第二章 魂を鬻ぐ者Ⅸ
シスターたちが慌ただしく手荷物をまとめている間に、シオンも移動の準備を進めた。まず向かった先は修道院前で、そこには殺したガリア兵たちの大型軍用車が一台残されていた。荷台に積まれていた備品を雑に投げ捨て、シスターたち全員を乗せられるスペースを確保する。ガソリンの残量、エンジン等に問題がないことを確認できたタイミングで、亡命の準備を終えたシスターたちがぞろぞろと集まってきた。
「この軍用車を使って西の国境まで移動する。国境までの案内役としてシスター・ヒルデが助手席にいて欲しい。他は荷台の方に乗ってくれ」
シオンの指示を聞いて、シスターたちは黙々と軍用車に乗り込んだ。全員が、不安と、この地獄から解放される期待を孕んだ複雑な面持ちでいる。
最後にヒルデが助手席に乗り、シオンも運転席に座った。
「間違いなく全員いるか?」
「はい。私を含めて七人全員、車に乗りました」
ヒルデが荷台を見て確認し、頷いた。
それを合図に、車が緩やかに動き出す。
時刻は十六時を過ぎており、太陽は車の進行方向である西に向かって爛々と輝いていた。
シオンは、その眩しさに顔を顰めつつ、ふとあることが気になった。
「そういえば、ここの院長は誰なんだ?」
何気なく訊くと、ヒルデが日の光を避けるように俯いた。
「……院長は、ひと月前に亡くなりました。街に買い物に行った時、運悪く強盗の被害に遭ってしまい……」
「修道院に若いシスターしかいないことが気になっていたが、そのことが関係しているのか?」
「生活必需品を調達するには街の中――人目に付く場所に出る必要があるのですが、若い女だと襲われる確率が高いからと、年配のシスターたちが気を遣ってくださったんです。ですが、結局皆さん、強盗や軍人に襲われて……」
「さっき買い物と行っていたが、国がこんな状況で売買なんてまともにできるのか? 機能している店があるとは思えないが」
シオンの疑問に、ヒルデは頷いた。
「仰る通り、今まであったお店はすでに機能していません。なので、ガリア軍が街に出て商品を売るようになりました。とはいっても、適正な価格が付けられたものではないですが。それに、最近は軍も物資が枯渇し始めたようで、国民向けに食料を売ることも少なくなりました。他に物を買えるようなところといえば、闇市のような露店になりますね。それも軍の備品を横流しされたものでしたが」
「なるほど。ガリア軍の補給問題は、深刻なレベルになっていそうだな」
「どうしても欲しい物がある時は、直接軍に交渉することもあります。ただその場合、かなりの資金を要求されるか、女は体で払うかで……」
ヒルデの口ぶりから察するに、彼女が兵士に襲われたのは、駅での出来事が初めてではなさそうだった。ヒルデは、悔しさと恐怖に耐えるように、自身の体を両腕できつく抱きしめる。自ずと嫌な記憶が蘇ってしまうのか、下唇を強く噛み締め、体を小さく震わせていた。
「言うべきかどうか迷ったが――もう機会がないだろうし、伝えておく」
その様子を横目で見たシオンが、不意に言った。
ヒルデは呆けた顔でシオンを見遣る。
「え?」
「駅で貴女を襲った軍人二人は、俺たちが拷問にかけてすでに始末した。もっとも、身内の仕返し目的でやったわけじゃなく、軍の情報を聞き出すためにやっただけだが」
それを聞いたヒルデは、驚きと戸惑いで暫く固まった。やがて、体の緊張が解けるように、自身を抱いていた両腕を静かに下ろしていく。
「それを知ったところで何がどうなるというわけでもないだろうが、一応伝えておいた」
シオンの報告に、ヒルデは手元に視線を落とした。一秒、また一秒と経ち――車の揺れに合わせて、彼女の瞳から涙が落ちた。
「……ありがとう、ございます」
感謝の言葉はとても小さかった。神に仕える身でありながら、他者の死を喜んでしまったことに、耐えがたい羞恥心を覚えたのだろう。必死になって感情を抑え込もうとしていたが、すすり泣く声は暫く車内に響き続けた。
※
車を走らせてから四時間が経過した頃――シオンたちを乗せた軍用車は、ガリア兵や魔物の群れに遭遇することもなく、予定通り西の国境に辿り着くことができた。
隣国のグリンシュタット共和国とは深い谷を間に隔てており、国境を超えるには唯一の大橋を渡る必要がある。しかし、当然の如く、そこにはガリア兵が駐在していた。
シオンは、車のライトを早めに消すと、肉眼で橋がぎりぎり見えるくらいの位置で、雑木林の中に車を停車して隠した。
「少し待っていてくれ」
助手席のヒルデにそう言い残し、シオンは車から降りた。月と星の明かりだけを頼りに、周囲を警戒しながら雑木林の中を進む。
歩き始めて間もなく、ヒトの気配を感じ取る。
シオンは立ち止まり、その方角を注視した。
すると――
「よぉ、調子はどうだぁ?」
木の陰から人影が一つ、間の抜けた声と共に出てきた。
それを見たシオンはすぐに警戒を解いた。
「ヴィンセント?」
人影の正体は、議席ⅩⅠ番のヴィンセントだった。騎士の正装ではなく、どこかの作業員のような小汚い身なりをしている。
「久しぶりだなぁ。たまたま別件でグリンシュタットにいたもんで、俺もちょっと手伝おうと思ってな。グリンシュタットの軍人たちに同行させてもらったんよ」
ヴィンセントがいつものへらへらした口調で言うと、彼の後ろから同行者の軍人と思しき人物たちが三人現れた。全身黒ずくめで覆面をしていたため容姿はわからなかったが、その体格の良さからライカンスロープの兵士だろう。
「アンタがいるなら安心だ。早速だが、シスターたちを頼む」
シオンの先導で、一行は軍用車の停車場所まで戻った。
助手席で不安げにしているヒルデを尻目に、シオンはヴィンセントたちに車を指差した。
「この軍用車にシスターたちが乗っている。人数は七人だ」
「おお、車があって助かったぜぇ。楽な方法で亡命できる。んじゃまぁ、さっさとシスターたちをグリンシュタットに入れてあげますかね」
意気揚々とするヴィンセントに対し、シオンは小首を傾げた。
「車に乗って国境を超えるのか? ガリア軍が見張りを立てているが、強行突破するつもりか?」
「まあそうなるな」
「どうするつもりだ?」
怪訝にするシオンに、ヴィンセントは谷の方角を顎でしゃくった。
「谷の向こうからこっちに来る時、橋を使わず谷底を通ってきたんだが、そこにコカトリスどもが巣食っていたのを見た。なんで、あいつらを刺激して、たむろするガリア軍を混乱させる。その隙に車を走らせて、一気にグリンシュタットに入ろうって魂胆だ」
「なるほど。確かに、射撃が得意なアンタならコカトリスの群れが襲ってきても容易に対処できるな」
「そういうこと。自分で言うのも何だが、俺がいてよかったって思うぜぇ」
「じゃあ、あとは任せ――」
「ちょい待ち」
不意に、ヴィンセントがシオンを呼び止めた。
「お前さんもこのまま一度グリンシュタットに入ってもらうぜぇ。ここに来る直前、副総長から伝言と指示があった」
「イグナーツから?」
「“着替えて予定通りトレイニア聖国に向かってください。ちなみにこっちは順調です”、だとよ」
そう言ってヴィンセントが投げ渡してきたのは、大きめのスーツケースだった。中を開くと、そこには騎士の正装と、シオンの武器の刀が入っていた。
「近々騎士が入国するってことは、グリンシュタット政府を通じて予めトレイニアに伝えておいた。国境渡ったあとは、好きなタイミングで行くといい」
「助かる」
シオンが礼を言うと、ヴィンセントは彼の肩を軽く叩いて応じた。
「いいってことよ。そんじゃまあ、コカトリスたち叩き起こして、国境越えといきますかね」




