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辺獄の黒騎士  作者: シベハス
第四部
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第二章 魂を鬻ぐ者Ⅵ

 シオンたちを乗せた汽車がノリーム王国に到着したのは、午前七時ちょうどだった。夏の朝の日差しがガラス張りの天井を通し、駅のプラットフォームは蒸し焼きの鍋のように暑かった。

 そんな暑苦しさに顔を顰めながらシオンとイグナーツが車両から降りると、間もなく汽車がけたたましい汽笛の音を上げて逃げるように去っていった。


「なかなか様になってますね。今まで神父の恰好をしたことは?」


 機関車が慌ただしく残した白煙の中から現れたのは、黒いカソックを身に纏った二人の姿だった。今回の任務は、前提として、ノリーム王国の修道会から教皇庁に向けて救難が送られたことを発端としている。しかし、騎士として入国すれば露骨にガリア軍の残党を刺激する可能性もあるため、いったんは神父に扮した状態で国の内情を探ることにしたのだ。


 イグナーツが物珍しそうに、それでいてどこか揶揄うように言うと、シオンは軽く肩を竦めた。


「どうだったかな……覚えてない」


 つまらない部下の回答にイグナーツは小さく笑った。それから表情を真面目にし、徐に駅構内を見渡す。


「それにしても、思った通りといいますか。酷く荒れていますね。列車が運行しているのが不思議なくらいです」


 アーチ状のガラス天井を携える駅舎は宮殿さながらに広大だったが、暫く手入れがされていないのか、空気には煤けた臭いが混ざっており、辺り一面がチリや埃に塗れていた。床には雑誌や新聞の切れ端が散乱し、大型の昆虫の死骸が当然のように多数転がっている。野良犬か野良猫の死体と思しき塊にはカラスが群がっており、風に煽られてそこら中に異臭が漂っていた。


「人気もまったくない。改札に駅員すらいないぞ」


 こんなところにいつまでもいたくないと、二人は早々に改札へと向かったが、それまでに誰一人としてヒトの姿を見かけなかった。挙句、シオンの言った通り、切符を処理する駅員すら見当たらない。


 人目がないのをいいことに、イグナーツは堂々と構内で煙草に火を点けた。それからコートのポケットに手を入れ、弄ぶように切符を取り出す。


「困りましたね。この切符、どうしましょうか。未処理をいいことにいきなり不法入国で疑われるのも面倒ですし。まあ、これだけ人目がないなら素通りでも大丈夫でしょうが」


 口だけ困ったフリをして、紫煙を大きく吐き出した。

 その隣で、ふとシオンがある場所を見つけて指し示した。それは、“従業員専用”と書かれたドアプレートを携える扉だった。


「あそこに駅員室がある。訊いてみよう」


 イグナーツが煙草の火を消して、二人は扉に向かって歩みを進める。


 その時だった。

 突然、勢いよく扉が開かれる。飛び出してきたのは、一人の若い女だった。異様だったのは、文字通りその身に一糸まとわぬ姿でいたことだ。女は青ざめた顔で、恐ろしい何かに追われているような形相で駅の出口に向かって走っていった。手には黒い大きな布を握りしめており、恐らくはそれが彼女の衣服だったのだろう。


 予想外の出来事に、シオンとイグナーツが面食らって驚いていると――


「おい、待てコラッ! まだ俺が何もしてねぇぞ!」


 今度は男のダミ声が構内に響いた。女が飛び出した扉の後に続いて出てきたのは、ガリア軍の軍服を着た中年の男だった。逃げた女を追いかけようとしていたが、酔っぱらっているのか、しゃっくり混じりに前進し、数歩のうちに転んでしまう。

 男は痛みに悪態を吐きながら立ち上がり、その場で床を激しく蹴り鳴らした。


「あのクソ尼が! 次会ったらケツの穴に鉛玉撃ち込んでぶっ殺してやる!」


 怒りに任せて吼える男の後ろで、扉からもう一人、軍服姿の男が出てきた。ズボンのベルトを締め直しながら、満足した顔で悠々としている。


「やめろよ、もったいねぇ。せっかく見つけた若い女だ。まだまだ楽しまねぇと」

「てめぇはヤったからだろうが! クソ、一週間ぶりに女抱けると思ったのによぉ!」


 どうやら、逃げた女を抱けたか抱けなかったかで揉めているようだった。

 そんな様子を遠目で見ていた時、怒っている方の男の視線が、シオンたち二人に向けられた。


「何見てんだよ」


 男はしゃっくりをしながら覚束ない足取りで歩み寄ってくると、赤く染まったアルコール臭い顔をシオンとイグナーツに近づけた。


「駅員さんがいらっしゃらないので、切符をどうしようかと思いましてね。駅員室を見かけたので、ちょうど訪ねようとしたところでした」


 イグナーツはそう言って、殊更に自身の鼻をつまんで答える。

 男はじろじろと二人の身なりを嘗め回すように見た。


「てめぇら司祭か? それとも北の牧師か?」


 北の牧師というのは、トレイニア聖国での司祭に相当する呼び名だ。

 問われて、イグナーツは肩を竦める。


「前者です。本日より、教皇庁から派遣されてまいりました」


 すると、一瞬の沈黙のあと、男は不気味な笑顔を浮かべた。


「ほー、そうかそうか」


 男は、獲物を見つけた狼のように、二人の周りを一周する。その後で、厭らしい笑みを携えたまま、扉の方に向かって顎をしゃくった。


「ちょうどいい。むしゃくしゃしてたところだ。お前ら、ちょっとこっちこい」


 イグナーツが小首を傾げる。


「切符を処理してくれるんですか? 助かります」

「馬鹿が。俺たちが駅員に見えるか?」

「違うので?」


 酒臭い吐息をまき散らしながら、男は自身の軍服をこれ見よがしに引っ張った。


「ガリアの軍人だよ! いいからさっさと来い!」


 直後、シオンが右手を動かした――が、イグナーツに無言で止められる。

 イグナーツは穏やかな雰囲気を崩さず、柔らかい物腰で続ける。


「我々に何をするおつもりですか?」

「うるせぇ坊主だな! 公務執行妨害だ! 俺たちの命令に大人しく従わなかったことに対してのな!」

「さようでございますか」


 それから二人は、言われるがまま駅員室の中に入った。中には粗末なテーブルと椅子、それに乱れたシーツを乗せた休憩用のベッドがある。

 部屋に入るなり、男が二人の手荷物を小突いた。


「よし、じゃあ早速、手荷物検査からだ」


 シオンとイグナーツは、大人しく手荷物のスーツケースを差し出した。男はそれを受け取り、テーブルの上で開けた。

 そうして真っ先に男の目に映ったのは、無数の札束だった。


「おいおい! 結構な金持ってんじゃねぇか!」


 嬉々として男が叫ぶと、もう一人の男も釣られてスーツケースに駆け寄った。


「思いがけねぇ臨時収入だ! これで暫く遊ぶ金には――」


 刹那、室内に乾いた発砲音が響いた。シオンが、男――逃げた女を抱きそびれた方の腰に差さっていた拳銃を抜き取り、心臓を撃ち抜いたのだ。


 生き残ったもう一人の男が驚きに目を剥くが、その額にはシオンの向ける銃口が正確に狙いを定めていた。


 脂汗を滴らせながら愕然とする男に、イグナーツが冷ややかな視線を送る。


「そのまま大人しくしていただけますかね。この国のことを色々と訊かせてもらいたく」



 態度を急変させた二人の神父に、男は慄いた。しかし、それでも有りっ丈の勇気を振り絞り――


「て、てめぇら、ただの神父じゃ――」


 啖呵を切ろうとしたが、シオンに鼻先を殴られて静かになった。


「私たちが質問しない限り勝手に喋らないように」


 イグナーツが煙草に火を点け、尻もちをついた男を見下ろす。


「貴方はガリア軍の残党ですね?」


 男は、血が止まらない鼻を抑えながら、涙目でイグナーツを睨んだ。


「だったら何だよ!」

「この国の軍事力――主に兵力や武器のストックですかね。それと組織体制を教えてください」

「言うわけねぇだろ馬鹿が――」


 直後、シオンが男の左足の先を撃った。弾丸はピンポイントに小指に当たり、絶叫が室内に響き渡る。


「先に言っておきます。私たちは貴方を生かしてここから出すことはありません。苦しんで死ぬか、楽に死ぬかの二択です。教えてくれたら楽に死ねますよ」


 男は呼吸を整えたあと、歯を食いしばりながら立ち上がろうとした。


「ふざけんな! 死ぬってわかってんならなおさら――」


 だが、シオンはそれを許さず、勢いよく男の背中に覆いかぶさった。そして、間髪入れずに男の手の爪を一枚剥がす。

 再度、絶叫が迸る。


「今から十秒ごとに手足の爪を剝いでいきます。無くなったら今度は指を斬り落とします」

「上等だ! やってみ――」


 十秒と待たず、シオンはさらにもう一枚、男の手の爪を剥いだ。それからシオンはあるものに気付き、手足の痛みに悶絶する男には構わず、立ち上がる。向かった先は、残飯の溜まった簡易キッチンだ。


「時間が惜しい。これを使っていいか?」


 そう言ってイグナーツに見せたのは、空き瓶――もとい、底に蛆などの虫が群がった瓶だった。

 イグナーツは、ナイスアイディアと言わんばかりに顔を輝かせる。


「ああ、いいですね」


 上司の了承を得たシオンは瓶を手に、床で蹲る男のもとに戻る。そして、男が瓶を見てぎょっとしたのと同時に、後頭部の髪を掴んで無理やり口を開かせた。


「ま、待て! 待ってくれ! それだけは――」


 シオンは、喚く男の口に、虫の詰まった瓶の口を躊躇いなく押し込んだ。瓶底に溜まっていた大量の虫が一斉に男の喉に雪崩れ込む。男は涙目になりながら呻き、激しく咳き込んだ。


「私たちは貴方の命乞いを聞きたいわけではないんですよ。早くさっきの質問に答えてくれますか?」


 凍てつくようなイグナーツの双眸に、男は悪魔を目の当たりにしたような顔で、何度も激しく頷いた。

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