個人が勝手にこだわるのなら問題はないが、それで巻き込まれるのは国民だ。それに、さっき手合わせた限りでは、実力は強化人間にも及ばない」
イグナーツがやれやれと悩ましげに首を横に振る。
「この地域は長年大きな紛争がなく、隣国であるグリンシュタットのおかげで魔物の駆除も安定してできていました。それだけが原因だとは思いませんが、客観的かつ危機感を持った軍事力の強化が継続的にできなかったのでしょう。そんなところに国防のトップが頭の固い若者ときた。かなりまずいですよ、国としては」
「あの女が首を縦に振らない限り、導師も認められないんだろ。これ以上、俺たちにできることはありそうか?」
シオンの質問に、イグナーツは肩を竦めた。
「いざという時の手段はありますが――まあ、今はちょっとだけ情報収集しましょうか。あのベアトリスという未熟な方が、何故長官の地位にいることが気になりましたし」
「そんな悠長な事を言っている余裕はないはずだ。第一、どうやって情報を――」
「すぐにわかりますよ」
そう言って、イグナーツはシオンの肩に手を置いて話を終わらせた。
ちょうどそのタイミングで、ベアトリスを追いかけていたカリスが部屋に戻ってきた。カリスは慌てた様子で二人に駆け寄り、深々と頭を下げてくる。
「あの、ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません」
「とんでもございません。この勝負を持ちかけたのは、私ですから。こちらこそ、試すようなことをしてしまい、申し訳ありませんでした」
イグナーツの振る舞いに安堵したのか、カリスの表情に幾分かの余裕が戻った。
そして、
「お詫びと言うわけではないのですが、この後、ディナーをご一緒させていただけませんか? 会議の場で話せなかったこともあるでしょう。その続きも兼ねて」
そんな提案が投げかけられた。
イグナーツの口元が、にやりと、微かに動く。
「よろしいのですか? では、ここはお言葉に甘えて」
その回答にシオンは驚いた。何故なら、
「ちょっと待て。騎士は任務上の利害関係にある相手から公的に接待を受けることは禁止されているはずだ」
特定国家や教会外の組織からの収賄を避けるため、基本的に騎士は公の場での接待や金品の受け取りを禁止されているからだ。無論、ステラの一件のように特定国家と相互に密な協力関係に当たる場合もあるが、あれは教皇庁、ひいては教会の意向を無視した騎士団独自の裏の活動――敢えて悪い言い方をすれば“ただの悪事”なため、特例中の特例だ。
しかし、シオンの懸念を受けても、イグナーツは平然としていた。
「ええ。副総長の私が許可します。それより――」
不意に、イグナーツがシオンに顔を近づけて耳打ちした。
「シオン、頼みましたよ。カリス・ホーリーをうまく口説いて、我々が知りたい情報を吐かせるだけ吐かせてください」
それを聞いたシオンは、苦虫を嚙み潰したような顔で唸った。




